公益財団法人日本国際フォーラム

はじめに

海洋をめぐるガバナンスは、安全保障、経済利権、環境保護・保全が緊密に結びついた複雑な制度によって運営されている。国連海洋法条約(UNCLOS)自体が、航行、漁業、資源開発、環境保護、科学的調査のそれぞれについて別個に規制するクラスター型の複合レジームになっているが、それに加えて近年では、生物多様性条約(CBD)、気候変動枠組み条約(UNFCCC)、ワシントン条約(CITES)などの隣接領域との競合、抵触、相乗作用などの制度間相互作用も生じている。また、沿岸域の管理については、伝統的にローカルレベル(地元漁業者や地域社会)での自主的取り組みや、ガイドラインや認証評価を通じたインフォーマルなガバナンスが行われてきた。このような状況は、権威が多元化している多中心性(polycentricity)として理解することができるだろう[1]

多中心的ガバナンスには様々な定義があるが、互いに独立した権威者が自律的に相互作用しながら、全体としての秩序が保たれるようなガバナンス・モードというのがミニマムな定義である[2]。権威者には、地元漁業者組合や、地域の活動を主導している企業やNGO、技術者・科学者団体なども含まれる。具体的な形態としては、地元漁業者や地域社会に広範な裁量を与え、非拘束的な方法で緩やかにガバナンスするような垂直的分業体制や、科学者間の水平的ネットワークやマルチステークホルダー・ネットワークなどの組織形態をとることが多い。日本のような中央集権的な政治体制であっても、実際の行政においては、政府が緩やかな統制のもとで民間事業者や地域社会に大きな権限を与えて公共財の提供を行わせる、オーケストレーション型ガバナンスが行われることも多いが、これは多中心的ガバナンスの一つの方法である[3]

多中心的な政治構造は、適切なガバナンスが行われない場合、非効率な権限および資源配分を引き起こし、財源や人材の不足、硬直的な制度と現状のミスマッチ、責任の所在の不明確化などにより、現場の問題に効果的に対処できなくなる危険性を孕む。他方で、適切にガバナンスが行われれば、現場の問題解決に適した制度設計、革新的手法の開発、変化への柔軟な対応、包摂的な参加による有効性とアカウンタビリティの向上などの様々な利点を期待できる。それでは、そのような利点を引き出すにはどのようなガバナンスが求められるのか。筆者は別の論考で、多中心的な制度のメタ・ガバナンスあるいはオーケストレーションの可能性について論じたが、結論から言うと、参加者の自律性を最優先しながら、目標の優先順位の明確化、権威者間での目標共有、制度間の調整および紛争解決、民間活動の正統性の確保や財源・人材の安定確保の支援などを行うのが有効と考えられる[4]。本稿では、日本政府の第3期海洋基本計画を参照しながら、日本国内の多中心的なガバナンス構造の問題に絞って、日本政府に何ができるかを論じたい。

Ⅰ 地元漁業者および地域社会への戦略的支援・協力

上述のように、多中心的な構造を活用するには、目標の優先順位の明確化と権威者間での目標の共有が重要である。中央政府と地元漁業者の目標がずれていたり、中央政府の政策目標の優先順位が明確でなかったりすると、漁業者や地域社会に十分な財源や能力構築、技術開発支援などが与えられないことになりかねない。2018年に策定された第3期海洋基本計画は「総合的な海洋の安全保障」を基本方針とし、それを支える主要施策として、海洋の産業利用の促進、海洋環境の維持・保全、科学技術の開発推進、北極政策の推進、国際連携および協力の推進、海洋人材育成と国民理解の増進などを掲げたうえで、多様な具体的方針を挙げている。しかし、注意深い戦略的連携が行われない限り、これらの多様な諸施策・方針間に相乗効果を見込むのは容易ではないだろう。

たとえば、海洋の産業利用促進策として挙げられている、水産資源の適切な管理と水産業の成長産業化はかならずしも両立しない目的であり、どちらに重点を置くかで資源配分の方法は異なってくる。東シナ海の現状を見ると、旗国主義が適用された「共同漁場」(入会水域)の設定により、外国漁船との厳しい競争にさらされた日本の漁業は苦戦を余儀なくされている[5]。中国などの外国漁船が持続可能性を無視して、日本の国内法では禁止されている集魚灯や安価な資材および人材を駆使して一網打尽に漁獲していくなかで、厳しい国内法に縛られた日本の漁業者はどう効果的に対抗し漁場を守ることができるのか。また、後継者不足ゆえに外国人に依存せざるをえない漁業人材を、どう国産化することができるのか。このような課題に直面する水産業界に対し、水産庁は、代船建造の後押しや燃油費補助など漁船・漁業への支援を行っているが、他方で、減船政策やTAC 制度(年間漁獲可能量の上限を定める産出量規制制度)も導入することで、水産業を圧迫する側面もある。資源管理政策との整合性を確保しようとしているのだろうが、水産庁が目的を絞れないことで、水産業育成と資源管理の課題とが背反し、支援の効果が相殺されてしまっていると考えられる[6]。優先順位を明確にしないままに「どちらも」というスタンスでは、資源を効率的に集中させることができず、十分な戦略的支援を行うことができない。

また、産業利用の促進策の一つとして洋上風力の推進も挙げられているが、日本のような漁業密度が高いところで沖合海域も含めた広大な面積を確保するには、地元漁業者の同意が必要である。漁業者の協力を取り付けるには、減少する漁業資源の回復に資する沖合養殖と洋上風力とを相乗的に発展させるなどの、漁業者に明確な利益がある形でのビジネスモデルの構築が求められる。しかし、それを可能にする電力事業者、漁業者、水産企業共同での海域利用は、現行制度では認められておらず、新たな法整備が必要である[7]。基本計画では、漁業者との関係や予測可能性向上を考慮した海域利用ルール等の法整備の加速化が謳われているものの、農水省、経産省、国交省等の関連官庁間の縦割り行政もあり、国はなかなか本腰を入れない現実がある[8]

また、海洋環境の維持・保全の主要施策の一つとして沿岸域の総合的管理が掲げられているものの、その具体策については進展に乏しい。それは、一つには、漁業が盛んな地域では、漁協などの地元漁業者組合の自主管理に基本的に委ねるという多中心的ガバナンスの側面が大きく、行政の方で特段の措置を講じてこなかったということがある。他方で、漁業が中心産業ではない地域では、地方自治体が管理を行うことになっているものの、海域に対する地方自治体の権限は不明確で、また財源も不足していることから、過疎化や高齢化も相俟って、具体的な施策を講じることが難しくなっている。これらの問題に対処するような法制度が求められるところである。たとえば、日本では先進的な沿岸域管理の方法として、地域の漁業者、学校、企業などが主体となった「里海」という独自の取り組みが各地でなされているが、漁業人口の減少、地域社会の高齢化、後継者不足などから困難に直面している「里海づくり」の事例が多い。基本計画でも海洋環境保全策として里海の活用に言及されているが、効果的な沿岸域管理を推進するのであれば、たとえば市町村の沿岸域権限や財源について法制化するなど、地域社会の取り組みを積極的に支援するための法整備が必要だろう[9]

以上のように、地元の取り組みが効果的に機能するためには、政府が目標の優先順位を明確化し、漁業者や地域社会と目標を共有して、一貫した戦略に基づいた支援を行うような仕組みが必要と考えられる。

II 国民的世論の喚起

基本計画の理念の一つとして「海洋に関する施策の推進への国民の理解を得ること」が挙げられ、その具体的方策として、「海の日」の活用、ネットメディアの利活用促進などが挙げられている。しかし、漠然と海洋一般についての意識向上対策をしても、政策の効果的な実施にそれほど影響があるとは考えにくい。上述のような具体的重点項目について国民の関心を戦略的に喚起することで、地域社会や民間の活動を活性化していくことが、主要施策の推進のために重要であろう。とりわけ、水産業や沿岸域の利益を代表する強力な利益集団が存在しない現状では、効率的な財源移転を促進するのは難しいため、国民的バックアップによる経済社会体制への埋め込みによって、彼らの経済的および政治的基盤を強化する必要がある。

たとえば、先述の里海の例で言えば、山間部や沿岸部が水の提供など様々な機能を通して都市部の生活を支えていることについて、都市部の住民に十分に周知されているとは言い難い。行政が啓発・教育活動を戦略的に行うことで、都市部の住民が沿岸域に関心を持ち、レジャー等で活用することが多くなれば、地元は経済的に潤うだけでなく、政治的発言力を強化することもできるだろう。また、2010年代から気候変動対策として国際的に注目されるようになったブルーエコノミーは、中国などでは政府レベルで取り入れられているが、日本ではまだそれほど知られていない。ブルーエコノミーは海洋環境の保全だけでなく、地域振興や海洋産業の発展にも大きな役割を果たすと期待されているが、その実現のためには、ブルーファイナンスの増大、持続可能な水産物やエネルギーを選好する消費行動の普及、ブルーカーボン・クレジットの認証事業者の増加などが必要である。そのような動機付けを促すような啓発・教育活動を行うことで、全国的な経済社会体制に組み込むことができれば、ブルーエコノミーを大きく前進させることができると期待される。日本政府は「自国が決定する貢献(NDC)」の温室効果ガスインベントリにブルーカーボンを含める方向で検討を進めているようだが、それに合わせて、上記のような世論形成を行うことは、海藻などのブルーカーボンにおける日本の比較優位を生かした国際的リーダーシップの発揮にも資するだろう。

以上のように、海洋政策と世論喚起を戦略的に結びつけ、地域や民間の取り組みを支援するという明確な目的のもとに世論を喚起することが、理念を絵に描いた餅に終わらせないために肝要である。

III 科学的エビデンスに基づいた政策対話の促進

冒頭で触れたように、海洋をめぐるガバナンスは複雑化および多中心化しているが、さらには近年の科学技術の進展に伴い、科学的不確実性がより政治的不確実性を高め、根本的な価値観の対立を際立たせる状況をもたらしている。たとえば、2010年代からCBDレジームで重点的に取り上げられるようになった国家管轄権外区域の海洋生物多様性(BBNJ)に関しては、「公海自由」を唱える先進国と、「人類共通の財産」を主張する途上国および新興国との対立が前面に出て政府間交渉が滞っている。とくに、海洋遺伝資源(MGR)の開発問題をめぐって、MGRへのアクセスとサンプル解析の技術をもつ一部の先進諸国が、公海自由の原則を主張する一方で、途上国はMGRを人類共通の財産と見なして、公正・衡平な利益配分を求めており、その溝は容易に埋められない[10]。そのうえ、先進国も一枚岩ではなく、海洋法を担当する部署が関与する日本と、生物多様性担当部署が関与するEU諸国とでは、条約の解釈手法については基本的認識を共有しながらも、人為的な海域区分や公海自由といった海洋法の原則を優先するか、海域を区分しない生態系アプローチで環境保全を優先するか、という根本的な価値観のずれが生じ、連携は必ずしもスムーズではない[11]。しかし、MGR利用の技術的特性や問題点などの科学的知見が十分に共有されていない現状では、価値対立を超えて、適切な制度設計についての合理的な議論を導くことは困難である。

日本政府は「科学的知見に基づく政策の実施」を看板に掲げ、科学的エビデンスに基づいて価値の対立を克服する方針を示している。しかし、国内でさえ、政策形成者側の科学的論議についての理解不足と、科学者側の政策的含意に関する理解不足があり、同時に所轄官庁間の認識の相違も相俟って、科学的に不確実性の高い争点について一貫した政府方針を打ち出すことは容易ではない。科学者と政策形成者間の対話がより一層促進される必要があるだろう。また、海洋問題は複合的かつ越境的なので、国内だけでなく、関連する科学者・専門家と政策形成者の国境を越えた対話を促す制度の構築も重要である。たとえば、近年注目を集めているマイクロプラスチックについて、マイクロプラスチックの計測方法や海洋プラスチックの生態系への効果についての科学者ネットワークはあるが、多様な専門領域をまたいだインターディシプリナリーなプラットフォームは未だ存在しない[12]。プラごみについては拡大生産者責任の有無などの法的論点を含めて議論をする必要があるが、この分野の国際的な制度設計は未だ緒に就いたばかりである。基本計画には「マイクロプラスチックへの対応も含め、その削減に向け、多様な主体の参画や連携の下、実態把握、回収処理や発生抑制対策、国際連携を総合的に推進していく」と明記されているが[13]、科学と政策を繋ぐトランスナショナル・プラットフォームの触媒は、科学的知見を押し出す日本政府がリーダーシップを取る余地の大きい部分であろう。そのような努力は、民間の活動を促進し、国際的な海洋世論を主導することになり、ひいては日本の国益に沿った海洋政策の推進に結び付くと考えられる。

おわりに

海洋政策の推進において、多中心的な構造を効果的に活用するための具体的な仕組みづくりが必要であると論じてきたが、これは今日、多くの分野に当てはまることである。たとえば気候変動の分野でも、地方自治体や地域社会などのサブナショナル主体や企業などの民間主体が独自の権威をもって機能しており、国連システムでは、そのような非国家イニシアチブと多国間制度との有機的な連結に重点が置かれるようになっている[14]。各国レベルでも、地域的な取り組みを中央政府の施策と連動させる試みが増えている。たとえば、アメリカ政府は、都市、地方自治体、地域社会などのサブナショナルな取り組みをアメリカ外交に統合することを目的とした「サブナショナル外交特別代表」を2022年秋に国務省内に新設した[15]

分権的なアメリカと違い、日本は中央集権的な国家体制のため、中央政府による地方や民間への支援が決定的な役割を果たす。民間の組織化は強くはなく、財源や人材の不安定さを伴う場合が多いため、なお一層、国を挙げた制度構築は不可欠である。それだけに、日本のもつ知識や人材を有効活用するためには、明確な優先順位をつけた目標設定の下で、民間の取り組みを政府の施策と戦略的に連携させるような協力および世論形成が必要と考えられる。とりわけ東アジア情勢が急速に緊迫化している今日において、劣勢に追い込まれる漁業や生態系を守りつつ安全保障を強化するためには、多中心性の利点を引き出す制度構築がますます重要になっているといえよう。