標題研究会合が、下記1.~3.の日時、場所、出席者にて開催されたところ、その議論概要は下記4.のとおり。
- 日 時:令和4年6月14日(火)13時より15時まで
- 場 所:ZOOMによるオンライン会合
- 出席者:
[報 告 者] 寺田 貴 JFIR上席研究員/同志社大学教授 益尾知佐子 九州大学准教授 [顧 問] 河合 正弘 JFIR上席研究員/東京大学名誉教授 [メンバー] 伊藤さゆり ニッセイ基礎研究所研究理事 岡部みどり 上智大学教授 久野 新 亜細亜大学教授 櫻川 昌哉 慶應義塾大学教授 [JFIR] 伊藤和歌子 研究主幹 安井 清峰 特任研究員 大﨑 祐馬 特任研究助手 [オブザーバー] 14名 - 議論概要
(1)寺田貴主査より報告:「IPEFは米中覇権競争の新たな地経学ツールになりえるのか:今後のための政治的論点整理」
①インド太平洋経済枠組みの概要
5月23日にインド太平洋経済枠組み(IPEF)が立ち上がった。立ち上げ時点では13ヵ国が参加するだけであったが、後日、フィジーが参加することとなり、14ヵ国となった。太平洋島嶼国がアジア太平洋の地域枠組みに入るのはパプアニューギニアがAPEC(アジア太平洋経済協力)に加盟して以来のこととなる。フィジーには、JBIC(国際協力銀行)も中国電力とともに同国の電力会社に共同出資しており、今次の中国による南太平洋島嶼国への活発外交を受け非常に注目が集まっているが、IPEFも数の上では、相応の参加メンバー数と経済規模を確保するに至った。
今年2月に公表された米国の「インド太平洋戦略」は、中国を強く意識した内容になっていたが、その中で経済分野の多国間枠組みとして、IPEFへの言及がある。結果として、現時点での参加国は14ヵ国となったが、注目点の一つは、ASEAN(東南アジア諸国連合)からどれだけの国が参加するかであった。当初は、シンガポールとベトナム程度ではと言われていたが、カンボジア・ラオス・ミャンマー以外の7か国が入ることとなった。ミャンマーは現在、軍事政権で、先の5月に開催された特別首脳会合にも参加していなかった。参加形態として、モジュール方式と呼ばれる方式がとられており、協議内容は1)貿易、2)供給網、3)インフラ・脱炭素、4)税・反汚職とされ、これら4つの柱の中から参加できる内容を選択することになっている。米国にしては、非常に柔軟な方策をとっており、こうしなければこれだけの参加国を確保できなかったのではないかとも指摘されている。
公的な目的としては、貿易をめぐる労働・環境問題への対応やデジタル貿易などTPP(環太平洋パートナーシップ協定)に盛り込まれたルールを取り込みつつ、半導体など重要物資の供給網を強化するとされている。他方、中国の報道官などは「米国は自身の利益のためにIPEFを立ち上げたにすぎず、米国の地政学戦略の推進にも奉仕するもの…米国主導の貿易ルールを制定し、産業チェーンを組み替えて地域の国々と中国経済をデカップリングさせようとする試み」との見方をしており、これはあながち間違いではないのではないかと個人的には思われる。これらの背景として、米国が離脱した後にCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)が立ち上がり、今年1月にもRCEP(地域的な包括的経済連携協定)が発効したが、アジア太平洋の市場統合が米国抜きで中国を中心に進む可能性があり、米国のアジア経済に対する関与を象徴する方策が必要であったという事情がある。この中での疑問は、途上国が望む米国市場への特恵アクセスがないにもかかわらず、なぜ参加国が膨らんだかという点である。米国の国内事情としてトランプ前政権以来、自由貿易は労働者の雇用を奪うものとの認識が強く、超党派でタブー扱いとされているが、そうした状況でも何か提示しなければならず、IPEFが出てきた経緯から、貿易協定ではない枠組みとして、有志国による法的拘束力を伴わない緩やかな協力ベースの枠組みとなっており、米議会の承認が不要で、参加有志国の抵抗も少なく、協力へ向けた合意形成が比較的容易なのではと目されている。
②IPEFの射程と各国の思惑
一般に国際制度を測る際に、広さ・深さ・質といった観点を用いるが、IPEFの特徴と今後の課題を見てみる。広さという観点では、CPTPPとRCEPに参加していない米国とインドが入っていることから、経済規模の上では両枠組みを上回ることになり、世界のGDPの4割を占める。しかし、カバーする深さという点では、IPEFには市場アクセスがなく、4つの柱しかないので深さは浅いと言わざるを得ず、質の高さの観点でも、例外規定の多寡がこれを左右することになるだろう。タイ米通商代表部(USTR)代表が、今夏以降の交渉で決定するとしながらも、ルールを守らない企業に対して罰則規定を検討しているとの発言も報道されており、米国としては質の高さを保ちたいとの思惑が見え隠れする。
こうした中で、先述のようにIPEFにASEAN諸国が多く参加したことは驚きをもって受け止められたわけだが、半導体企業誘致というバイデン政権の国策につながるのかという疑問もある。例えば、中国は2019年からの5年間で生産能力の向上を計画しており、海外メモリメーカー(サムソンの西安工場やSK Hynixの無錫工場、Intelの大連工場)やメモリ以外のデバイスの生産能力増加の見込みがある中で、北米生産能力シェアは減少するとされており、半導体生産能力の高い台湾や韓国、米国、日本を始め、シンガポールや豪州など有志国間で安定的な半導体供給のためのルール形成を企図している。台湾は今回、IPEFには不参加となったが、多くの米議会議員が台湾の参加を求める書簡をUSTRに提出しており、代わりに二国間の協力枠組みを新設することになった。台湾の参加を嫌った東南アジア諸国においては、概して期待は高く、既にマレーシアではMicronやLatticeなど米企業の投資が増大しており、こうした事情も参加国拡大の背景にあるのではないかと思われる。
実際、対ASEAN向け投資では米国が最大のシェアを占めており、マレーシアは米国とデジタル投資に加え、半導体サプライチェーン強靭化に関する覚書を締結しているほか、アズミン貿易相はIPEFを通じた米国の正式な経済的関与を評価している。さらに、APECで行われているエコテコ(経済技術協力)を想起させるが、IPEFには加盟国の開発レベルの違いを埋めるための技術支援と能力開発を提供する条項も含めるようタイUSTR代表に提案している。また、タイは中国での労働コストが増大する中で、電気自動車生産の一大拠点となる可能性があり、自国の再生エネルギーやデジタル分野への米国などからの外国投資の増大に対する期待が大きい。その上で、自国の米知財監視リストからの除外や米サプライチェーン網へのタイ製品の関与支援などを直接要請している。インドは、中国依存を減らすことを目的としており、SBI(インドステイト銀行)によると、対中輸入依存度を半減させればGDPを最大200億ドル増やすことが可能との試算も出ており、IPEFが市場アクセス分野を含まなくても、特に最大輸出相手国の米国との共通の経済ルールを形成できれば、恩恵をもたらすとされている。実際、米国の工業製品の貿易加重平均輸入関税率は2.0%と既に低く、どれほどの経済効果がもたらされるかは微妙な部分もある。タイUSTR代表は米国の市場は十分に開かれているとの反論を展開しているため、ルールの共通化において米国の存在感が大きかったのではないかと思われる。
③ 今後の展望と課題
IPEFは早くて、今夏以降の交渉開始が予定されている。既に先日もパリで非公式の閣僚級会合が持たれたようだが、2023年は米国がAPEC議長国であるほか、日本がG7、インドがG20、インドネシアがASEAN議長国という巡り合わせで、大きな仕掛けがあるかもしれない。既に、今年はAPEC議長国のタイが米国とAPECでの協働を打診している。
特に、「デジタル貿易のルール形成が急務」とタイUSTR代表も明言しており、電子商取引のTPP3原則とされる情報の自由な越境移転、サーバー等の自国内設置要求の禁止、ソースコードの開示・移転要求の禁止を、米IT企業も公聴会などで要望している。4億人を超えるインターネットユーザーと2030年までに1兆ドルに達する市場規模を持つASEANは域内で電子商取引協定を締結するなど魅力的である。しかし、企業や個人による国境を越えた自由なデータの流通には否定的な中国のアプローチに対し、インドやインドネシアなど途上国はこのモジュールに不参加か。課題としては、米国は、たとえ次期大統領が変わってもIPEFを継続して推進するかという疑問がある他、モジュール型の枠組みの実効性という点でもDEPA(デジタル経済連携協定)同様に法的拘束力や実質的なインパクトに対する懐疑的な見方が多い。
(以上、文責在事務局)