公益財団法人日本国際フォーラム

はじめに

ロシアによるウクライナへの侵攻から1年が経過した。この間、ウクライナを支持する国々と、顕在的あるいは潜在的にロシアを支持する国々とに分かれ、現地で行われる実際の戦闘に加えて、さまざまな国際会議などにおいて、角錐突き合わせる状況となっている。

一方、このような状況においても、地球環境は悪化の一途を辿っており、2022年11月に開催された気候変動枠組条約第27回締約国会議(The United Nations Framework Convention on Climate Change, 2022 United Nations Climate Change Conference:UNFCCC-COP 27)においては、前年に英国・グラスゴーで開催された第26回締約国会議(UNFCCC-COP 26)で示されたパリ協定のルールブックを完成させ、工業化前からの気温上昇を1.5℃以内に抑える努力を追求する決意を具体化することが目指された。そのため、2022年は「誓約」(プレッジ)から「実施」(コミットメント)に移行した年と言われている[1]

これらの問題は陸上で起きている問題であるが、我が国周辺海域や南シナ海のように、海洋でも起きている問題でもある。そのため、本稿においては、最近公開したいくつかの記事を発展させ[2]、これらの課題を超えた総合的な取り組みについて検討し、海洋「世論」の創生と拡大に資する手がかりを得ることを目指す。
 

Ⅰ 海洋安全保障の前提となる海洋ガバナンス

「海洋の総合的管理」としての海洋ガバナンスは、「海洋の管理を目指す法秩序の構築、並びに海洋の総合的管理および持続可能な開発に関する政策・行動計画の策定・実施の二つを基盤とした概念[3]」とされる。

これを具体化したものとして、法秩序としては1982 年に採択されたUNCLOS であり、政策あるいは行動計画としては1992 年に採択された環境と開発に関するリオ宣言( Rio Declaration on Environment and Development)およびアジェンダ21(Agenda 21)、2000 年に採択された国連ミレニアム宣言(United Nations Millennium Declaration)およびミレニアム開発目標(Millennium Development Goals:MDGs)、2002 年に採択された持続可能な開発に関するヨハネスブルグ宣言(The Johannesburg Declaration on Sustainable Development)、2012 年に採択された我々の望む未来(The Future We Want)、2015 年に採択された持続可能な開発のための2030 アジェンダ(The 2030 Agenda for Sustainable Development)および持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals:SDGs)などの一連の取り組みがそれぞれ挙げられる。また、これらの国際的な動向や取り組みに呼応する形で我が国を含む主要国においては、海洋ガバナンスの確立に資する政策の基本方針を法令等の形で取りまとめられている[4]

このように国際的な取り組みと各国における取り組みが並行的あるいは補完的に進行している「海洋ガバナンス」をめぐる取り組みであるが、現実にはこれらの諸課題は個別的に取り扱われ、特に軍事安全保障をはじめとする海洋安全保障は国益に直結することもあり、その度合いがより強かった[5]。加えて、学術的な観点から検討を進めると、一般的に政策分析を取り扱う人文・社会科学分野と海洋に関する科学的な調査研究に取り組む自然科学分野に大きな断絶があることも無視することはできない[6]

これらの課題を踏まえると、少なくとも現段階においては、海洋ガバナンスの目的も手段も分断されていると言わざるを得ない。そのため、この統合こそ本来の海洋の総合的管理、あるいは本来の海洋ガバナンスの確立の前提条件となる。

Ⅱ 海洋ガバナンスへの海洋安全保障の統合

さて、我が国においては昨今、「経済安全保障」への関心が急速に高まっている。例えば、2021年10月に成立した岸田文雄内閣は、経済安全保障政策を成長戦略の柱の1つに位置付け、2022年6月に経済安全保障推進法(経済施策を一体的に講ずることによる安全保障の確保の推進に関する法律)を成立させた[7]。また、最近では経済安全保障推進会議及び統合イノベーション戦略推進会議の下、内閣府、文部科学省及び経済産業省が中心となって、府省横断的に、経済安全保障上重要な先端技術の研究開発を推進することを目的として、科学技術振興機構(JST)および新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)を基金を管理・運用し本プログラムにおける研究開発の推進に係る業務を担う機関(研究推進法人)とする形で「経済安全保障重要技術育成プログラム(Key and Advanced Technology R&D through Cross Community Collaboration Program:K Program)」が公開されるなど、その取り組みは加速の一途を辿っている。

このような動きは歴史上決して珍しいものではなく、いわゆる冷戦初期には、西側諸国ではNATO(北大西洋条約機構)とマーシャルプラン(欧州復興計画)が、東側諸国ではWarsaw Pact(ワルシャワ条約機構)とCOMECON(経済相互援助会議)がそれぞれ形成あるいは運用され、安全保障と経済成長が密接に繋がりながら展開していた[8]。これらの歴史は安全保障と経済成長が密接な関係を有していることの証左である。

この傾向は海洋安全保障を巡る取り組みにおいても例外ではなく、安全保障と経済成長は密接な関係を有している。一方で、本稿冒頭でも触れたように、喫緊の課題である環境保全も無視することはできない。しかも、これらはどれかを優先して進めることは望ましくなく、いずれの課題についても同時並行的に取り組むことが求められる。そのため、海洋政策の推進、あるいは海洋ガバナンスの構築といった視点から考えてみると、安全保障や経済成長、環境保全はトリレンマとも言うべき関係性が見えてくる 【図1】[9]

【図1】 海洋安全保障におけるトリレンマ(Trilemma)問題[10]

このトリレンマは昨今複雑化の一途を辿っており、前述の安全保障と経済成長、環境保全が個別的なテーマではなく、相互に密接な連携を有していること、そして、包括的に対応する必要があることが顕在化している。例えば、経済成長と環境保全については、海洋における持続可能な経済、即ち「ブルーエコノミー」として具体的なテーマとなりつつある[11]。また、環境保全と安全保障についても、気候変動に伴う風水害の激甚化への対応という言わば「気候安全保障」としてこれもまた具体的なテーマとなる[12]。そして、経済成長と安全保障についても、包括的に取り組むことが求められている。

Ⅲ 海洋安全保障における持続可能性

海洋分野における経済成長、あるいは安全保障に係るテーマとしては、たとえば、海底鉱物資源をめぐるさまざまなレベルでの争い[13]、UNCLOS成立後には排他的経済水域における資源をめぐる争い[14]、また、昨今であれば、BBNJ(国家管轄権外区域における海洋生物多様性)のあり方も資源としての遺伝子資源という観点から経済成長と安全保障に係るテーマになりつつある[15]

これらのテーマはいずれも限られたものを獲得するために争うという性質を有している。そのため、時として軍隊の投入を含む、実力行使を伴ったものとなる傾向がある。しかし、前述の「限られたもの」という表現には「限られた資源の有効活用」という意味も含まれる。そのため、経済成長を踏まえた安全保障を取り扱う際に最も重要なことは、持続可能性をいかに担保するのかということである。

この持続可能性の担保について、これまでの議論においては対象となる資源に注目が集まることが多かった。しかし、最も重要なことは、例えばSAR(捜索救難)のようなそれに従事する人間の安全確保であろうことは論を俟たない。しかも、SARに係る取り組みは関係国の対立を超越して進むことが期待される分野である。実際に我が国と旧ソ連は1956年に「日ソ海難救助協定」を締結しているが、冷戦下というある種激烈な国際関係であっても、人道的見地であれば、連携し得ることを示している[16]。一方で、気候変動による海洋環境の変化は、これまで主に南洋の課題であったIUU漁業(違法・無報告・無規制漁業)が北極海などへ拡大し得る要因となっている[17]。そのため、IUU漁業をはじめとする違法行為に対する法執行も持続可能性を担保する上で必須の取り組みである。

おわりに ~持続可能な海洋ガバナンスへの貢献を目指して~

上述のように、海洋ガバナンスの目的は持続可能な海洋を担保することである。そのため、海洋ガバナンスを構成あるいは基礎となる海洋安全保障のみならず、海洋経済や海洋環境にも目を配った取り組み、即ち総合的な取り組みが求められる。これらの取り組みは、海洋安全保障というよりも、どちらかと言うと「人間の安全保障」に近いと思われる。しかし、伝統的安全保障に立脚した取り組みでは、現在の海洋安全保障における諸課題を十分に解決することが難しいのも事実である。そのため、本稿で提示した視座や知見が新たな海洋ガバナンスのあり方を指し示し、これらの課題を超えた新たな海洋安全保障のあり方を目指す海洋「世論」の創生と拡大に資することを期待している。