公益財団法人日本国際フォーラム

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「京都セミナー:日本外交総合戦略の中のソフトパワー」

このたび、日本国際フォーラムの「日本のハイブリッドパワー」研究会(主査:渡邊啓貴当フォーラム上席研究員)は、さる3月1日(水)に『京都セミナー:日本外交総合戦略の中のソフトパワー』を下記1.~5.のとおり開催した。主な議論概要は、下記6.のとおり。

  1. 日 時:2023年1月16日(月)14時半から17時半
  2. 会 場:同志社大学今出川キャンパス 良心館RY305
  3. 主 催:日本国際フォーラム
  4. 協 力:同志社大学・同志社大学ライフリスク研究センター・同志社大学創造経済研究センター・一般社団法人虚空会
  5. プログラム
      挨拶:渡辺まゆ(日本国際フォーラム理事長) :「世界のソフトパワーインデックスと日本」
第1セッション「文化と外交を結ぶ物語」

議長:渡邊啓貴(帝京大学教授・東京外国語大学名誉教授・日本国際フォーラム上席研究員)

報告A:渡邊啓貴(同上):「総合外交戦略としての文化外交―フランス外交から考える―」

報告B:浅野亮(同志社大学教授):「日中関係の中の文化外交」

報告C:等松春夫(防衛大学校教授):「イギリス国家の変容と‘公共音楽’ 1897~1953」

報告D:大野直樹(京都外国語大学准教授):「冷戦期アメリカの文化外交」

自由討論:参加者全員

   

第2セッション「国家ブランディングと外交のための日本文化の力」

議長:八木 匡(同志社大学教授) 

報告A:太下 義之(同志社大学経済学部教授、一般社団法人虚空会会員)
     :「レトリックとしての『クール・ブリタニア』」

報告B:河村 晴久(能楽師):「能から見る日本文化の真髄と文化交流の可能性」

報告C:濱崎 加奈子(京都府立大学准教授、有斐斎弘道館館長):「日本文化の本質」

自由討論:参加者全員

全体統括:渡邊啓貴(同上)
      八木 匡(同上)

6.議論概要
本シンポジウムにおける各報告者の議論概要については次のとおり。

(1)開会挨拶:渡辺まゆ氏

本日は日本を代表する文化都市である京都で、「日本外交総合戦略の中のソフトパワー」シンポジウムを開催できることは大変嬉しい限りである。
 本日のシンポジウムは、私どものシンクタンクが実施している「ハイブリッドパワー」研究会の一環で行うものであり、この研究会の目的は国際社会における日本の存在感を高めるうえで、経済力や軍事力ではなく、数値化しにくいソフトパワーを組み合わせた総合的な国力をいかに最大化するかということを探っている研究会である。
 近年、コロナのパンデミックやロシアの軍事侵攻から、世界の価値観がかわり、ソフトパワーに焦点があてられ、世界の動向を考えていく必要な指針になっていることが考えられる。今後、日本の人口減少と経済成長の伸び悩みが懸念されているなかで、日本の強みとは何か、世界から日本は何を求められているのかを冷静に俯瞰して議論していく必要があるだろう。
 こうした問題意識のもとで、本シンポジウムでは、「文化と外交を結ぶ物語」、「国家ブランディングと外交のための日本文化の力」というテーマで議論を進めていく。

(2)第1セッション「文化と外交を結ぶ物語」各報告者による報告

(イ)渡邊啓貴:「総合外交戦略としての文化外交―フランス外交から考える―」

今後の日本の文化外交を考えていく上で重要なポイントは4つあり、1つは概念化、2つめにコンテクストづくり、3つめに継続、4つめにネットワークがあると考えている。これらが安定した平和国家のイメージをかたちづくるのではないだろうか。
 フランスの外交文化の歴史を顧みると、フランスの外交と文化の結びつきは早く、16世紀半ばから始まっており、特に啓蒙時代はフランス文化の隆盛期であったことから、あらゆる宮廷に多くの学者や芸術家が招かれ、彼らは啓蒙活動を行うと同時にスパイ活動も行っていた。
 フランス人は特にコンテクストづくりがうまく、自身の文化のプレゼンテーション方法、そして文化創造という点において、我々は多くの学びを得ることができるのではないだろうか。

(ロ)浅野亮:「日中関係の中の文化外交」

権威主義体制の中国では、政党が世論へ大きく関心を持っているため、日本が文化外交というツールを使って、中国にアプローチをかけるということは大きな意味があり、かつ文化外交は安全保障とも深く関連している。
 中国には、宣伝部という部署が存在しており、パブリックディプロマシー及びプロパガンダを工作する部署であるが、習近平政権の第二期頃から中国の戦狼外交が明白化しており、相手国を下げうる行為が行われており、これらは文化外交の視点からみると失点なのではないかと考えている。

(ハ)等松春夫:「イギリス国家の変容と‘公共音楽’ 1897~1953」

7年間のイギリス留学中に、この国には「公共音楽」(music of public space and occasion)とでも呼ぶべき音楽が存在することに気付いた。それは芸術作品としての価値のみならず、社会的・政治的な意味や影響力を持つ音楽である。17世紀初頭から宮廷内に王室音楽師範 (Master of the King’s Music)というポストが置かれ、戴冠式、国王の海外訪問、国葬などの国家的行事に音楽を供給してきた。また、19世紀から20世紀初めのイギリス各地の地域社会では文化的行事として合唱音楽祭が盛んで、そこではイギリス帝国の時代精神を反映した歌詞に拠る大規模な合唱作品が演奏されていた。20世紀初頭までの公共音楽はイギリス社会の空気や価値観を反映するものであった。その後、ラジオ、録音、映像技術が発達した1920年代からは、政府が公共音楽を世論形成に利用する傾向が見られるようになる。帝国博覧会(1924)、イギリス祭(1951)、エリザベス女王戴冠式(1953)などが典型である。このようにイギリスは公共音楽を自己イメージの確立と変更に利用し、また対外的には自国ブランドを伝えるソフトパワーとして使用してきた。

(ニ)大野直樹:「冷戦期アメリカの文化外交」

アメリカは国家による文化への干渉に否定的であり、文化的な事業については民間財団が行うのが基本だったが、冷戦期になると、国内外の人心掌握の戦いの重要性から、自由主義陣営と共産主義陣営と両者ともに積極的に文化を利用し、文化外交への関心が高まっていった。
 アメリカの文化外交の一側面として、大西洋共同体の創出があり、それらを世界に印象付ける目的があった。
 文化外交を考えるときに、自国の文化の魅力をいかに伝えるかという一国の枠組みで考える傾向があるが、それが全てではないこと、またCIAが文化外交に関与し、それが後に暴露されて論争を巻き起こしたことから、文化外交への政府の関わり方についてもアメリカの文化外交は考察できるよい事例ではないだろうか。

(3)第2セッション「文化と外交を結ぶ物語」各報告者による報告

(イ)太下義之:「レトリックとしての『クール・ブリタニア』」

「クール・ジャパン」という言葉は、元来はイギリスの「クール・ブリタニア」という言葉の模造である。
 「クール・ブリタニア」はイギリスのブランドイメージの危機があった当時の社会状況のなかでうまれたキャッチフレーズであり、イギリスはその言葉から国家ブランディング戦略等を展開していく。だが、「クール・ブリタニア」という言葉は2002年以降、イギリスの内政状況及び国際情勢の変化から死語と化し、イギリスの文化政策は「文化の多様性」を強く指向していくこととなる。
 その後、同時多発テロの発生等から、イギリス国民は「クール・ブリタニア」という言葉の危険性を再確認した。日本においても「クール・ジャパン」という言葉の危険性を理解する必要があるのではないだろうか。

(ロ)河村晴久:「能から見る日本文化の真髄と文化交流の可能性」

庶民の娯楽芸であった能(猿楽)は室町時代に大きく変質し、五穀豊穣、平安を願い、死者を鎮魂し、自然と和合する精神性を持つものになった。この精神性は以後の日本文化に大きな影響を与えている。また伝統とは、常に革新し、同時代性を失わないことであり、それ故に、その時々の人々の心に響き合う舞台が保たれ、現在に至るのである。
 私は能の発信に意義を感じ、文化交流に努めている。その際、「優れた文化」を一方的に伝えるのではなく、相手から見た際にこちらがどう見えるのかを意識することが大切と考えている。それぞれの文化は異なる。その中で自己同一性を確立し、自らの拠って立つ所がはっきりすると自己肯定が生まれ、それが他者、他文化への理解と尊敬に繋がり、世界の平和に繋がっていくのではないだろうか。

(ハ)濱崎加奈子:「日本文化の本質」

日本文化の本質は、様々な角度から考察できると考えるが、本日は茶道を切り口に「調和」と「循環」という点に焦点を当て考えていきたい。
 「調和」と「循環」とは、その時代によって変化するものであり、日本文化は人と人を繋ぐ、人と自然を繋ぐ、それらのバランスをとるということ、つまり調和という点で長けており、またそのなかでも日本の伝統文化の役割とは、そのものを伝えていくことも大切であるが、その背景にも大きな知恵が隠されていると考える。
 運営している弘道会では、数多くの外国人が来館されることもあり、日本文化は日本人のものだけではなく、世界中の人にとっての日本文化の役割というものがあるのではないだろうか。

(文責、在事務局)