公益財団法人日本国際フォーラム

中国は近年、自国の戦略的利益を維持・拡大するための手段として経済制裁を頻繁に発動している。たとえば2010年以降、先行研究や各種報道で確認されたものだけでも日本、ノルウェー、フィリピン、台湾、モンゴル、韓国、米国、カナダ、豪州、およびチェコに対して合計17件の経済制裁を発動または予告しており、その手段も多岐にわたっている(文末表3参照)。本稿ではこれらの事例を用いて、中国が発動した経済制裁の発動理由、手段、影響、および有効性について整理を行い、地経学的な含意を導出する。

「経済制裁(economic sanctions)」という言葉の定義は多様であるが、ここでは「自国の戦略的利益の維持・拡大を目的とした、政府主導による経済関係の意図的な撤退もしくはその脅し」という意味で用いている[1]。ただし対北朝鮮制裁など、国連安保理決議に基づく多国間の経済制裁に中国が参加した事例は対象とせず、中国が独自に発動したもののみを取り上げている。また軍事的な威嚇、あるいは中国国内の外国人の拘束(いわゆる人質外交)などの手段を用いた事例は対象とせず、あくまでも経済的な手段を通じた制裁に限定している。さらに、寛大な経済支援を約束または提供することを通じ、短期的または長期的に自国の戦略的利益に合致した行動を取るよう相手国を誘導する試み(飴と鞭の「飴」)についても、本稿では考察対象としていない。

1. 経済制裁発動の理由

中国はいかなる理由で経済制裁を発動してきたのであろうか。過去の事例を俯瞰してみると、(1)領土、安全保障、台湾、チベット、および民主化問題など、いわゆる「核心的利益」を含む中国の国益が外国によって侵害・否定された場合、あるいは(2)中国に対して先に外国が経済制裁を発動した場合に、中国は経済制裁を発動している。以下では表3に掲げた事例を用いて、中国が経済制裁を発動するに至った理由について整理を行う。

(1) 核心的利益などの侵害または否定

(領土問題)

領土問題を理由に中国が経済制裁を発動した事例としては、2010年9月7日に尖閣諸島付近で生じた海上保安庁巡視船と中国漁船との衝突事件の後に日本に対してとった環境保護と資源保全を口実とするレアアースの輸出制限措置[2](表3のケース1)、および2012年4月に南シナ海で発生したスカボロー礁事件の後にフィリピンに対してとった渡航制限措置およびフィリピン産バナナに対する検疫措置の厳格化[3](ケース3)があげられる。

(安全保障上の理由)

安全保障上の理由で発動された経済制裁としては、2017年3月、韓国が終末高高度防衛(THAAD)ミサイルの配備を開始したことを受けて実施された中国人旅行客の韓国への渡航制限措置[4]、韓国製品の不買運動、K-popミュージシャンの中国公演中止、および韓国でTHAADミサイルが配備される用地を提供したロッテグループへの制裁として、中国国内のロッテマートに対する消防法上の理由による営業停止処分など[5]が確認されている。

(台湾問題・チベット問題)

台湾問題に関連する事例としては、2016年5月、民進党の蔡英文氏が総統に就任した後に実施された中国人団体旅行客に対する台湾への渡航制限措置[6](ケース4)、2020年8月にミロシュ・ビストルチル上院議長を含むチェコの代表団が台湾を公式訪問した後に発動されたチェコ・ペトロフ社製ピアノに対する禁輸措置[7](ケース11)、2020年10月に米国国務省が台湾への武器売却を承認したことを受けて表明された米国ロッキード・マーチン社などに対する制裁発動予告(ケース13)、および2021年3月に実施された検疫上の理由による台湾産パイナップルの輸入禁止措置(ケース17)があげられる[8]

チベット問題をめぐっては、2016年11月にダライ・ラマがモンゴルを訪問したことへの抗議としてモンゴル産鉱物(銅精鉱など)に対する輸入手数料が引き上げられたほか、モンゴルに対する援助計画の一時停止が発表されている[9](ケース5)。

(民主化問題)

中国の民主化問題に関連する制裁としては、2010年10月に民主活動家の劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞した後にとられた検疫上の理由によるノルウェー産サーモンの輸入制限措置[10](ケース2)、ならびに2019年10月、全米バスケットボール協会(NBA)ヒューストン・ロケッツのゼネラル・マネージャー(GM)がTwitter上で香港における反政府・民主化デモの支持を表明した後に起きた中国企業によるNBAスポンサーからの撤退および中国国内におけるNBAの試合の一部放送停止[11](ケース8)が含まれる。

(2) 対中経済制裁への対抗措置

2018年以降、米国トランプ政権は中国による技術移転強制および知的財産権侵害に対して通商法301条に基づく追加関税を、また中国などからの一部品目の輸入増加に対しては国家安全保障上の理由から通商拡大法232条に基づく追加関税を数次にわたり課した。米国によるこれら一連の一方的措置への対抗措置として、中国は米国からの輸入品に対して広範囲な関税を賦課した[12](ケース7)。

米国に対するその他の対抗措置としては、2021年2月以降、米国政府が人民日報を含む中国の報道機関を「中国政府の宣伝組織」と認定、米国国務省に対して従業員や保有不動産に関する情報提供義務を課したことを受け、中国も同年7月、中国国内で活動する米国メディア4社(AP通信など)に対して財務状況や不動産に関する報告義務を課した[13](ケース12)。また2020年9月、米国が中国で開発されたTikTokやWeChatの米国内でのダウンロードや更新の禁止措置を発表すると、中国も同年12月、米国Tripadvisorを含む複数のアプリを中国国内のアプリストアから排除、これを米国に対する対抗措置と見なす指摘もある[14](ケース15)。最後に2021年1月、香港における民主派弾圧問題を受けてポンペオ国務長官(当時)が中国共産党幹部などを対象とする資産凍結を発表[15]するとその一週間後、中国はポンペオ氏を含む28名の米国人に対して中国への入国禁止や中国における経済活動の禁止といった措置を科した[16](ケース16)。

米国以外の国に対する対抗措置としては、2018年12月、米国政府からの要請を受けたカナダ当局が中国の華為技術(ファーウェイ)副会長の孟晩舟氏を逮捕すると、中国も報復措置としてカナダ人2人をスパイ容疑で逮捕したうえで、事実上の経済制裁として検疫上の理由によるカナダ産菜種に対する輸出許可取消し[17]、およびカナダへの渡航に対して治安上の理由による警戒の呼びかけなどを行った[18](ケース9)。また豪州が自国の5G移動通信網からファーウェイ製品を排除したこと、および新型コロナウィルスの発生源をめぐり国際的な調査を要求したことも重なり、中国は治安上の理由から豪州への留学や渡航について自国民に警戒を呼びかけたほか[19]、豪州産の大麦、ワイン、綿、牛肉、ロブスター、および石炭などに対する輸入制限的措置を発動している[20](ケース10)。英国に対しても、5Gネットワークから華為を排除するならば中国は英国内のインフラ・プロジェクトから撤退する、との制裁を仄めかしている[21](ケース14)。

2. 経済制裁の手段

経済制裁の標的国に対して政治経済的なコスト(痛み)を与えるための手段は多様である。一般的な制裁手段としては、たとえば、標的国との間の輸出入の一部またはすべてを制限する貿易制裁(trade sanctions)、発動国内に蓄積された標的国の資産凍結や標的国銀行との取引停止、対外・対内直接投資の制限、標的国向けの開発援助の減額・停止といった金融制裁(financial sanctions)、および標的国との間の民間人または政府関係者の移動を制限する渡航制限(travel restrictions)などが存在する。

(1) 貿易制裁

最近の世界的潮流としては、経済制裁の手段として金融制裁が用いられる割合が高まっている[22]。その理由としては、貿易制裁の場合、第三国との貿易開始や密輸によって制裁の効果が一部無効化される恐れがある一方、技術革新により国際的な資金フローの監視・追跡可能性が向上した結果、資産凍結や銀行取引停止といった金融制裁に対しては迂回措置を取ることが比較的困難なことがあげられる。また貿易制裁と異なり、金融制裁の場合は標的国内の無実の国民に痛みを与えることなく、政府要人など特定個人・集団のみを狙い撃ちする「スマート制裁」を発動しやすいため国際世論からの批判を受けにくいこと、および制裁を発動した国自身が被る経済的な損失を回避しやすいことがあげられる。

一方、過去10年間に中国が最も頻繁に利用した制裁手段は依然として貿易制裁(9件)であった。うち標的国からの輸入を制限する措置が8件(ケース2、3、5、7、9、10、11、17)、標的国への輸出を制限する措置は1件(ケース1)である。また8件の輸入制限措置のうち5件は「検疫上の問題」を理由に輸入を制限している。このように立法によらず、既存制度の恣意的かつ不透明な運用により制裁を科している点も中国の制裁の特徴といえる(ケース2、3、9、10、17)。輸入制限の対象となる品目としては、制裁標的国にとって「象徴的な産業」が意図的に選ばれる傾向にある。たとえばノルウェーのサーモン、フィリピンのバナナ、豪州のワインや牛肉、台湾のパイナップルなどがその代表例である。

(2) サービス貿易の制限と不買運動

モノの貿易の制限のみならず、中国は自国内でのK-popの公演中止、NBAの放映中止、およびTripadvisorをはじめとするアプリの販売停止など、制裁標的国からのサービスやデジタル・コンテンツの輸入を制限する措置を3件発動している(ケース6、8、15)。また中国国内における標的国製品の不買運動(ボイコット)を扇動または黙認した事例も2件確認されている(ケース1及び6)。中国国民による不買運動は政府が明示的に指示したものでも、また法的拘束力を伴うものでもないが、影響下にある国営メディアを通じて間接的に国民を動員する方法がとられている[23]。輸入制限措置と異なり、不買運動という制裁は中国国内で生産されている標的国企業の製品の売れ行きにも影響を与えられるという意味で、当該企業にとってはより大きな損失を被る可能性もあろう。

(3) 渡航制限

貿易制限に次いで中国が好んで用いている制裁手段は渡航制限(6件)である。こうした特定国への渡航制限措置も、一種のサービス貿易上の制限といえる。うち治安悪化などを理由に中国人観光客・留学生の標的国への渡航を一部制限したものが5件(ケース3、5、6、9、10)、標的国の特定人物の中国への入国を制限したものが1件(ケース16)であった。世界的に中国人観光客のプレゼンスが高まるなか、渡航制限措置の実施は標的国のインバウンド関連産業に大きな損害をもたらす。したがって、標的国の世論を分断し、内側から標的国政府に政治的圧力を効果的にかけるうえで極めて有効な手段となる。

(4) 金融制裁

国際的な決済・貯蔵手段としての役割を果たすドルを擁し、資産凍結や金融取引の停止などの制裁を頻繁に科している米国とは異なり、中国が金融制裁を発動した事例は限られている。具体的には、開発援助の一時停止(ケース5)、インフラ投資プロジェクトの撤退示唆(ケース14)、スポンサーの撤退(ケース8)、また対内直接投資に関連する制裁として、中国に進出している標的国企業に対する懲罰的措置も2件確認されている(ケース6、12)。[12]

3. 経済制裁の影響

中国が発動した経済制裁は、中国や標的国市場にどのような影響をもたらしたのであろうか。以下では2010年代中盤までに発動された5つの事例(ケース2から6)に着目し、入手可能な統計を用いてその影響の確認を行う。

(1) 輸入制限措置の影響

輸入制限措置の事例のうち、ノルウェー産サーモン、フィリピン産バナナ、そしてモンゴル産鉱物資源(特に銅鉱)の事例に着目すると、いずれも制裁発動後に中国における輸入シェアが低下している(表1)。特に制裁前、中国におけるノルウェー産サーモンの輸入シェアは95%を誇っていたが、制裁発動にともない激減、2016年には僅か1.8%まで落ち込んだ。表には記載していないが、ノルウェーに対する制裁発動以降、中国はデンマーク領フェロー諸島および英国からのサーモンの輸入を急激に増やしている。

フィリピン産バナナについても、制裁直前の中国における輸入シェアは90%を越えていたが、制裁によって60%強にまで落ち込んだ(その間エクアドルなどからの輸入が増加)。モンゴル産銅鉱のシェアは制裁前から限定的であったが、やはり制裁が発動された2016年には前年比で34%低下した(その間ペルーやチリからの銅鉱の輸入が増加)。特筆すべきは、3つの事例ともに制裁解除後も以前の市場シェアの水準まで回復することなく低水準で推移しており、制裁の影響が長期化している点である。

(2) 渡航制限の影響

以下では台湾と韓国のケースを用いて渡航制限の影響を確認する。中国人観光客の台湾への渡航が2008年に解禁されて以降、毎年の渡航者数は右肩上がりで拡大、2010年の123万人から2015年には344万人にまで上昇した。2016年に制裁が発動されると渡航者数は285万にまで減少、2017年以降は一貫して200万人程度の水準で推移した(図1)。また台湾を訪れる外国人観光客全体に占める中国人の割合は2015年時点で約5割まで上昇していたが、2019年には24%に低下した。

中国人観光客の数は韓国でも2010年代前半に大幅に拡大、制裁直前の2016年には約700万人(対中依存率50%)に到達したものの、THAADミサイルの配備によって制裁が発動された2017年には約312万人(29.9%)にまで激減、韓国のインバウンド関連産業に大きな被害を与えた。

4. 経済制裁の有効性

「経済制裁の経済学」の理論にもとづけば、経済制裁の結果として標的国が譲歩を示すか否かは標的国内における政治経済的な力学によって決定される[24]。具体的には、制裁を受ける国が民主主義国家の場合、経済制裁が発動されると、その影響で経済的損失を被り発動国に譲歩するよう自国政府に圧力をかける集団と、反対に、決して制裁に屈しないよう政府に圧力をかける集団が生まれる。制裁を受けた国の政府は、譲歩することで得られる追加的な政治的利得(票や献金など)と政治的損失を比較しながら譲歩の程度を決定すると考えられている。以上を念頭におきつつ、以下では中国の経済制裁の有効性について考察を行う。

(1) 標的国が譲歩した事例

中国が発動した経済制裁の事例のうち、標的国が中国に対して一定の譲歩を見せた事例としてはノルウェー、フィリピン、モンゴル、および韓国のケースが挙げられる[25]

中国との関係が悪化して6年が経過した2016年12月、ノルウェーのブレンデ外相(当時)が中国との関係を正常化させるために北京を訪問、「今後中国の核心的利益を弱体化させる行動を支持しない」との共同声明に署名、中国の王毅外相はノルウェー側が「二国間の信頼関係が損なわれた理由を深く反省した」と評価した[26]

フィリピンについては、2016年7月に国際仲裁裁判所が南シナ海問題をめぐりフィリピンに有利な判決を下したにもかかわらず、同年6月に就任したドゥテルテ大統領が中国との宥和政策を打ち出し、制裁は徐々に解除された。同大統領は同年10月の北京訪問で中国から多くの経済支援の約束を取り付ける一方、習近平国家主席との首脳会談では「南シナ海問題は当事国同士の話し合いで解決する」との声明を発表、また中国産業界との会合では軍事・経済面における「米国との決別」を宣言するなど、中国との関係回復に向けて大きな歩み寄りを見せた[27]。さらに2018年11月、シンガポールで開催されたASEAN首脳会議では「中国は南シナ海をすでに所有している」と述べて物議を醸している[28]

2016年11月のダライ・ラマ訪問によって12月1日に制裁を科されたモンゴルは、3週間後の12月21日、ダライ・ラマ訪問が両国関係に悪影響を与えたことについてムンフオリギル外相(当時)が遺憾の意を表明し、今後は同氏のモンゴル訪問を一切認めないとの立場を表明、中国環球時報はこれを「謝罪」と報道した[29]

THAADミサイルの配備によって広範囲な制裁を科された韓国は、中国との関係改善を重視する文在寅氏が大統領に就任した5ヶ月後の2017年10月末、中国との間で「THAAD     ミサイルを追加配備しない」、「米国のミサイル防衛に参加しない」、「日米韓の安保協力を軍事同盟に発展させない」という「3つのノー」に合意し、関係改善を図った[30]

前述のとおり、ノルウェー向け制裁ではサーモンが、フィリピン向け制裁ではバナナが、モンゴル向け制裁では鉱物資源が、そして韓国向け制裁ではK-popなどが狙い撃ちされている。これらはいずれも標的国にとっての「象徴的産業」である。これらの産業をピンポイントで狙い撃ちすることで、標的国内の世論の関心を最大限高めると同時に、狙い撃ちされた産業が政府に対して中国に譲歩するよう圧力をかけるような状況を効果的につくり出すことが可能となる。事実、フィリピンのケースでは、経済制裁の対象となったバナナの輸出業者が事態を改善するようフィリピン政府に圧力をかけたとの報道もなされている[31]

(2) 標的国が譲歩していない事例

2010年代に発動された経済制裁(ケース1〜9)のうち、中国の圧力に屈しなかったのは日本、台湾、米国およびカナダの事例である。レアアースの対日輸出制限に直面した日本は外交ルートを通じた二国間による解決を試みる一方、2013年3月、米国・EUとともに中国をWTOに提訴した。翌年8月、WTO上級委員会は日本などの主張を認める報告書を発出[32]、中国は上級委員会の勧告に従い2015年1月に輸出制限を撤廃した[33]。蔡英文政権の誕生後に中国の渡航制限に直面した台湾は、マレーシアやインドネシアなどからの観光客を誘致することで制裁措置の悪影響を一部相殺することを目指した[34]。米国(通商法301条・232条への報復)とカナダの事例については、現在も中国による制裁措置が残存している。なお2020年以降に確認された事例(ケース10以降)では、いずれも中国の制裁が継続しているものの、中国との和解を目指して標的国が譲歩した事例はない。経済制裁の経済学の理論に基づけば、これらの事例では、制裁を受けた国の政府にとって中国に譲歩することの政治的損失が利得を上回った事例と見なせるかもしれない。

なおWTOで敗訴した日本のケースを除き、中国はたとえ制裁が失敗したとしても、それを自ら撤回した事例は確認されていない。それは何故であろうか。経済制裁の理想的な姿は、標的国の政府・産業・企業・個人に対して政治経済的な痛みを与えた(またはそう脅した)結果として標的国が譲歩し、発動国が望む方向に政策や立場を軌道修正するというものであろう。一方、たとえ譲歩を引き出せない場合でも、経済制裁の発動と継続を通じて標的国の世論の分断と政権の弱体化、あるいは発動国(中国)国内における国威発揚や政権に対する支持獲得といった政治的な利得を得られるかもしれない[35]。こうした考えに基づけば、標的国が譲歩する・しないに関わらず、中国にとっては経済制裁を発動し続けることが合理的な選択となり得る。

5. 結語:地経学的な含意

本稿では2010年以降に中国が発動した経済制裁の特性、影響、そして有効性について考察を加えた。これまでの議論を踏まえ、以下ではいくつかの地経学的な含意を述べる。

第一に、中国は経済制裁が標的国に与える政治経済的なインパクトを最大化すべく、ターゲットと手段を慎重に吟味して制裁を発動している。特に近年の傾向としては、民主主義国政府のアキレス腱ともいえる「世論」を巧みに分断し、制裁によって痛みを被る産業の怒りの矛先の一部が標的国政府に向くことを期待して、標的国の「象徴的産業」を狙い撃ちする事例が増えている。

第二に、中国は自国の産業界や消費者が大きな経済的損失を被らないような方法で経済制裁を発動している。たとえば中国が多用する特定国への渡航制限措置は、標的国のインバウンド関連産業に甚大に被害をもたらす一方、大多数の中国人観光客にとっては旅行先の選択肢のひとつが一時的に消えるに過ぎず、他の代替地に渡航することで当面のニーズは満たすこともできる。またノルウェーのサーモン、フィリピンのバナナ、モンゴルの銅鉱の事例で指摘したとおり、中国は輸入制限を実施した際に標的国からの輸入品を第三国からの輸入に素早く代替することに成功している。

第三に、驚くべきことではないが、中国は一度発動した経済制裁を簡単には撤回しない。本稿で取り上げた事例においても、標的国が中国に対して譲歩したケース、またはWTOにおいて措置の違反が確定したケースを除き、中国は自らが発動した制裁を一度も撤回していない。このことからも、機能不全に陥っているWTOの紛争解決手続を早急に正常化させたうえで、WTO協定に違反するような態様で中国が制裁を科した場合には二国間ではなくWTOの場で問題を解決できるような環境を整えておく必要がある。いくつかの課題は存在するものの、WTOの紛争解決手続で敗訴した場合、これまで中国はWTOの勧告に従って措置を是正してきているとの指摘もなされている[36]

第四に、現行のWTOルールのみに依存して中国の経済制裁リスクに対応することには限界が伴う。その理由として、中国は(1)WTOルールの例外規定を口実とする制裁措置(たとえば環境保護、資源保全、検疫上の問題、あるいは公徳の保護などを理由とする措置)、(2)政府の直接的な関与や指示が必ずしも証明できない方法による制裁措置(たとえば国営メディアを通じたボイコットの扇動または黙認)、あるいは(3)WTOルールの射程外の分野での制裁措置(治安上の理由による特定国への渡航・留学警戒呼びかけ、借款の停止表明、スポンサーの撤退など)を実施しており、WTOの紛争解決手続を用いても当該措置を是正させられない可能性がある。またWTO協定に明らかに違反している措置であっても、当該措置の違反が確定し、中国が措置を是正するまでには数年を要する場合もあることから、その間は制裁による痛みに耐え続けなければならない。

第五に、以上を前提として中国の経済制裁リスクを最小化するためには、実利的な観点から中国との間で可能な限り良好な二国間関係を維持すべきことはもちろんであるが、モノ・カネ・サービス・ヒト・技術の各分野で中国一国への依存度を過度に高めないよう、販売先や調達先の多様化に向けた政策的措置を講ずることも必要であろう。

表2は本稿の事例に登場した各国の対中輸出依存度、中国の各国に対する輸出依存度、および両者の比率の推移を整理したものである。同表からは1990年代以降、中国の国内市場規模の拡大に伴い各国の対中輸出依存度が例外なく上昇したことが読み取れる。なかでも中国と地理的に近接する国では依存度が総じて高く、豪州、台湾、および韓国では25%を、モンゴルにいたっては85%を越えている。一方、中国の各国への輸出依存度を見ると、米国への依存度こそ17.7%と高いものの、日本と韓国でさえ5%前後、その他の国はいずれも2%未満と低い水準である。

以上より、中国と各国との間には大きな「輸出依存度に関する非対称性」が存在しているといえる。たとえば表3の左下に示された輸出依存度の比率をみると、1を下回っている国、すなわち自国の対中依存度よりも中国の自国への依存度が高い国は米国のみであり、その他の国は極めて非対称的に中国に依存している。また、ほぼすべての国においてこの比率は過去30年の間に大きく上昇、依存度の非対称性はますます拡大している。無論、状況は産業別・品目別に一様ではないが、このことは「経済制裁の有効性に関する非対称性」が拡大していると言い換えることもできる。

最後に、各国レベルでの取り組みに加えて、諸外国と協力して中国の制裁リスクに対する強靭性を高めるための複数国間メカニズムを構築することも検討すべきである。特に2020年以降、中国は戦略物資の輸出を許可制とし、また特定企業への輸出を禁止するための輸出管理法、および対中制裁に同調した外国企業への損害賠償請求を可能とする不当域外適用阻止弁法の施行など、これまでは曖昧な形態で発動されてきた経済制裁を制度化させており、各国が直面する制裁リスクはさらに上昇している。すでにインド太平洋地域では、一帯一路構想における中国の経済支援に代わる選択肢としての日米豪によるインフラ支援の枠組み、中国のワクチン外交に代わる選択肢としての日米豪印クアッドによるワクチン支援の枠組み、あるいは中国に依存しているレアアースなど重要部材の安定供給のための協議の枠組み[37]などが構築または検討されはじめている。こうした取り組みをより一般化させ、同じ懸念を共有する国との間で中国の経済制裁リスクに対応するための情報共有メカニズム、安定供給メカニズム、緊急時の相互救済メカニズムのあり方を検討していくことが求められる。