1.国家安全保障戦略の改訂
2022年12月16日、日本政府は国家安全保障に関する基本方針である「国家安全保障戦略」(新戦略)を閣議決定した。2013年に日本で初めて国家安全保障戦略が策定され、それにより、新戦略の評価によれば、「安全保障上の事態に切れ目なく対応できる枠組み」(新戦略p. 4)が整えられた。新戦略の策定は、2013年に戦略を策定した後の日本をとりまく安全保障環境の悪化をふまえ、日本の防衛力の強化と国際秩序の維持という二つの目標を掲げ、これら二つの目標の関連付けを図りながら、「戦後の我が国の安全保障政策を実践面から大きく転換する」(新戦略pp. 4-5)ことを企図したものである。
新戦略の策定を受けての国会での議論は防衛費の増額と防衛装備の充実に集中している観があるが、本稿では、法的観点から、日本の防衛力の強化のためにいま何が必要かについて整理したい。
本稿の結論を先取りすると次の通りである。
日本の安全保障のために海上保安庁などによる法執行活動を適切に位置づけ、そのうえで、いわゆるグレーゾーン事態に「切れ目なく」適切かつ実効的に対処できるように備えを進める必要がある。具体的には、自衛隊法を改正して、あるいは新たな法律を制定して、自衛隊が外国勢力による「外部からの組織的かつ計画的な武力の行使」に至らない権利侵害行為を中止できるように、自衛隊の新たな活動として「領土保全侵害排除行動」を創設すべきである。
2.尖閣諸島周辺海域における中国の活動
日本をとりまく安全保障環境の厳しさが増すなかで、今回の新戦略の策定はきわめて重要である。とりわけ懸念されるのが沖縄県の尖閣諸島に対する中国の挑戦である。国家安全保障戦略も、中国について、「現在の中国の対外的な姿勢や軍事動向等は、我が国と国際社会の深刻な懸念事項であり、我が国の平和と安全及び国際社会の平和と安定を確保し、法の支配に基づく国際秩序を強化する上で、これまでにない最大の戦略的な挑戦」(新戦略p. 9)と述べている。
ここ数年、中国海警局所属船舶(中国海警船)による尖閣諸島周辺の領海への侵入、接続水域における航行、日本漁船への接近・追尾は常態化している。中国は尖閣諸島の領有権を主張するだけでなく、尖閣諸島周辺海域で活動し、その活動を活発化させている。
日本は尖閣諸島周辺の領海への中国海警船の侵入を規制し、領海に侵入された場合には、中国国内法令に基づきパトロールを行っていると主張する中国海警船に対して国際法に基づいて領海外への退去を求めるという対応をとっている。
今後、中国海警の隊員が尖閣諸島へ上陸する可能性もある。また、中国海警船による日本漁船への接近・追尾の件数が増加している現状をふまえると、中国海警の隊員による日本漁船に対する中国国内法令の執行(日本漁船への立入検査や拿捕等)がなされる可能性もある。
国家安全保障戦略には「自分の国は自分で守り抜ける防衛力を持つ」(新戦略p. 4)とある。今後、尖閣諸島でいかなる事態が発生したとしても、日本が主体的に適切かつ実効的に対処できるように備えを進めていく必要がある。
尖閣諸島周辺海域における中国政府公用船舶等の動向
(海上保安庁のホームページ上の情報(https://www.kaiho.mlit.go.jp/mission/senkaku/senkaku.html)より)
3.いわゆるグレーゾーン事態への対処
では、いかなる備えが必要か。早急に克服すべき日本の安全保障上の課題がある。いわゆるグレーゾーン事態への対処である。
今後、仮に、中国が武力を用いて尖閣諸島を侵略すれば、日本は国際法上の自衛権に基づき、国内法上は自衛隊法76条に基づき防衛出動を発令して事態に対処することになる[i]。
しかし、中国は戦略的に動く。中国が武力を行使することなく尖閣諸島を侵略しようとする場合、防衛出動の発令要件に関するこれまでの日本政府の解釈をふまえると、発令は困難である。なぜなら、日本政府は防衛出動の発令には「我が国に対する外部からの組織的かつ計画的な武力攻撃」が必要と解釈してきたからである。
防衛出動の発令が困難である場合、日本政府が「切れ目なく」事態に対処しようとすると、現状では、中国の官憲や軍人による尖閣諸島への上陸を出入国管理法違反の問題と捉えて、海上保安庁や沖縄県警などの警察機関が犯人の逮捕や犯罪の捜査などの法執行活動で対処することになる[ii]。
法執行活動とは国の管轄下の人に対する国内法令の適用・執行である。法執行活動は、具体的には、国内法令の励行の確認や犯罪の予防を行い、犯罪行為が発生した場合には、犯罪を鎮圧・捜査し、犯人が明らかとなれば、犯人を逮捕して刑事司法プロセスに乗せるという権限行使である。
警察機関では対処が不可能または著しく困難な場合には、自衛隊法に基づき海上警備行動または治安出動が発令され、対処の主体は警察機関から自衛隊に変わることになるが、活動の性質は同じく法執行活動である。自衛隊員も警察官職務執行法の武器使用規定に基づいて事態対処にあたることになる。
法執行活動には、国家の主権と独立を維持し、領土保全侵害を排除するなど国家安全保障に資する面もあるが、これらはあくまでも法執行活動の副次的効果である。法執行活動と国家安全保障のための活動は目的・法的根拠・活動内容が異なる。
4.法執行活動スキームと軍事活動スキーム
外国の官憲や軍人による尖閣諸島への不法上陸という事態を、日本の国内法令違反(出入国管理法違反)の事態と捉えて法執行活動で対処することは法的には可能である。しかし、そのような事態対処の実効性、またそもそもそのような事態認識で良いのかという問題がある。
上陸しようとするのは、尖閣諸島の領有権を主張する外国人活動家ではなく、国家意思に基づいて行動する外国の官憲や軍人である。彼らが上陸しようとする際に武力を行使しないとしても、そのような行為は日本の領土保全の侵害であり、日本が有している領域主権の侵害であり、国際法違反である。
外国の官憲や軍人による尖閣諸島への不法上陸という事態を、「国とその管轄下にいる人」という構図で捉えて法執行活動で対処するのではなく、「国と国」という構図で捉えて国家安全保障のための活動で対処すべきである。
前者の法執行活動は国とその管轄下にある人に対して法を執行するという垂直的な作用(法執行活動スキーム)であり、後者の国家安全保障のための活動は国家間における水平的な作用(軍事活動スキーム)である。
ある事態に法執行活動スキームと軍事活動スキームのいずれで対処するかは、事態への対処に先立つ事態認識の問題である。両スキームは必ずしも相互に排他的な関係にあるわけではなく、ある一つの事態に両方のスキームで対処するということもありうる[ⅲ]。
ただ、法執行活動スキームから軍事活動スキームへの「切り替え」がなされるという場合、その判断は実戦的にも法的にも重要である。それにより事態対処の方法が大きく変わることになるからである。
法執行活動スキームから軍事活動スキームへの切り替えは、武力紛争法の適用の始期となる。武力紛争法は、武力紛争における戦闘の方法や手段等に関する詳細な国際法規則で構成されている。武力紛争法の適用のある事態では、例えば、日本の領土に不法上陸した敵国軍隊に所属する軍人を拘束した場合、当該軍人を国内法令に基づき捜査・逮捕し、刑事司法プロセスに乗せて処罰するのではなく、捕虜として保護することになる。当該軍人を拘束する際に加害行為がなされたとしても、武力紛争法上適法な戦闘行為の一環として行われたものについては、殺人罪や傷害罪等で訴追・処罰されることはない[ⅳ]。
5.海上法執行活動と国家安全保障のための活動(軍事活動)の関係性
日本の安全保障のために法執行活動を適切に位置づけ、そのうえで、グレーゾーン事態に切れ目なく対処できるようにすべきである。そのためにも、法執行活動と国家安全保障のための活動(軍事活動)の関係性を整理しておく必要がある。参考になる国際判断が二つある。
(1)2007年9月17日ガイアナ・スリナム海洋境界画定事件・仲裁判断
2000年 6 月、ガイアナとスリナムの大陸棚の境界画定をめぐる係争海域において、ガイアナとの石油利権契約に基づき地盤掘削活動を行っていたカナダの CGX 社の掘削船 T 号に対して、スリナム海軍の巡視艇が「12時間以内に退去せよ。さもなくば、結果はあなた方次第である。」との警告を行った。射撃は一切なされていない。本件の付託を受けた仲裁廷は、法執行活動における「実力の行使」は不可避であり合理的かつ必要である限り許容されるとのスリナムの主張を認めつつも、T 号による掘削は両国の大統領レベルの交渉対象にもなっていたことなどをふまえ、本件におけるスリナムの行動は法執行活動というよりは軍事活動による威嚇(threat of military action)に近いとして、国連海洋法条約、国連憲章や一般国際法のもとで禁じられた「武力による威嚇」を構成すると判示した。
CGX 事件におけるこのような判示を参考にすると、海上での権限行使の国際法における性格決定は、①いかなる状況で(領有権や境界画定をめぐって国家間で紛争・対立のある海域での権限行使であるかなど)、②いかなる法的評価のもとに(権限行使の対象者の行為が主権侵害であるのか、国際法上の権利侵害・義務違反であるのか、自国の領海における外国船舶による「無害ではない通航」であるのか、国内法令違反であるのかなど)、また③いかなる目的の権限行使がなされているか(行政的に是正措置を講じるという目的か、被疑者を逮捕し自国の刑事司法手続きに乗せるという目的か、国家間レベルの権益確保か)などの基準によって決せられる。
(2)国際海洋法裁判所(ITLOS)2019年5月25日ウクライナ艦艇抑留事件(ウクライナ対ロシア)暫定措置命令
2018年11月25日未明、クリミア半島東部のケルチ海峡において、ウクライナ海軍の艦船 3 隻がロシア沿岸警備隊に拿捕・抑留される事件が発生した。拿捕されたウクライナ艦隊の乗組員24名はロシア当局によって抑留され、ロシアの国内裁判所で国境侵犯の罪で訴追されることとなった。
ウクライナは、本件を、国連海洋法条約第15部が規定する紛争解決手続きのうち、附属書Ⅶに基づく仲裁の申し立てを行うとともに、ITLOS に暫定措置命令を請求した。ロシアは軍事的活動(military activities)に関する紛争は国連海洋法条約の強制的紛争解決手続きから除外するとの宣言を行っていた。本件紛争について、ロシアは軍事的活動に関する紛争にあたると主張し、ウクライナは法執行活動に関する紛争であると主張したため、「軍事活動」(国連海洋法条約298条 1 項⒝)の解釈が問題となった。
ITLOSは軍事活動と法執行活動を区別する基準として次の三つの基準を掲げた。①活動に従事している船舶が艦船(naval vessels)であるか法執行船舶(law enforcement vessels)であるかは、両活動の区別に関連するものの、唯一の判断基準ではない。②紛争当事国による活動の性格決定に依存するのではなく、問題となる行為を客観的に評価する。③拿捕・抑留が両活動のいずれの文脈で発生したかを明らかにする必要がある。
ITLOSは、これらの基準をふまえて、関連の諸事実、すなわち、本件紛争がケルチ海峡の通航制度に関する紛争であること、ロシアはウクライナ艦隊が停船命令を無視したことを受けて法執行活動にあたる警告射撃と船体射撃を行ったことなどを検討し、結論として、ロシアによるウクライナ艦船の拿捕・抑留は法執行活動として行われたことを認定した。
6.海上法執行活動に該当するか否かの評価基準
日本では、中国海警船による尖閣諸島周辺の領海への侵入と接続水域における航行の常態化、2021年の中華人民共和国海警法の制定・施行などを受けて[ⅴ]、さらなる海洋関係の国内法整備の動きがある。そこでの頻出用語は「海洋権益の保全」や「領海主権の確保」である。そのような目的を掲げる法律であっても、制定されると、そのような法律の適用・執行は海上での法執行活動として行われていくことになる。
しかし、重要なのは、前節で確認した国際判断をふまえると、そのような活動が国際法の観点から法執行活動として評価できるような「実質」を備えているか否かである。
事態に対処する主体の各国国内法上の位置付けが、武力紛争法上の海軍ではなく海上警察機関であるからといって、また事態に適用のある法律が整備され、海上警察機関が当該法律の適用・執行権限の行使として事態に対処しているからといって、当該権限行使が、国際法上、当然に法執行活動にあたることになるわけではない。
7.提言 「防衛力の抜本的強化」のための自衛隊法の改正
日本の安全保障のために海上保安庁などによる法執行活動を適切に位置づけ、そのうえで、いわゆるグレーゾーン事態に「切れ目なく」適切かつ実効的に対処できるようにする必要がある。
日本に対する「外部からの組織的かつ計画的な武力の行使」に至らない権利侵害行為に自衛隊による「防衛力」で確実に対処できるようにするべきである。防衛力とは、新戦略によれば、「我が国の安全保障を確保するための最終的な担保であり、我が国を守り抜く意思と能力を表すもの」(新戦略p.11)である。
具体的には、自衛隊法を改正して、あるいは新たな法律を制定して、自衛隊が外国勢力による「外部からの組織的かつ計画的な武力の行使」に至らない権利侵害行為を中止できるように、現在の自衛隊法76条1項に防衛出動に関する規定とそのこれまでの解釈は維持しつつ、自衛隊の新たな活動として「領土保全侵害排除行動」を創設すべきである。
グレーゾーン事態に切れ目なく対処するために、自衛隊法76条1項の防衛出動の発令要件の解釈を政府内で変更するという方法もありうるが、日本の安全保障の危機的な事態への対処のあり方という国民にとって重要な事項に関することであり、国民の代表者が集う国会による審議をふまえて、民主的正当性が担保された方法で、すなわち、自衛隊法の改正あるいは新規立法を行うことが望ましい。
自民党が2022年4月にまとめた国家安全保障戦略の改訂にむけた提言にも、「武力攻撃事態に至らない侵害に遺漏なく対処するための必要な措置について、法整備も含め、早急に検討する」とあった[ⅵ]。しかし、新戦略にはこの提言に対応した記述がない。そもそも新戦略には法整備への言及がない。
新戦略は、防衛力について、「我が国を守り抜く意思と能力を表すもの」(新戦略p.11)と定義した。新戦略の策定、防衛費の増額と防衛装備の充実により、「意思」と「能力」のそれぞれを備えていても、能力を発揮できないということがおこりうる。安全保障関連の法整備は、「我が国を守り抜く意思」を明文で具体化し、その意思を「我が国を守り抜く能力」の発揮に確実に繋げていくためのものである。「意思」を固め、「能力」を高め、両者を繋ぐことで「防衛力の抜本的強化」(新戦略pp.17-19)が可能となる。
自衛隊法の改正あるいは新規立法を行うことなくして、はたして「防衛力の抜本的強化」が実現可能であるのか、より具体的には、日本への侵略が発生する場合に「我が国が主たる責任をもって対処し、(略)これを阻止・排除」(新戦略p.19)することが可能であるのか、日本の安全保障の危機的な局面で実際に必要となる防衛力を念頭におきながら判断する必要がある。