メモ

当フォーラムの実施する「『自由で開かれたインド太平洋』時代のチャイナ・リスクとチャイナ・オポチュニティ」研究会内、欧州班の第1回定例研究会合が、下記1.~3.の日時、場所、出席者にて開催されたところ、その議事概要は下記4.のとおり。
- 日時:2022年7月18日(月)20:00-22:00
- 場所:オンライン形式(Zoom)
- 出席者
[報告者] | 板橋 拓己 | 東京大学教授 |
[司 会] | 鶴岡 路人 | 慶應義塾大学准教授(班長代理) |
[欧州班メンバー] | 細谷 雄一 | JFIR上席研究員/慶應義塾大学教授(班長) |
岩間 陽子 | 政策研究大学院大学教授(アドバイザー) | |
東野 篤子 | 筑波大学教授 | |
[JRSP] | 合六 強 | 二松学舎大学准教授 |
中村 優介 | 千葉商科大学国際教養学部助教 | |
越野 結花 | 国際問題戦略研究所(IISS)リサーチ・フェロー | |
田中 亮佑 | 防衛研究所地域研究部米欧ロシア研究室研究員 | |
[オブザーバー] | 石田 智範 | 防衛研究所戦争史研究センター国際紛争史研究室主任研究官 |
[JFIR] | 伊藤和歌子 | 研究主幹 |
安井 清峰 | 研究員 | |
岩間慶乃亮 | JFIR特任研究助手/慶應義塾大学院 | |
大林憲司・マテイ | JFIR特任研究助手/慶應義塾大学院 | |
矢部 美咲 | JFIR特任研究助手/慶應義塾大学 |
- 議事概要
板橋拓己教授による報告「NATO東方不拡大の『約束』をめぐって」
2022年2月24日の演説において、プーチン大統領はNATO(北大西洋条約機構)の東方拡大がロシアにとって根源的な脅威であると強調した。彼は2007年のミュンヘン安全保障会議でも同様の趣旨の発言を行うなど、西側諸国がNATO東方不拡大の約束を破っているのだとして批判を繰り返している。この東方不拡大の議論のきっかけとなったと考えられているのが、1990年2月9日のゴルバチョフとの会談におけるベーカー米国務長官の「NATOの管轄及び軍事的プレゼンスは1インチたりとも東方に拡大されることはない」という発言である。そして、この「不拡大約束」の成立をめぐってはこれまでさまざまな論争が繰り広げられており、それらは主張の内容に応じて、(1)約束成立の完全否定派、(2)否定派、(3)成立派の3つに大別できる。第一の完全否定派にはベーカー国務長官やNSC(国家安全保障会議)のフィリップ・ゼリコーらが当てはまる。他方、否定派の代表であるサロッティやシュポアなどはロシアの不満に一定の理解を示しつつも、条文や公式声明の形で文書化されておらず、「約束」は公式の合意ではないとの立場である。これらに対し、成立派の1人であるシフリンソンは、この議論で問われているのは国際政治における「合意(agreement)」の概念であり、条文だけでなく口頭での発言も一定の拘束力を持つのだという主張を展開する。
このように、「約束」の成立をめぐってはさまざまな論争が繰り広げられているが、ドイツ統一プロセスを冷戦終結の「大団円」としてではなく、冷戦後ヨーロッパ国際秩序の「始まり」として捉え直すことは重要である。この点については、サロッティや吉留公太の著書をはじめ史料に基づく実証研究が刊行され始めているが、西ドイツ外交の視点から見ると、コール首相とゲンシャー外相の間で統一をめぐって異なる2つのビジョンが存在し、それらが重なり合って統一プロセスが進行したことに注意すべきである。
1989年11月のベルリンの壁開放から翌年2月のキャンプ・デーヴィッドにおけるブッシュ政権とコール首相の一致に至るまでのプロセスにおいて、ゲンシャー外相は、ヨーロッパの分断の克服こそがドイツ統一の前提であると考え、「東西融和・和解」としての冷戦終焉のビジョンを掲げていた。すなわち、NATOとワルシャワ条約機構は次第に軍事同盟から政治同盟へ転換し、両者が協調的な関係を結びながら全ヨーロッパ的な枠組み(機能強化されたCSCE(欧州安全保障協力会議))へと収められ、やがて解消される、という段階的な構想を提示していたのである。しかし、このようなゲンシャーの構想は最終的には採用されず、東ドイツの崩壊など厳しい情勢に直面する中で、米国とともに迅速な統一に向けて邁進するという道を西ドイツは選択することになった。このように、現実の冷戦終焉は「東西融和」よりもむしろ「勝敗区分」型という結末を迎え、ゲンシャーのビジョンは最後まで実現することはなかった。しかし、彼の外交に注目することは、冷戦終焉後のヨーロッパ秩序の、あり得たかもしれないもうひとつの可能性について想起することを意味するという点において現代的な意義のある試みなのである。
(以上、文責在事務局)