公益財団法人日本国際フォーラム

はじめに

 本分科会のテーマである「日本のハイブリッドパワー」について考える際、まず必要な作業として、「ハイブリッド・パワー」というキー概念の明確化があるだろう。本稿では、「ハイブリッド・パワーとは何か」、特に「日本においてそれが意味しうるものは何か」、について考えてみる。

ハイブリッドとは?

 ハイブリッド・パワーを論じる前に、まず、ハイブリッドとはどういう意味であろうか。オックスフォード英英辞典(Oxford Dictionary Online, 2022)によると、「ハイブリッド」の語源は、ラテン語のヒュブリダ(hybrida)で、17世紀初頭から、ブタとイノシシから生まれたイノブタを意味する名詞として使われ始めたという。当初は、生物についてのみ用いられた用語だが、現在では、内燃機関と電動パワートレインを組み合わせたハイブリッド自動車のような、生物以外のモノにも広く使われるようになった用語である。「異なったものを組み合わせて、それぞれの長所を生かしてつくられたより良いもの」がハイブリッドであるといえよう。

何と何のハイブリッドか?

 では、「ハイブリッド・パワー」といった場合に、何と何のハイブリッドなのだろうか?ジョセフ・S・ナイ(2011)が提起した「スマート・パワー」、すなわち「ハード・パワー」と「ソフト・パワー」の「二つのパワーを適切に組み合わせ、世界が共有できる物語(ナラティブ)を生み出す外交政策」(神保、2018)を想起する読者もいるだろうし、近年耳目を集める「ハイブリッド戦」―「正規軍による戦いと平行して様々な工作を敵に対して展開するもの。」(本分化会メンバー・川崎剛氏、20211126日、研究会発表レジュメ、p. 1)―と同等視する読者もいるかもしれない。本稿では、それら既存の議論とは異なった試論として、ナイの提起した「ソフト・パワー」―「強制や報酬ではなく、魅力によって望む結果を得る能力」(2004p. 10)を、特に日本の文脈に照らしてより精緻化するための概念としてハイブリッド・パワーを定義する。その際、特にソフト・パワーの三つの源泉である文化、政治的な価値観、外交政策(ナイ、2004p. 34)のうち、「文化」に焦点を絞り論じる。

(1)狭義の文化(コンテンツ/文化的生産物)と広義の文化(社会的行動・文化的慣習)のハイブリッド

 まず第一に、作品・文化的生産物―コンテンツと言っても良いだろう―としての、言わば狭義の文化と、社会的行動や文化的慣習を含む広義の文化とのハイブリッドがありうる。「コンテンツ産業」という用語・概念が日本独自の発展を見せたことからもわかるように(河島、2009)、日本のソフト・パワーを語る際に、アニメ・マンガ・ゲームのような最終的文化生産物が重要であることには贅言を要すまい。しかし、そのような狭義の文化(的生産物)に加えて、例えばコロナ禍で世界のメディアからも注目された相対的に発達した衛生観念(屋内で基本的に靴を脱いで生活する;小・中学校での掃除当番・大掃除の習慣;道路など公共空間のきれいさ)なども、ソフト・パワーの一つの源泉足りうるだろう。ハーバードビジネススクールのケースにも採用された(佐藤、2016)、新幹線清掃サービスを提供するJR東日本テクノハートTESSEIも、日本のお掃除文化に根差した清掃という作業を日本的「おもてなし」にまで洗練させた点で、広義の文化として日本のソフト・パワーの源泉の一つとなっている。切り取られたモノを消費するのではなくそこにまつわる経験や体験を価値の源泉とする、いわゆる「エクスペリエンス・エコノミー」(パイン/ギルモア、2000)の重要性が唱えられる今、ソフト・パワーを狭義の文化と広義の文化のハイブリッド・パワーとしてとらえる概念化は有効であろう。

(2)コンテンツ産業とより広義のクリエイティブ産業のハイブリッド

 上記第一点とも関連するが、第二に、コンテンツ産業だけでなく、より広義の「クリエイティブ産業」―「モノづくり」と「コトづくり」を融合=ハイブリッドした産業―も含めた発展戦略を考える必要があるだろう。クリエイティブ産業とは、「クリエイティブなアイディアを付加価値の源泉とする産業」のことであるが、従来、製造業のメインストリームと考えられていたような産業も、クリエイティブ産業的要素を呈しつつある。例えば、20223月、ソニーとホンダが自動車を含むモビリティ分野において提携することを発表したが(ソニーグループ株式会社・本田技研工業株式会社、2022)、いわゆるCASEConnected, Autonomous, Shared and Services, Electric)やMaaSMobility as a Service)の時代においては、自動運転や電動者が普及し、単なる移動の手段としてのクルマが、移動時間を楽しむためのエンターテインメント空間―走るスマートフォン/タブレット/ミニシアター―となる可能性がある(Nakajima, 2019)。映画会社を有し、テレビやゲーム機といったエンターテインメント家電メーカーであり、さらに音楽・アニメコンテンツ部門も有するクリエイティブ産業企業であるソニーが自動車分野に進出したことの意味は大きい。従来はソフト・パワーとは縁遠いと思われていた自動車産業のような製造業も、日本の強みである「モノづくり」と、クリエイティブ産業の特徴である「コトづくり」のハイブリッドとなることによって、日本のハイブリッド・パワーに寄与する可能性がある。

(3)文化と文化、社会と社会のハイブリッド

第三に、「ソフト・パワー」というと往々にして、日本国内から国外への一方通行的な輸出を目的としたコンテンツ産業育成政策や「国家ブランディング」を思い浮かべる読者も多いであろう。しかし、近年、SNSの隆盛を典型とする新しいテクノロジーを活用した、相互作用的なネットワーク型パワーの可能性が広がりつつある。紙幅の関係から詳述は避けるが(詳しくは、Nakajima, 2021)、インドネシアの「歌い手」であるレイニッチが、日本の「シティ・ポップ」をカバーしてユーチューブで発信し、それを視聴した全世界の視聴者たちが、もともとは1970年代に生まれた日本国内向け音楽の一ジャンルであったシティ・ポップの世界的(再)流行に寄与した例がある。「日本の文化を日本人が日本国内から発信して世界に広げる」というモデルから、すでに世界各地に存在する日本文化の愛好者が、日本以外の地域から、その独自の解釈も含めて、日本を通り越して発信してゆくというようなモデルへの拡大である。上述のレイニッチも、日本のアニメや漫画文化には幼少期から触れていたが、日本語を正式に学んだことはなく、主に日本語の音を「聞き真似」することによって、日本語のシティ・ポップを歌っているのだという。また、ユーチューブで歌う際には、ヒジャブを身に着けているため、イスラム教を含めたレイニッチの文化的背景に興味を持った視聴者が、日本のシティ・ポップを視聴することによって、インドネシアの歴史や文化に興味を持つという現象が起きているという。「日本から世界へ」、だけではなく、多様な文化や社会が「ハイブリッド=対話・交流」することによって、日本の音楽の可能性が広がってゆくというプロセスは、「日本のハイブリッドパワー」の一つの顕現であるといえよう。

(4)国民文化の統一性と地域文化の多様性のハイブリッド

第四に、日本全体を代表とするような国民文化の統一性を強調するだけでなく、地方発信の地域文化の多様性が、日本のソフト・パワーの重要な源泉となりうることも再確認しておく必要がある。

例えば、日本のけん玉は、デジタルゲームの隆盛によって、日本での人気はながらく低迷していた。しかし、けん玉という日本文化をたまたま発見したアメリカの若者が、「伝統的で誰でも知っているおもちゃだけれど、あまり現代的でなく、かっこよくない」というような従来のけん玉のイメージにとらわれず、最新のストリート・ファッションをまとい、ロックやヒップ・ホップ音楽をかけながら、まるでダンスするようにけん玉を操るスタイルを生み出し、けん玉の世界的な流行をけん引した。けん玉は、もちろん「日本の文化」であるとも言えるが、その生産は、日本国内でも特定の地域にねざしたものである。例えば、けん玉の産地としては、広島県廿日市市(「けん玉発祥100周年。生誕の地、廿日市と木工の歴史を紐解」)や山形県長井市(「知る人ぞ知る、日本一のけん玉のまち。」)などを挙げることができるが、そこには、地場産業としての発展と、それに関連した独自の地域文化が存在する。若者文化としてのストリート・スタイルけん玉の世界的流行という事例は、上記(3)の「文化と文化、社会と社会のハイブリッド」によって日本のソフト・パワーが促進される例であるとともに、日本文化が、日本全体を代表する統一的な国民文化として存在するだけでなく、特定の地方の地域文化の多様性をも含みこむものであり、「日本(全体)のソフト・パワー」という概念化とともに、そもそも日本の文化自体が国民文化と地域文化(そこには外国由来のものもあるだろう)のハイブリッドであることを示していると言える。国民文化の統一性とともに、日本の地域文化の多様性を生かすことが日本のハイブリッド・パワーの促進につながる。

おわりに

そもそも、外交とは、「外」と「交」わり/繋がり、日本をより多様に、豊かにしてゆくことを一つの重要な目的としている。そのためには、上記で論じてきたような日本文化のハイブリッド化を恐れず、むしろそれをハイブリッド・パワーとして積極的に展開してゆくような考え方が必要だろう。