公益財団法人日本国際フォーラム

この5月22日の露紙『論拠と事実』は、露のラブロフ外相が、「今日の露と西側諸国の対立は、少なくとも一世代は続くだろう」と述べたことを伝えている(本冊子最後の【資料】欄参照)。今日の露と西側諸国の対立は、露・ウクライナ戦争が核心となっているので、このウクライナ問題の解決には、一世代以上かかると述べたことになる。欧米諸国も「平和の配当」(軍備費縮小)に甘え過ぎていたことにようやく気付き始めた。
 筆者も、露とウクライナの対立の解決は、2~3年、あるいは数年ではなく、十年かそれ以上かかるのではないか、とこれまで述べてきた。露側は、ウクライナの背後に欧米諸国が存在していると見ているので、「新冷戦」が始まっているということなのか。ここで、「新しい冷戦」に目を向け、最後にウクライナ問題の行方に戻りたい。
 第2次世界大戦が終り、1990年代末まで冷戦時代が数十年続いた。自由主義・民主主義陣営と共産主義陣営の対立であった。今日の世界も、露・ウクライナ戦争が象徴するように、主要諸国が陣営に分かれて対立する物騒な情勢になった。これは「新たな冷戦時代」と言えるのか、それともイデオロギー対立が主導した冷戦時代とは異なる「新たな陣営間の衝突」が始まったのか。このような問題は、国際問題の専門家や政治家の間でも見解は分かれる。単純化してそれを2分し、次の2つの見解に分けて検討してみよう。
 ①今日の国際情勢は、冷戦時代とは異なる
 ②今日の国際情勢も、新しい冷戦時代とも言える

第一の、かつての冷戦時代と今日の国際紛争は質的に異なるとの見解の最大の論拠は、以下の点にある。この見解では、冷戦時代は基本的には、米国や欧米・日本などを中心とする民主主義・市場経済の陣営と共産主義イデオロギーと共産党が政治も経済もコントロールするソ連・東欧、中国、北朝鮮、ベトナムなどの共産主義陣営の対立だった。しかし、今日は、ソ連邦・東欧の共産主義体制は既に崩壊し、世界最大の共産党支配国家の中国も、経済は事実上市場経済で――中国、露も政府の企業への支援や国営化が問題になることもあるが――自由貿易体制の恩恵を最も多く享受しているのも中国だ。冷戦時のような共産主義のイデオロギー支配は無くなった。従って、共産党や共産主義が支配する陣営が無くなったという意味で冷戦は終結し、今日の状況も「新たな冷戦」とは言えない。

第二の、新しい冷戦が始まったという見解の論拠は次の点にある。
 冷戦時代においてさえも必ずしも共産主義国がイデオロギーで動いていたのではない。各国は基本的には国益や支配層の利害、あるいは国内的にも国際的にも、支配・被支配の関係で動いていた。その象徴が中ソ対立や東欧諸国の紛争で、中ソは共に共産主義の国と言いながら、中ソ対立は核戦争の一歩手前まで進んだ。また、ソ連の衛星国と言われた共産党支配の東欧諸国も、1956年にはハンガリー動乱、1968年にはプラハの春といった反政権の国民運動が生じ、共産党支配時代のポーランドでも国民の大部分はカトリック教徒だった。ソ連でも中央アジアやコーカサス地方の多くはムスリム(イスラム教徒)だったし、ロシアでもロシア正教徒は多かった。したがって、「冷戦」を、国家イデオロギーと関係なく、国家利益とか国際的な支配関係で結びついた「国家群(ブロック)間の対立」と見れば、今日も「冷戦時代」と言える。

筆者の考えも後者に近いので、「冷戦」の定義をこのように共産主義のイデオロギーと切り離して考えたい。となると現代は、ウクライナ戦争ゆえに、G7 諸国やEU諸国の大部分と、中国・露・イラン・北朝鮮という二つのブロックの対立が明瞭だ。前者は、濃淡はあるが民主主義、基本的人権の尊重、市場経済を特徴とする。後者は、やはり濃淡はあるが、権威主義、専制体制、独裁主義の傾向が強い。一部の国では、支配者の事実上の世襲制も生じている。近年は、これら2つの陣営に明確に属するのではなく、それぞれの時点で国家、支配者の利害により国家関係を決めている国々がある。アフリカや中南米、アジア諸国に多く、今は「グルーバルサウス」と称されている。以前の冷戦時代に「第三世界」と称された国々と多くは重なる。これらの国家群は、権威主義や専制体制が多い。そのことも、グルーバルサウスと専制主義的な中国や露との親近性を生んでいる。
 さて、この「新冷戦」の最前線はウクライナ戦争だ。筆者はウクライナ問題には、「原理的な二律背反」つまり、政治交渉や話し合いでは解決不能の問題が存在すると当初から指摘している。プーチン氏は、これまで幾度か「停戦交渉や和平交渉に応じてもよい」と言う意味の発言をしている。例えば、この5月16日の北京における中露首脳会談の共同声明においても、「ウクライナ問題の政治的(交渉による)解決」を謳っている。
 しかしこのような停戦・休戦交渉とか政治的解決は、原理的に不可能だ。というのは、プーチン氏は国際的に、また露国内でも求められている停戦・休戦交渉の条件として、「クリミア半島とドネツク、ルハンスク、ザポロージャ、ヘルソンの4州の帰属問題は交渉の場には持ち出さない」ことを求めているからだ。クリミア半島とウクライナの4州は「住民投票によって露領と決まった」というのが彼の主張であり、その主張を認めることが停戦・休戦交渉や政治的解決の前提だということで、ウクライナが認められるはずがない。ウクライナが露と戦っているのは、まさに自国領土の不法な軍事占領に対してである。それ故ウクライナ問題の解決は「原理的な二律背反」とも言うべき困難があり、この問題の解決は長期化すると筆者は述べてきた。今日の事態を「新たな冷戦」、即ち前述の2つのブロックの長期戦と呼ぶのも、侵略者の露が、ウクライナが受け入れられる筈のない条件を撤回する姿勢を見せていないからだ。ラブロフ外相の言葉の裏にもこの問題がある。
 今日、冷戦後の「平和の配当」を享受できる時代は終わりつつあるとして、デンマークのフレデリクセン首相は、「我々はあまりにもナイーブで、西側は(軍事費を削減して)豊かになることに集中しすぎた」と語った(日経 2024.5.28)。つまり、「冷戦終了」を共産主義のイデオロギーと結びつけた、前述の①の解釈に嵌っていたこと、それが余りにもナイーブだったと告白したに等しい。筆者は2000年4月、プーチン大統領誕生時に、露が「対外的にも危険な軍事国家や警察国家になる可能性」を指摘した。またゴルバチョフ時代でも、東欧諸国の国民は「露のトップが誰になろうと、国の本質は変らない」と考えていることを自著で伝えた(『深層の社会主義』1987.4)。平和憲法に固執し、自衛隊を国防軍とも呼べない日本人は、安全保障問題では「ナイーブ以前」ということだろうか。