公益財団法人日本国際フォーラム

1.地経学の関連諸概念を整理する

前稿では、米中覇権競争下における分析枠組みとして「インド太平洋地経学」を提示し、「地経学」という概念の誕生以来の研究傾向や課題、その特徴及び再注目の背景等を概観した[i]。特に、インド太平洋地域という地理的要素が重要である点や、従来の「地理的近接性」もしくは「制度的近似性」を中核とした経済分野の統合や、米国とその同盟国やパートナー国による国家間連携が「集団経済安全保障」の様相を呈してきている点を論じた。地経学アプローチには、ある国家が「軍事力ではなく経済的な手段を通じて他国に自ら望む行動を強制する行為」を含むが、一般にその目的と手段、行使条件等がある程度法制化されている「経済制裁」の研究を除き、その分析視座として「経済的強制(Economic Coercion)」、「経済の武器化(Economic Weaponization)」、「エコノミック・ステイトクラフト」等の用語が乱立し、研究者がそれぞれの解釈で使用している状況がある。「戦略的目的のため内外の経済活動に国家が影響力を行使する」という点でこれらの概念は共通しているものの、従来の地経学分析の成果では、明確な使い分けがなされないまま、個別事象の単発的分析が多数を占め、米中両超大国が覇権競争を繰り広げるインド太平洋地域という文脈での包括的な考察を欠く、半ば混乱状態にあった。

ところで、現代の国際関係論の分野で幅広く受け入れられている「経済的相互依存の深化は、当該国家間の戦争のリスクを低下させる」との命題[ii]には、必ずしも政治的関係の安定という帰結がいつも付随する訳ではなく、深い経済関係を有しながら、例え戦争状態までいかなくとも政治的には激しく対立する現下の米中関係を筆頭に、実際には様々な例外事例が存在する。特に、今や世界130カ国以上の国々にとって最大の貿易相手国となった中国は、自国の政治的・戦略的利益を実現するため、その甚大な経済的影響力を行使し得る立ち位置にある。このため、かつて盛んに主張された「貿易・投資や援助を通じて益々深化する中国とアジア諸国の経済相互依存関係は東アジアの政治的安定につながる」とのリベラル学派の指摘[iii]はもはや適切とは言えず、中国の国益を実現するための「環境条件」を生み出していると指摘できるだろう[iv]。中国に経済的に依存している国々にとって、その恩恵を一方的に取り払う措置を全く厭わない中国に対し、同国の政治、外交姿勢と異なるスタンスを取ること(あるいは、同国の批判自体)が多くの場合、困難であり、「経済相互依存の罠[v]」と称すことができる事象が多数発生している。また、戦後の国連を中心とした国際法体系では、武力行使(The Use of Force)を禁ずる集団安全保障体制が確立されたのに対し、経済分野ではGATT/WTOにおける多角的貿易体制の主眼が「差別的待遇を排した円滑な経済循環を通じた生活水準の向上」に置かれており、「経済相互依存の罠」の事例に多く見られる経済的な武力行使(The Use of Economic Force)を規制・抑止する有効な手立てを確立しておらず、したがって、同問題に関する研究も未発達のまま、より深刻な現代的課題となっている[vi]

そこで本稿では、地経学と関連する諸概念の定義やその対象とする射程を、1)どの国が、2)何の⽬的で、3)どの国、どの制度・体制に対して、4)いかなる経済⼿段をとって、5)どの様な⾏動をとったかという形式で、具体的な事例とともに地経学の分類体系を提⽰する(下図:Part 1の図表を一部改定)。特に、先述の「経済的強制」、「武器化」そして「エコノミック・ステイトクラフト」を国家の代表的な地経学的行為として取り上げ、それぞれの概念を巡る先行研究のレビューを通じて、各地経学アプローチの射程、効果、そして対策等を明らかにすることで政策的な示唆を抽出することを目的とする。なお、「経済制裁」は本研究会で重視する地理的要素を必ずしも含む政策手段ではないことから、本稿では区別して扱わない。

    2.代表的な地経学的アクション

    Ⅰ. 経済的強制・強制的経済措置(Economic Coercion / Coercive economic measures

    経済的強制には長い歴史があり、かつては古代ギリシャで採用され、以後、輸入制限や人的交流制限、港湾封鎖等、経済大国を中心に多種多様な方策により何世紀にも渡って使用されてきた。主に、国際法の分野では、「(標的の)政策や慣行、あるいは統治構造の変更を誘導するために採用される、外交や軍事とは対照的な経済的性格の措置の使用(あるいは使用するとの脅迫)」という定義が、広く受け入れられている[vii]。この概念をThe Oxford Handbook of International Political Economyで執筆担当したマクリーンは、経済制裁と経済的強制に関して、当該分野の慣例上、用語としては区別されるが、前者が国際法の執行と結びついた狭い法学的概念として使用されることがある場合を除き[viii]、両者の差異は無視できるほどに軽微であるとしている[ix]。経済的強制を理解する上では、状況に応じて強制的手段に該当しうる経済活動を分類することが有効で、いずれも共通して経済的措置の対象となる国家ないしその他の主体を「標的(target)」、こうした行動をとる国家主体を「仕掛け側(sender / coercer)」と称する。例えば、経済制裁研究で著名なドレズナーは経済的強制について、「標的国が明確な要求に応じない限り、仕掛ける側の政府が、標的国との経済交流を中断させるという脅しや行為」と定義している[x]

    他方、国際政治経済学の観点からは、「ある国家が他国から政策的譲歩を引き出す目的で脅迫的または実際に経済的コストを課すこと」と定義される[xi]。先の国際法上の定義と異なり、ここで興味深いのはコストの捉え方である。一般に、経済的相互依存が戦争の確率を低減するという命題の前提には、機会費用(opportunity cost)が存在する。機会費用とは、ある行為を選択することによって、同時には選べない別の選択肢であれば得られた可能性のある理論上の失われた利益のことを指す。経済的強制の要諦は、国家が相手にコストを発生させることができるかどうかであり、研究者たちはそれが可能な条件を特定し、仕掛け側がどの様にしてそのコストを最大化するかを主に分析している。この点、先に引いたリベラル学派では、平和的な関係を維持していれば引き続き享受できたものの、関係の悪化(究極的には戦争の勃発)によって失われる経済的利益全般を機会費用と捉え、こうした機会費用が大きいほど、ある国家が仕掛け側にまわり、経済的強制措置に訴えようとする際に一定の抑止的効果が働くと考えられてきた。

    しかし、現代の経済関係は貿易や投資、経済連携協定、開発援助等、多くの領域で複雑な相互依存関係が存在し、これら多様な経済的相互依存の形態、特に経済関係における非対称性は、強圧的交渉において、より依存度の高い国家が利用可能なレバレッジを生み出している。通商領域ではかつて、ハーシュマンが『国家権力と外国貿易の構造』の中で、強大な国家が非対称的な貿易依存関係を結び、相手国をその政治的影響下に置くため、どの様に経済力を利用するか(影響力効果)を検討している。ただし、ハーシュマン自身が後年、この所謂「若い頃の著作(Jugendschrift)」を自己批判している。つまり、「国家間の非対称的な経済的相互依存が政治的パワーの源泉である」という命題もしくは影響力効果には、実のところ様々な相殺方法がある点や、必ずしも小国だけが犠牲になるわけではなく、むしろ大国の注意が他の大国との関係構築に向きがちで小国に対しては散漫になる一方、小国はその政治的・経済的資本を選択的かつ集中的にその大国とのある一つのイシューに投射できるため凝集的パワーがある点、等の考察が欠落していたと批判的に述懐している[xii]。その後もこの分野では、影響力効果を過大評価することなく冷静かつ批判的に捉える見方が発表され[xiii]、現在では一般的に、国家が経済的レバレッジを利用して他国の政策変更を強制する余地は、実はかなり小さいと理解されている。

    こうした前提に依拠しながら、近年の研究トレンドは、その手段の選択や国家が経済的強制措置を行使する動機にも注目し、本稿が論じる「経済相互依存の罠」を巡る強制的措置の効果や範囲、標的となる国家への影響や、その対抗策・打開可能性等まで、その政策的意味を加味した研究範囲が広がっている。さらに、次稿(Part 3:展望と課題)で論じるインド太平洋地域の有志諸国(レアアースを巡る日米豪協力や、半導体関連での日米韓台協力等)による戦略的物資を中心とした集団経済安全保障体制が志向される様な、経済的強制を端緒とする二国間だけでの問題が、仕掛け側が強制措置を行使する段階では意図しなかった複数国間による対抗措置へ繋がる展開等についても、幅広く研究対象となっている。

    この典型例には、悪化の一途を辿る中豪関係が当てはまる[xiv]20204月に当時のモリソン政権が新型コロナウイルスの発生起源を独自調査するよう要求したことを受け、中国は翌月から豪州産牛肉や大麦等の輸入を停止し、追加関税を課す措置を開始した。この輸入制限措置の対象は、2015年末の中豪自由貿易協定(FTA)発効以後、輸入が拡大していた豪州産のワインや水産物(例:ロブスター)の他、木材や羊肉、綿花、銅鉱石、石炭等まで拡大し、これらは二国間関係が著しく悪化する前年の2019年には中国の豪州からの商品輸入の13%を占めていた[xv]。こうした中国からの経済的抑圧に対して、豪州政府は「脅迫には決してひるまない」姿勢を明言、あくまでもWTOでの紛争処理手続きによる解決を目指し、日本政府はこれにいち早く支持を表明している[xvi]。なお、中国の輸入制限による一連の経済的強制の結果として、豪財務省によれば、各セクターの1年間の累計損失額は約54億豪㌦となったが、各セクターは新たに約44億豪㌦規模の代替市場を開拓して市場の多様化を模索した結果、全体の純損失は輸出総額のわずか0.25%にとどまるとされる[xvii]。そもそも、豪州産の鉄鉱石やLNG等、豪州からの輸入を止めれば自国経済に打撃となる主要資源の類は中国の輸入制限措置に含まれておらず、結果として中国による対豪経済的圧力の行使で得た実質的な効果は限定的とみる向きが多い。さらに、他領域への影響として、経済外交では中国が2021年9月に正式に加盟を申請したCPTPP協定に関し、テハン豪貿易相(当時)は同協定の高水準の要件を満たすだけでなく、豪中間には「閣僚級協議で解決すべき重要問題がある」として中国が制裁関税を解除しない限りは交渉入りに応じない立場を明確にした。その影響は両国関係全体にも及び、例えば、豪ローウィ研究所の世論調査では初めて豪州にとって中国は「経済的パートナー」より「安全保障上の脅威」であるとの回答が上回る等、豪州世論の急激な悪化も招いており[xviii]、2022年5月に9年ぶりの政権交代を果たしたアルバニージー労働党政権が、モリソン前政権の強硬な対中政策を継続する要因ともなっている。

    Ⅱ. 経済の武器化(Economic Weaponization

    古来より用いられた経済的強制と異なり、「武器化」は比較的新しい概念である。例えば、通商政策を巡る言説が「保護主義」「安全保障」「国益」「防衛」と言った表現へシフトする様相からディスコース分析を通じて「貿易の武器化」に焦点を当てたハーディングらは、武器化を「良性の(benign)道具が、侵略(aggressive)の手段に変わること」と定義し、BREXITやトランプ政権の誕生を例に、近年は貿易関係を強圧的に活用する国家が一層増えてきたと指摘する[xix]。元々、この概念は冷戦期のロケット技術を皮切りに、核弾頭関連技術への展開を経て広く使用される様になった経緯があるが[xx]、現代においては貿易関係のみならず、情報通信や金融等の国際的な経済ネットワークも国家間で密接に繋がっていることから、経済的に非対称な相互依存関係自体の性質が変化し、新たな地経学ツールとして転用され得ることを示唆している。

    この非対称性に関して、ファレルとニューマンは国際金融のメッセージングサービスとして機能するSWIFTやGoogle(Android OS)のクラウドコンピューティングといった情報保管施設の様な、様々な手段を提供する一方でグローバルインフラとしてのシステムに国際的な一極依存が生まれる状況は、敵対者に対する新たな影響力の源泉になると主張する。複雑なネットワーク構造においては、中枢へアクセス権を有する国(主として米国)のみに戦略的な影響力が与えられるとされ[xxi]、その便利さの裏側で新たな非対称的力学の構図が窺える。この戦略的影響力には、具体的には二つあり、このネットワークを武器化してテロリスト情報を入手・監視する能力としての「パノプティコン効果」と、特定の銀行をSWIFTから排除し、米ドルアクセスを拒否する等、要衝に限定して行使する「チョークポイント効果」の二つがある。後者は、ウクライナ侵攻後の対露制裁で効果的に活用されたが、米国にはインターネットは自由なものとの条理もあって必ずしも万能薬的措置とは言えず、また、乱発すると独自ネットワークの構築を目論む国の登場も招きかねない点は、留意が必要である。ここでは例えば、 トランプ前政権下で、安全保障上の理由から米国が5G通信網から華為技術(Huawei)を締め出した政策決断や、日本が韓国に対して輸出管理の多国間枠組みを新たな「締め上げ」の手段として活用した事例が、同様の考え方とされる[xxii]

    Ⅲ. エコノミック・ステイトクラフト(ES: Economic Statecraft

    ESは定義が最も多岐に渡る概念である。この分野の嚆矢的研究を行ったボールドウィンは、先の経済制裁や経済的強制と区別し、より広範な手段を含む概念としてESを「金銭を単位とした市場価格と相応の類似性を持つ様な資源を主に用いた、国家の影響力行使の試み」と定義した[xxiii]。ただ、ボールドウィンによればESはあくまでも概念であり、その実証は困難と述べている[xxiv]。同様に、他の代表的な先行研究では、関税や制裁、現代的文脈でいう経済安全保障の確保等の経済紛争に関する議論を扱っており、外部経済環境の劇的な変化を受けた応対としての(受動的な)旧来の経済「的」安全保障とは区別され、それらは基本的に(積極的な)対外的経済政策に限られる[xxv]。また、中国のESに焦点を当てたノリスは、「国際経済活動の大部分を担う商業アクターの行動をコントロールする能力を必要とする、戦略的な目的のための国際経済活動の国家操作」と定義し[xxvi]、中国の特徴として、政治指導者が国有企業を通じてES能力を振るうという形態を指摘している。また、ウェイスとサーボンはESの特徴を、国家が産業育成を支援する一般的な産業政策や米国の地政学的な動機付けに基づく国家安全保障戦略と明確に区別し、「国家戦略(Statecraft)とは、国家が直面する地経学的な課題に対する認識と、その課題に正面から取り組むための一連の戦略的行動を意味する。ESには、特定された経済的ライバル国に対する国内企業の技術産業競争力及び輸出競争力向上のための具体的目標の設定や監視」といった国内的要素に力点が置かれていることにあるとしている。そのため「産業発展の戦略的イニシアティブ」とも称される[xxvii]

    伝統的なES研究においては、商業的な機会を奪うだけでなく、最先端技術へのアクセスを奪う可能性がある意味で冷戦期にはハイテク技術のみがその一翼を担っていた。しかし、技術革新が国家の影響力に繋がる現代の主要国家間対立を説明するためには、少なくとも経済制裁を越えて、汎用的な情報技術進化とデータの管理を含む広範な技術的要素を考慮に入れる必要があり、例えば、国家安全保障を国家のイノベーション・システムという文脈で議論することもESの射程に含まれている[xxviii]。この観点から、日本でES戦略の提言を続ける國分は、「米国は、最低でも20年間というスパンで中国との覇権争いに突入したと認識」しており、仮に過渡的な対中売上の落ち込みを強いられても、米国はハイテク分野で中国に対する競争優位を維持するとの主張を提示している[xxix]。また、米国の2019年度国防権限法を受けた対中政策構想受託調査研究にて米シンクタンクのCenter for a New American Security(CNAS)も、米国が行うべき戦略として2030年までGDPの4%相当の研究開発投資の増額を続けるべき、と提言している[xxx]

    3.「インド太平洋地経学」が提供する視座

    以上、「経済的強制」、「経済の武器化」そして「エコノミック・ステイトクラフト」を代表的な地経学的アクションとして、その定義及び分析射程を政策的効果や対策等まで視野に入れながら整理した。しかし、前稿でも指摘した様に、地理的に定義された経済相互依存や接続性が経済的手段と軍事的手段の代替を可能にするとの「フィンランド・スクール」の視座からは、いずれの地経学的アクションも各国個々の対外経済政策を意味するのみであるばかりか、地経学の「Geo-(地理性)」の要素が抜け落ちている。そのため、これらの概念は、元来の意味から経済が交渉力に影響する様々な事象に関して、現在のインド太平洋地域の国際関係に基づいて政策的に分析できるかという、包括的かつ建設的な議論のための枠組みを提供しているとは言い難い。

    現在、バイデン大統領が就任後から「中国による国際経済システムの基盤を損なう不公正な経済慣行や威圧的行動に対抗する必要がある」と繰り返し主張するように、日米豪などが対中交渉力を高める狙いから、重要戦略分野で国際協調路線をとる方向へ各国の地経学戦略自体がシフトしており(“chorus of voices”)、米中覇権競争時代における地経学の再定義が必要となっている。一部、米国の対中戦略への参画は他分野での政策協調には逆効果であり、中国のアジア地域での攻撃的姿勢に拍車をかけると懸念を示す議論もある[xxxi]。しかし、イエレン財務長官が明言する様に、米政府は今後、規範と価値観を共有する「多数の信頼できる国・地域にサプライチェーンを整備するフレンド・ショアリング」を目指しており[xxxii]、インド太平洋における地経学情勢は集団経済安全保障を構築する方向で進んでいる。完結編となる次稿(Part 3:展望と課題)では、先般、米国主導で正式に交渉入りした新たな経済圏構想であるインド太平洋経済枠組み(IPEF)が立ち上がった経緯とその背景としての中国の一帯一路戦略を含む対外経済動向、さらに岸田政権下で法整備が進められている経済安全保障との関連を検証しながら、インド太平洋地域の地経学の様相を特徴づけ、それに基づいた政策的な分析を試みる。