公益財団法人日本国際フォーラム

ウクライナ問題に関する米欧の基本姿勢—直接的軍事不介入

2022年のロシアのウクライナ侵攻をめぐる米欧諸国の姿勢は2014年ロシアクリミア併合の時と基本的に同じだ。たしかに首都キーウィの攻撃を含む大規模攻撃と、それに対するウクライナの徹底抗戦によってロシアの侵攻が予想以上に難渋している点は8年前とは違う点だ。

しかし共通点と対立構造は「デジャ・ヴュ(既に見たこと)」だ。その第一は、軍事介入による大国間の直接対決を回避したいという米欧露間の暗黙の了解だ。米欧の直接衝突

回避の姿勢は2013年シリアの内紛の際に見られ、それが翌年のプーチン大統領のクリミア半島の軍事占領決定につながったと考えられている。つまりシリアのアサド大統領に対して化学兵器を使うことは、「レッドライン(米欧の空爆の条件)」を越えたとみなすとオバマ大統領は事前に再三警告していたにもかかわらず、最終的には空爆を断念した。それは米欧(フランスは空爆の準備をしていたが単独の空爆はできなかった)の直接軍事介入の意志のないことを示したことになった。そうした認識が二回にわたるプーチン大統領のウクライナ侵攻決断の背景にあったといわれる。

2014年ウクライナ情勢の混乱の直接の発端は、ウクライナがEU加盟準備段階となる欧州連合協定を締結する動きを見せたことにあった。同年224日、親欧派「ユーロマイダン」の活動が活発化して、この協定締結を拒否したヤヌコヴィッチ政権は崩壊し、その直後親欧派暫定政権が成立したことを受けて3月ロシア軍がクリミアに進駐、住民投票で96%の圧倒的多数の支持を得て独立したクリミア自治共和国のロシアへの正式な編入を決めた。

米欧諸国は一斉にクリミアでの住民投票の無効を主張し、ロシアを非難したが、オバマ米大統領は事前に武力行使の意図のないことを早々に言明、ラスムッセンNATO事務局長も同様の発言をおこなっていた。NATOは1997年ウクライナとはパートナーシップ協定を締結し、防衛協力する関係にあったが、軍事介入の意思は示さなかったのである。欧州諸国も対露武力行使の意欲は示さなかった。実際にはその後の米欧の対応もクリミアのロシア併合が既成事実化するのを断固として阻止するまでには至らなかった。

今回のロシア軍の侵攻に先立つ2021年12月上旬には英米仏独EU首脳がロンドンで会合を開き、ウクライナの領土保全をめぐってロシアの脅威に対して協力することで一致したが、バイデン大統領は、ロシアがウクライナに侵攻した場合でも米軍のウクライナ派遣はないことを明らかにしていた。これはバイデンが早々にロシア対して手の内を明かし、プーチン大統領の侵攻の決断を促せたと、後に批判された発言でもあったが、逆に戦争をしないということを明言することでロシアとの交渉の窓口を閉ざさないようにしたとも考えられる。米露間の腹の探り合いでもあった。

「遠い国」の紛争と理想主義—バイデン大統領の深謀遠慮と選択肢を失ったウクライナ

第二に、この米国の軍事的不介入の発言をウクライナの側から考えてみると、どうであろうか。そこには米国の深謀遠慮も見えてくる。筆者が強調したいのはその点だ。

ウクライナからすると、米軍介入がないということであれば、戦争になった場合には、ウクライナはロシアに譲歩するか、米国の兵器供与を受けて単独で戦わねばならない。それは大変リスクの高い決断だ。非対称の戦争であることは確かだからだ。どこまでその覚悟がウクライナにあったであろうか。

ウクライナ国民の勇気に対する礼賛の陰に隠れて、余り議論されないが、ロシア侵攻直後戦局の劣勢を認めたゼレンスキ―大統領がロシアとの交渉の意思があることを表明したことがあった。譲歩を示唆したのだからゼレンスキーにはこの時点では、後に世界に訴えかけた徹底抗戦の意思がなかったことは明らかだった。短期決戦を考えていたプーチン大統領同様に、ゼレンスキ―大統領にとっても戦争の長期化は当初望ましくない選択肢であったはずだ。ゼレンスキ―大統領には当初徹底抗戦の覚悟はなかったと考えるのが妥当だ。

一体バイデン大統領の軍事的不介入発言の真意はどこにあったのであろうか。しばしば指摘されるように、今秋の中間選挙を考えた時に、バイデン大統領にはウクライナ介入の選択はなかった。世論がそれを支持しないことは明らかだとみられていたからだ。それは先述のように米露間の腹の探り合いの意味があったことは確かだが同時に、早々の不介入宣言によってバイデン大統領はウクライナ側の譲歩を暗に促そうとしたという解釈もできるのではないか。つまり「(米軍なしでも)ウクライナは抗戦するのか」という問いかけは改めてウクライナに投げかけられたことになる。この辺りの事情は後に明らかになるだろうが、それこそ米国のウクライナに対するメッセージではなかったか。米国は表向き、ロシアの態度を非難して、近隣諸国に米軍を派兵。ウクライナ支援のポーズを内外に誇示した。それがロシアの侵攻を思いとどまらせればそれでよし、万が一戦争となった場合にはプーチンの暴挙は明らかだから、米国はできるだけのことをしたということで一応その責任は果たした。本音のところでは戦争を望まぬバイデン政府はそう考えたのではなかろうか。それがこの発言の真意ではなかったか。そして結果的にはウクライナが単独で戦うことをアメリカは後押ししたことになる。

米国の直接的戦争を望まぬ旨をロシアに対してもウクライナに対しても伝えることによって、交渉のハードルを下げようとした。不介入発言には両国に対する異なったメッセージ、つまりこの発言には両義性があった。冒険はできない。米軍派兵のシナリオは十中八九なかった。それに米露直接対決は何としても避けねばならない。そのうえで米国への批判は抑えたい。バイデンの不介入発言の真実だと思う。

筆者は戦争の脅威が高まったこの2月、日本では最も古い独立系の外交安全保障シンクタンク日本国際フォーラム(JFIR)で2度にわたって在日ウクライナ大使やウクライナ元外相らとweb会議を開催し、議論する機会があった(同フォーラム「ユーラシア研究会」JFIR HP参照)。侵攻前夜彼らはいずれも予想以上に強い姿勢でロシアを批判し、戦意を明らかにしていた。そして戦争になった場合のNATOの軍事的役割と日本を含む米欧諸国の直接支援を強く希望していた。筆者は外交的解決の道の模索について議論しようとしたが、もはや戦争の道はつけられているかのように見えた。

そして実際には、プーチン大統領は短期決戦の楽観論に支えられて侵攻した。ウクライナにはもう応戦するしか選択肢はなかったのである。そして米欧からの兵器供与など間接的支援に頼る道が残されていただけだった。上記研究会メンバーからはこの戦争が「米露代理戦争ではないか」という意見も当初から出ていた。

米露対決の縮図

第三に米露対決は今回のウクライナ戦争の本質のひとつだ。

今回も昨年春以来ロシア軍がウクライナ国境付近に兵を終結し軍事的脅威が高まってきた11月のNATO外相会議で、NATO軍増強、黒海への米海軍派遣、ウクライナへの軍隊・兵器供与が提案されていた。2014年よりも軍事支援は積極的だった。危機感が高まる中で、2022年1月中旬のジュネーブにおける米露戦略的安定対話、NATOとロシアの対話、ウィーンにおけるOSCE開催も不調に終わった。ルカシェヴィッチ露大使は「NATOが欧州の政治的軍事的不安定を招き、ロシアの安全保障上のリスクを高めている」「ウクライナの方が停戦と和平のための2015年のミンスク合意を守っていない」と主張、議論は平行線をたどった。

こうした中で昨年12月17日 ロシアNATO拡大停止を趣旨とする合意提案を行った。米国との条約提案には、①NATO東方拡大の停止、②バルト三国を除く旧ソ連諸国に軍事基地を設けず、③軍事協力を発展させないこと、④中距離ミサイルや核兵器を自国外に配備しないことなどを含む8条の提案が述べられており、さらにNATOに対しては、①欧州での軍備配備はNATO東方拡大の1997年以前の状態に戻すこと、②ウクライナやほかの東欧諸国、コーカサス、中央アジアで軍事行動をとらないこと、③ロシアの国境地帯付近で軍事行動をしないことなどを含む9条の提案であった。

そして翌年1月21日米国は前年末のロシアの提案に対する回答を行ったが、その内容は軍事行動・演習を制限するという点以外は主な点はほぼ「ゼロ回答」であった。ここに至って、米露の対立姿勢が鮮明である以上戦争の機運はさらに高まった。2月初めにプーチン大統領はこの米国の回答を「ロシアの提案が無視された」と強い不満を露わにした。米国の記反応がロシアにとって最大の関心であることは確かだった。

ミンスク合意 —欧州大国による調停の挫折と境界国の命運

第四に、軍事介入を回避した米欧露の大国間交渉による妥協方式と境界国ウクライナが翻弄される姿も共通点だ。その妥協の産物がミンスク合意だったウクライナを欧州の一部と考えれば、とくに欧州大国の対露宥和の責任は大きい。

紛争が続く中、2014年9月にはベラルーシの首都ミンスクで、ウクライナ政府と親露派武装集団の間のウクライナ停戦の合意が成立[1]、それに基づいてウクライナの最高会議はドネツク・ルガンスク東部両州の特定地域で3年間の暫定自治権を認めることを承認した (ミンスク合意)。しかし停戦合意後も戦闘は止まず、11月にはウクライナ東部、ドネツク・ルガンスクでは独自に選挙が実施された。EU各国もこれには強く反発した。さらに2015年1月下旬からウクライナ政府軍と東部親露派の戦闘が激化した。結局2月になって独仏露ウクライナ四か国は停戦の新合意文書をまとめた(2014年9月のミンスク合意に準じる内容)。四か国によるこの対話様式は「ノルマンディーフォーマット」と呼ばれている。

しかし2月下旬には東部ドネツク州の主要都市デバリツェボが親露派の武装集団によって占拠され、6月初めには拠点であるドネツクと外部を結ぶ戦略的な町で政府軍と親露派の大規模な戦闘がおこった。15年末までに親露派地域に強い自治権を与える新憲法が発効される予定であったが、これも実現しなかった。ロシア側はウクライナ側がミンスク合意を実現する意思がないと非難し続け、ウクライナはロシアのウクライナ東部領土への侵犯を批判した。合意内容の解釈をめぐる対立でもあったが、それは解決しないまま、2022年のロシアの侵攻の事態に至ったのである。

最後の調停を期してEU議長国マクロン仏大統領は、22年2月7日モスクワを訪れ、プーチン大統領と二時間にわたって協議を行い、2月10日にはベルリンで独仏露ウクライナ四か国の政府高官級会議(ノルマンディー・フォーラム)が開催されたが、解決の突破口は開かれなかった。このころマクロン大統領は、「戦争回避はウクライナがNATO加盟を断念すると表明するしかない」という趣旨の発言をした。危機は切迫していた。多極構造の中の小国の命運は、大国の中途半端な介入によって風前の灯火となった。境界国家の悲運だった。

米欧支援の実効性への疑問兵器供与と経済制裁

第四に軍事的不介入を決めた米欧には兵器供与と経済制裁という形での支援しかなくなった。いずれもどれだけの有効性があるのか。たしかに米欧の兵器供与でウクライナは存外に持ちこたえている。ウクライナ軍がロシア軍を撤退させる可能性もないわけではないが、ロシアが攻撃レベルをエスカレーションしていくにつれて戦禍は拡大していくことは確かだ。米欧がどこまで支援できるか。またたとえ米欧のさらなる支援によって形勢を立て直したとしても、ウクライナにプーチンの攻撃的意思を打ち砕くだけの抵抗が果たして可能であろうか。

経済精査については2014年に比べると、22年は欧米ともに用意周到だった。EU20143月の緊急首脳会議で三段階の制裁方法を示したが、制裁の第一・二段階では制裁者リストには、プーチン大統領とその周辺の人物、またガスプロム社・ロスネフチ社の経営陣の名前はなかった。EUはロシアの政治・経済中枢に対する制裁には慎重であり、アメリカよりもロシアに対しては宥和的な対応であった。加えて、EUが第三段階の措置である経済制裁措置に出たのは7月末マレーシア機撃墜事件の後になってであった。その時になって漸く、ロシア系銀行のEU市場での資金調達の禁止、新規の武器禁輸、軍事移転可能な汎用ハイテク技術・製品の輸出禁止などを発動した。

それに対して20 22年の場合には、経済制裁は早い時期から準備された。ロシアの侵攻直前、ウクライナ東部二州の独立をロシアが承認した直後、ロシア下院議員のEU渡航禁止と資産凍結、EUの金融市場でのロシア国債の取引制限を決定(第1次制裁)、さらにロシア侵攻の翌日の2月25日にはプーチン大統領、ラブロフ外相らの資産凍結を決め(第2次)、2月末から3月初めにかけてロシア中銀との取引禁止、ロシア航空会社のEU空域の飛行禁止、ロシアの7銀行を国際的決済網(SWIFT)から排除、ロシア官製メディアのEUでの放送活動禁止(第3次)、同月中旬にはロシアエネルギー部門への新規投資禁止、鉄鋼の輸入制限、高級品の輸出制限(第4次)、4月5日には石炭・木材・セメントなどの輸入禁止、量子コンピューター・先端半導体などの輸出禁止、ロシアの船舶のEUへの寄港禁止(第5次)を矢継ぎ早に決めた。そして5月2日EUはロシアからの石油輸入禁止措置を決定した。ロシアの石油の6割はEU向けなのでこの措置はロシアに対する決定的な打撃になることが期待された。

しかしEUはロシア産のガス・石油・石炭に大きく依存(それぞれ41%、37%、19%)しており、欧州各国は現在エネルギー供給不足に直面している。他方でロシアはEU市場を失った代わりに、30%価格を下げることによって中国やインドをはじめとするほかの地域への輸出を拡大させており、米欧の経済措置がどこまで効果を上げるのか、疑問視する向きもある。

現状打破を目指す国が力の行使に出た時に、現状維持国がそれを阻むことは並大抵ではない。ヒトラーの東欧進出やイスラエル建国以来のパレスチナ紛争は旧に復するには多大のコストが必要であることを示している。米欧諸国の大国主義的宥和姿勢はあらためて振り返ってみる必要があるだろう。

(本論稿は拙稿「不透明な時代の欧州「世界戦略」を模索する――ウクライナ危機をめぐる欧州安全保障体制」『月刊 世界と日本』no 1336-1337合併号 令和467月合併号の一部を加筆修正したものである)