公益財団法人日本国際フォーラム

はじめに

「海の憲法」と称される1982年の国連海洋法条約(以下、海洋法条約)は、各国が海洋の利用について、立法・司法・執行の権限を行使する際に協調した処理するための客観的な枠組み設けるものである。その条約規定は、各国の法制や国内措置に編入されることを前提としている[1]。同条約は、2023年12月31日現在、168カ国が締約国となっている普遍的な多数国条約である。海洋法条約の締約国は、通常、海洋法条約の条文を国内実施するために海洋に関する国内法を制定している。海洋法条約が海洋に関する国際慣習法を成文化したこと、また条約の採択から40年以上経過したこともあり、海洋法条約の条文の多くは、条約の非締約国に対しても国際慣習法規則としての地位を獲得している。
 国際社会において「法の支配」を確立するためには、各国が条約及び国際慣習法を遵守する必要がある。そのため、各国は、通常、国際法の遵守義務を自らの憲法に規定する[2]。ところが、中国憲法には、国際法との関係に言及した条文が存在しない。その結果、中国が国際法の典型である条約と憲法の関係をどのように考えているのか明確ではないし、その国内法体系における条約の効力順位も明らかでない。なお、中国は、国家の立法権をている[3]。常務委員会は、1996年5月15日、海洋法条約を批准した[4]。問題は、中国の立法機関が条約上の義務の履行のための国内法の制定にあたって、当該義務を自らの国益確保のために歪めて国内法化していることである。この歪曲には、国内立法による歪曲と海洋法条約 の条文の自己中心的解釈による歪曲という二つの歪曲がある。
 実際、中国政府は自らの「核心的利益」を確保するために、海洋法条約の条文と乖離する国内法を制定することを全くいとわない姿勢を示す。中国は、海洋法条約の締約国でありながら、海洋法条約の条文に抵触する国内法を制定し、自国の海洋権益の確保のために他の締約国とは異なる海洋法条約の解釈を採用する。本来、締約国であれば、国内法を条約、すなわち海洋法条約に適合的に解釈する必要があるが、それを行わない。逆に海洋法条約に違反する自らの国内法規定を根拠に、周辺国に圧力をかけ続けている。
 しかし、海洋法条約のような多数国間条約は交渉国の合意、換言すれば各国の共同の意思によって定立されるのであって、その合意である条約を中国という国の個別の国家意思、すなわち国内法で一方的に変更することはできない。中国が締約国である条約法に関するウィーン条約は、「効力を有するすべての条約は、当事国を拘束し、当事国は、これらの条約を誠実に履行しなければならない」(第26条)と規定し、「当事国は、条約の不履行を正当化する根拠として自国の国内法を援用することができない」(第27条)ことを確認している。
 このことは、国際司法裁判所(ICJ)によって、1947年6月26日の国連本部協定第21項の仲裁義務の適用可能性事件(1988年)で、「条約の締約国間の関係において、国内法の規定が条約規定に優先しえないことは、一般に承認された国際法の原則である」として確認されている[5]
 21世紀の今日、海洋法条約の条文の自己中心的解釈をよって国際法秩序から逸脱することもいとわない中国の姿勢は、これらの基本的な国際法の諸規則に違反しており、南シナ海及び東シナ海において周辺国との間でさまざまな紛争を生んでいる。

Ⅰ 国内立法による海洋法条約の歪曲

1 中国領海法における外国軍艦の無害通航権の否定

中国の国内法において、海洋権益という言葉が初めて登場するのは、「領海及び隣接区域法」である。同法第1条は、「中国人民共和国の領海に対する主権及び接続水域に対する管轄権を行使し、かつ、国の安全及び海洋権益を守るため、この法律を制定する[6]」と規定している。この国内法の目的が、国の安全と海洋権益の確保であることは明らかである。同法は17カ条で構成されており、二つの例外を除けば、おおむね海洋法条約第2部「領海及び接続水域」の内容を踏襲している。
 第一の例外とは、海洋法条約が、軍艦を含むすべての船舶の外国領海における無害通航権を認めているにもかかわらず、中国は同法第6条2項で、「外国の軍艦は、中華人民共和国の領海に入る場合には、中華人民共和国政府の許可を経なければならない」と規定し、外国軍艦の中国領海の通航につき事前許可制度を採用していることである[7]。第3次国連海洋法会議の議長を務めたコー(Mr.Tommy Koh)氏は、

 「私は、この点に関して海洋法条約はかなり明確であると考える。軍艦が、他の船舶と同様に領海内で無害通航権を持つこと、沿岸国の事前の許可または事前の通告でさえ必要ない[8]

 と明言している。つまり、この中国の領海法は海洋法条約の条文に違反している。韓国海軍大学の金(Hyun-Soo Kim)教授は、この中国の領海法第6条を批判し、海洋法条約に従って領海法を改正すべきだと主張した[9]
 実際、海洋法条約は、「第3節 領海における無害通航」のA「すべての船舶に適用される規則」とタイトルをつけ、第17条で「すべての国の船舶は、……領海において無害通航権を有する」と規定する。海洋法条約は、無害通航権について、第19条2項(a)から(l)の行為を「沿岸国の平和、秩序又は安全を害する」とする行為態様別規制を採用し、いわゆる船種別規制をとらず、軍艦を含む全ての船舶の無害通航権を認めている。
 このことは、国際海洋法裁判所(ITLOS)によって、ウクライナ艦船の抑留事件暫定措置命令(2019年)において、「海洋法条約の下では、無害通航又は通過通航といった通航制度は、全ての船舶に適用される[10]」(68項)との表現で確認されている。
 周知のように、中国は、1996年6月7日の海洋法条約の批准時に、次のような解釈宣言を行った。

 「中華人民共和国は、領海における無害通航権に関する海洋法条約の諸規定は、沿岸国がその国内法令に従って、沿岸国の領海における軍艦の通航に関して沿岸国からの事前の許可又は沿岸国への事前の通告を外国に要請する沿岸国の権利を害するものでないことを再確認する[11]

 中国同様に、外国軍艦の領海の通航に際して安全保障上の利益のための措置を取り得るとしたルーマニアの解釈宣言については、ドイツは、1983年3月9日の声明において、「この条約のいずれの規定も、いずれかの特殊なカテゴリーの外国船舶の無害通航を事前の同意又は通告に依存させる権限を沿岸国に与えているとみなすことはできない」と反対を表明した[12]
 国際法上、留保と解釈宣言は区別されている。外国軍艦の領海通航にあたって事前許可を求める自国の特定の解釈を条件とした条約参加という法的効果をもつ中国による解釈宣言は、国際法委員会が2011年に採択した「留保に関する実行ガイド」によれば、「条件付き解釈宣言」に当たる[13]。こうした「条件付き解釈宣言」は、その解釈が条約の文言または他の締約国の了解と異なる場合は留保であり、海洋法条約では禁止されている(第309条)。実際、海洋法条約の120の締約国は、軍艦の領海通航について事前通告又は事前許可といった制限を課していない[14]
 しかし、中国の国際法研究者は、自国の領海法を擁護すべく次のような主張を繰り返す。たとえば、北京大学のShao Jin教授は、海洋法条約第2部第3節のタイトルは、第1次国連海洋法会議の条文草案から変更されていないがために「誤称」であるとし、「タイトルは独立した法的存在ではなくそれ自体何らの法的効力も持たない」と批判する[15]。中国社会科学院のZhao Jianwen教授は、海洋法条約並びに国際慣習法はたしかに領海内における軍艦の無害通航権を認めているが、それと同時に、海洋法条約は沿岸国に事前通告又は事前許可を要求することを許しているとする。安全保障上の利益を守るために、海洋法条約は沿岸国が事前許可の要件について法又は規則を採択することを禁じていないと主張する[16]。中国海洋大学の金永明(Jin
Yonming)教授は、軍艦の許可されていない通航は、「政治的及び法的挑発」であり、海洋法条約第19条1項に範疇の活動に該当すると主張する[17]
 現在、米海軍による南シナ海における航行の自由作戦の実施により米中は厳しく対立している[18]。そうした中で、軍艦の領海内の通航に関して事前許可を求める中国の領海法は当分の間維持されると思われる。注目されるのは、領海法の改正を支持する中国の若手研究者が出て来ていることである[19]

2 接続水域への安全保障の管轄権の延長

第二の例外とは、同法第13条の「中華人民共和国は、隣接区域内において、その陸地領土、内水又は領海内で安全、税関、財政、衛生又は出入国管理に関する法律又は法規に違反する行為を防止し、処罰するための管轄権を行使する権限を有する」との規定である。海洋法条約第33条が定める「通関上、財政上、出入国管理上又は衛生上の法令の違反」に加えて、冒頭に「安全」を加えている。このように中国は、安全保障に対する管轄権を接続水域に延ばしている。この中国の「領海及び接続水域法」の規定は、明らかに海洋法条約に違反している[20]
 その結果、周辺国である日本との間で接続水域に関して非対称が生じている。中国の海警の船舶は日本が実効支配する尖閣諸島周辺の接続水域にほぼ毎日入域するが、日本の海上保安庁の巡視船は領海侵入を警戒して周辺海域で警備するものの、日本の接続水域への中国海警船舶の入域を、安全保障を理由に拒んではいない。しかし、逆は成立しない。日本のみならず、他の国の軍艦や公船は中国の領海や接続水域において航行の自由を享受することができない状況にあるからである。

Ⅱ 中国海警法による海洋法条約の歪曲

1 「中国の管轄海域」という曖昧な概念

中国による管轄権の拡大が、他の諸国にとって具体的な脅威として現れるのは、2021年の海警法の制定である[21]。国際法上、沿岸国が執行管轄権を行使できる海域とその条件は海洋法条約で明確に定められており、それと異なる海域や条件を定めた国内法による執行管轄権の行使は国際法上違法であり、他の国の主権や管轄権を侵害することになる。
 中国海警法は、海警が活動する海域として、「海警機関は、中華人民共和国の管轄海域(以下、「我が国管轄海域」という。)及びその上空において海上権益擁護の法執行業務を展開し、本法を適用する[22]」(第3条)と規定する。海洋法条約上、国家が管轄する海域は、内水、領海、接続水域、EEZ及び大陸棚(延長大陸棚を含む)の海域である。しかし、中国はその国内法において「中国人民共和国の管轄海域」という曖昧な概念を創設し、海洋法条約上、本来、管轄権を行使できない海域(例えば、南シナ海の九段線内の海域)で海警が海上権益擁護の法執行業務を展開することを明記している。注意すべきは、同法が「その上空において海上権益擁護の法執行業務を展開」としている点である。領海の上空はたしかに領空であり、領空侵犯に領域国が管轄権を行使することは国際法上許容されるが、EEZの上空は公海と同様に上空飛行の自由が認められており、これに管轄権を行使するのは国際法違反であると同時に海洋法条約に違反する。
 なお、中国の国内法において「中国の管轄海域」の概念が登場するのは、海警法が最初ではない。最初に登場するのは、中国「漁業法」(1986年・2000年改正)第2条の「中華人民共和国が管轄する他の全ての海域[23]」との規定である[24]。また、中国の「海洋環境保護法」(1999年)第2条は、「本法は、中華人民共和国の内水、領海、接続水域、排他的経済水域、大陸棚及び中華人民共和国の管轄権内にある他の海域に適用される[25]」と規定した。そこで用いられている「中華人民共和国の管轄権内にある他の海域」とは、中国が南シナ海における歴史的権利として主張する九段線を指すものと考えられる[26]
 「歴史的権利」という考え方は、中国の国内法である「排他的経済水域及び大陸棚法」(1998年)にも現れる。同法第14条は、「この法律の諸規定は、中華人民共和国の歴史的権利に影響を与えるものではない[27]」と規定し、EEZや大陸棚以外にも中国が管轄権を行使する海域として「中華人民共和国が過去から享受してきた権利」、いわゆる「中華人民共和国の歴史的権利」に言及している。
 さらに、中国全国人民代表大会常務委員会は、2021年4月29日に「改正海上交通安全法」を可決し、2021年9月1日に施行した。同法も、その適用範囲について、「中華人民共和国の管轄海域における航行、停泊、作業その他海上交通安全に係る活動に、本法を適用する[28]」(第2条)と規定する。つまり、海警法と同様に、「中華人民共和国の管轄海域」という曖昧な文言を用いることによって、中国が自らの領海と称する尖閣諸島周辺海域も南シナ海の九段線内の海域も適用範囲となる。
 同法施行後の2021年9月8日、米国第7艦隊に所属する米海軍のミサイル駆逐艦「ベンフォールド」は、元々はフィリピンが領有していたが現在は中国が実効支配するスプラトリー(南沙)諸島のミスチーフ礁(中国名:美济礁)の「領海」12カイリ内で航行の自由作戦を行った[29]。この作戦は、中国による二重の国際義務違反に対して、これを認めないとする米国の強い決意を表している。外国軍艦の領海内通航に対する事前許可を求める中国国内法の否定及びフィリピンのEEZ内にある人工島の周囲に「領海」を設定する中国の行為の否定である。南シナ海仲裁判決は明確に、

「(4)ミスチーフ礁及びセカンドトーマス礁は、低潮高地として、領海、EEZ又は大陸棚に対する権原を生み出さないし、占有できる地形ではないと宣言する[30]

と判示した。人工島によって、領海はもちろん、200カイリのEEZや大陸棚に対する権原を生み出すことはできないというのである[31]
 米国による航行の自由作戦に対して、中国人民解放軍南部戦区の田軍里報道官は、「米国の行動は中国の主権と安全保障に対する深刻な干渉だ」と述べ、「米国はリスクメーカーであり、南シナ海における平和と安定の最大の破壊者だ」と主張した[32]
 問題は、こうした国際法違反の国内法を制定している国が世界最大の海上警察機関を有する国であるということである。中国は、南シナ海における九段線の主張に基づきフィリピンのEEZの主張を認めず、フィリピン漁船の操業を妨害している。中国は立法管轄権を行使して、1992年の「領海及び隣接区域法」に基づき、日本の領土である尖閣諸島周辺に領海を設定しているが、日本に対し中国の領海あるいは「中華人民共和国の管轄海域」と主張し、執行管轄権を行使することが中国国内法上担保されたことになる。

2 外国軍艦や外国公船への強制措置

海警法は、外国軍艦や非商業的目的のために運航する政府船舶(日本に関して言えば、海上保安庁の巡視船など)が中国の管轄海域で中国の国内法に違反する事例が生じた場合に、「外国軍用船舶及び非商業目的に使用される外国船舶の我が国管轄海域における我が国の法律又は法規に違反する行為に対して、海警機関は、必要な警戒及び管制措置を講じて制止し、関連する海域から直ちに退去することを命じる権利を有する。退去を拒否するとともに重大な危害又は脅威を発生せしめたものに対して、海警機関は、退去強制、強制引き離し等の措置を講じる権利を有する[33]」(第21条)と規定している。
 しかし、海洋法条約は、「この条約のいかなる規定も、軍艦及び非商業的目的のために運航するその他の政府船舶に与えられる免除に影響を及ぼすものではない」(第32条)と規定し、政府公船に対する沿岸国の執行管轄権からの免除を認めている。仮に海警がそうした軍艦や政府公船に「強制曳航」などの措置を取れば、海洋法条約の違反となろう。まして、軍艦に対しては、海洋法条約上、沿岸国に認められているのは退去要求に限られており(第30条)、「関連する法律の規定を適用する」との条文がそれ以上の措置を含意するのであれば、海洋法条約に違反することになる[34]。当該条文は、南シナ海で航行の自由作戦を行う米国へ対抗しようという中国の意図が条文化されたのであろう。
 改正海上交通安全法第120条は、「外国籍の公務船舶が中華人民共和国の領海で航行し、停泊し又は作業をする際に、中華人民共和国の法律又は行政法規に違反するときは、関係する法律や行政法規の規定に基づいて処理する。中華人民共和国の管轄海域内における外国籍の軍用船舶の管理については、関連する法律の規定を適用する」と規定する。東シナ海でいえば、尖閣諸島の領海で海洋調査を行う日本の政府公船がこれ該当するおそれがある。さらに関係する法律等に基づき処理するというが、前述したように、海洋法条約は、軍艦及び非商業的目的のために運航するその他の政府船舶に免除を認めており、仮にそうした措置をとれば、海洋法条約に違反することになる。

3 武器の使用基準の曖昧さ

海警法第22条は、「国家の主権、主権的権利及び管轄権が、海上において外国組織及び個人の違法な侵害を受ける又は違法な侵害を受ける緊迫した危険に直面する場合、海警機関は、本法及びその他の法律又は法規に基づき、武器の使用を含む全ての必要な措置を講じ、現場において侵害行為を制止し、危険を排除する権利を有する」と規定する。この条文でいう「外国組織」が「外国の国家組織」を意味するのか、「外国のテロ組織」を意味するのかは判然としないが、国家主権が侵害を受ける場合を想定していることを考えれば、「外国の国家組織」を含むと解するのが自然であろう。また、第46条で、「以下に掲げるいずれかの状況が発生した場合、海警機関職員は制圧用具又は現場のその他の装備・道具を使用することができる」と規定する。その条文中に「(2)法に基づき船舶を退去強制、強制引き離しを行う場合、(3)海警機関職員が法に基づき任務を遂行する過程において、障害・妨害に遭遇した場合」が含まれている。さらに、第49条で「海警機関職員は、法に基づき武器を使用し、警告が間に合わない又は警告を行った後にさらに重大な危害が生じる可能性がある場合、直接武器を使用することができる」と規定する。
 これまで、海警の武器の使用は、「人民警察法」第10条及び第11条、「人民警察警備器材及び武器使用条例」第2条、第4条、第9条から第11条及び「公安機関海上法執行活動規定」第9条に従って行われてきた[35]。そこでは、「海警船の法執行要員は必要な場合にのみ発砲射撃を行うことができる。発砲射撃を行う場合、一般にまず口頭警告又は発砲警告を発しなければならない。むやみに発砲してはならず、またむやみに調査対象の船舶を銃撃してはならない。武器の使用は、相手方を制圧することを限度とすべきである[36]」とされていた。
 これと比較すると、海警法第22条は武器使用の対象範囲を外国組織にまで広げ、さらに同法第46条及び第49条はより積極的な武器の使用を容認する規定のように読める。尖閣諸島周辺海域を主権が及ぶ自国の領海と称し、日本漁船を追尾する中国公船が、第19条では「個人の違法な侵害」にも、「緊迫した危険に直面する場合」という要件があるものの、武器の使用に至る可能性も排除されていない。また、第46条3号の「海警機関職員が法に基づき任務を遂行する過程において、障害・妨害に遭遇した場合」の規定は、尖閣周辺海域で日本の海上保安庁の巡視船が中国海警船による日本漁船の追尾を中断させる行為を行った際には、中国海警法上は「妨害行為」として中国海警船による武器の使用の可能性も排除されないことになる。日本としては、中国のこうした新たな動きへの対応を準備する必要がある。
 ただ、個人に対する場合、いわゆる漁船など民間船舶に対しては、国際海洋法裁判所(ITLOS)は、そのサイガ号事件(No.2)判決で、①武器の使用は可能な限り回避し、②必要な限度を超えず、かつ合理的なものであること、③人命を危険にさらさない必要があるとの3要件を示しており[37]、これと異なる対応を中国海警船が日本漁船に行えば国際法違反となる。
 こうした海警法の規定が生まれた背景には、2020年11月16日と17日に北京で開催された「法治」に関する党の重要会議で、習近平国家主席が主権や安全に関わる利益を守るため、「立法、法執行、司法などの手段を総合的に使って闘争を繰り広げなければならない」と述べ、「対外問題に関わる法治の戦略的配備を加速すること[38]」を指示したことがあるとされる。2021年3月8日、栗戦書全国人民代表大会常務委員長は、その活動報告の中で、海警法を制定した目的として、「習近平強軍思想を貫徹し、新時代の国防と軍隊建設の必要に応えるため」と明記し、事実上の「第2海軍」であることを明らかにした。今後、中国は、自国の主張に沿った法律を整備し、米国や日本などに対抗しようという戦略を加速するものと思われる。
 海警法でさらに見逃せないのが第83条の条文で、「海警機関は、『中華人民共和国国防法』、『中華人民共和国人民武装警察法』等の関係法律、軍事法規及び中央軍事委員会の命令に基づき、防衛作戦等の任務を遂行する」と規定している。つまり、海警は、自国の管轄海域で防衛作戦を行う海軍の機能(軍事的活動)と海上法執行機関の機能(法執行活動)という二重の機能をもつ組織と明記されている。同法により、海警は対外防衛の任務をもつ組織に変化した。
 国際海洋法裁判所(ITLOS)は、海洋法条約第298条1項(b)における軍事的活動の解釈が争点となったウクライナ艦船の抑留事件(暫定措置命令)において、軍事的活動と法執行活動の区別基準として、(1)活動に従事している船舶が艦船であるか、法執行船舶であるかは、軍事的活動と法執行活動の区別に関連する要素であるが、唯一の判断基準ではない(64項)とした。確かに海軍が法執行活動を行っている国もあり、船舶の種類が決定的な要素ではない[39]。また、(2)軍事的活動と法執行活動の区別は、紛争当事国による性質決定のみに異存するわけではない(65項)。その区別は、各事件の関連事情を考慮に入れて、問題となる行為の性質の客観的評価に基づいて行われるべきであるとした(66項)[40]。このようにITLOSは、客観的事実を重視し、当事国の意図を副次的な要素とした。さらに、(3)ロシアによるウクライナ艦船とその乗組員の拿捕・抑留を生じさせた一連の出来事を検討し、拿捕・抑留が軍事活動と法執行活動のいずれの文脈で発生したかを明らかにする必要がある(67項)、という見解を示した[41]。今後、尖閣諸島周辺海域における中国海警船舶と日本の海上保安庁の巡視船との間で物理的衝突が生じた場合、どの文脈で生じているかが重要なメルクマールとなるであろう。
 なお、こうした海警局と中国海軍との連携はすでに始まっており、2020年7月にパラセル諸島のウッディー島(中国名:永興島)において海警局と中国海軍による合同演習が行われた。この演習では、中国海軍の071型揚陸艦などが参加し、海軍の支援を受けた海警局の部隊が島嶼に上陸し、抵抗する市民を制圧する訓練が行われた[42]。海警の職責に「重点島嶼の警戒」が含まれていることを考えると、尖閣上陸を睨んだ訓練の可能性も否定できない。
 このように中国は、その国内法によって海洋法条約上の義務を自らの海洋権益の確保のために歪めて国内法化している。

Ⅲ 自己中心的解釈による海洋法条約の歪曲

中国の解釈による海洋法条約の歪曲は、2016年の南シナ海仲裁判決後の同判決に対する中国政府の解釈に典型的に表れている。周辺国はこれに対して海洋法条約の条文を根拠に抵抗している。海洋法条約の条文は国際的な司法機関、例えば国際海洋法裁判所(ITLOS)、国際司法裁判所(ICJ)、及び附属書Ⅶによって組織される仲裁裁判所によって解釈され、発展させられている[43]。しかし、中国はそうした判決に従わず、海洋法条約に抵触する自国の関連国内法を適用し続けている。しかし、そうした姿勢は、条約の誠実な遵守が求められる締約国の義務に違反するだけでなく、海洋法条約を遵守する周辺国と対立を生んでいる。
 南シナ海仲裁裁判において、海洋法条約附属書Ⅶに基づき設置された仲裁裁判所は、2016年7月12日、「中国の『九段線』内の生物資源及び非生物資源に対する歴史的権利の主張は、海洋法条約が規定する中国の海域の限界を超える限度において海洋法条約と両立しないと結論する[44]」と判決し、中国による九段線の主張を否定した。それにもかかわらず、中国は、同判決を違法かつ無効とし、この判決の履行を拒んでいる。しかし、海洋法条約は、「この節の規定に基づいて管轄権を有する裁判所が行う裁判は、最終的なものとし、すべての紛争当事者は、これに従う」(第296条1項)と規定し、判決の既判力(res judicata)を認めている。判決の履行を拒む中国の態度は、海洋法条約に違反している[45]

1 歴史的権利の主張

中国の学界において九段線の法的地位について、その理解は統一されていない[46]。邹克渊(Zou Keyuan)教授は、中国の主張は伝統的な意味における歴史的水域の主張ではなく、「緩和された主権を内容とする歴史的権利(historic rights with tempered sovereignty)」であるとし、完全な主権ではないが、天然資源(生物資源及び非生物資源)の開発に対する主権的権利及び海洋の科学的調査、人工島の設置及び海洋環境に対する管轄権を含むと主張する[47]。しかし、問題は、はたしてこうした性質の海域主張が現行の国際法上認められるかである。
 中国は、一貫して九段線に関して公式に説明しない立場を採用している[48]。こうした立場は意図的なものであるともいわれている[49]。その結果、インドネシアが指摘するように、九段線の「法的根拠、画定方法及びその地位[50]」について明確な説明がない状況が続いている。
 2009年、中国政府は国連事務総長に口上書を送り、「中国は、南シナ海及びその隣接水域における諸島に対する争いえない主権を有し、関連水域並びにその海底及びその下に対する主権的権利及び管轄権を享受する。この立場は、中国政府により一貫して堅持され、国際社会によって広く知られている[51]」と主張した[52]。添付書類として南シナ海のほぼ全域を九つの破線で囲った「九段線」の地図が提出された。フローリアン・デュピィー(Florian Dupuy)及びピエールマリー・デュピィー(Pierre-Marie Dupuy)が正しく指摘するように、「地図と歴史的権利との関係については不明確であり、地図は国際法上権原(title)を構成しない。地図が南シナ海における中国の境界画定に法的関連性を有するかどうかは不明である。なぜなら、中国は九段線の意味について何ら説明を与えていないからである[53]」。いずれにしても、緯度経度の座標すら示していないこうした地図が、海洋の境界画定の効果をもつとはおよそ考えられない[54]
 いうまでもなく、歴史的権利の主張の妥当性は国際的に評価さなければならず、そのためには外国が実際に認識できるように周知されなければならない。なぜなら、他国は抗議を行える立場にいなければならないからである[55]。九段線のルーツは、1947年12月1日に中華民国内政省地域局が作成し、国民政府が公布した「南海諸島新旧名称対照表」と「南海諸島位置図」に遡る。そこには、11段のU字線が描かれ、南沙諸島や西沙諸島らが取り込まれていた。1949年、中華人民共和国も公式地図としてこれを発行した。1953年にトンキン湾のバイ・ロン・ウェイ島の領有権を中国からベトナムに移転した際、中国の地図では一一段線が九段線に書き換えられた。それ以降、九段線として知られるようになった[56]
 中国政府は、九段線は海洋法条約の適用が及ばない中国の歴史的権利と理解している。中国は、海洋法条約第10条6項や第15条を除いて、海洋法条約は歴史的権利に関する規定を有しておらず、九段線は海洋法条約の適用によって解決できないという議論を展開する。中国の高之国(Zhiguo Gao)ITLOS判事と清華大学の贾兵兵(Bing Bing Jia)教授によれば、明時代の鄭和の大航海(1405年~1433年)に通商路としてもよく知られ、漁業も行われていたというのである[57]
 こうした中国の南シナ海における歴史的権利の主張は、2019年12月12日付けのマレーシアの大陸棚延長に対する大陸棚限界委員会の申請に関連する各国の態度表明によって再燃した。中国は、同国国連代表部の国連事務総長宛ての2019年12月12日付けの口上書で、「中国は南シナ海における歴史的権利を有している。上記の中国の立場は、関連する国際法及び実行に合致している。それらは明確で一貫しており、マレーシア政府を含む国際社会に知られている[58]」と述べた。
 これに対して、2020年5月26日付けのインドネシア国連代表部の国連事務総長宛ての口上書は、「歴史的権利の主張を含意する九段線の地図は明らかに国際法上の法的根拠を欠き、1982年の海洋法条約を無効にするのに等しい[59]」と述べ、中国に反論した。また、米国国連代表部も、国連事務総長宛の2020年6月1日付けの書簡で、「特に、米国は南シナ海における『歴史的権利』の中国の主張が、中国が海洋法条約に反映されている国際法に合致して主張できるということに……反対する。米国は、この点に関して仲裁裁判所が全員一致で判決を下したことに留意する[60]」と述べ、同じく反論した。
 各国のこうした反発に対して、中国は、2020年6月2日付けの口上書で、再び、「中国は南シナ海において歴史的権利を有している。南沙諸島に対する中国の主権及び南シナ海における海洋権益は長い歴史的慣行の過程において確立され、国連憲章及び海洋法条約を含む国際法に合致している」(1項)と述べるとともに、「仲裁裁判所は、権限を踰越して管轄権を行使し、そして事実の確認及び法の適用において明らかに誤りを犯している。仲裁裁判所の行動とその判決は、…主権国家及び海洋法条約の締約国としての中国の正当な権利を重大に侵害しており、それゆえ不当かつ不法である。中国政府は、仲裁判決を受け入れないし、また承認もしないことを厳粛に宣言する。この立場は国際法に合致する[61]」(3項)とまで述べた。
 しかし、間違っているのは南シナ海仲裁判決ではなくて、中国であることは明らかである。この中国の反論に対して、ニュージーランドは、2021年の口上書において、「2016年の南シナ海仲裁判決で確認されたように、南シナ海の海域に関する『歴史的権利』を主張する国には法的根拠はない[62]」と反論した。

2 中国による群島基線の主張

大陸国家である中国は、1996年、南シナ海の西沙諸島に、2012年、東シナ海の尖閣諸島に直線基線を引いた。近い将来南シナ海の他の諸島に直線基線を採用する可能性は完全には排除できない[63]。実際、Lie教授とJie教授は、海洋法条約の第5部は、群島制度が大陸国家の遠洋群島(offshore archipelagos or mid-ocean archipelagos)に適用可能かどうか明確に定めていないと主張する[64]。言うまでもなく、遠洋群島とは、海洋法条約第7条(直線基線)又は第47条(群島基線)のいずれかに規定されている地理的条件を満たしていない群島である。チャーチル(R. R. Churchill)教授及びロウ(A. V. Lowe)教授が明確に指摘するように、群島国家のみが群島の周囲に群島基線を引くことができる。群島国家には、遠洋群島を所有する本土国家は含まれない。つまり、デンマーク(フェロー諸島)、エクアドル(ガラパゴス諸島)、ノルウェー(スバールバル諸島)、ポルトガル(アゾレス群島)及びスペイン(カナリア諸島)が群島基線を引くことも、その周囲に直線基線を引くこともできない[65]
 遠洋群島の周囲の直線基線を支持する中国の論者が言うように、仮に海洋法条約の制度において「不確かさ」や「曖昧さ」、又は「欠落」が存在するとしても、沿岸国が第7条又は第47条のいずれかの条件を満たしていない群島であっても、直線基線を引けるということを意味するものではない[66]
 中国は、南沙諸島に対する遠洋群島の主張を強めている。早くも2015年10月15日、自然資源部海洋発展戦略研究所(元中国国家海洋局海洋発展戦略研究所)の張頴(Zhang Ying)氏は、「中国海洋報」に掲載した「南沙群島の法的地位の分析」と題する論文において、2014年の中国外交部の「立場声明」の議論をさらに深化させ、フィリピンは個々の礁の権原問題を裁判で取り上げているが、南沙諸島は群島であり統一体として取り扱うべきだとの主張を展開している。同氏によれば、中国の遠洋群島である南沙諸島は、宋の時代から、一つの地理的、経済的及び政治的単位とみなされており、南沙諸島は分割できない統一体として取り扱われるべきであり、海洋法条約にいう「群島」(46条(b)項)の定義に合致し、直線基線を引けると主張する[67]。しかし、南シナ海仲裁判決は、「裁判所は遠洋群島に関して直線基線を用いることによって群島基線の効果に近づけようとするいくつかの国家の実行があることを承知している。裁判所の見解ではこうした方法での南沙諸島の直線基線の適用は海洋法条約に違反する[68]」と判決している[69]。ローチ(J. Ashley roach)教授も、「遠洋群島を囲むための直線基線の使用は、海洋法条約第46条に基づく群島国家としての要件を満たさないし、海洋法条約又は国際慣習法によって正当化されない」と明確に指摘している[70]
 こうした中国の主張に対して、日本は、海洋法条約の締約国として、「『南シナ海における関連する島や礁に関する中国による領海基線の設定は、海洋法条約及び一般国際法に合致する』との中国の見解を拒否する。海洋法条約は、特別のかつ網羅的な方法で基線の適用のための条件を定めている。他方、中国は当該基線の合法性を主張するにあたって、海洋法条約の関連規定を援用していない[71]」と述べて、これに反対した。ニュージーランドもまた、先の2021年の口上書において、「大陸国が群島国の地位を請求する法的根拠もない。海洋法条約は、群島国は全体が一又は二以上の群島から成らなければならないと規定する。それゆえ、南シナ海に直線の群島基線を引く法的根拠も、南シナ海の諸島の周辺に直線基線を引く法的根拠もない[72]」と述べ、中国の遠洋群島に直線基線を引く実行に反論した。
 これに対して、中国は、2021年8月16日付けの国連事務総長に宛てた口上書において、従来の立場を繰り返した。

「III. 国際法に従えば、全ての国は公海及び他国のEEZにおいて航行の自由及び上空飛行の自由を享受し、かつ他国の領海において無害通航権を行使することができる。しかし、海洋法条約はEEZにおけるその権利の行使にあたっては、『沿岸国の権利及び義務に妥当な考慮を払う』ことを明確に規定している。そして、無害通航権の行使にあたっては、通航は『沿岸国の平和、秩序又は安全を害しない』ことを規定している。沿岸国の領海に入る外国軍艦は、沿岸国の関連法令を尊重しなければならない。それは、海洋法条約を含む国際法に合致している。中国は、『航行の自由』又は『無害通航権』を口実に、沿岸国の主権を侵害する国又は沿岸国の安全を損なう国に断固として反対する。
 IV. 海洋法条約は、長期間の慣行によって確立された沿岸国の歴史的権利を排除していない。関連する国際判例は歴史的権利を承認している。南シナ海仲裁判決による歴史的権利の完全な否認は、海洋法条約を含む国際法を深刻に歪めている。この判決は、完全に間違っている[73]

 中国はこのように仲裁判決に従わないと公言しているが、それは国連の常任理事国が「法の支配」を否定することを意味する。南シナ海に「法の支配」を確立するために、中国には責任ある大国として判決を尊重する姿勢が求められると同時に、国際社会は中国による「力による現状変更」を許してはならない。
 南シナ海仲裁判決直前の2016年6月25日、中国は、ロシアとの間に、「国際法の促進に関するロシア連邦と中国人民共和国の宣言」を発出した。その中で、「ロシア連邦と中華人民共和国は、紛争の平和的解決の原則を再確認」したにもかかわらず、こうした態度を取り続けている。その理由は、これに続く「国はみずからが合意する紛争解決手段と紛争解決メカニズムを通じてみずからの紛争を解決しなければならないという確固たる確信を表明する[74]」(5項)の箇所にある。紛争当事国の合意によらない、2013年のフィリピンの一方的提訴は、両国により、紛争の平和的解決の原則から排除されているのである。
 しかし、紛争の平和的解決の原則が常に紛争当事者の合意による解決しか認めないのであれば、海洋法条約第15部の義務的解決の手続はおよそ生まれ得ない。国際社会は、中国による拘束力ある判決を無視するという国際義務の違反を容認せず、南シナ海を海洋法条約が適用される平和な海にする努力が求められる。
 2002年11月、中国は、ASEAN諸国との間で、「南シナ海における関係国の行動に関する宣言(DOC)[75]」について合意した。DOCは法的拘束力のない政治的誓約にすぎないが、問題は、この合意後も、中国がこのDOCを無視する形で南シナ海の礁などの領有の既成事実化を進めたことである。南シナ海仲裁判決後、政治的宣言に過ぎないDOCに代わって、法的拘束力のある行動規範(Code of Conduct: COC)の早期策定のための交渉が、中国とASEAN諸国との間で進められている。この交渉で、中国はCOCに関して3つの要求を行っているとされる。すなわち、COCは海洋法条約によってカバーされるべきでないこと、域外の国との合同軍事演習はCOC協定のすべての国の事前の同意を得なければならないこと、そして資源開発は域外の国と行うべきでないこと、であるとされる[76]。しかし、仮にASEAN諸国がこれらの要求を受け入れるとしたら、そうしたCOCは、中国の立場を向上させかつ正当化することとなり、地域の平和と安定を阻害することになろう[77]。もちろん、それは中国の九段線に関する仲裁判決を実質的に無効にすることになろう[78]
 他方で、中国は自らの国内法を根拠に、強引に九段線内の海域は「中国人民共和国の管轄海域」であると主張し続けている。2021年に制定された中国海警法第3条で、「中国人民共和国の管轄海域」との表現を採用し、海洋法条約上、本来、管轄権を行使できない海域(南シナ海の九段線内の海域)で海警が海上権益擁護の法執行業務を展開することを明記している。世界最大の海上警察機関を有する中国は、当該水域におけるフィリピンのEEZの主張を認めず、フィリピン漁船の操業を阻止している。このように境界未画定海域で一方的な法執行活動をとることは、信義誠実に紛争を解決しようという意思を疑わせるという意味において海洋法条約第74条3項や第83条3項及び第300条に違反するように思われる[79]
 中国は、このように海洋法条約に違反する国内法を制定し、自らの海洋権益の確保のために海洋法条約の条文について独自の解釈を行っている。そうした中国の行為は国際的な海洋法秩序を侵害し、同秩序の安定性に対する危険な要素となっている。

おわりに

今後とも世界は中国の強引な海洋進出に対して警戒を解いてはいけない、なぜなら、「中当局が、中国軍の活動について事実と異なる説明を行う事例や事実を認めない事例[80]」が確認されるからである。
 1984年の香港返還に伴う1984年の英中共同声明で2034年まで保障されるはずであった香港の一国二制度は、中国の国内法である香港国家安全維持法により、葬り去られた。香港の人々の基本的人権と自由は「50年間、普遍である」(3項(12))という条約上の義務は、中国によって破られた。英中共同声明という名称だが、この声明は両国が批准書を交換した二国間条約である。中国は、「条約は守られなければならない(pacta sunt servanda)」という条約遵守の義務を無視している。
 どうやら中国は、条約とは相手国を縛るものであって、条約が中国の統治体制や核心的利益を脅かす場合には、自国を縛るものではないと考えているふしがある。要するに中国は、ケース・バイ・ケースで条約を守ったり、守らなかったりする国ということになる。先に指摘したように、中華人民共和国憲法には、条約の遵守を規定した条文は存在しない。
 海洋強国中国の南シナ海や東シナ海における最近の行動は、その軍事力や世界最大の海上警察機関の存在を背景に、「力による現状変更」を求めている。1978年に日中間で締結された日中平和友好条約第2条には、「両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれかの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する[81]」との覇権条項がある。当時は、旧ソ連を念頭に置いていたかもしれないが、日本を含めアジアの諸国は、いまこの条項は中国に向けられるべきだと考えている。
 中国は21世紀の大国として、これからも多数の多数国間条約や二国間条約を締結するであろう。中国がひとたびある条約規定が対象とする問題を「核心的利益」と性格づければ、その条約遵守の拘束から免れることができるという規則は、国際法には存在しない。海洋法条約は、海洋の国際秩序を守るために、国際社会のすべての国による遵守が期待される条約である。中国が偉大な国をめざすのであれば、条約を遵守する国でなければならない。
 他方で、中国に国際社会における「法の支配(Rule of Law)」の観念を理解させることは案外難問である。なぜなら、中国の学者によれば、「国際法の規則及び運用は、大部分、純粋に法的な問題というよりむしろ政治的なゲームである。この場合、国際法と国際政治の密接な関係を無視する、あるいは国際法の政治的な文脈を無視すれば、容易に誤った判断に導くことになる[82]」と考えているからである。
 中国指導部は国内において「法治主義」はいうが、「法の支配」とは決して言わない。「法の支配」はたしかに多義的な概念であるが、その本質は国家権力を法で拘束するという考え方であり、縛られるのは権力者である。それにより統治される人の権利や自由を保障することを目的とする。しかし、中国が言う「法治主義」は、法律による国家の統治をめざすもので、法律によって縛るのは人民であり、政府や国家権力ではない。形式的法治主義の場合、法律の形態を備えてさえいれば、たとえ悪法であろうとも法なのである。国際法遵守を憲法上の要請として持たない中国では、国際法に違反する国内法であろうと法として施行されることになる。国際社会は、中国が海洋法条約を守らない場合は、海洋法条約を守るように要求し続けなければならない。
 習近平は、2017年2月17日の北京における国家安全保障に関する会議で、国際秩序は新時代の要求に対処するために明らかに改革の必要があるとし、中国は指導力を発揮する資格を十分に有していると宣言した[83]。2021年5月22日・23日の両日に中国国際法学会と海南大学の共催で開催された「習近平法治思想と国際法」では、習近平法治思想を指導として国際法を研究し運用するとの観点から国際法の適用が論じられた[84]。中国の研究者の論文に依れば、習近平は、「国際法の基本原則と規則は、現代国際社会の基本的秩序の構築と維持の礎石である」としながらも、「国際法の完成を促進することは、不公平で不合理なグローバル・ガバナンス体制を変革し、より公正で合理的な国際秩序と国際システムの構築を促進する重要な手段である」とし、「すべての国は国際法の歪みに反対し、『法の支配』の名の下に他国の正当な権利と利益を侵害し、平和と安定を損なう行為に反対する権利を行使すべきである[85]」と述べているとのことである。つまり、習近平は現行の国際法秩序には歪みがあるとし、より公正で合理的な国際秩序と国際システムの構築、言い換えれば中国の利益が反映された国際法秩序の完成が必要であるとの認識に立っていることになる。たしかに、すべての面において現行の国際法秩序が完全なものとはいえないであろうが、不完全だからといっても自国に不都合な国際法規則は無視していいということにならない。
 2022年10月22日に閉幕した中国共産党大会で、中国共産党内での習近平の「核心的な地位」と習近平が掲げる思想の「指導的な地位」を確立する「2つの確立」が党規約に盛り込まれた。今後、中国が、「習近平法治思想」によって国際法にどう向き合うか見極める必要が生ずることになった。日本を含め国際社会は、中国が誠実に海洋法条約を遵守する姿勢に転換するのか、あるいは海洋法条約の歪みを強調し海洋法条約の国内実施にあたって海洋法条約を修正する国内立法や解釈を維持するのか、中国の動きを慎重に見極める必要がある[86]