公益財団法人日本国際フォーラム

戦争においては、認識やイメージがやはり重要である。それらを合わせたものは「語られ方(narrative:ナラティブ、物語)」と呼ばれる。この観点でまず焦点となるのは、どちらが「悪い」のか、どちらが「正しい」のかである。「悪い」方は批判され、「正しい」方には他国や国際世論の支援が見込めるからである。とはいえ、国家間の戦争を想定した場合、通常は双方が自らの正しさを主張する。自ら悪者だと名乗り出る国はない。

そうであれば、「悪い」と「正しい」をいかに峻別するのか。戦争であれば、「どちらが先に手をだしたか」がまず問われることになるし、すでに勃発してしまった戦争に関しては、「どちらがエスカレーションを招いたのか」が重要になる。

今回のロシア・ウクライナ戦争に関する限り、侵略国と被侵略国は明確である。これほど明確な戦争は珍しいといってもよい。戦争の語られ方をめぐる攻防(narrative war)――あるいは国際的な世論戦、情報戦――は、圧倒的なウクライナ優位で推移してきた。ただしこの戦いは、最初に決着がついて終わりなのではない。この優劣のバランスは常に変化する。だからこそこの問題には継続的に注目していかなければならないのである。結論を先取りすれば、今日、ロシア・ウクライナ戦争の語られ方は、重要な転換点を迎える可能性がある。

そこで以下では、これらの問題の出発点として、この戦争を何と呼ぶかを振り返り、そのうえで、今日焦点になっているウクライナによるクリミア攻撃、さらにはウクライナ南部のヘルソン州などが独立、さらにはロシアに一方的に併合されたような場合の「ロシア領」の扱いを事例に、語られ方をめぐる攻防を検証していこう。

今回の戦争を何と呼ぶか

まずはこの戦争を何と呼ぶか。やはり名称は重要である。日本政府は、「ロシアによるウクライナ侵略[1]」と呼んでいる。「侵略(aggression)」という言葉を使用したことに意味があり、思い切った判断だという説明が少なくない。実際そうした意図があったのだろう。侵略は国連憲章でも使われている用語であるし、1974年には「侵略の定義」に関する国連総会決議が採択されている。

それによれば、侵略とは、「一国が他国の主権、領土保全もしくは政治的独立に対して武力を行使すること、または国際連合憲章と両立しない他のいずれかの方法により武力を行使すること(第1条)」であり、「武力を最初に行使すること(第2条)」が侵略行為の「明白な証拠(同)」になるとも記された[2]

「どちらが先に手をだしたか」が重要なのは、単に政治的・心情的理由からではなく、この国連総会決議にも依拠する。安保理常任理事国のロシアが当事国である以上、ロシアの侵略行為が安保理で認定される可能性はほぼないが、だからといってこれが侵略にならないわけではない。

侵略と似た用語に「侵攻(invasion)」があるが、これと比べて侵略の方が深刻であり批判の度合いが上がるというヒエラルキーは、国際的には存在していない。日本で侵略が特に深刻な問題として使われるとすれば、それは、国際法を含めた国際的文脈に由来するのではなく、国内の歴史認識問題において、侵略と言う言葉が特に重い(論争的な)意味を有するからだといえる。

G7の声明では、「侵略戦争(war of aggression)[3]」などが使われるケースが多いものの、英語圏の報道や指導者の発言としては、「侵略」よりも「侵攻」が多い模様である。しかし、それは意図的に侵略よりも軽い言葉として使われているわけでは決してない。加えて、「違法でいわれのない(illegal and unprovoked)」という修飾が付けられることが多い。国際法違反の行為であること、および、それが挑発された結果の行動ではなく、一方的なものだったことを強調するための表現である。単に侵略や侵攻と表現する場合に比べ、責任のありかを明示する明確な意図がある。侵略・侵攻の性質、つまり誰が「悪い」かをその都度リマインドするのである。

こうした、一見些細な言葉使いの違いも、繰り返されれば、何気なく聞いたり読んだりする受け手の認識にも無視できない影響をおよぼす可能性が高い。この観点でもう2点指摘しておきたい。

第1に、日本語ではこの戦争を、「ロシアによるウクライナ侵略(侵攻)」のように表現する場合を除き、メディアを含めて、「ウクライナ戦争」と呼ぶことが多い。これについては、侵略の主体であるロシアが見えてこないこと、また、ウクライナの内戦であるかのように聞こえかねないとの批判がある。そのため、「ロシア・ウクライナ戦争」と呼ぶべきだとの声が根強いが、これにも、ロシアとウクライナが対等に戦っているようなイメージを想起させる懸念がある。そのために、上述のように「違法でいわれのない」といった修飾が意味を持つ。

英語では、「Russo-Ukraine war(ロシア・ウクライナ戦争)」と表現されることもあるが、より一般的には、「Russia’s war in Ukraine(ウクライナにおけるロシアの戦争)」ないし、「Russia’s war against Ukraine」(ウクライナに対するロシアの戦争)」と呼ばれる。これらの短縮形は「war in Ukraine(ウクライナにおける戦争)」になることが多い。日本語のウクライナ戦争も、ウクライナ「における」戦争であると解釈すれば、事実関係として特に間違っているとはいえないし、全ての関係者が満足する呼称はないのかもしれない。それでも、呼称がさまざまな含意を持ち得ることへの配慮の必要性はいくら強調してもしすぎることはない。

第2に、日本の一部報道では、「東部2州の完全掌握を目指すロシア軍」といった表現が、一時頻繁に使われた。まず、ドンバス地方の2つの州以外も標的にされていたため、事実関係として誤った表現であった(ロシアが南部においても作戦を強化するなかで、「東部2州の」という表現は聞かれなくなった)。

問題としてより深刻なのは、「完全掌握を目指す」との表現である。これは何だろうか。おこなわれているのは、「違法でいわれのない侵略」である。「完全掌握」にいたる過程では、ウクライナの国土が破壊され、人々が殺され、さらに、「掌握」の完了した土地においては、殺戮がおこなわれる可能性も低くない。キーウ近郊のブチャや東部の港湾都市マリウポリで起きたことをみれば明らかだ。完全掌握のような用語が選択された背景には、侵略や占領というきつい言葉を避け、より穏当な響きにするという意図があったと推測せざるを得ない。しかし、そこで実態をマイルドにみせる必要は本当に存在したのだろうか。それは何のためだったのだろうか。

たとえそうした意図がなかったとしても問題であった。というのも、ニュースを読んだり聴いたりする場合に、「東部2州の完全掌握を目指すロシア軍」と「違法でいわれのない侵略を続けるロシア軍」とでは、1回のみであれば、受け手の認識に実質的な影響はないかもしれないが、繰り返されれば、おこなわれている行為への認識が左右される可能性があるだろう。「完全掌握を目指す」だと、ロシア軍の行為にあたかも正当性があるかのような錯覚を生みかねない。

クリミア攻撃はエスカレーションか?

今回の戦争をどのように捉えるかという点において、日々どのような用語に接するかは、やはり重要であり、情報の発信側は、細心の注意を払う必要がある。その観点で、クリミアの扱いは重要な問題だ。

日本では、「併合」だと言葉が強いために、それを和らげる意図で「編入」という言葉が使われることもあった。その後、併合という言葉が主流になっても、例えば2015年版の『外交青書』では、何らかの意味を持たせて、併合にカギ括弧が付けられていた[4]。ただし、編入でも併合でも、英語訳はどちらも通常は「annexation」だったようである。

これについても、例えばG7の各種声明では、「不当かつ違法な(illegitimate and illegal)併合[5]」という修飾が付けられることが多い。日本のメディアでは、例えば共同通信はロシアが「強制編入」したクリミア、という表現を使っている。ただしこれはむしろ例外的であり、単にロシアが編入・併合したと表現される場合が多い。これだと、編入・併合が事実として認められたかのような印象を招きかねない。そのために、「一方的」や「強制的」、あるいはG7のように「不当」や「違法」といった言葉を付け加え続ける必要がある。

そのうえで、2022年8月に入って連続するクリミアのロシア軍施設への攻撃についてである。公式の発表はないが、ウクライナ軍が実施していると理解するのが自然であり、ウクライナ側も関係者がそれを示唆する発言を繰り返している。ウクライナ側は意図的に曖昧にしているのだろう。使われた武器についても不明な点が多い。特殊部隊や現地の反露パルチザンによる破壊という話から、何らかのミサイルや航空機、無人機による攻撃まで、諸説あるが実態は明らかになっていない。

内外の報道では、クリミア攻撃によって戦争の局面が変化するかのような指摘が少なくない。ただし、ここで重要になるのが、クリミアはウクライナ領だという事実である。ロシアによるクリミア併合を承認した主要国は存在しないし、G7は「クリミアはウクライナ領である(Crimea is Ukraine)[6]」と言い続けている。

それでは、これまでのウクライナ東部や南部におけるウクライナ軍の攻撃と、クリミアに対する攻撃は何が異なるのだろうか。ロシアによる併合は認められず、クリミアがウクライナ領であるという立場をとる限り、両者の間に相違はない。実態としてロシアが支配してきたという観点では、ドンバスの一部地域とクリミアは同様である。ウクライナにとっては、ドンバスもクリミアも2014年に一方的に奪取された領土である。

米国からウクライナへの武器供与にあたって、米国内には、ウクライナが米国から供与された武器を使用してロシア領内の奥深くに攻撃することへの懸念があった。米露間の直接的な対峙にエスカレーションしかねないとされたからである。結果として、ウクライナに供与される武器の射程距離は、例えば東部の前線からロシア領内に届かないものに限定されている。これはエスカレーションを避けたい米国の利益に沿った判断であり、ウクライナ側も、武器供与の代償として受け入れたのだろう。

ただし、ここでいうロシア領内への攻撃に、クリミアは含まれていなかったようである。クリミアがウクライナ領であるとの前提に立てば、クリミアへの攻撃を否定する根拠は乏しいということだろう[7]。2022年8月のクリミア攻撃に米国がどこまで積極的であったかは不明だが、少なくとも反対はしていなかったのだろう。

しかし、「クリミアは違う」と思わせたい勢力が存在する。それはロシアである。ウクライナがクリミアを攻撃すれば、ロシアはいままで以上に強い反応をせざるを得なくなる、つまり、戦争のエスカレーションが引き起こされるというメッセージを出したいのは、ほかならぬロシアである。ウクライナのクリミア攻撃の阻止が目的である。エスカレーションをちらつかせることで、「ウクライナはクリミアを攻撃すべきではない」という国際的世論、さらにはウクライナ政府に対する直接の圧力をつくりだし、(さらなる)攻撃を思いとどまらせたいのである。つまり、ロシアの側からの抑止のメッセージである。

「ウクライナによるクリミア攻撃は、ロシアによるさらなる攻撃を招きかねない」という議論までは、ロシア側の考え方、行動様式に関する分析として成立し得る。しかし、意図したとしてもしなかったとしても、その後にほとんど不可避的に付随するのは「だからウクライナはクリミア攻撃をすべきではない」という議論なのである。そしてそれこそが、繰り返しになるが、ロシアの狙いなのである。

したがって、情勢の分析としては、「ロシアはこのように考え、発信するだろう」という側面を強調する必要があり、可能な限り「その狙いはウクライナによるクリミア攻撃の阻止である」ことまでを含めて説明する必要がある。そして、こうした議論は、この戦争における語られ方をめぐる攻防の一環である点に常に意識的でなければならない。

もちろん、戦争のエスカレーションの懸念は常に存在する。そして、ロシアにとって執着が強いと思われるクリミアが攻撃されれば、ロシアの反発は強くなり、さらなる攻撃の引き金になる可能性は現に存在する。したがって、上記のような分析自体が間違っているわけではない。しかし、繰り返しになるが、文脈とロシアの意図について十分意識しなければロシアの「思う壺」になってしまい、ロシアのプロパガンダの片棒を担ぐことになりかねないのである。

そのうえで簡潔に3点付け加えたい。第1に、たとえ、ウクライナによるクリミア攻撃への報復だと考えられるロシアによる攻撃があったとして、それが、クリミア攻撃がなければおこなわれなかったか否かが問われなければならない。というのも、ウクライナが攻撃している(とみられる)弾薬庫や航空基地などは、いずれにしてもウクライナ南部でのロシアによる攻撃のためのものだからである。予めクリミアの軍施設を破壊することで、ウクライナ南部でのロシア軍の作戦を阻害するのが、ウクライナにとっての軍事作戦上の目的である。

第2に、ロシアが大規模な報復の脅しをかけたとして、具体的にどのような手段が存在するかについての精査が必要である。実際、ロシアは民間施設・民間人への執拗な攻撃を含め、すでに極めて残虐性の高い攻撃をおこなっている。他方で、生物・化学兵器、核兵器については、NATOの介入への懸念などの要素もあり、これまでのところ慎重な姿勢を見せている。やみくもに恐れる前に、ロシアがとりえる攻撃手段とそれらが使用され得る条件について冷静に分析する必要がある。

第3に、クリミアの武力による奪還まで米国などが支援するかについては不明だが、地理的に考えて、ヘルソン州の奪還に成功しない限り、クリミア奪還はあり得ない。そのため、武力によるクリミア奪還を支持しないことと、ヘルソン奪還作戦の一環としてのクリミア攻撃を支持することは、完全に両立可能なのである。端的にいって、ヘルソン奪還のためのクリミア攻撃とクリミアの武力奪還は異なる。この2つを混同させることでNATO諸国の側に躊躇が生まれるとすれば、それはロシアの狙いどおりということになる。

ウクライナ南部の一方的併合がなされた場合には?

ロシアがヘルソン州とザポリージャ州というウクライナの南部2州において、「住民投票」を実施する可能性は、2022年春ごろから懸念をもって報じられてきた。新たに占領した地域において住民投票を組織することは、実際には容易ではないものの、準備は進められている。したがって、住民投票が実施されてしまう懸念は日に日に高まっていると理解すべきであろう。そのため、ウクライナにとっても、南部奪還が最重要課題になっている。

ここで問題になるのは、住民投票が行われ、ウクライナからの独立、さらにはロシアによる一方的併合へと突き進んだ場合に、戦争の継続という観点では何が変化するのかである。住民投票が公正で民主的におこなわれたとロシアがいかに主張したところで、その結果を合法的なものとしてウクライナ政府が受け入れることは決してないし、G7をはじめとする国際社会も同様であろう。そのため、南部2州の地位に関する国際法の解釈が変更されることはあり得ない。

しかし問題は国際法上の解釈ではなく、ロシアの主張が実態としてどのように受容されるか、つまり、戦争の語られ方に変化が生じるか否かである。この件に関してロシアが国際世論に信じさせたい言説は、「ウクライナの南部2州が『ロシア領』になった以上、そこへの攻撃はロシア本国への攻撃とみなされる」ということであり、その含意、というよりむしろ真意は、ロシア本国への攻撃である以上、ロシアの反発は強くなるし、場合によってはロシアの国家としての存立が脅かされたとして、核兵器の使用も排除できなくなる、ということだ。これもロシアの側からの抑止である。

上記クリミアに関する議論と基本的に同様であり、目的は、ロシアとしてウクライナの攻撃を阻止するための国際世論、ナラティブづくりである。「ウクライナが攻撃すればロシアはより強く反応する可能性がある」まではロシア側の考え方についての分析だが、議論はそこで終わらずに、「それゆえウクライナは攻撃すべきではない」という後段が不可避的についてきてしまうのである。そしてこれこそがロシアの狙いである。

その結果生じ得るのは、ウクライナ南部に対する同国による従来どおりの正当な軍事作戦が、エスカレーションの元凶のようにみなされて批判されたり、ウクライナ政府に対して攻撃を思いとどまらせるような圧力が行使されたりしてしまう状況である。ウクライナにしてみれば、2次被害のようなものであろう。これこそ、語られ方をめぐる戦いであり、メディアを含めた国際社会が大きな役割を担っている。

この観点で、ウクライナと国際社会にとって最も厄介なシナリオは、ロシアによる一方的な停戦、つまりロシアのいうところの「特別軍事作戦」の一方的な終了宣言である。それは、更なる侵略のために態勢を整えるための時間稼ぎにすぎない可能性が高いが、それでも、ロシアが停戦を宣言し、実際に攻撃をやめることがあれば、ウクライナ側にも停戦受け入れの圧力がかかることになるだろう。ウクライナが戦闘を停止しなければ、ウクライナ側がエスカレーションさせていると捉えられかねない。

そうしたなかで事実上の停戦になった場合に、ロシアは占領した地域に居座ることになる。自発的に撤退する可能性は皆無だろう。ウクライナにとっては自国領土を奪還する機会が失われ、ロシア占領地域の国民の犠牲は続くことになってしまう。ここで問われるのも、国際世論がこうした状況をどのように捉えるかであろう。ロシアによる一方的停戦の不当さやまやかしを批判し続けるのか、それとも、ウクライナに対する停戦への同調圧力を作り出すことになるのか。この帰趨が有する影響は大きい。

このように考えると、ロシア・ウクライナ戦争の開始から半年が経つなかで、この戦争は、語られ方をめぐる攻防という観点で、今日、大きな転換点を迎えかねない状況にあることがわかる。これまでのウクライナ優位の継続は全く保証されていない。ウクライナは侵略を受けた側であるにもかかわらず、ウクライナの方が戦争をエスカレートしている方だとみられかねない要素が増加しているのである。

とはいえ、エスカレーションの回避という課題は、ウクライナにとっても重要であるし、米国のウクライナ支援においても、大きな要素になっている[8]。核兵器保有国であるロシアを刺激しすぎれば、核兵器の使用、そして第三次世界大戦という破壊的な結果を招きかねないというのである。この懸念ゆえに、常に慎重さが求められることは諭を俟たない。ロシアが米国やNATO(北大西洋条約機構)を抑止している構図である。

しかしそのことは、ロシアによるエスカレーションの脅しの全てを真に受けて、ウクライナやNATO、国際社会の側がロシアに譲歩しなければならないことは意味しない。ロシアがNATOを抑止していると同時に、米国を含むNATOの側の対露抑止も機能しているからである[9]。つまり、エスカレーションに関して、ロシアがフリーハンドを有しているわけではない。

これ以上の議論は別稿に譲りたいが、本稿の観点から重要なのは、エスカレーションの懸念を惹起させ、その責任をウクライナに押し付けることこそ、今回の戦争の語られ方をめぐる攻防におけるロシアの重要な目的だということである。そして、それは抑止という根源的な問題と直結しているのである。語られ方はやはり重要だ。