公益財団法人日本国際フォーラム

人の国際移動が関係する諸国間の摩擦や紛争をもたらしうる、という議論は、第二次世界大戦以降しばらくの間、世界規模で封印されてきた。一方では、それは世界人権宣言に象徴的な戦後の人権意識の高まり、欧州などで(地域統合を通じて)リベラル民主主義を基礎に置く経済統合が安全保障共同体を作るという理念が追求されるようになったこと、そして、米国が標榜するリベラル民主主義的価値観を「西側」同盟国が共有する中で、移民や難民を敬遠するという社会の傾向を取り上げること自体が公の空間でタブー視されてきたからである。他方で、越境移動者を受け入れることは、難民(=亡命者)への庇護の供与という点ではソ連など共産主義国の政治体制への明確な批判となったし、事実上の諜報活動にも役立つ点で米国(陣営)には有利であった。また、経済目的での越境移動者の受け入れも、国内の労働市場の流動性を高め経済発展を促すという点で雇用者から好まれ、また、資本主義国にとって望ましいことであるとされた。

しかしながら、冷戦終了による国際構造の変化は、主にリベラル民主主義国の越境移動者の受け入れへの選好形成のあり方に大きな影響を与えた。難民や移民を積極的に受け入れることを利益と考える集団が引き続き存在する一方で、冷戦下の二極構造を支える理念としての利用価値がなくなったリベラル民主主義を国の主導者が持て余す時代となった。

この結果、リベラル民主主義はいわば「剥き出し」の理念として、発展途上国や社会の民主化を評価するための尺度の一つとみなされるようになった。特に、人の国際移動に関わる政策領域では、外国人を人道目的で国内に受け入れること、そして彼らの人権を「外国人の人権」として、つまり、将来的な国民統合を前提にしない居住者の権利として尊重することが理想とされるようになった。以前は、このようなリベラルな、あるいは道徳的な国際協力の理念が二極構造下の国家のバランシング行為とうまくマッチしていたが、冷戦後この理念が「剥き出し」になってしまったことで、道徳的な行為の制限をどこに置くか、その線引きの正当性を政治的にいかに担保するか、という問題に直面しているのが、多くのリベラル民主主義国の現状であると言えるだろう。すなわち、現在欧米諸国で起こっている国内の混乱はひとえにポピュリズムやゼノフォビアへの一般市民の迎合という現象だけで語ることはできない、ということである。その根底には深刻な政治的真空があり、国内の分断を解消するための有効で主体的な方策を既存の権力が見出せていない、という問題として提示すべきなのである。

欧州連合(EU)加盟国が冷戦後に辿った政治的軌跡は、まさにこの典型例である。受け入れの決定要因は原則として至極明示的であるのに、マスメディアや国連、人権NGOなどの批判によってしばしば歪められた実態として受け入れ国の国民に提示される。実のところ、EUは、1990年代のユーゴスラヴィア紛争時(後述)を除いてはかなり厳しい難民受け入れ体制を整備してきた。まず、加盟国同士での難民受け入れは行われないこととされた。つまりEU加盟国から難民が生まれることはないとの公的なルールが定められた。そして、「ダブリン規則(Dublin Regulation)」という、庇護審査の責任国を規定するためのヨーロッパ諸国間の条約が制定され、難民資格の申請者は自らの意思で受け入れ希望国を選定することができなくなった。他方、経済目的の人の移動に関しては、EU加盟国の国籍を持つ人に限られた自由移動が認められ、これに伴いEU域内の経済発展に寄与するための助成策が講じられるようになった。いずれも、欧州統合圏を安定的に発展させるために極めて合理的な政策であった。しかし、それでも非国家主体である国際的な人権擁護機関、団体、そしてマスメディアなどからの批判が止むことはなかった。これら非国家主体の批判は、アフリカやアジアからの人の移動に対し冷淡なEUやその加盟国に対する抗議であり、その道徳的、また人道主義的意義は極めて大きい。しかし、政治家の側がこれに真剣に対処せず、世論の動向にその場しのぎの対応でいわば短絡的に受け入れの可否を決定してきたことが、以後の政治的混乱につながっていく。

2000年代、フランスで極右政党「国民戦線」があわや国政を担う可能性が生じたことが欧州全体に反移民を掲げる政治キャンペーンの起爆剤となり、欧州各国の政権におけるリベラルな(あるいはそう見えただけの)出入国管理体制への関与のあり方が問題視されるようになった。また、この時期生じた政治的混乱は、欧州各国の安全保障や経済政策のあり方にも再考を促すこととなった。「難民/移民問題の安全保障化」は、このような政治的文脈において生まれたのである。

1.移民/難民危機とEU―シリア危機、「ルカシェンコ」危機、ウクライナ危機

政治的混乱の中においても、欧州各国は続々と人の移動の危機に見舞われた。まず、シリア内戦に伴う難民危機が生じた際、ドイツのメルケル政権は大規模な難民の受け入れを決定したが、これは一般に言われている道義的な理由もあっただろうがそれ以上に、シリア難民がバルカン地域を経由することで生じる旧ユーゴスラヴィア地域の政治混乱が欧州に波及することを恐れた現実主義的な判断でもあった 。しかし、実際にはメルケル首相はドイツ国内の政治的分断を収拾することができなかった。この教訓を悪用したのがロシアであり、またベラルーシのルカシェンコ氏であった。ロシアは偽の情報をドイツ国内に拡散することで難民(移民)へのドイツ国民の悪感情を喚起しようとした 。また、ルカシェンコ氏は、中東からの難民希望者をポーランド国境に集結させ、自身への経済制裁の解除を求めるためのディールにおいて難民問題を利用しようとした。まさに難民を「兵器化(weaponization)」したのである。当時EUは、難民を脅しに使うというこの戦略をまともに取り扱わないという姿勢を貫いた。たとえば、フォンデアライエン欧州委員長は、ルカシェンコの戦略を「ハイブリッド攻撃(hybrid attack)であり、難民危機(migration crisis)ではない。」と公式に明言し、NATOの協力を仰いだ 。また、最も大量の難民が押し寄せたポーランドは国境管理を強化し、人権NGOの関与を禁止するなど極端な方法まで用いて難民の入国を防いだ。いずれの「難民危機」も新型肺炎パンデミックにより加盟国が独自の国境管理を(再)導入し、入国制限を原則とする政策を実行していることから、人道上、また道義的に大きな問題だとの指摘は免れなかったものの、当面は深刻な外交上の問題にはならないかのように見えた。

しかしながら、その後、2022年2月下旬に起こったウクライナ難民危機は、多少歪められた方法でEUや加盟国が抱える問題を浮き彫りにした。ウクライナ避難民の受け入れや保護のためには、EUはいとも容易く合意形成ができたのだ。つまり、欧州諸国が抱えていた難民危機は、単に人数の問題、すなわち「抱えきれないほどの大人数の避難民」にもはや対処できない、という問題ではなかった。むしろ、避難民が「どの国から、どのような民族としてやってくるか」ということこそが実際の問題であったという事実が露呈したわけである。

2.ウクライナ避難民への欧州の対応にみる国際協力の可能性と限界

ウクライナへロシアが侵攻するかもしれない、という状況を前に、2022年2月20日ごろから既に、ウクライナ人が国外脱出を試みる動きが加速した。EUの庇護審査を行う外庁である欧州庇護エージェンシー(EUAA)によれば、庇護申請は2月21日から24日の間に21,700件ほどであった 。その後、3月2日にEUが「一時的保護指令(Council Directive 2001/55/EC of 20 July 2001)」の発動を決定した ことで一気に庇護申請件数は下がり、一時的保護への申請に取って代わった。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻後、同年5月20日現在まで、実に645万人ほどのウクライナ人が国外に避難している 。このうち、8割以上はヨーロッパ諸国に逃れている。

なぜ、あれほどシリアやアフガニスタンからの難民の受け入れに苦慮していたEUがこうも素早く合意形成ができたのか。注目すべきは、従来難民の受け入れに厳しい対応を取ってきたポーランドやハンガリーなどが、ウクライナ人に対しては非常に寛大な門戸の開放を行ったということである。両国は、2月27日のEU司法・内務閣僚理事会(加盟国大臣級会合)では一時的保護指令の適用を含む協議にも合意した 。2015年のシリア難民危機のときには、両国はドイツと欧州委員会の主導による受け入れ分担への協力を頑なに拒んだ。この極端な対応の違いは、既に国内外のメディアが追及しているところである。「非白人への差別である」、「白人でキリスト教文化圏に属するウクライナ人を優遇している」、「今回ウクライナ人を受け入れることで難民条約締約国としての体面を保ち、国際社会からの批判を免れようとしている」など、実にさまざまな指摘がある 。

筆者の当面の見解としては、最も決定的な要因は、今回結果的に覇権国としての役割を果たした米国の行動にあると考える。2014年のクリミア併合時とは異なり、米国はドンバス地方の未承認国家の独立を支援するというロシアの名目や、ウクライナのNATO加盟を阻止するといった侵攻の口実に対し、直接的な軍事介入は行わないもののこれを明白に非難し、ウクライナがロシアに抗戦するための支援を実践している。経済制裁の規模も、2014年と比べると格段に大きい。EU加盟国、特にポーランド、ハンガリーは、このような米国の対応を見て、停戦後のウクライナ復興支援まで米国主導で西側が責任を持つということを確信しているのではないだろうか。つまり、今回のウクライナからの避難民が受け入れ先にほぼ恒久的に移住すると想定している国は少ないのではないか。これが、当座の筆者の見立てである。

3.補完的受け入れ選択肢と日本の政策形成への提言

ところで、今回のEUの対応をもってして難民保護についての難民条約が拡大解釈されるようになっているのが世界のトレンドであるように評する向きがある 。そういった評価は、理想の追求という面では望ましいかもしれないが、現実の客観的な評価に基づくものではない。確かに、アフリカ統一機構(OAU)は1969年に「難民の地位に関する議定書」を制定し、「戦争や内戦により故郷を追われたもの」という広義の難民の定義を盛り込んだ。また、難民は個人だけでなく集団にも与えられる法的地位とされた。しかし、後世において、これは脱植民地化のプロセスにおいて、独立国からは難民は生まれないだろうという楽観的な観測の下に寛容な条約が締結されたという評価が、反省として共有されている 。

今回EUが発動した「一時的保護指令(Council Directive 2001/55/EC)」は、冷戦後の国際構造のダイナミクスの中、難民条約の狭い定義に基づく庇護体制をEUが保持しつつも、ユーゴスラビア紛争とその帰結に対して例外的な外交解決を可能とするために導入された措置である。今回の決定も、EUがユーゴスラビア紛争と同様の帰結を想定したからこそなされた個別な判断であり、1951年難民条約(及び1967年同議定書)の大胆な改正にはつながらないとみる方が現実的だろう。

一般に、難民保護のための国際協力は公平な負担分担が望ましいとされている。しかし、実際には、強制移動を余儀なくされる人々の圧倒的多数(8割強)が発展途上国に滞在しており 、難民受け入れの「責任転嫁」体制が定着化しつつある。一時的保護という対応は、このような従来の体制の欠陥を補い、貧しい国に負担を押し付けない対応として評価することはできるだろう。しかし、その発動は停戦後の復興支援が可能なごく例外的なケースに限られている。外交と切り離された形での、ましてや出入国管理当局だけの問題として難民保護を語ることの限界がここにある。

現在、日本では補完的保護や準難民というカテゴリーへの法整備を進めるか否か、という議論が生まれている。議論を展開すること自体は歓迎すべきだが、問題はその前提となる情報が誤って解釈され、また伝えられていることにある。日本が締約国であるにもかかわらず難民条約に照らした庇護審査を行っていないかのような指摘は言語道断だが、そもそも難民条約での難民の定義自体が非常に狭いということが真正面から報道されないことは問題である。厳しい庇護体制を有するのは何も日本だけでなく、ほとんどの締約国がそうである。この事実が隠されてしまっては、公平な議論につながらない。また、日本の難民受け入れ人数が他の先進国に比べて極端に少ないことがよく批判される。確かに、日本の難民許可件数は少ない。しかし、それをもって現行の難民審査手続きそのものに問題があるかのような報道は国内外への誤解を招く。特に、受け入れ人数の少なさを指摘する国外からの批判は、もっぱら「負担の押し付け合い」という外交上の駆け引きがマスメディアという空間で展開されているのであり、その観点が日本国民に共有されないことには、これまたフェアな議論ができない。

他方で、欧米の先進諸国が補完的保護や一時的保護など、難民条約以外の(国内)ルールに基づく人道的な難民受け入れのルールを整えていることは先進事例として率直に受け止めるべきだろう。しかしながら、それは恒常的、無差別的な難民受け入れ拡大というトレンドではなく、避難民の受け入れをより選択的に行う方法を諸国が模索するようになった、というトレンドとして考察するべきだろう。いずれにせよ、日本がこの分野での国際協力を主導することは、日本の国益につながるだけでなく日本の難民支援のあり方についての国内外の誤解を払拭するまたとない好機となるだろう。かつて、インドシナ難民の受け入れをめぐっては、日本国内の議論の焦点は戦後の復興過程において日本がいかに(西側の)国際社会に認められるか、ということであった。今般に至っては、これまでのようにやみくもに米国やEUに追随する、あるいは、国際世論に受身的な対応をしておざなりに数名の避難民を受け入れる、というだけの外交戦略は、中国(やロシア)の台頭に象徴的な著しい国際構造変動の中にあっては日本にとって何ら有利な状況を生み出さない。

今日のウクライナ人が最大級の人道支援を必要としていることは紛れもない事実である。しかし、日本が難民保護のあり方についていかに有効な国際協力の方法を編み出し、これを主導していくかということについてもっと真剣に議論されるべきだ。世界には条約難民に該当せずとも国際的保護を必要としている人々が実に8,400万人もいる。仮に分担体制を取ったにせよ、彼ら全てを先進諸国が受け入れるというプランは極めて非現実的なのだ。受け入れ一辺倒の狭い議論が却って人道支援のための効果的な日本の対外政策形成の余地を奪っている。もうそろそろ「受け入れない」という趣旨で難民保護の議論をはじめないことには、世界の避難民が直面する人道危機の深刻さは増すばかりである。難民保護のあり方をめぐっては、避難民を発生させないための予防外交のアジェンダとの関連性を意識した広い議論が、一刻も早く日本で展開され、ひいては日本の外交的リーダーシップにつながることを期待する。