公益財団法人日本国際フォーラム

米中の戦略的競争の激化、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大、そしてロシアのウクライナ侵攻といった要因により、各国は近年、医療物資、半導体、エネルギー、そして食料など重要物資の不足や価格高騰を経験した。その結果、経済効率性を優先させて構築されてきた既存のグローバル・サプライチェーンに対する信頼性は急速に揺らぎはじめている。また経済力を「武器化」させて他国に外交的な圧力をかけようとする試みも顕在化しており、各国は重要物資を特定の国、とりわけ基本的な価値観を共有できない国に過度に依存することへのリスクを認識せざるを得なくなった。
 こうしたなか、2022年9月9日、インド太平洋地域14カ国の閣僚が米国ロサンゼルスに集結し、「インド太平洋経済枠組み(IPEF: Indo-Pacific Economic Framework)」の交渉開始を宣言した。同枠組みは、2017年に環太平洋パートナーシップ(TPP)から離脱した米国が、影響力を高めつつある中国を牽制しながら同地域における経済的関与を再強化しようとする試みである。交渉参加国は日本と米国に加えて、豪州、フィジー、インド、ニュージーランド、韓国、そしてカンボジア、ラオス、ミャンマーを除くASEAN7カ国の計14カ国で構成されている。
 IPEFの交渉分野は「貿易」、「サプライチェーン」、「クリーン経済」、そして「公正な経済」の4つの柱(pillar)に分かれている。どの分野の交渉に参加するかは各国が自由に選択できるが、なかでも同志国とのあいだでサプライチェーンの強靭化をめざす第二の柱に対する各国の関心は高く、全14カ国が交渉への参加を表明した。

1.サプライチェーン分野の閣僚声明で言及されたこと

IPEFの交渉参加国は、地域のサプライチェーンをどのような方法で強靭化させるのだろうか。以下では、2022年9月9日の閣僚声明文を読み解きながら、今後の交渉の目標と方向性について展望する。
 サプライチェーン分野に関する閣僚声明のなかで最も注目すべきは、政府間の「危機対応メカニズム(crisis response mechanism)」の構築について言及された点であろう。これはサプライチェーンの途絶や混乱をもたらすような外的ショックが発生した際、IPEF参加国のあいだで円滑な情報共有を行い、重要物資を互いに融通しあうことで、混乱の影響を緩和しようとする試みである。
 また長期的な取り組みとしては、域内のサプライチェーンの脆弱性を克服すべく、重要分野における産業の強化、各種インフラや物流管理(Logistics)を改善するための投資と技術協力の促進、および域内におけるサプライヤーの多様性促進などが目指されている。
 以上に加えて、閣僚声明のなかで評価されるべきポイントを二点指摘したい。第一に、IPEFの制度設計にあたり、各国は「WTO上の義務と整合的に行動する意図を有する」と明記されたことだ。日米両国は従来、「ルールに基づく国際経済秩序」の重要性を強調してきた。それだけに、仮にIPEFのルールがWTO上の権利義務を軽視したものとなれば、域外国の理解や支持を得ることはできないであろう。一方、第3節で検討するように、IPEFにおいて政府間の「危機対応メカニズム」を構築するにあたり、「効果的」、「IPEF参加国限定」、かつ「WTO整合的」という3つの条件を同時に満たすことは必ずしも容易でない。
 第二の評価ポイントは、強靭で透明なサプライチェーンを構築するにあたり、中小零細企業(MSMEs)に対して不必要なコストを課さないと明記されたことだ。サプライチェーンの強靭化をめざす代償として民間企業が直面する規制対応コストが著しく上昇するならば、中小零細企業を中心に、一部の企業はサプライチェーンからの撤退を余儀なくされる。仮にそうなれば、地域のサプライチェーン全体の魅力や活力は損なわれてしまうだろう。今後の交渉では、サプライチェーンの「強靭性」と「活力」を可能な限り両立させるための創造的なアプローチの検討が期待される。

2.閣僚声明で言及されなかったこと

サプライチェーン分野の閣僚声明のなかで「言及されなかった」要素もある。第一に、中国に対するオフェンシブな措置だ。閣僚声明のテキストを読む限り、たとえば2022年6月に米国で施行された「ウイグル強制労働防止法」のように、強制労働により製造された製品の輸入禁止をIPEF参加国にも義務づけるような規律の導入を想起させるような文言は含まれていない。また欧州委員会で検討されている反威圧手段(ACI: anti-coercion instrument)規則案のように、経済的威圧を通じて外交上の影響力を行使しようとする国に対して集団で対抗措置を発動できるような仕組みに関する言及もなされなかった。米国の願望とは裏腹に、IPEFの交渉に参加するASEAN諸国の多くは「中国を必要以上に刺激することも、米中いずれかの陣営の色に染まることも望んでいない」という現実を考えれば、これは必然的な帰結である。
 第二に、貿易自由化だ。関税の削減・撤廃を通じて域内貿易が拡大すれば、結果的に各国の対中貿易依存度は低下し、重要物資の供給源の多様化も進展するかもしれない。しかしながら大方の予想通り、主として米国内の政治的な理由により、閣僚声明ではIPEFを通じた貿易自由化へのコミットメントはなされなかった。一方、サプライチェーン分野の閣僚声明では、域内における投資を促進・支援することの重要性が強調されている。IPEFでの各種取組みを通じて域内での投資が拡大するならば、一部ASEAN諸国やインドなど発展途上にある参加国を含め、その長期的な便益は関税削減に伴う便益を上回るかもしれない。
 最後に、IPEFの実効性を担保するための罰則規定や紛争解決手続きだ。かつてキャサリン・タイ米通商代表はIPEFにおける義務の履行を担保するためのメカニズムの必要性について言及したことがあるが、閣僚声明文を読むかぎり、罰則や紛争解決手続きに関する言及はなされていない。Alliance for Trade Enforcement(AFTE)など米国の経済団体は、罰則規定を伴う紛争解決手続きをIPEFに盛り込むよう現在も主張を続けているが、いかなる方法でIPEFの実効性を担保するのか、現時点では不透明な状況だ。

3.IPEFの危機対応メカニズムの有効性

パンデミック、自然災害、あるいは紛争の勃発など、予期せぬ外的ショックによってサプライチェーンが混乱した場合、IPEFの危機対応メカニズムはどの程度機能するのだろうか。以下では3つのシナリオについて検討したい。
 第一に、「ローカルな不足」シナリオだ。たとえば自然災害や非友好国による経済的威圧の結果、IPEFに参加する特定の一カ国のみが重要物資の不足に直面する状況を考えてみよう。このシナリオでは、IPEFの危機対応メカニズムを通じてサプライチェーン上の混乱を一部緩和できるかもしれない。たとえば他のIPEF参加国のなかに当該物資を十分に生産または備蓄している国がある場合、その国から不足国に対して物資を合理的な価格で融通することは、国内政治的にも、域外国との関係でも、さほど大きな問題には発展しないと思われる。
 第二に、「グローバルな不足」シナリオについて検討してみよう。たとえば新型コロナウィルスまん延の初期段階では、マスクや医療用グローブなど個人防護具の生産活動や輸出が滞り、世界的な不足が発生した。こうしたグローバルな途絶シナリオでは、IPEFの危機対応メカニズムは十分に機能しない可能性がある。「生産国ですら物資が不足している状況下で当該物資を他のIPEFメンバーに融通する」ことにつき事前にコミットすることは、国内政治的にも容易でないことが想定されるためだ。
 最後に、「ローカルな過剰」シナリオはどうか。すなわち、世界規模で特定物資の不足が生じているものの、当該物資を生産するIPEFメンバー(X)の国内にのみ十分な在庫が存在するケースである。このとき、域外国(Z)の企業または政府が「その物資を他のどの国よりも高い値段で買いたい」とX国企業にオファーしたとする。それでもX国の企業は他のIPEF参加国(Y)への輸出を優先するだろうか?政府が介入せず、すべてを市場に委ねるならば、おそらくX国企業は他のどの国よりも高く買ってくれるZ国に物資を輸出しようとするだろう。では、こうした状況下において、IPEFの緊急対応メカニズムを通じて「域外のZ国ではなくIPEFメンバーであるY国に輸出せよ」ということを自国企業に対してX国政府が強制することは現実的なのだろうか?筆者は以下の2つの理由から、こうしたルールが導入される可能性は低いと考える。
 第一に、「世界的な不足が生じた際には他のIPEF参加国への輸出を常に優先させる」ことを自国企業に強制するようなルールは、自国企業の「経済的自由」を大幅に制限することにつながる。したがって、各国政府がこうしたルールの導入に同意する政治的インセンティブは必ずしも高くないと思われる。第二に、IPEF参加国間の融通を最優先させるという原則を貫くためには、域外国への輸出を何らかの方法で制限せざるを得ない。一方、IPEFは最恵国待遇原則の例外規定であるGATT第24条に基づく自由貿易協定(FTA)にはならない見通しである。したがって、IPEFにおいて域外国への輸出を差別的に制限しようとすれば、将来、域外国から提訴され、WTO協定との整合性を問われる可能性もある。閣僚声明ではIPEFの交渉時にWTO協定を尊重するとの方針が明記されていることからも、域外国に対する差別的な貿易制限措置を伴う緊急対応メカニズムが導入される可能性は低いと思われる。
 以上の理由から、IPEFの危機対応メカニズムがサプライチェーンをめぐる混乱の「あらゆる局面で機能する」と過度な期待を抱くことは避けるべきであろう。とりわけ「ローカルな過剰」シナリオでは、(1)効果的で、(2)IPEF参加国限定(=排他的)で、かつ(3)WTO整合的という3つの条件を同時に満たす物資の融通制度を構築することは容易でない。前述のとおり、「効果的」で「排他的」な融通制度を導入しようとすれば、WTO整合性が犠牲になりかねない。一方、「排他的」だが「WTO整合的」な危機対応メカニズムの構築を目指そうとすると、情報共有など緩やかな協力を中心とする仕組みとなり、不足を解消する手段としての「効果」は一部犠牲になろう。最後に、「WTO整合性」に配慮しつつサプライチェーン途絶の影響を「効果的」に緩和することを目指すならば、IPEF域内限定の排他的な措置ではなく、輸出制限措置の無秩序な発動を抑制するための「多国間の規律」の導入を模索せざるを得ないように思われる。

4.政策的インプリケーション

近年、重要物資のサプライチェーンを強靭化することの重要性は明らかに上昇している。本稿では、サプライチェーン上の混乱を緩和する手段としてIPEFの危機対応メカニズムは一定の役割を果たし得るが、万能薬として期待すべきではない理由につき指摘を行った。一方、長期的には、IPEFの投資・技術支援スキームを通じて域内における重要物資の供給能力の向上、サプライヤーの多様化、そして代替物質の開発などが進展し、地域のサプライチェーン強靭化が促進される可能性はあろう。
 最後に、政策的なインプリケーションを2点述べたい。第一に、日本を含む参加国は、既存のサプライチェーンを完全に代替する手段ではなく、あくまでも重要物資に限定し、それを補完する手段としてIPEFを位置づけ、活用すべきであろう。実際、多くの懸念とは裏腹に、大多数の貿易品目については、既存のサプライチェーンが今もなお活発に利用され、機能している
 第二に、重要物資の調達を特定国のみに依存するリスク、および機微技術が特定国に流出するリスクには粛々と対応すべきだが、IPEFという枠組みを通じて中国を必要以上に刺激することは、経済安全保障の観点からも建設的ではない。100%チャイナ・フリーなサプライチェーンを短期的に構築することは現実的ではないし、一部レアアースなど、当面は中国に依存せざるを得ない物資も存在する。そうした状況下で中国を刺激し続ければ、非生産的な報復合戦を招き、IPEF参加国も大量の返り血を浴びることになる。日本の経済安全保障にとっても、そうした報復合戦ではなく、中国を含む世界各国にとって不可欠な物資や技術を日本が供給し続けるために各種資源を投入することの方が、戦略的に遥かに重要である。
 以上の点を踏まえた制度設計がなされれば、IPEFは地域のサプライチェーンの強靭化と参加国の経済的繁栄に貢献する枠組みへと発展するであろう。

(注)本稿はKuno, Arata., “Building Resilient Supply Chains through IPEF: The Possibilities and Challenges,” AJISS-Commentary (JIIA), No.299, 6 October 2022をベースに加筆・修正を加えたものである。