公益財団法人日本国際フォーラム

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「米中覇権競争とインド太平洋地経学」研究会

標題研究会合が、下記1.~3.の日時、場所、出席者にて開催されたところ、その議論概要は下記4.のとおり。

  1. 日 時:2022年4月22日(金)17時より19時まで
  2. 場 所:ZOOMによるオンライン会合
  3. 出席者:
    [報  告  者] 三浦 秀之 杏林大学准教授
    [主  査] 寺田  貴 JFIR上席研究員/同志社大学教授
    [顧  問] 河合 正弘 JFIR上席研究員/東京大学名誉教授
    [メンバー] 伊藤さゆり ニッセイ基礎研究所研究理事
    岡部みどり 上智大学教授
    兼原 信克 JFIR上席研究員/同志社大学特別客員教授/前国家安全保障局次長
    久野  新 亜細亜大学教授
    益尾知佐子 九州大学准教授
    [JFIR] 伊藤和歌子 研究主幹
    安井 清峰 特任研究員
    大﨑 祐馬 特任研究助手
    [外務省オブザーバー] 9名
  4. 議論概要

(1)三浦秀之・杏林大学准教授による報告:「インド太平洋のデジタル貿易のルール形成を巡る地経学的競争」

本報告では、まず中国を始めとするデータ保護主義の台頭を受け、米国の対応などアジア太平洋における試みと歴史的経緯を概観する。次に、データガバナンスを巡る各国の政策を整理し、インド太平洋地域においてデジタル貿易のルール形成状況を考察し、展望と課題を論じる。

背景、問題意識、デジタル貿易の定義

2000年以降、越境データ流通量が急速に増加している。COVID-19の影響もあり、2021年には前年比1.3倍、過去5年間で約5倍拡大している。この中で、データ・ガバナンスを巡っては、各国が多様な規制を導入している。各国の規制が乱立する背景には、国際的なデータ・ガバナンスがないということがある。とりわけ、中国をはじめとする新興国がデータ保護主義的な措置をとっており、そうした中で国際社会はマルチのルール形成とともに各国はバイあるいはリージョナルなデジタル貿易のルール形成を試みている。日本はCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)を通じてアジア太平洋地域に高いレベルのデジタル貿易のルールを構築するとともに、マルチの場でDFFT(Data Free Flow with Trust:信頼性のある自由なデータ流通)を提唱し、デジタル貿易のルール構築で主体的な役割を果たそうとしている。近年、台頭する中国を牽制するべく、インド太平洋地域でも新たな枠組みの構築が模索されている。

まず、デジタル貿易の定義から確認する。ただし、デジタル貿易の定義は統一的な見解はなく、コンセンサスの得られた概念や世界共通のルールは現在、存在しない。しかし、OECD(経済協力開発機構)によれば消費者、企業、政府が関与するデジタルまたは物理的に提供できる材やサービスの貿易におけるデジタル対応の取引を包含するものとされる。デジタル貿易の特性と課題を見た際、財やサービスと異なる情報やデータの特性として、情報は無形資産であり、さまざまな価値の源(根源性)であること、伝播・拡散の容易さというコントロール不可能性がある。他方、とりわけ中国をはじめとするデータ保護主義的な権威主義国家の台頭で様々な課題が明らかになっている。例えば、進出先国にサーバーを設置することによるリスクやデータセンターの第三国設置によるセキュリティ上の恐れ、ソフトウェアのソースコード開示義務により流出するリスク、研究データ等の重要な技術情報が抜かれる恐れ、当局からのデータ開示要求に対し拒否権がないことや、企業の機密情報が政府から民間企業へ横流しされる恐れ等から、デジタル貿易を取り巻く課題を制御するルールが必要と指摘されている。

では、なぜ、デジタル貿易のルールが重要になってきたのか。新興国、特に中国におけるデータ保護主義に、先進国がどのような認識を持ち、それに対していかなる対応を取ってきたのか。インド太平洋地域において、米中の地経学的競争が激しくなる中で、日本が、米国やEUなどの有志国と共にデジタル貿易に関する多国間および地域におけるルール形成を巡り、いかにしてイニシアチブを取ろうとしているのか。他方で、いかなる課題があるのか等を検討する。

中国のデータ保護主義台頭と米国の対応 ―アジア太平洋における試みと歴史的経緯―

中国政府による規制と独自のデジタル環境の歴史は長い。中国には9億8,900万人のネットユーザーがおり、IT産業が成長してきた。中国政府は、ネットの規制を計画的に推進しており、1998年から金盾計画が本格化した。2006年にシステムが完成し、不適切と判断したサイトアクセスを遮断するGreat Firewallが稼働を開始した。2000年頃からはSNSの普及により情報統制を厳格化しており、Facebook Twitterなどへのアクセスが遮断される。自己検閲の要請を受けたGoogleが中国本土から撤退し、現在、GoogleFacebookTwitterYouTubeWall Street JournalNew York Times等のサイトは利用できない。こうした状況を2010年にヒラリー・クリントン国務長官は「ヴァーチャル・ベルリン・ウォール」と表現している。一方、BAT(百度、アリババ集団、テンセント)をはじめ中国地場のIT企業が、当局の規制と折り合いをつけながら国内に最適化したサービスを提供することで急成長してきた。世界のユニコーン企業(10億ドルを上回る創業10年以内の未上場ベンチャー企業)は中国で122社と、米国(228社)に次ぐ勢いである。また、中国に特徴的な制度として中国国内に輸入される製品に対して国内技術の標準に適合し、輸入が認められるかが中国政府によって審査され認証されるCCC制度(中国製品安全強制認証制度)がある。2009年、ITセキュリティ製品13品目を加え、広範な技術情報開示(ソースコードの開示)を求めると公表された。この点に関しては、その後、各国から懸念が表明されたことで中国政府は譲歩を表明した経緯があるが、現在まで尾を引いている問題でもある

中国のデータ保護主義と国際ルールの不在状況について、様々な研究者が分析を行っている。中国の検閲をはじめとする情報統制は、言論の自由などの政治的意味合いだけではなく、幼稚産業を保護する政策として機能しているとの指摘がある他、Great FirewallについてWTO(世界貿易機関)では問題視されたが、具体的な対応がほとんどされていない。2000年代初頭に、中国に対抗するためのルール形成はほとんど進展がなく、国際社会で具体的な議論がなされなかった背景として、既存のルールを巡る限界あるいは急速に成長する中国市場にアクセスするために中国政府の心象を悪化させたくないという米国などのIT企業の慎重姿勢もあったとされる。

一方、米国ではITロビーがルール形成を要請するようになってきた。米国最大のデジタルロビー団体であるBusiness Software AllianceBSA)は、デジタル貿易政策を推進するため、TPP(環太平洋経済連携協定)TTIP(大西洋横断貿易投資パートナーシップ協定)はともに重要な機会となると主張している他、The Internet Associationは、国境を越えたデータ移転の禁止、データサーバーの国内設置、データローカライゼーション要件の撤廃などを要求している。規制における透明性の向上、知的財産権保護の強化、国境を越えたデータ流通を促進するための拘束力のあるルール、ソースコードやアルゴリズムの移転あるいはアクセスの要求を求めてはならないなど、結果志向型の貿易枠組みの一つとしてTPP交渉を推進すべきと主張する団体もある。

こうした声を背景に、米国によるデジタル貿易のルール形成が展開してきたが、米国のIT産業は各国のデジタル貿易を取り巻く障壁を取り除くため、二国間、地域及び多国間の拘束力あるルール形成の重要性を力強く主張し、米国におけるIT産業の政治力が上昇してきた。IT産業によるロビー活動は、過去10年間で大幅に増加し、オバマ政権の強力な支持基盤にもなっていた。実際、オバマ大統領は2015年に「自由で開かれたインターネットを通じてデジタル経済を促進するために、デジタル貿易を巡るルールを構築する」と述べており、そのためWashington Post紙はオバマ大統領を「最初のTech大統領」と評している。また、Business Software AllianceCEO(最高経営責任者)13年経験したロバート・ホリマン氏をUSTR(米国通商代表部)次席代表に迎えている。米国のデジタル貿易政策を見ると、2017年に政府のデジタル貿易の保護、データの自由な流通の促進、データローカライゼーションに関する障害の防止、技術の強制移転の禁止などの目的で、超党派の「デジタル貿易議連」が議会に設立された。こうした動きの目的は、特に中国を念頭に、新興国におけるデータの保護を目的とした政府の介入を規制することとされる。また、オバマ政権におけるTPPと中国の関係を見ると、米国ではデジタル貿易政策を体現するものとして、TPPおよびTTIPが支持されていた。IT産業の主張には、USTRの貿易政策に「Digital Dozen」と題する政策、特にTPP3原則(Data Free Flow: 越境データ移転の原則自由化、Data Localization: データローカライゼーションの要求の原則禁止、Source Code: ソースコードの開示強制の原則禁止)が含まれていた。当時のフロマンUSTR代表は、TPPが対中国ではなく、米国とその同盟国がデータ流通に関するルールを構築することに寄与する政策ツールであると明言していた。しかし、20171月にトランプ政権がTPPから離脱し、米国のデジタル貿易政策が後退する事になった。トランプ政権はリージョナルあるいはマルチではなく、バイの交渉に注力した。日米デジタル貿易協定などの成果があったが、デジタル貿易の内容に関しては、オバマ政権の提案に基づいて構築されたと見ることができる。

データ・ガバナンスをめぐる各国政策

次に、データ・ガバナンスのアプローチを検討する。第一に米国・日本の太平洋型ルール、第二にEU型ルール、第三に中国・新興国の新興国型ルールがある。米国は、自由な越境データ移転の制限、データローカライゼーション要求やソースコード開示禁止などを通じて保護主義に対抗する姿勢である。日本も米国同様に、自由な越境データ移転の制限、ローカライゼーション要求やソースコード開示を禁止しているが、米国とEUの間でバランスに配慮している。次に、EUは自由な越境データ移転を認めつつGDPR(一般データ保護規則)を制定し、一定のデータローカライゼーションの制限のもと、個人情報の保護を強調している。中国及び新興国は、サイバーセキュリティ法、個人情報保護法、データセキュリティ法の制定などにより、データ流通は安全保障確保の前提を受ける必要があるという主張をしている。

中国のデータ・ガバナンス政策は、国家がデータを管理する考え方であり、外国企業が国内のデータを自由に活用することに対して規制を課すことを狙う。近年、中国のデジタルデータ三法が整備された。2017年施行のサイバーセキュリティ法は、重要情報取扱事業者によるサーバーなどのコンピューター設備の自国内設置を要求している。2021年に施行の個人情報保護法は、個人情報の収集時に本人の明確な同意の取得を義務付けるほか、情報の国外移転を制限する。同年施行のデータセキュリティ法は、国の安全と利益の維持、国際的義務の履行の維持に関連する管理品目に該当するデータ及び重要データが越境移転規制の対象となっている。他方、中国だけではなく、新興国でもデジタル保護主義が高まっている。欧州国際政治経済研究所(ECIPE)によって公開されている世界64カ国・地域におけるデジタル貿易関連の規制を調査したDigital Trade Restrictive Index (DTRI)によれば、中国によるデジタル貿易関連の規制が最も厳しく、ロシア、インド、インドネシア、ベトナムなどのアジア各国が続く。インドは、インド国民とインド企業のデータに関する主権を主張し、データの利益はインドとインド国民に帰着すると主張しており、ベトナムには厳しい越境移転規制、データ保護義務、政府アクセス等の保護主義手法が多数ある。デジタル貿易に対して、米国と中国は対照的なアプローチをとっており、中国のデジタル貿易の議論は、インターネットによって可能になる国境を越えた財貿易の促進と円滑化、及び決済やロジスティクスなど、財貿易に直接関わるサービスに焦点がある一方、米国の提案は、デジタルコンテンツまたはサービスに焦点があり、財貿易をめぐる問題にあまり注目していない。

デジタル貿易をめぐるルール形成

このような中で、依然としてデジタル貿易に関して合意されたマルチのルールはほとんどない。他方、デジタル貿易のルール形成は、バイ及びリージョナルの枠組みで進行している。2003年に発行したオーストラリア・シンガポールFTA(自由貿易協定)が、電子商取引を持つ初のFTAであり、日本ではスイスとのEPA(経済連携協定)以降、電子商取引章がEPAに導入されている。TPPが締結される以前の多くのFTAでも、電子商取引章を含むが、低水準のデジタル貿易条項しか含まれていなかった。TPP/CPTPPが高水準のデジタル貿易条項(3条項)を含む最初のFTAであり、それ以降、USMCA、日米デジタル貿易協定(日米DTA)、日英EPARCEP等においても同様の規律が構築されている。ただし、いくつかの点でRCEPの規律は低く、その背景には中国のデジタル保護主義的な考えが影響していると考えられる。

以下は、TPP3原則に注目して、各デジタル貿易ルールを比較、検討する。まず、Data Free Flow(越境データ移転の原則自由化)に関しては、CPTPPUSMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)、日米DTAおよび日英EPAで認められており、公共政策の正当な目的のために必要な措置を除いて、事業の実施のために行われる情報(個人情報を含む)の電子的手段による国境を越える移転を禁止または制限することを禁止している。他方、RCEPにおいては、締約国が公共政策の正当な目的を達成するために必要であると認める措置や、締約国が自国の安全保障上の重大な利益の保護のために必要であると認める措置を除いて、事業の実施のために行われる情報の電子的手段による国境を越える移転を妨げることを禁止している。次に、Data Localization(データローカライゼーションの要求の原則禁止)に関して、CPTPPUSMCA、日米DTA、日英EPAでは、自国の領域において事業を遂行するための条件として、当該領域においてコンピューター関連設備を利用し、または設置することを要求することを禁止している。ただし、金融機関や金融サービス提供者については、金融当局による規制や監督のためのアクセスが認められる限りにおいて禁止しているが、RCEPでは、1)締約国が公共政策の正当な目的を達成するために必要であると認める措置、2)締約国が自国の安全保障上の重大な利益の保護のために必要があると認める措置(ただし、金融機関や金融サービス提供者に対する当該利用または設置要求は許容されうる)を除いて、自国の領域において事業を遂行するための条件として、当該領域においてコンピュータ関連設備を利用し、または設置することを要求することを禁止している。最後に、Source Code(ソースコードの開示強制の原則禁止)においては、CPTPPが自国における輸入・販売等の条件として、大量販売用ソフトウェアのソースコード移転アクセス要求を禁止している(ただし、商業的契約におけるソースコードの提供規定、国内法令への適合のためのソースコードの修正要求、及び特許権の出願等に関する要求は許容されうる)。USMCA、日米DTAにおいては、自国における輸入・販売等の条件として、ソフトウェアのソースコードやソースコードに表現されるアルゴリズムの移転・アクセスを要求することを禁止している。ただし、規制機関や司法当局が、調査、検査、検討、執行活動または司法手続きのため、ソースコードやアルゴリズムや保存または司法手続きのため、ソースコードやアルゴリズムを保存または入手可能とすることを要求することは許容されうる。また、日英EPAでは、自国における輸入・販売等の条件として、ソフトウェアのソースコードやソースコードに表現されるアルゴリズムの移転・アクセスを要求することを禁止している。ただし、規制機関や司法当局が、または適正評価機関に関して、1)調査、検査、検討、執行活動または司法手続きのため、ソースコードやアルゴリズムの保存または司法手続きのため、ソースコードやアルゴリズムを保存または入手可能とすること、2)調査、検査、検討、執行活動または司法手続きのため、ソースコードやアルゴリズムの保存または司法手続きの後に、法律に基づく是正措置を課し、または執行するため、ソースコードやアルゴリズムの移転アクセスを要求することは強要されうるとの規定がある。なお、RCEPにはこれらの規定がない。

では、マルチのルール形成において、日本はどのようなイニシアチブをとっているか。201712月にアルゼンチンのブエノスアイレスで開催されたWTO11回閣僚会議では、日本、オーストラリア、シンガポールのイニシアチブの下、71WTO加盟国と地域がデジタル貿易に関する共同声明を発表した。201812月には、日本政府が「デジタル時代の新たなIT政策の方向性について」を発表し、2019123日にダボスで開催されたWEF年次総会で、安倍首相が「信頼性のある自由なデータ流通(DFFT)」の概念を提唱した。同年125日には、WTOの電子商取引に関する非公式閣僚会合にて、76WTO加盟国と地域が電子商取引交渉を事実上開始することに合意した。同年6月、大阪で開催されたG20サミットでも「デジタル経済に関する大阪宣言」を発表した。202112月には、日豪星のWTO電子商取引交渉共同議長が、越境データ流通、データローカライゼーション、ソースコード等の分野についても条文提案を統合したと発表しているが、実態としては今後も協議が続く見込みである。DFFTの功績と課題として、宣言文書の調整をめぐり日本は各国のバランスに配慮した。「データの自由な流れ」は米国にアピールし、「信頼」はEUにアピールした他、中国も共同宣言に加わっている点は評価に値する。ただし、米国にとってDFFTは、EUGDPRを正当化する材料として映り、米国とEUの間にはデータ・ガバナンスの点で相容れない部分があるのも事実であり、先進国間でもマルチの議論が平行線になる可能性を孕んでいる。また、G20の中でインド、インドネシア、南アフリカはDFFTに署名していない。この理由として、1)デジタル貿易をめぐる規律は、WTO内で議論されるべきであり、大阪トラックのようなプルリ協定は、コンセンサスベースを理念とするWTO原則を弱体化させると懸念されるほか、2)プルリ協定では一部の国におけるデータ・ガバナンスをめぐる政策余地が乏しくなり、そもそも3)これらの国々はDFFTとマッチしないデータローカライゼーション要求をする国内規律がある等の点が挙げられる。

近年のアジア(インド)太平洋地域におけるデジタル貿易をめぐるルール形成

こうした展開を受け、バイデン政権発足以降、米国の識者が積極的にインド太平洋地域におけるデジタル貿易のルール形成に向けた主張をするようになった。地域の重要な有志国とデジタル貿易協定を手始めに締結し、CPTPPに加入するべきとした意見や、インド太平洋におけるデジタル貿易協定は機が熟したと見る向きの他、米国のDEPA加盟を促すとともに将来のTPP復帰を模索すべきとの声もある。この中で、米政府がインド太平洋でデジタル貿易協定の成立を目指す案を検討すると報道もあったが、大きな転機は2021916日、中国のCPTPP加入申請であろう。キャンベルインド太平洋調整官は、「あくまでもショーとしての動きと見る人々もいるが、私の意見は異なり、非常に深刻な動きである」との見方を示しており、同年1027日の東アジアサミットでは、バイデン大統領がインド太平洋経済枠組み(IPEF)構築に向け協議を開始することを言及した。レモンド商務長官とタイUSTR代表が11月末にアジア諸国を訪問し、米国議会と産業も同枠組みの構築をプッシュしている。米商工会議所やIT産業協議会(ITI)など18の業界団体が共同で、インド太平洋地域でデジタル貿易交渉を開始することを求める書簡をタイUSTR代表に提出した他、議会上院財政委員会の共和党有志がインド太平洋におけるデジタル貿易交渉を開始することを求める書簡をバイデン大統領に宛てて提出した。議会下院の外交委員会の超党派有志も同様の書簡を提出している。しかし、現時点ではIPEFは未知数の存在である。枠組みの特性として、インド太平洋地域における多国間の経済枠組みであるということしか示されておらず、枠組みの形態としては、20217月にTPAが失効したことから、議会の承認を要する貿易協定の形を取らない(法的拘束力が伴わない)枠組みであり、分野ごとの合意形成を追求するモジュール型の枠組みとされる。米EU貿易技術評議会(TTC)に類似する可能性も指摘されるが、枠組みの対象分野は貿易円滑化、デジタル経済・技術に関する基準、サプライチェーンの強靭性、脱炭素・クリーンエネルギー、インフラ、労働基準などで、デジタル貿易をめぐるルールはDEPAに似た形態になる可能性もある。

デジタル経済パートナーシップ協定(DEPA)は、チリ、ニュージーランドとシンガポールが加盟し、20211123日に発効した。16のモジュールから構成され、TPP3原則に似た規定と越境データ移転の原則自由化やデータローカライゼーションの要求の原則禁止を示すとともに、技術:フィンテック協力、AI、政府調達、競争政策での協力など各種の新しい協力形態となっている。また、各モジュール単体が個別に改訂や修正が可能である。2021111日、中国がDEPAに加盟申請したことでも注目された。ただし、課題はTPPマイナスである(ソースコードの開示強制の原則禁止がなく、affirm規定でありCPTPPのようなbinding規定ではない)点で、協力内容は乏しいと言わざるを得ない。

展望と課題

最後に、日本のデジタル貿易におけるポジションを確認する。前提として、日本はデジタル貿易のルール形成を重層的に進め、先導的立場にある。バイ及びリージョナルで高い規律を確立し、CPTPPではTPP3原則を、日EU EPAではEUから十分性認定を得て締結し、日米デジタル協定や日英EPA、不十分な点はあるがRCEP等を相次いで締結してきた。また、マルチでもイニシアティブを発揮しており、G20においてDFFTを提唱した他、WTOでは共同議長として電子商取引交渉を牽引し、日米欧など有志国での議論を先導して日米欧三極貿易大臣会合で方向性を確認するなど、OECDでも主体的に議論を展開している。他方、今後の展開では、米国とEUによる個人情報保護をめぐる観点の総意から自由な越境データ移転について考えが異なる点が大きなハードルとなろう。マルチのルール形成では平行線を辿る可能性もある。また、中国及びアジア新興国は自国IT産業の振興を優先している他、安全保障上の事由でデジタル保護主義的ないしデジタル権威主義的な措置を講じているため、TPP3原則のような高い規律の導入は困難である。

インド太平洋地域のデジタル貿易のルール形成を考える際、中国を念頭に、デジタル保護主義的あるいはデジタル権威主義的な、市場歪曲的データガバナンスを是正する必要性が指摘される。低い規律か、高い規律かという点では、中国などの新興国は低い規律を標榜する一方、米国、EU、日本などの先進国は高い規律を標榜している。では、日米は高い規律をどのフォーラムで実現できるか。マルチのルール形成は先進国と途上国のみならず、米欧も平行線であり、DEPAも高い規律と言われているが、実際はTPPマイナスである他、中国が加盟申請をしている(中国が参加申請する中での日本の参加は誤ったメッセージになるのではないか)。DEPAに参加する場合、あくまで中国の市場歪曲的な慣行の是正につながらなければならず、そのためには今後、DEPAの規律を高める必要があると考えられるが、日本政府には現時点では慎重な対応が求められるといえよう。

インド太平洋経済枠組み(IPEF)に関して、日本は積極的に参加し、米国とともに中国のような市場歪曲的な慣行を是正することを考える必要がある。ただし、IPEFでTPP3原則のような高い規律を保持したデジタル貿易のルールを構築することができるのかは不透明である。IPEFは、特に市場アクセスに関する約束が含まれない点で途上国にもたらすメリットが少なく、インド太平洋地域の経済ルール形成を促すものとしてベストなアプローチではない。やはり米国のCPTPP復帰が望ましいが、現状では、国内事情を抱える米国の復帰は難しい。しかし、そもそも米国がTPPに積極的になった動機の1つとして中国のデジタル保護主義的な措置を是正するためという戦略的重要性があったことから、CPTPPはその可能性を秘めており、日本は米国のCPTPPの復帰を粘り強く説得する必要がある。

DFFTをいかに実現するかという点に関しては、APECによるソフトローの重要性を指摘したい。DFFTを推進する上で、先進国と途上国のデジタルデバイドを埋めることが重要である。包摂的な成長を推進するため、途上国の特定のニーズを考慮したAPECによる経済技術協力の促進が大切であり、具体化にはベストプラクティスの創出による規範形成などが考えられる。現在、OECDではガバメントアクセスが議論されており、信頼あるガバメントアクセスの構築が重要視されている。日米欧などの西側諸国におけるベストプラクティスを積み上げていくことで、市場歪曲的な措置を講じる中国との比較をすることができる可能性があり、ベストプラクティスの公開をAPECの協力枠組みにおいて検討できないか。2023年は日本がG7、米国がAPECの議長国であり、こうしたモメンタムをうまく活用することも重要である。

(以上、文責在事務局)