公益財団法人日本国際フォーラム

外交の原点は文化交流

今日のフランスの文化外交の直接的先鞭をつけたのは文化省の正式な発足である。それは自らがその初代の大臣になった文豪アンドレ・マルローとドゴール大統領の協力の賜物だった。青年時代は仏領アジア植民地を彷徨し、人民戦線では義勇軍に加わってファシズム勢力と戦い、私生活では四度結婚した、「世紀の無頼漢」マルローは、祖国をナチの手から解放した救国の英雄ドゴールと馬があった。晩年のドゴールとの回想の書物で、マルローはドゴールに対するオマージュを披歴している。

この二人が構想した文化外交のハイライトこそが、1963年1月かの有名なレオナルド・ダヴィンチの傑作「モナ・リザの微笑」が大西洋を渡ったときであった(この詳細については企画の段階からお手伝いし、筆者自身も出演したTV番組「NHKBS歴史館 『モナリザはなぜ海を渡ったのか!?〜知られざるフランス外交の真実』」2011年6月8日放映に詳しい)。所蔵美術館であるルーブル美術館やマスコミは当初大反対のキャンペーンを張った。「文化を売るな」ということである。フランスが持つ歴史の宝をそう安売りするものではない。それに多くの入場者の熱気やテレビカメラで絵をいためてはならない。

そもそも「文化」は外交や政治の道具ではない。これは今日依然として多くの人々が主張するところでもある。芸術的な深い味わいはそれなりの眼識がないとわからない。それも一理ある。誰でも自分が強い興味を持ち、人一倍執着した関心事に上っ面の批評をされて黙ってはいられない。実はフランス文化の需要や理解者がわが国でも減少している背景には、フランスという国の国際的威信の後退もさることながら、研究が専門化する中で「贔屓の引き倒し」よろしく、「ジャーゴン(仲間内だけで通じる専門語)」の世界に入ってしまったからではないか、と筆者は危惧している。

しかし文化は普及することによって、つまり多くの支持者を得ることによってその価値が膨らんでいくことも確かだ。ひとつの文化的流行が関連領域に波及効果と相乗効果をもたらすのはよくあることだ。啓蒙思想の普及は産業革命や市民革命に発展し、近代社会の礎となった。自然主義は様々な学術・文化・芸術領域に影響を与え、美術工芸分野では印象派の誕生を準備した。文化・思想・芸術の普及は水が高きから低き所に流れる奔流のような自然の摂理だ。

そしてそれは人の交流を介して大きな流れとなる。後で述べるが、実はジャックリーヌ・ケネディ夫人はフランス印象派の大ファンであった。アメリカのファーストレディがフランスの要人との接触で一つの国際的文化企画が誕生した。そこに外交向けのメッセージが込められたとしてもそれは不思議ではない。それもひとつの文化活動であると筆者は思う。

少し硬い表現だが、文化活動は突き詰めて言えばモノの見方や価値観の伝達である。その単位は個人であったり、団体であったり、国であったりするが、それが人的交流を通して文化交流に拡大し、それが国同士の関係に影響を与えるならば、それは外交そのものであろう。

「モナ・リザ」という一枚の絵が与えた影響

実はこの門外不出の「モナ・リザ」の米国展覧会という文化大プロジェクトの布石は、前年にケネディ大統領夫妻が訪仏したときに仕込まれていた。60年代のアメリカが輝き、世界が羨望の眼差しを向けていた時代、いわゆる「60s(シックスティーズ=『アメリカの栄光の60年代』)」、若く美しい世界のリーダーJFケネディ夫妻の来仏をフランス国民は歓呼の声で迎えた。頑迷で前世紀の価値観の権化でもあったドゴール大統領も、ジャックリーヌ夫人の美貌と知性にすっかり魅了されてしまった。その一方で、そのたくましい行動力にみなぎったアンドレ・マルローというヨーロッパの知性は、世界のファーストレディを虜にしてしまった。この訪問を契機に門外不出のモナ・リザのアメリカへの持ち出しが決定された。ジャックリーヌはマルローに「モナ・リザをアメリカで展示させてほしい」と願い出たのである。もちろんマルローはすぐさま、それに応じた。

ワシントンのナショナルギャラリーとニューヨークのメトロポリタン美術館で開催されたその展覧会は未曾有の成功であった。それぞれ27日間と二ヶ月弱の間に、67万4000人、107万7500人の入場者を数えた。美術館にこれまで足を運んだことがない人々までせっせと「史上もっとも美しい女性の笑顔」を見に集まったのである。イタリア・フローレンスの女性モナ・リザはアメリカとは違うヨーロッパ女性の美しさの神話を、またひとつアメリカ国民に焼き付けたのである。世界ナンバーワンの地位を謳歌していた60年代のアメリカがルーブル美術館所蔵の「フランス女性」の一枚の絵によってフランス文化外交に屈服してしまったのである。

米仏緊張緩和の触媒としての文化外交

そこには外交上の大きな仕掛けがあったとみることもできる。当時フランスは、アメリカとの間で防衛戦略面での摩擦を深めていた。アメリカがイギリスとフランスに対してポラリスミサイルを拠出する代わりにその核弾頭を自前で製造することを提案したナソー協定にイギリスは同意したが、フランスは拒否したのである。またアメリカが西側の防衛上の役割分担を意図した多角的核防衛戦略構想にもフランスは乗らなかった。核爆発実験に成功したフランスはアメリカの世界戦略の駒としてフランスが扱われることにドゴールは「ノン」と言ったのである。EECへの加盟を希望するイギリスを「トロイの木馬(アメリカの手先)」と痛罵し、断固として拒否し続けたのもまたドゴール大統領であった。

モナ・リザの渡米は、こうした米仏間の緊張関係の緩和の触媒として準備された。直前に勃発したキューバ危機では、フランスは西側で最初にアメリカを支持した。そしてドゴールはこの危機にもかかわらず、モナ・リザのアメリカ公開を取りやめようとはしなかった。

ケネディ大統領夫妻はこの展覧会のオープニングのセレモニーにわざわざ来席し、「フランスは世界第一の芸術の国」と祝辞を述べた。エルベ・アルファン駐米フランス大使は大晩餐会を開催したが、その夜会の招待状にはモナ・リザは「アメリカ大統領とアメリカ国民に対して」ささげられたものであると記されていた。

文化外交成功の代表例である。文化財を媒介としてその国に親しむということはよくある。実は1974年にモナ・リザは日本にも送られてきた。これまでにモナ・リザが海外で公開されたのはこの二回だけである。そのときと、ミロのヴィーナスが日本に来たときの熱狂を覚えている人は少なくなりつつあるが、優雅なヨーロッパ女性の二様の美術作品は長い歴史を背景にした普遍的な美しさを人々の目に痛いほど焼き付けた。多くの人がフランス文化に対する畏敬と羨望を掻き立てられたであろうことは間違いない。そうした人々がフランスを蔑視するはずはない。フランスに対する歴史を背景とする畏敬を伴った好イメージがもたらされる。

「国家ブランド」の育成

少し大げさに書いたかもしれないが、この敬意を伴った愛着こそまさしく「国家ブランド」そのものなのである。フランスは世界中からの好意的イメージづくりに大いに成功した。ジョゼフ・ナイのソフト・パワーが意味する自発的な意志を通した国際的ないわば仲間づくりの仕組みだ。しかし実はこの文化外交の評価は難しい。米国のモナリザ展は美術展としては大成功であった。

しかしそれによって米国民や政府首脳がどれだけフランスに好意を持つようになったか、フランス文化を理解したのか。とくに人類の「明白なる天命」を「担って」世界のリーダーを自負する米国の指導者にそれがどのような影響を与えたのか。そもそもそれが「外交」であるとすれば、フランスは何を伝えようとしたのか。それを評価する方法はないのである。結果として文化交流協定が締結されたり、ビジネス交流が活発化したということはあるだろう。しかし外交への影響ということになると、それは間接的な評価にとどまる。文化外交と言いつつ、その成否はどのようにして図ればよいのであろうか。すでに何年も前からこうした「パブリック・ディプロマシー」「文化外交」についての評価をめぐる議論はなされている(たとえばThe New Public Diplomacy Soft Power in Internationl Relations, Palgrave,2007, Pamment, James, New Public Diplomacy in the 21st Century –A comparative study of policy and practice, Routledge,2013)。しかしこのいわゆる文化外交は実はその「評価」が難しい。

そこで筆者はまずは文化外交の「仕組み」について、その外交目的を実現するため文化事業を対外的にいかにショーアップしていくのか。その戦略的発想の基礎となる概念図である。それを広義の「文化外交」のアプローチとしたい。その概略については、JFIRのHPやそのほかでも説明してきたが(拙稿「日本のソフトパワー戦略試論」JFIR 2020年4月 HP参照)、それは外交(国際認識と外交目標)/ビジネス・資本主義/対外文化・学術・コンテンツ面での普及活動・人的交流活動の三つの領域の結合を通して活性化するものと考えている。そして「外交」である以上、政治・外交領域、すなわち政治・外交の利益や方向性を頂点として三領域の頂点に位置する形で考えていくべきだと思っている。

コンセプト・コンテクスト・コンティニュイティー・ネットワーク

上記モナ・リザのケースでは、米仏外交摩擦の下での緊張緩和の触媒としてのモナ・リザの展覧会という解釈で、外交を頂点とする文化との関係を問題提起してみたこの展覧会が米仏両国関係の緊張緩和に何らかの形で貢献するだろうことはまず間違いない。「費用vs効果」の計算がどこまでできていたかは、わからないが、後の企画を前向きにとらえようという姿勢は強かったのは想像できる。そして盛り上がりの効果をもたらした海外展示がビジネスチャンスにつながらないはずはない、と考えた人々もいたはずだ。それは想像するに難くない。先の筆者の三角関係の仮説は一応機能したイベントであったのではないか。ポイントはそれが両国関係と国際社会でのポジティブな影響だ。

その点に関して日本で文化外交というと、対外文化活動・日本紹介広報活動に置き換えられることが多い。お祭り騒ぎが好きな国民性もあって、そうした方向性には肯定的な意見が多数派だ。しかしそのお祭り騒ぎは多々その場の情緒的な同質性の確認の場にとどまっていることも多い。国際的なイベントの意味付けの重要性だ。

ビジネスの観点からは、伝統芸術・工芸やボップカルチャーの海外輸出と同義であることも多い。メッセージをどう作っていき、政府の外交の方向性と諸活動がいかに整合的に相互依存関係を持っていくのかが、ポイントである。筆者はそれには「概念化conceptualization」「文脈・物語づくりcontextualization」「継続性continuation」「ネットワークづくりnetwork」を意識的にどのように行っていくのかという点が、大きな課題であると思っている。