公益財団法人日本国際フォーラム

岸田首相はG7に合わせて、今年2月24日以後は、「ロシアのウクライナ侵略」という厳しい言葉を使ってロシアのウクライナへの行動を厳しく批判している。安倍政権時代に長年外相も務めた岸田首相が、なぜ安倍首相と全く異なると見える対露政策をとっているのか、簡単に私見を述べたい。

本稿を書いている今は南ドイツでのG7首脳会談が終わり、マドリードでNATO首脳会談が始まったばかりで、岸田首相は日本の首相として初めてNATOに参加する。本稿では、まず岸田政権の対露政策が厳しくなった理由を、数項目に分けて簡単に述べる。ただ、岸田政権の対露政策には不明瞭な点もあり、最後に、それの側面も指摘しておく。まず、厳しい対露政策への転換について。

第1に、安倍元政権の平和条約交渉推進を目的とした経済協力を中心とする対露協力政策が完全に破綻したこと。そしてプーチンはそれを強者ロシアに対する弱者日本の卑屈な態度と侮蔑的に見ていたことを政治家や専門家、ジャーナリストだけでなく大部分の日本国民も理解したからである。また、2018年11月の日露首脳会談(シンガポール)での「日ソ共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速する」との合意(日本側の提案)は、4島の帰属問題を解決して平和条約を締結するとした東京宣言を無視して56年の日ソ共同宣言に戻る提案だった。これは国会や与党自民党さえも認めたものではなく、安倍個人あるいは首相官邸の独断であり、その結果、平和条約交渉は、単に座礁しただけではなく数十年も後退した。安倍首相自身が退任時に「断腸の思い」と述べた対露政策の大失策を、多くの日本国民も理解したので、厳しい対露政策はむしろ国会選挙にも有利に働くと考えた。

第2に、第2次安倍政権時代に岸田は長年外相の立場にあったが、安倍政権下で対露外交に対して実質的に主導権を握っていたのは外務省ではなく経産省出身者たちを中心とする官邸であり、また官邸を取り巻く元首相や元官房副長官など一部の政治家たちやそのブレーンであった。それゆえ外務相として無視された岸田は、今度は首相として安倍的な官邸とは異なる独自の対露政策を実行する意図を強く正面に出した。北方領土問題はロシアによる日本の主権侵害だが、外務省はロシアと主権侵害について長年交渉し、その結果ようやく東京宣言にたどり着いた。しかし経産省関係者は主権侵害問題にはほとんど関心がなく、自分たちが主役になれる経済協力を中心に対露政策を推進し、岸田はそれに反発した。

第3に、安倍晋三の父安倍晋太郎外相は、北方領土問題を解決して平和条約を締結することを念願としていた。外務相の父の秘書をしていた安倍晋三は、父の遺志を引き継ぐことに強い意欲を抱いた。また日本にとって、この問題の解決は長年の日ソ、日露交渉の最も重要かつ困難な問題で、安倍はこの問題解決を彼のレガシィにしたいと強く思っていた。

岸田は長年の外相として、プーチンやロシア側の対日姿勢の厳しさ、交渉の難しさを十分知っていた。岸田が首相になった時には、すでにプーチンと領土交渉をすることは不可能とはっきり分かっていたので、彼は安倍元首相のように、平和条約締結を自身のレガシィにしようとは最初から思っていなかった。

第4に、アジアで日本は核保有国に囲まれ、ウクライナと同じく日本はロシアに領土保全という独立国としての主権を侵されている。また習近平は「中華民族の偉大な復興」なるスローガンを掲げ、プーチンのロシアと同じく国際法よりも自己流に解釈した歴史の復活を重視している。それが南シナ海、東シナ海問題となって表れており、これは台湾だけでなく、尖閣問題が琉球問題に発展すれば、わが国にとっても極めて深刻な問題となる。今や安全保障問題では、単に日本が欧米に追随するだけでなく、むしろ日本がイニシアチブをとって欧米の安全保障とアジアのそれを一体的に考えなくてはならなくなった。この面では岸田首相は安倍首相の「自由で開かれたアジア太平洋」の理念や全方位外交の一環としてのアジア諸国や欧州との協力を継承しているとも言える。

 

ウクライナ問題では一見厳しい対露批判を打ち出した岸田首相だが、これと矛盾する側面もある。ロシアのウクライナ軍事侵略開始以前から、彼の対露政策が不明瞭だとの批判が国会でも出ていた。例えば侵略直前の2月15日には、G7の国々はロシアのウクライナへの対応に強い危機感を抱いていたが、林芳正外相は、ロシア政府との間でオンラインの形で開かれた「日露経済会議」に出席した。これは既に予定されていたから、という口実でキャンセルしなかったのだ。またロシアがウクライナに軍事侵攻を開始した2月24日の翌日の国会で、「貿易経済に関する日露政府間委員会」や「ロシア経済分野協力担当大臣という役職」はもはや廃止すべきではないかとの質問が出たが、岸田首相は同意していない。

また、サハリンからの石油ガス採掘輸出の「サハリン1」「サハリン2」、さらに北極海の「アークティックLNG2」プロジェクトから米英その他の国の企業などが撤退を表明したが、日本企業の撤退に関しては、日本政府は撤退を抑止する方向で動いた。

つまり、岸田政権は安倍政権のように、G7や米国の反対や批判を押し切ってまで対露協力を進める意図はないし、むしろG7やNATOとさえも協力の姿勢を強く表面に出している。日本の首相として初めてNATOの首脳会議にも参加して、欧米諸国との結束をアピールするつもりだ。G7首脳会議では、ロシアへの批判や制裁の強化が主要課題となったが、岸田首相は積極的にそれを支持した。NATO首脳会議では、対露政策と共に中国を意識して、安倍首相がイニシアチブをとったFOIP、さらにクアッド(日米豪印協力)などアジア諸国と欧米諸国の安全保障面での新たな協力関係の構築が主要課題となるだろう。来年G7の主催国となる岸田首相は、それらを積極的に推進する立場を示すだろう。

 

それでも岸田首相は同時に、国内のエネルギー確保などに、つまりロシアとのエネルギー契約保持に関心を向ける。例えば今年6月28、29日は猛暑日が続き、電力予備率が3%に近づき、「電力需給逼迫注意報」が出された。明らかにこの機会を狙い、ロシア側は6月30日に「サハリン2」を無償で「接収」した。つまり、契約を無視した「略奪」でありロシア側の反撃である。このような反撃は、岸田政権の厳しい対露批判と対露制裁に対して当然覚悟して対応を事前に手配しておくべきだが、日本政府も企業も、ロシア側の突然の対応に不意を突かれ、ロシア政府側の柔軟な対応にこの期に及んでも期待を繋いでいる。またもや、ロシア側に完全にイニシアチブを取られ、日本は卑屈な対露姿勢となっている。

岸田政権がロシアに対して厳しい態度と共に、優柔不断の態度も示すのは、7月の参議院選挙など主として国内政治を念頭に置いているからである。すなわち岸田政権は一方ではロシアに関してはウクライナ侵略にたいして正当な厳しい批判をしながら、同時に中途半端な立場も保持しているのだ。同様の問題は、ドイツを含めEU内にも存在している。ロシアがウクライナへの武力攻撃を強め、エネルギー輸出面で欧州などへの供給を削減しようとしている時、またウクライナが武器供与の大幅な増大を強く求めている時、G7、NATO諸国においては対露批判、対露制裁の調整が重要な課題となるだろう。それはまた、アジア・アフリカ・中南米諸国とロシア・中国との協力関係を、G7やNATO諸国との政策と調整する課題とも絡んでくる。