公益財団法人日本国際フォーラム

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近年、オセアニアは、台頭する中国とそれを抑止しようとする西側諸国とが互いに太平洋島嶼諸国の取り込みを図るせめぎあいの場として注目を集めている。確かに、中国の台頭は、オセアニアにおける地域秩序の変容をもたらした大きな要因であることは間違いないが、ただそれのみが地域秩序の変容をもたらした訳ではない。ここでは、太平洋島嶼諸国の「内在論理」、すなわちこれら諸国の利害関心に注目し、オセアニアにおける地域秩序がどのように変容したのか、太平洋島嶼諸国の視点から解き明かしてみることにしたい。

第二次世界大戦後、オセアニアの地域秩序は、旧宗主国であるANZUS諸国(オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ)と脱植民地化を遂げた太平洋島嶼諸国との密接な関係の上に築かれてきた。そしてその中で展開されたのが、太平洋島嶼諸国がオーストラリア、ニュージーランドを招き1971年に創設した南太平洋フォーラム(現・太平洋諸島フォーラム)による地域協力である。創設の動機となった核問題をはじめ、地域の「共通課題」をめぐる南太平洋フォーラムの外交活動を通じて、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋島嶼諸国の間には、「「国家」によって構成され、「共通課題」をめぐって域外に向け共同で外交活動を展開する政治単位としての地域」という「南太平洋」地域概念が共有されていったということができる。

しかし、1990年代になると、気候変動問題をめぐって、オーストラリア、ニュージーランド両国と太平洋島嶼諸国との間に深刻な亀裂が生じる。気候変動によって甚大な影響を被るところから、これを喫緊の課題とする太平洋島嶼諸国と温室効果ガス排出国であるオーストラリア、ニュージーランド両国との主張は鋭く対立し、京都議定書交渉の過程で両者の対立は決定的なものとなった。

気候変動問題を「共通課題」として、オーストラリア、ニュージーランドとともに太平洋諸島フォーラムを媒介に共同で外交活動を展開することは困難と認識した太平洋島嶼諸国は、以降、小島嶼諸国連合(AOSIS)を通じた活動など、外交チャネルの多角化を図っていく。また、域内では、オーストラリア、ニュージーランド両国を除外し、太平洋島嶼諸国を中心とした太平洋諸島開発フォーラムが新たに設立されるなど、太平洋諸島フォーラム以外の地域枠組みが出現するようになる。

このように、気候変動問題をめぐる太平洋島嶼諸国とオーストラリア、ニュージーランド両国との亀裂という内在的要因は、上述の「南太平洋」地域概念を消滅させ、太平洋諸島フォーラムの求心力を低下させることになったといえる。さらにそこに中国の台頭という外在的要因が加わって、オセアニアにおける地域秩序は変容するようになったと考えられよう。中国の台頭がクローズアップされがちな「ANZUS諸国からみた太平洋」とは異なる、「太平洋からみた太平洋」に目を向けることによって、オセアニアにおける地域秩序変容の多面的な様相がみえてくるのである。