公益財団法人日本国際フォーラム

かつて、日本とベトナムとの国交正常化過程に関する論文を書いたことがある。ニクソン・ショックに猜疑心を抱いた日本政府が、社会主義国家北ベトナムと1973年9月に国交正常化を果たしたプロセスを調査したものである。日本は当時北ベトナムと同時に、サイゴン陥落後の臨時革命政権(PRG)とも国交を正常化しようとして、しばらくは大使交換が滞っていたが、図らずも1976年7月に南北ベトナムは統一し、「ベトナム後」に向けて様々な援助協定を結ぶこととなる。

本格的に日越関係が発展し始めたのは、中越紛争も終わり、カンボジアとの紛争も終結した1990年代に入ってからである。二国間枠組みでは、ベトナムが日本との間に政府開発援助を再開(1992年)、そしてアメリカとの国交正常化(1995年7月)を達成する。そして、当時アメリカ留学中だった私を驚かせたのは、ベトナムのASEANへの加盟であった。東南アジアの地域主義が一気に加速する息吹をその時に感じたことを、今でも覚えている。1998年にはAPECにも加盟し、多国間枠組みへの参加を積極的に推進していった。この頃には、ヤマハのバイク、キャノンのプリンターを皮切りに様々な日系企業がベトナムに進出するようになる。ここで作られたMade in Vietnamの日本製品は、日本に逆輸入されたり、また東南アジア・南アジア市場で消費されたりと、人気を博した。私自身も世紀が替わって間もなくベトナムでの日系企業調査に同行したことがあり、すでに日本では閉鎖した工場をベトナムで稼働させている企業をいくつか訪問した。この時は単純に安い労働力を求めて日系企業が新しい投資先を探しているのだろう程度にしか思わなかったが、その後日越の経済関係はチャイナ・プラス・ワンという政治的含意を有するようになる。2004年には投資協定、2009年には日本・ベトナム経済連携協定が締結され、人、モノ、カネの国境を超える移動が推奨されるようになった。決して人数は大きくないものの、ベトナムからの看護師・介護士の受け入れ人数も例年200人前後で進んでいる。

このように経済的な連携を進めてきた日越関係が政治的・外交的含意を持つようになったのは、2010年前後である。日越二国間の共同声明のタイトルが「アジアの平和と繁栄…」とアジアの冠を被せるようになると、政治的な信頼醸成、政府間対話、民間人同士の交流と学術的成果の構築、教育、観光等、様々な分野における対話が催され、協力関係が構築されてきた。私自身も、日越国交正常化40周年であった2013年には何度かベトナムを訪問し、1973年の国交正常化プロセスや、上で述べた日系企業進出の成り行きについて報告を行い、新しい知見を得る機会が多くあった。同時に、この頃から日越間で「中国の台頭」にどのように対処するかについて意見交換を行う国際会議が増えていったことを覚えている。

このように考えると、日越間の要人往来は、両国関係の発展段階を示しているように思われる。日中間でも1992年の天皇訪中は一つのエポック・メイキングだが、日越間では2017年に行われた。首脳級の往来はここ十数年で圧倒的に増え、今年だけでもベトナムの首相、国家主席が来日し、日越関係の強化が声明として出されることになるだろう。近くベトナムのボー・バン・トゥオン国家主席が来日するが、そこでは日越の戦略的パートナーシップを一層グローバルな様式にアップグレードし、日越間の更なるエポック・メイキングが期待されている。この戦略的パートナーシップには、次の二つのテーマが目指されている。

第一に、私自身も手掛けてきた南シナ海の平和と安定である。海洋安全保障の大きな特徴は、その地域の「所有」よりも「利用」を前面に出して討議する必要がある。日本は南シナ海の「所有」とは無関係だが、「利用」については、多大な関りを持っている。もう長年続いているこの案件について、国際仲裁裁判所も無視した中国の行動への対処が望まれる。そして、南シナ海の安全がどのように進展するかによって、東シナ海も含めたアジア地域全体の海洋安全保障に影響を与えるのである。日本が海上保安庁の巡視船を供与して「能力開発」に従事しているのも、海は「皆のもの」という点を強調するためである。

第二に、チャイナ・プラス・ワンというのは、中国に加えてどこに海外投資の拠点を設けるかという意味だが、今や「安価な労働力」を利用する時代ではあるまいし、そもそもこの方法は始めから時期的な限界がある。大きな中国経済に対抗した形でベトナム経済に期待するのも無理があるだろう。もっと日常的に、日本の地方都市の地場産業とベトナムとの合弁事業のように、日本を地方ごとに分けてみて、実際に現在行われている協力関係を一層発展させる「地に足がついた」アプローチを試みるべきだろう。現に日本の地方も「地産地消」では減少する人口とともに需要が減っている。その意味では、「地産外消」を目指せるような相互依存関係を形成することが、日本全体にも役立つはずである。

国家間関係は、政府と政府とだけの関係ではない。少しでもこれが成熟するためには、多元的なレベルでの交流やビジネスが恒常的に行われるのが理想である。かつて日越国交正常化過程の論文を書いた私が、その後の二国間関係を跡付けてみたいと思って本稿を執筆した次第である。