公益財団法人日本国際フォーラム

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変わりゆく国際秩序における日本の外交戦略 ―中国の対外行動分析枠組みの構築を踏まえて―

当フォーラムの「変わりゆく国際秩序における日本の外交戦略―中国の対外行動分析枠組みの構築を踏まえて―(主査:加茂具樹慶應義塾大学教授・当フォーラム上席研究員)は、さる1月27日、定例研究会合を開催した。講師として招いた高橋邦夫・日本総研国際戦略研究所副理事長より「中国の“国内的要素”から見た体験的日中関係」と題して報告を受けたところ、その概要は以下のとおりである。

  1. 日 時:2022年1月27日(木)19時~21時
  2. 場 所:日本国際フォーラム会議室およびZoomによるオンラインを併用
  3. 出席者:35名
    [主 査] 加茂 具樹 慶應義塾大学教授 / 日本国際フォーラム上席研究員
    [顧 問] 高原 明生 東京大学教授 / 日本国際フォーラム評議員・上席研究員
    [メンバー] 飯田 将史 防衛研究所地域研究部米欧ロシア研究室長
    井上 一郎 関西学院大学教授
    林  載桓 青山学院大学教授
    江口 伸吾 南山大学教授
    大澤 武司 福岡大学教授
    熊倉  潤 法政大学准教授
    小嶋華津子 慶應義塾大学教授
    下野 寿子 北九州市立大学教授
    城山 英巳 北海道大学教授
    諏訪 一幸 静岡県立大学国際関係学部教授
    内藤 寛子 日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員
    廣野 美和 立命館大学准教授
    真家 陽一 名古屋外国語大学教授
    Vida Macikenaite 国際大学国際関係学研究科講師
    山﨑  周 キャノングローバル戦略研究所研究員
    渡辺 直土 キャノングローバル戦略研究所研究員(五十音順)
    [ご報告者] 高橋 邦夫 日本総研国際戦略研究所副理事長
    [JRSPメンバー] 新田 順一 慶應義塾大学特任助教/日本国際フォーラム特別研究員
    [JFIR] 渡辺 まゆ 理事長
    菊池 誉名 理事・主任研究員 ほかゲストなど
  4. 報告内容:
  5. 日中関係の推移を考える際の主な「メルクマール」として、①日中関係を取り巻く国際環境(米中関係、冷戦、ポスト冷戦)、②日中それぞれの経済力、③日中関係に関係する、あるいは関心を有する人々、④そうした人々の背景、といったものが挙げられる。これらをメルクマールとして、今日までの日中関係の推移を、次の4つの期間にわけてお話ししたい。

    まず第1期は、1972年~1990年前後(国交正常化~天安門事件前後)の時期である。この時期は、冷戦の最中で米中国交正常化が進み、その環境下で日中国交正常化が進んだ。中国の経済力(1980年)は、日本の約4分の1であった。この時期の日中関係に関わりのあった人物として、日本側は、田中角栄や大平正芳、伊東正義など、中国と個人的に何らかの関わりのあった政治家が挙げられる。外務省では中国が「中国」で収まっていたこともあり、中国専門家の意見が通りやすい時代であった。経済界でも「友好商社」の名残りや宝山製鉄への支援などもあり、中国専門家が活躍し、社会全体で日中友好のムードが高まっていた。この時代は、日本社会を支える人々の多くが、未だ太平洋戦争の体験・記憶を持ち、中国に対する「贖罪感」あるいは「申し訳ないことをした」という気持ちを持っていた時代だったと考えられる。一方、中国側は、党・政府(周恩来、廖承志、郭沫若など)の意向がそのまま通る時代であり、経済面で「文革」の混乱が終わり、日本の資金・技術に対する期待があると共に、日本から学ぼうとの気持ちが強かった。つまり、中国社会も「文革」の混乱を経て、外部との接触を渇望し、1978年に決まった「改革開放政策」がそれに拍車をかけた時代だったと考えられる。こうした第1期は、日中の歯車がかみ合っていた時代であり、1992年の天皇訪中はその象徴であった。しかし問題がなかった訳ではなく、歴史問題・尖閣諸島問題などで中国の主張は一貫しており、中国は在外華僑・華人へ働きかけ、「日本vs世界」「正義は中国の側にあり」の図式をつくろうとした。

    2期は、1989年前後~2010年(天安門事件前後~日中のGDPの逆転)までの時期であり、天安門事件の影響として日本人が「冷めた目」で中国を見始めた時代である。また、日中関係を取り巻く国際環境として、冷戦が終結しグローバル化が進展していった時である。この間、日本は成長期から停滞期へ移行し(失われた10年~20年)、それに伴う日本人の自信喪失、考え方の内向き傾向が進んだ。一方、中国は「改革開放」維持(鄧小平の「南巡講話」)で「世界の工場」へと発展し、日本とは逆に自信を深めた。この時期、中国に関与する、あるいは関心を示す人が日本で増加し、幅も広がった。例えば、大連工業団地への北九州の和菓子屋の進出なども見られた一方、インターネットやSNSの普及にともない、日中両国で一般の人が悪い感情を示し始めた面もあった。これらの変化は、換言すれば日中関係への「素人」の関与が増大したことを意味する。こうした日中それぞれの状況の変化にも拘わらず、日中関係はそれまでの「遺産」で何とか持ってきた。

    第3期は、2010年~2020年(日中GDPの逆転~新型コロナ感染拡大)の期間であり、国際的に米国の指導力の低下が見られ、日本では「失われた20年」が「30年」になり、国民の喪失感や狭隘なナショナリズムもあり、反中感情が今まで以上に抬頭した。一方、中国では、国民の間での「大国意識」が抬頭し、それを意識した「大国外交」が行われた。中国外交において「相手は米国」との意識が高まるにつれて、 中国にとって日本は「周辺国」へと位置付けが変わった。この10年間は、日中ともに自らの「立ち位置」を探るプロセスにあり、中国のGDPが日本の3倍に達したなかで生じた戸惑いに右往左往した時期だったと考えられる。

    最後の第4期は、2020年以降(ポスト・コロナ期)にあたるが、バイデン政権でも対中政策に大きな変更はなく、対中摩擦が継続すると考えられる。また、新型コロナの世界的拡大において、中国の対応にはマイナス面として不透明な部分がある一方、ゼロ・コロナ政策によっていち早く経済回復に向かっている。日本での昨年の新政権発足後も日中関係には大きな変化は見られていないが、安全保障だけでなく、それと同時に日中関係全体を包括する戦略も求められている。つまり、「安全保障面での対立」と「経済貿易面での協力」を並立させなければならない時代に入っている。一方、中国にとっては対米関係が第一であり、日本はどのように見えているのか考える必要がある。中国政府は、「個人情報保護法」施行などによって国内の引き締めを図っており、中国国内では本音を言えない雰囲気となっている。それによって交流が止まり、互いに「外野」から相手を大声で野次ることで「よし」とする状況が生じているのではないかと考えられる。今年は日中国交正常化50周年であることから、交流再開時に向けて、日中関係を再度じっくり考える「内省」の時である。日中双方の専門家の責任は、相手との関係を考えるうえで今こそ重要となっている。

    アクターの面から日中関係を考えるうえで、外交部(特に日本担当部署)と共産党(例えば、中央外事工作委員会など)との関係がどのようになっているのか、分析する必要がある。例えば、中国と北朝鮮との関係は党が取り仕切り、ベトナムとの関係では党と政府両方が関与しているが、日本との関係においてはどのような形態になっているのか考えるべきであろう。また、議員外交や日中の友好団体の交流などにも目を向ける必要がある。さらに、中国の外交のなかで日本専門家が果たす役割は大きかったが、中国が国際化していくことで英語やフランス語などが堪能な外交官の声が強くなっているように考えられ、外交部内における日本の位置付けについても注視すべきであろう。

    文責任在事務局