公益財団法人日本国際フォーラム

ロシアによるウクライナ侵攻は、インド太平洋地域の地経学にどのような影響を及ぼすことになるのか。本稿では、侵攻前の段階から、大筋合意した包括投資協定(Comprehensive Agreement on Investment、以下、CAI)の凍結などの形で既に変わりつつあった欧州連合(EU)と中国の関係へのウクライナ侵攻の影響、日本への示唆について考察した。

ロシアの軍事侵攻は今も続き、西側の制裁措置とロシアの対抗措置も拡大し続けている。本稿の評価は、あくまでも暫定的なものであり、EUの政策を主に経済面から分析する研究者の視点からの考察であることを予めお断りしたい。 

1.EU・中国関係の変遷

EUと中国の関係は、過去20年余り、とりわけ、中国が飛躍の機会とし、EUが複合危機に見舞われるきっかけとなった世界金融危機以降、大きく変化してきた[i]

経済の規模は、中国が世界貿易機関(WTO)に加盟した2001年時点では米ドル換算で中国はEU(同、当時加盟していた15カ国の累計)の6分の1に満たなかった。しかし、その後、経済規模の差は縮小の一途を辿り、国際通貨基金(IMF)の「世界経済見通しデータベース(224月)によれば、2021年には中国がEUを超え、今後、乖離は拡大して行く(図表1)。

図表1 世界のGDPに占める主要国・地域のシェア

(注)米ドル換算ベース、EUは各年時点での加盟国の合計

(資料)IMF World Economic Outlook Database April : 2022

 

EUの中国への認識は、市場としての「期待」と、欧州の価値観や規範には必ずしも沿わない統治構造への「懸念」が並存してきた。期待と懸念のバランスはEU加盟国間でも、一国内でもばらつきがあり、かつ、時期によっても変化してきた。EUの単一市場における中国の存在感は、財の輸出に始まり、M&Aを通じた技術力のある欧州企業の買収、習近平政権が2013年秋に打ち出した「一帯一路」の展開、2012年に中国がEU加盟国を含む中東欧16カ国と立ち上げた協力のための枠組み「16+1」[ii]などを通じて目に見えて大きくなってきた。中国経済が強大化し、EUの単一市場における影響力と自己主張を強めるに連れて、EU側の「期待」は萎み、「懸念」が強まるようになった。

EUの中国への認識の変化は政策文書からも確認できる。EUと中国は、2003年に広範囲で協力関係を強める「戦略的パートナーシップ」を締結、2013年の「EU-中国2020協力のための戦略アジェンダ」[iii]では、平和と安全保障、繁栄(経済協力)、持続可能な発展、文化交流を4つの重点分野として「戦略的なパートナーシップ」を深めることへの期待が込められている。ところが、2016年の「新たなEUの中国戦略の要素」[iv]では、習近平体制始動前と比べた中国の変容ぶりと、グローバルなレベルで影響力拡大への懸念が示され、20193月に採択した「EU-中国の戦略的展望」[v]では、「ルールに基づく国際秩序を維持するためのより大きな責任、より大きな相互主義、無差別、開放性を伴うべき」とし、中国を「共通の目標を有する協力のためのパートナー」、「利益のバランスを見出す必要がある交渉のパートナー」であると共に「技術的主導権をめぐる経済的競争相手」であり「ガバナンスに関する異なるモデルを推進する体制上のライバル」と位置付けるようになった。

EUの懸念は、国際社会における中国の影響力の拡大が、米国とともに築いてきた国際秩序を脅かし、EUが重視する基本的な価値観や規範を弱める、あるいは変容させることにある。天児慧は中国と欧米の比較分析の著作において、中国ではパワー信仰が強く、欧州から広がった人々の合意形成に基づくルール・制度を、秩序を維持する規範として重視する「合意規範型秩序」に対する信頼度が低いと分析する[vi]。中国が「中国モデル」、「中国式特殊論」を強調することが国際社会で通念化している普遍的概念との対立をもたらすと言う[vii]。舒旻は、EUと中国の基本的な価値観や規範の意味、範囲を巡る認識の相違があるとし、とりわけ人権問題は、普遍的価値として重視するEUと、内政問題として干渉を嫌う中国との対立が鮮明な領域としている[viii]

EUと中国が、20201230日、7年掛かりの協議の末にようやく大筋合意に漕ぎつけたCAIが凍結に至った直接の原因は、少数民族ウイグル族への人権侵害を巡る対立にあるが[ix]、底流には西側の体制に対する優位性を強調するようになった中国の合意履行の意思に関する不信感がある。 

2.EU・中国包括投資協定(CAI)の凍結と中国を念頭においたルールの強化[x]

(1)CAIの概要と評価

CAIは、大筋合意の段階から賛否を巻き起こした。

まず、問題となったのは、同盟重視の姿勢を打ち出していたバイデン政権発足直前という大筋合意のタイミングだった。EUと中国の大筋合意は、国際社会に「誤ったメッセージ」を送ると批判を浴びた。

しかし、EUから見れば、このタイミングだからこそ、7年にわたる交渉でも引き出せなかった譲歩を中国から引き出せた面もあった。

EUはCAIを早期にまとめる必要にも迫られていた。CAIには、加盟各国が個別に締結した25もの投資協定が並存する分散状態を改め、現状に見合ったものにアップデートする意義がある。アジア・太平洋地域におけるEUの競争条件は、20201月の米中の第一段階合意や同年11月のASEAN加盟国とそのFTAパートナー国からなる15カ国が署名した地域的包括経済連携協定(Regional Comprehensive Economic Partnership Agreement、RCEP)によって、不利化する見通しとなり、防衛策を講じる必要にも迫られていた。ドイツで長期政権を維持したメルケル政権(当時)は、EU議長国の期間中(20年下期)に合意をまとめ、ビジネス界の要請に応え、レガシー(遺産)にしたいという思いもあっただろう。

内容面には画期的と評価できる面もある[xi]。EUが求めてきた市場アクセスの相互主義化、対国有企業での競争条件の公平化、市場歪曲的な補助金への対応、技術移転の強要などの問題の改善、制度・政策面での予見可能性の向上につながる合意が盛り込まれたからだ。

投資自由化(第2章)では、付属文書に記載したスケジュールでの参入障壁の削減が約束された。中国とEU加盟国の間には、直接投資に関わる市場の開放度に差があり、特にサービス分野での乖離が大きかった[xii]。CAIにより乖離は縮小に向かう。

持続可能な開発目標に関する章(第4章)は、EUが通商協定等の締結で重視しているもので、中国が締結する協定として初めて、気候変動に関する国連枠組み条約とパリ協定の履行などの協力を約束した(第2節)。国際労働機関(ILO)の中核的条約の4分野8条約のうち、未批准の強制労働に関する中核的条約(29条、105条)批准に向けて「継続的かつ持続的な努力」をし、結社の自由に関する87号と団結権・団体交渉権に関する98号についても「取り組みを進める」約束をしている(第3節)。

こうした成果の一方、多くの問題点が指摘されている[xiii]。CAIの合意は「包括的」という名称とは異なる部分的なもので不完全である。市場アクセスは方向としては公平化に向かうが、EUが望む「相互主義化」とは程遠い。紛争解決(第5条)では、EUと中国間でのルールのみが盛り込まれており、投資家と国家の紛争解決手続きに関しては「署名から2年以内」とされる「投資保護と紛争解決メカニズム」に関する交渉に委ねられている。合意の「甘さ」、「曖昧さ」も指摘される。例えば、ILOの中核的条約の批准に関しても、期限は設定されていないし、「努力」といった緩い表現に留まっている。WTO加盟と同じように約束は履行されず、「いいとこどり」を許すだけに終わることが懸念される。

ビジネス界は、CAIの欠点を認めながらも、EUと中国のレベルでの法的基盤が確立されることは中国で活動する欧州企業の競争条件の改善に資すると歓迎し、批准を望んでいる[xiv]。国際経済における中国のプレゼンスの高まりという現実を踏まえると、異なった経済モデル間の調整は、これまで以上に必要になっているという立場から、たとえ、部分的で不完全な合意でも、持続可能な開発に関わるEUと中国の協力や、WTO改革などグローバルな課題への取組みの出発点とすべきとの提言もある[xv]

CAIを評価する立場をとる専門家らも、CAIの発効が当面見込めないことは認めざるを得なくなっている。中国は、人権問題への批判を受け入れる意思はなく、凍結解除の前提となる人権問題を巡る対立解消の目途は立たない。後述のとおり、ロシアの侵攻でEUの政策的な優先順位は変容を迫られ、EUと中国の価値観を巡る溝は一段と深くなっている。

EUは、CAIの協議と並行して、戦略的自立のための新産業政策[xvi]、通商政策を通じたEUの戦略的利益の追求[xvii]、中国を念頭に置いた規制の強化[xviii]などを進めてきた。EUと中国との関係は、合意に基づく関係強化の選択肢が事実上消滅し、EUの一方的なルール形成や産業政策による単一市場の防衛・強化に重点が置かれる方向性は、ウクライナ侵攻以前から明確になっていた。

具体的な動きとして見込まれるのが戦略分野におけるバリューチェーンからの中国の切り離しだ。EUが2020年に打ち出した産業政策をアップデートした215月の報告書では、輸入に依存する原材料や医薬品原料、EUが目指すグリーン移行やデジタル移行に必要なセンシティブな137の品目の調達先の実に52%を中国が占めるという分析結果を示した上で、志を同じくするパートナーとのアライアンスを通じて、調達先を分散し、エコシステムを強靭化する方向性を示している。バッテリー、クリーン水素、半導体などの戦略分野での国境を越えるプロジェクトについて国家補助ルールの適用を除外する「欧州の共通利益に適合する重要プロジェクト(Important Projects of Common European InterestIPCEI)」を認可する基準を改定し、22年初から適用を開始している[xix]

EUが進める「欧州グリーン・ディール」には[xx]、中国が恩恵を受けてきた利益優先、世界最適立地型のビジネス・モデルからの脱却という意味もある。「欧州グリーン・ディール」を巡る法整備への積極的な取り組み姿勢からは、脱炭素化、循環型社会への移行、人権問題など社会課題解決への貢献が競争上の優位を決める新たな成長モデルへの転換を目指す姿勢が表れている。

中国の一帯一路に替わる選択肢を提示する動きもある。2112月に欧州委員会とEU外務・安全保障上級代表の連名で公表したグローバルなインフラ開発、グリーン移行、デジタル移行支援構想「グローバル・ゲートウェイ」だ。本稿では詳細には立ち入らないが[xxi]、「価値に基づくモデル」、「持続可能な投資」、「志を同じくするパートナーとの協力」、そして、一帯一路の問題点として指摘される「持続不可能な債務や望ましくない依存関係を生み出さない」こと、「透明性、説明責任」を明言していることなど、随所に一帯一路に替わる選択肢を提供しようとのEUの意図が伺われる。

3.ロシアによるウクライナ侵攻で深まるEUと中国の溝

ロシアによるウクライナ侵攻は欧州の安全保障体制への重大な挑戦である。EUにとって地政学的なリスクとしてのロシアの脅威が現実となったものだ。

EUは、米国と最大限歩調を合わせる形で、ウクライナへの支援を強化する一方、経済・金融制裁でロシアへの圧力を強めている。EUは、米国と歩調を合わせて、2014年のロシアによるクリミア併合に制裁を課し、その後も継続してきたが、トランプ政権が制裁を強化したことで、欧米間の制裁の強度の差は広がっていた[xxii]。しかし、22221日のウクライナ東部の親ロ派勢力が支配する「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」の独立承認、それに続くウクライナへの大規模軍事侵攻への対応では、EUは米国や主要7カ国(G7)と足並みを揃えて、侵攻以前とは次元の異なる厳しい制裁を発動している。

EUの対ロシア制裁リストは[xxiii]、「特定の個人や機関を対象とする資産凍結、資金提供禁止、渡航禁止等の措置」、「金融制裁」、「エネルギー制裁」、「運輸部門」、「デュアルユース商品と先端技術」、「貿易制限措置」、「EUの公共調達市場、EUのプログラムからの排除」、「外交官・政府関係者等を対象とするビザの制限」、「偽情報への制裁」、「ベラルーシ」に分類されている。

うち、「金融制裁」では、特定の銀行を対象とする資産凍結・資金調達禁止のほか、国際銀行間通信協会(SWIFT)からの排除、中銀との取引制限、国債購入禁止などで、「抜け穴」となり得る暗号資産も対象とする。「エネルギー制裁」は特定の石油精製技術の輸出禁止、新規投資の禁止、「運輸部門」では航空機、航空機部品等の輸出、販売、供給、譲渡禁止、領空通過、離発着制限などが実施されている。「デュアルユース商品と先端技術」では輸出規制を強化し、ドローンとドローン用ソフトウェア、暗号化デバイス用のソフトウェア、半導体と高度な電子機器へのアクセスを制限、「貿易制限措置」には、WTO最恵国待遇の停止のほか、鉄鋼製品、石炭、セメント、ゴム製品、木材などの輸入禁止、高級品、量子コンピューター、高度な半導体などの輸出禁止を決めている。

制裁強化の流れは続いている。5月4日、欧州委員会は第6次制裁案を提案した。追加策には、SWIFTからの排除の対象を7行から最大手のズベルバンクを含む10行に拡大する「金融制裁」の強化、原油を6カ月以内、石油製品を22年末までに段階的に輸入を停止する石油輸入禁止が追加の「貿易制限措置」が盛り込まれた。

EUは化石燃料の禁輸を、4月9日に発動した石炭、調整中の石油の後、ガスに拡張する方針だ。禁輸措置にタイムラグが設けられたのは、パイプラインで供給される石油の一部[xxiv]と天然ガスは、短期間での代替先確保が困難なためだ。CREAの調べによれば[xxv]、ウクライナ侵攻が始まってから、EUがロシアに支払った化石燃料の代金は494.2億ユーロ(1ユーロ=136円換算で6.7兆円)に上る。石炭が12.0億ユーロ、石油が262.2億ユーロに対し、ガスが220億ユーロである。安全保障の脅威に直面するEUとしては、エネルギー代金としてのロシアへの戦費の供給を出来る限り早期に打ち切る必要がある。そもそも、ロシアは、一方的に決めたルーブル建てでの代金支払いに応じないことを理由に、427日にはポーランド、ブルガリアに供給を停止、511日にはポーランド経由のパイプラインを通じたガス供給を停止するなど、ガスを武器にEUに揺さぶりをかけている。EUは防衛策としても、ガスの脱ロシアを急ぐ必要がある。

EUは、西側主導の国際秩序に不満を抱く中ロが接近し、中国が制裁の巨大な「抜け穴」となることへの警戒を強めている。中ロは、ウクライナ侵攻に先立つ24日に北京で開催された首脳会談の共同声明[xxvi]で「無制限の友好と協力」を約束している。同時に、「独自の基準で民主主義を評価し、境界線を引く」、「民主主義と人権の擁護を圧力として行使する」ことで「世界の分断と対立を煽っている」とし、「NATOの拡大」、「米国のインド太平洋戦略」、「AUKUS(豪英米三国間安全保障パートナーシップ)」を批判している。ウクライナ侵攻後は、中国は、国連総会で行われたロシア非難決議(3月2日)とウクライナの人道状況の改善を求める決議(324日)では「棄権」し、人権理事会におけるロシアの理事国資格停止決議(4月7日)は「反対」に回った。中国は、中ロの共同声明で共有された懸念のとおり、ロシアのウクライナ侵攻の動機が、安全保障への脅威の高まりに対応するものとして理解を示し、西側の制裁には反対、米国の姿勢を鋭く批判してもいる。

EUが優先的に取り組むべき課題は、ウクライナ侵攻を境に、①防衛能力の強化、②ロシアのエネルギーへの依存度の引き下げ、③経済基盤の強靭化に替わった[xxvii]

①の防衛能力の強化は、ウクライナ侵攻で経済的な相互依存関係が安全保障の強化につながるとの幻想が打ち砕かれ、自由と民主主義を守るために必要な支出となった。EUとして5000人規模の即応部隊の創設を決め、ドイツが427日に国防費のGDP比を1.53%から2%以上に即時に引き上げを決めるなど国防費増強の動きが広がっている[xxviii]

②の脱ロシア・エネルギーは、2027年を目標とし、EUのエネルギーシステムの強靭性を高めるためのガスの多様化と再生可能エネルギーの活用で化石燃料への依存を引き下げる「REPowerEU」計画[xxix]を推進する予定だ。先述のとおり、ロシアが武器としてガスを活用し始めたこともあり、計画は時間との闘いの様相を呈している。

③の経済基盤強化策では、従来から戦略的自立を指向してきた希少原材料、半導体、医薬品、デジタルに加え、新たに食糧安全保障の改善も謳われている。グローバルなレベルでは、野心的で頑健な通商政策の追求、EU基準の推進、市場アクセス、持続可能なバリューチェーンと連結性の推進と共に、前節で紹介した中国を念頭においた規則案の法制化によって、通商・競争政策の手段を完全なものとする方針を確認している。ロシアの軍事侵攻によって、価値観の異なる国との経済的な相互依存のリスクが現実のものとなったことで、中国に対する防衛・対抗措置の強化も切迫したものとなっている。

EUと中国の価値観の違いや人権問題への意識の差は、ここにきて、一段と際立つようになっている。4月1日には、ミッシェルEU首脳会議常任議長とフォンデアライエン欧州委員会委員長、習近平主席によるオンライン首脳会議が開催されているが、ボレル外務・安全保障上級代表が「聴覚障がい者の対話」と例えるほど、双方が一方的に主張をする、かみ合わない協議であったようだ[xxx]。EUは、中国がロシアへの影響力をウクライナの早期停戦のために行使することと西側の制裁の「抜け穴」とならないこと、人権問題の改善を望んでいる。中国側は、ウクライナと人権に関する協議は拒否し、より前向きな事柄に集中することを求めた。EUは米国の立場に追随すべきではないとし、西側の結束に楔を打ち込もうしている。

4.日本への示唆

ロシアのウクライナ侵攻を受けて、EUは、米国と連携しつつ、戦略的自立を目指す動きを強めようとしている。中ロという権威主義国家との対話の窓口も閉ざしてはいないが、主張は真っ向から食い違っており、事態の鎮静化に向けた前進が期待される状況にはない。ロシアへの宥和政策の失敗が決定的になり、エネルギー安全保障が深刻な問題となった結果、戦略分野のバリューチェーンからの中国の切り離しの動きは加速するだろう。

インド太平洋地域における価値観を共有するパートナーとしての日本の重要性は高まっている。2112月に就任したドイツのショルツ首相が、4月に就任後、アジアで初めての訪問先として日本を選んだことは、中国シフトを進めたメルケル前政権期[xxxi]からの転換を象徴する。512日に対面で開催された日EU定期首脳協議では、先述のとおり、すれ違いが目立った4月1日の中国とのオンライン首脳会談と異なり、ウクライナ問題での結束・連携や貿易、気候、デジタル、インド太平洋等についての協力が確認される意義あるものとなった[xxxii]

日本にとって対ロシアでの欧米との共同歩調にはインド太平洋地域における中国への抑止力としての意味があるが、2つの現実も見据えなければならない。

1つは、EUは、当面、脱ロシア・エネルギー、安全保障体制の強化に、かなりの政治的資源を割かなければならないということだ。2018年のフランスを皮切りに、2020年秋にはドイツとオランダが、インド太平洋戦略を策定し、EUを離脱した英国は2021年春の「統合レビュー」でインド太平洋傾斜の方針を打ち出している。EUとしてのインド太平洋戦略の政策文書も219月に公表されている。ウクライナ侵攻以前から、英仏以外の欧州諸国の関与には限界があると見られていたが、ウクライナ侵攻による欧州の安全保障体制の揺らぎによって、一段と制約を受けることになるだろう[xxxiii]。インド太平洋においては日本が果たすべき役割は必然的に大きくなる。

もう1つは、欧米との価値観に基づく連携がインド太平洋地域で幅広い支持を得るためには努力が欠かせないことだ。インド太平洋地域では、欧米と同じレベルで民主主義、人権、法の支配、市場という価値観、規範が広く共有されているとは言い難い。冷戦終結後のロシアや改革開放後の中国がそうであったように、自国に利益になる限りにおいて受け入れると見るべきだろう。

経済的な利益が、インド太平洋地域における西側の価値観に基づくパートナーシップが、求心力を発揮する上で重要な意味を持つと思われるものの、この点での見通しは明るいとは言い難い。米国は、今後とも世界最大の市場ではあるものの、国内の分断から市場の提供という面での寛容さが乏しくなっている。政治的に困難な環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(Comprehensive and Progressive Agreement for Trans-Pacific Partnership、CPTPP)への復帰の代替策とみなされる「インド太平洋経済枠組み(Indo-Pacific Economic Framework、IPEF)は、米通商代表部(USTR)の年次報告書の記載を見る限り[xxxiv]、労働やデジタル、脱炭素化などで高水準のスタンダードを求めることによる競争条件の公平化、供給網の強靭化、持続可能性の向上を狙うルールに重点を置いた枠組みであると思われる。インド太平洋地域が自由貿易協定の要素を含まない枠組みに経済的な利益を見いだすかは不透明だ。米国の政治状況は、米国が提供する枠組みの安定性への疑念も抱かせる。EUも、通商戦略、産業政策において「開放性」を強調するが、戦略的自立への動き、単一市場における環境や人権ルールの強化は、新興国・途上国のEU市場へのアクセスを制限する保護主義にも映る[xxxv]。中ロの共同声明には、「気候変動との闘いという名目で国際貿易に新たな障壁を構築することに反対する」という新興国・途上国の共感を呼びそうな文言もある。

西側が発動した経済・金融制裁に関わる問題もある。ロシアに制裁を発動している国=ロシアにとっての非友好的国家・地域はEUやNATOの加盟国とその近隣国が中心で、アジア・太平洋では7カ国地域に留まる(図表2)。必ずしも幅広い支持を得ているという訳ではない。他方、制裁のターゲットは直接的にはロシアだが、間接的な影響はエネルギーや食品を輸入に依存する第3国にも及ぶ。金融制裁では、基軸通貨ドルと第二の国際通貨であるユーロが足並みを揃える形となったことで強力になったが、その分、ドル離れ、ユーロ離れを促す面もある。インフレへの対抗措置として欧米が進めようとしている急ピッチの金融緩和縮小、とりわけ米連邦準備理事会(FRB)の利上げは、景気後退を引き起こすリスクであると共に、緩和マネーの恩恵を享受してきた新興国・途上国にも資本の流出、通貨安、輸入インフレとドル建て債務の返済問題の深刻化という影響が及ぶおそれがある。

図表2 ロシアの非友好的国家・地域リスト

(資料)TASS “Russian government approves list of unfriendly countries and territories” 7 MAR,2022

 

中国も足もとは世界経済のリスクとなっている。ゼロ・コロナ政策の軌道修正が困難なために、経済的混乱が拡大、社会的不満も高まるという、米調査会社「ユーラシアグループ」が「202210大リスク」[xxxvi]の第1位に上げたリスクが顕在化している。2022年は秋に5年に1度の共産党大会を控える政治的に重要な年だが、3期目入りを目指す習近平指導部が政策判断の誤りを修正できない権威主義体制の脆弱性が露呈しているようにも見える。

世界経済の混迷は、コロナ禍からの回復過程でのロシアによるウクライナ侵攻で深まっている。中国が、この難局を西側よりも巧みに乗り越えることが出来れば、非西側諸国では、西側の制裁に批判的立場をとる中国に共感する国が増えるおそれもある。

日本には、欧米との共同歩調で西側の一角を占めると同時に、欧米とインド太平洋諸国との認識の乖離を埋める役割も求められる。日本が、国際的な発言力を高めるには、欧米からもインド太平洋のパートナーからも信頼され、必要とされる国となるために、急激に変わる国際環境に柔軟に対応し、防衛力、経済力、技術力を高める必要がある。