公益財団法人日本国際フォーラム

はじめに

冷戦の終結以後、国際政治の舞台では国際文化交流、「文化外交」や「ソフトパワー」をめぐる論議が盛んになった。その背景には、自由主義/資本主義対共産主義/社会主義という東西両陣営のイデオロギー対立が終わり、グローバリズムの加速によって国家の相互依存が深化していく情況があった。こうした流れの中で、科学技術の飛躍的進化に伴う軍事・経済といったハードパワーの直接的使用による代償とリスクが拡大し、武力行使及びその対抗措置としての制裁のハードルが高くなった。国際政治においては、ソフトパワーの絶対的な効用が語られ、パブリック・ディプロマシーという専門用語が頻繁に聞かれるようになったのは、1990年代以降だった。

ところが、2014年のクリミア併合以後、昨年12月にソ連邦解体満三十年が経過して新たな一年を踏み出した今年2月24日、露大統領ウラジーミル・プーチンの統治するロシアが、大方の専門家の予想に反して、隣国ウクライナへの侵略を開始した。プーチンの軍事行動は、現在の世界秩序の基盤である国際的規範/国際法を根こそぎ覆してしまった感がある。本稿では、西側の外交が、「プーチンの戦争」の抑止に失敗した状況下において、敢えてソフトパワー論やパブリック・ディプロマシーの意義を再考するとともに、国際政治における<真のパワー>とは何かを考察してみたい。(敬称略)

1.パブリック・ディプロマシーに不可欠なもの

2018年、フランス革命記念日の7月14日、日仏国交樹立百六十周年記念行事として、「ジャポニズム二〇一八:響きあう魂」の式典がフランスで行われた。その後八か月にわたって大々的に展開された日仏文化交流の各種イベントは盛況を博し、日本の国際広報文化活動史に画期的な足跡を残した。

その十年前の百五十周年を記念した「日本年」に行われた各種文化事業に関わった国際政治学者・渡邊啓貴(日本国際フォーラム/ハイブリッド・パワー研究会主査)は、これまでの国際文化交流をめぐる知見を基に、「日本のソフトパワー戦略試論~国際文化交流から文化外交へ」(2021年、日本国際フォーラム)と題する論稿をまとめている。その中で、渡邊は率直な感想を述べている。「そもそも国際文化交流というのは、表向きの華やかさとは裏腹に、その本当の評価というのは難しい。そうした交流の評価枠組みをどう設定するのか、逆にいえば、そうした交流が真に成果を上げるために、日本の外交戦略のどこにどう位置づけておくべきか。そうした思考の筋道が何よりも重要である」。

その上で渡邊は以下のように指摘した。パブリック・ディプロマシーとしての文化外交が成立するには、「海外で受け入れられるだけの国民文化の存在が前提」であり、「固有の歴史・伝統文化の宣伝から始まる」教育文化広報が必要になる。また、文化外交には「資本の論理」が絡んでくるため、「日本のイメージが国際的に好転した場合には当然文化・コンテンツ産業は発展する」が、「ジャポニズムが異国情緒や物珍しさだけを売り物」にしている限り「賞味期限切れ」となり、自ずと「資本」の側が手を引く道につながって行く。このため、国際文化交流を<文化外交に昇華させる>には、パブリック・ディプロマシーの一環として政治・外交政策との結びつきを重視して、国家イメージや評価向上の貢献を強く意識しなければならない―と。

最後に、渡邊は、日本の文化外交を考える際に重要な四つの要素として、❶日本文化の特質や性格を的確に表現する「概念化」、❷対外文化活動の目標やそのための発想を国際情況の中で理解してもらえるようにする「文脈化・関連付け」の作業、❸大掛かりな文化事業の「継続性」を維持するための「トリエンナーレ」の実施、❹外交の原点である人的交流・知的交流を維持、活性化するための「ネットワークの拡大」―を挙げた。

即ち、国際政治におけるパワー論は、ハードパワーと並んで、国家目標を達成するために活用するソフトパワーをどのように国家戦略に組み込むかが不可欠なのである。日本国際フォーラム「ハイブリッド・パワー研究会」としては、この方向性を共有しつつ、研究を深化させて行かなければならないのではないか。

日本では、国益を守るためのディプロマシー外交を取り上げる際、その主たる推進力たる「ソフトパワー」については、「ハードパワー」とは明確に一線を画し、イメージ先行型で論じられる傾向が強い。というのも、「クール・ジャパン」現象に象徴されるように、大衆文化論やビジネス的視点からのソフトパワー論が主流となりがちで、外交のツールとしてのソフトパワーも万能的に日本外交に貢献するという錯誤が見られるためだ。

2.「ハイブリッド・パワー」を考えるための視点

国際政治における<パワー(権力、覇権、影響力)>とは何か。パワー概念には、多義的で様々な態様がある。その定義は難しいが、ここでは、国際関係における<パワー>とは「国益を守り、国家目標を達成するための手段であり、そのために国家などある主体が他の主体の言動を変えさせる力」と定義する。

歴史家E・H・カーは、国際的分野におけるパワーを「あらゆる政治的秩序の不可欠な要素」であるとし、❶軍事的力、❷経済的力、❸世論を支配する力―の範疇に分けた。そして、これら三つのパワーは「緊密に相互依存関係」にあり、本質において、「力は不可分の全体である」(『危機の二十年』)と指摘した。また、国際政治学者ジョセフ・ナイは、軍事的力と経済的力を「ハードパワー」と呼び、それに対置して、文化の魅力、価値観、外交政策を源泉(パワーを生み出す資源)とする力を「ソフトパワー」と命名した。

しかし、この定義だけでは、ナイの真意は正確に伝わって来ない。というのも、ハードパワーである軍事的力や経済的力も、状況や条件次第で「ソフトパワー」の源泉になり得るためで、ハードパワーかソフトパワーの区分けは、パワーの源泉の使い方で決まって来る。ナイの「ハードパワー/ソフトパワー」論も、カーの三つの範疇区分と同様、「力は不可分の全体(一体)」という原理が当てはまるのである。

例えば、日本のODA(政府開発援助)は、経済的手段だが、当該国に直接的影響を及ぼす手法―被援助国のニーズや長期的利益も踏まえて人材育成、教育実習にも力点を置く。その点、自国の労働力及び資機材の調達を条件にタイド化をする中国の押し付け的対外援助とは大いに異なる。その手法は、日本への良き印象・好感度を上げており、それは日本独自の強力なソフトパワーとなっている。また、自衛隊の場合も、イラク戦争後、2004年から同国に派遣されて復興支援活動に従事し、規律正しいパワーとして存在感を示し、イラク国民の好感度を向上させた。こうした事例を勘案すると、国際政治におけるパワーは、その源泉の使い方によってソフトパワーにもなり得るのである。

ここで、留意しておきたいのは、ナイが概念化したソフトパワーを、同一次元で万能的に適用すると、ステレオタイプの罠に嵌る可能性があるという点である。

核保有国であり、中国の追い上げがあるにせよ、なお世界一の軍事大国であり、ドルという基軸通貨を握るアメリカの「スーパー・パワー」は、特殊な面を有している。そのパワーは、コインの表裏である世界ナンバーワンの軍事力と巨大な経済力とは密接な関係にあり、それらを物心両面で根底から支える産業界、財団、アカデミック世界、地域コミュニティ、フィランソロピー(慈善活動)を推進する団体・個人等々から成る文化システムを通じて生み出されている(フレデリック・マルテル『超大国アメリカの文化力』)。アメリカのスーパー・パワーの主たる要素の一つである「ソフトパワー」は、他の国のそれと比べても独自のパワーという側面が強く、そのまま日本外交のソフトパワー論に当てはめるには限界があるのではないか。その限界を補強するためには、国際政治におけるパワーを複合的に捉える工夫が必要になる。

そこで、国際政治におけるパワーを考える際、日本外交に有意な示唆を与えてくれるのは、スーザン・ストレンジが提起した「構造的権力(パワー)」論(『国家と市場~国際政治経済学入門』)ではないか。

「構造的パワー」とは、人々が歴史的・時代的な影響下で有する何らかの価値観、あるいは価値観の組み合わせによって、常に、形成される権力で、誰彼が基点とは特定しがたい政治・経済・社会的構造がもたらすパワーである。ストレンジは、その基本的価値観を安全保障、冨、自由、公正の四つに分類、その上で、この四つの価値観、あるいはそれらの価値観の組み合わせによってパワーの構造は決まると指摘し、その構造の源泉として、❶安全保障(脅威からの安全を保障する軍事力など)、❷生産(富の創造を統制している人々が握る権力)、❸金融(信用を作り出す政府や銀行といった政治経済構造及び異なる諸通貨間の相対価値を決定する通貨システム)、❹知識(知識の所有・貯蔵・伝達手段の態様やそのアクセス権を持ったり、統制したりする人々が握る権力)―という四つの要素がある。このうち、ソフトパワーとの関連で言えば、パワーの強弱を数値化しにくく、さらに捉えどころのないパワーが、❹「知識」の構造的パワーなのである。

ストレンジの論では、「知識」は情報より広く、芸術・音楽・精神的な知識まで含まれるが、知識と情報の間に明確な境界線を引くのは困難である。また、文書や印刷、映画、録音テープ、CD、フロッピーディスク、パソコン等々に貯蔵するのも可能で、技術の進歩に伴い、「知識」はサイバー空間を通じて、瞬時に大量に伝達される。このため、❹「知識」から生じるパワーは、❶安全保障❷生産❸金融の構造的パワーに比してはるかに曖昧で計量化するのは、至難である。また、強制力を使わず、むしろ人々の同意に立脚するために、それは主観的なパワーになりかねない。それ故に、他者/受け手の<共感>を引き出す言葉や場の設定、あるいは例えば逆に歴史的出来事に対する<罪悪感>を巧みに突くスキルも重視される。

3.ウクライナ版「ハイブリッド・パワー」論

以上の点を踏まえて、ハードパワー/ソフトパワーに連動する構造的パワーについて、ロシアからの侵略を受けたウクライナについて、考えてみたい。

「プーチンの戦争」に対峙するウクライナのゼレンスキー政権だが、その安全保障体制の原点は、2014年に遡る。プーチン露大統領の決断によるクリミア半島併合で、完敗したウクライナは、その敗因を踏まえて、祖国防衛の強靭化に取り組んできた。

第一に着手したのは、「ハードパワー」の主要な構成要素である軍事力(ストレンジの構造的パワー❶)の強化である。ウクライナは、ロシアの再度侵攻に備えて軍事力強化に向けて、西欧諸国から資金・人的両面の支援を受けて、NATOと協力しながら戦略を見直し、兵力の増強や近代化、戦術の練度向上等々―軍の改革を着実に実施した。各地域にボス的実力者が存在するウクライナ全土では、自警団や民兵組織が形成され、政府はそれらを内務省や防衛省の部隊に組み込んだ。(松嵜英也『ウクライナにとって「西欧」とは何か』外交Vol.72)クリミア併合当時あったロシアとの圧倒的な軍事力格差は徐々に是正され、今回の「プーチンの戦争」でロシアがウクライナ侵攻のために結集した兵力(17万人とも20万人とも言われる)に太刀打ちできる軍事力が整備された。また、今回の「プーチンの戦争」に絡めて言えば、アメリカがロシア軍侵攻に反撃するためにリアルタイムで提供する情報やNATOが供与する兵器(携帯型地対空ミサイル「スティンガー」や対戦車ミサイル「ジャベリン」など)が威力を発揮している点を指摘しておきたい。

ただ、ここで忘れてはならないのは、軍の改革と並行して着手された第二の側面である。それは、軍事の「ハードパワー」ばかりでなく、国民規模で「ソフトパワー」が発揮できるような安全保障体制の整備である。その大きなパワーとなったのが、国民のITリテラシーの向上と、「サイバー空間」を通じて国際的世論戦を優位に導くための対外発信能力がウクライナ国民の総体に備わった点である。

振り返れば、クリミア併合の際は、ロシアがウクライナの携帯電話やドローンを完全に機能麻痺させるとともに、虚偽情報を流し、ウクライナ社会を混乱させた。その結果、「あっさりサイバー空間を制圧」(土屋大洋「侵略国の株奪うサイバー戦」日経新聞中外時評 3月30日付朝刊)されてしまったのである。しかし、こうした教訓を基にウクライナ政府は、通信網の防衛力整備を重視し、強靭化を進めた。政府が西欧傾斜をさらに強めたこともあり、国民の間には、「自由と民主主義」の価値観が一段と深く根付いていった。今や、ウクライナ国民の「自由を守る正義」の戦いにおいて、整備された通信網及び米IT企業スペースXや米衛星運用会社マクサー・テクノロジーの衛星通信支援、さらに国民の高いITリテラシーと堅固な祖国防衛の意思を礎に、ゼレンスキー政権はロシアとの情報戦を制している。

そうした構造的パワー構築の下地は、既に、1990年代以来、NATOの東方拡大が進行するのと正比例するかのように進めた政策によって備えられてきた。1991年12月のソ連崩壊後、独立国家共同体のメンバーとなったウクライナは、東欧諸国とともに、IT産業の振興に力を入れた。このため、「ウクライナ国民のITリテラシーは高い」(土屋)という。今回の「プーチンの戦争」における情報戦では、ゼレンスキー大統領が価値観を共有する主要国の議会や国際会議で次々とオンライン演説を行い、国際世論を味方に引き入れる一方で、それとは別に、国民教育によって培われた普遍的価値観を死守したいウクライナ国民が、総体として日々、SNS(交流サイト)などを通じてウクライナ内外から世界に発信し続けている事実も見逃せない。「ソフトパワー」の源泉である文化、価値観の国民への浸透(所有・蓄積)、そして、それらの「伝達手段」としてのITの装備・スキルを加えると、ストレンジが概念化した「知識」の構造的パワーが現在進行中のウクライナの戦いの中に見て取れるのである。

4.日本の特色あるパワー

次に日本の国際的な<パワー>の源泉が奈辺にあるのかを考えてみたい。

これを現下の情況に引きつけて言えば、日本独自の<パワー>を解析するのに有用な含意は、3月23日、ウクライナ大統領ゼレンスキーが日本の国会で行ったオンライン演説から汲み取れる。

米欧に対する演説の中での同大統領の要望は、米欧に突きつけた支援項目(対ロシア制裁のさらなる強化やウクライナ上空の飛行禁止設定に加えて、戦闘機や強力な地対空ミサイルシステムの供与)とは違い、日本の「文化的、法的、政治的環境を理解した上で、言葉を選んで行われた」(駐日ウクライナ大使コルスンスキー、4月1日の日本記者クラブでの記者会見)。即ち、今の日本に現実的にどんなウクライナ支援が出来て、何ができないか。日本が軍事的分野で果たせる役割には限界がある点(同駐日ウクライナ大使)を十分理解し、米欧各国に求めたような軍事的支援は除外したものだった。ゼレンスキー演説が、日本国民のウクライナへの共感を一段と高めたのは間違いない。それは、ライブというオンライン映像を通じ、受け手との<時空間共有>によってリアルな<ソフトパワー>を引き出す状況を設定し、聴く側のスタンディングオベーションを可視化するとともに、一節一節、用意周到に練られた言葉をリアルボイスで発したからこそ得られた共感であった。

と同時に、構造的パワーの視点から言えば、軍事力での支援を原則的に除外する一方で、機能しない国連の実情を踏まえて全世界の安全のための新しい予防的ツール構築への努力に加えて、❷❸の分野(金融を中心とする対露制裁の継続、侵略の津波を止めるための対露貿易禁止導入期待)に焦点を当て、日本の国際的パワーの在り処を指摘した。

また、演説には―メディア報道では見逃されていたものの―同大統領が日本のパワーの源泉を的確に把握している点が明確に含まれていた。

ゼレンスキー曰く、「日本は発展の歴史が著しい。調和をつくり、調和を維持する能力が素晴らしく、環境や文化を守る。ウクライナ人は日本の文化が大好きだ」。その上で、2019年、夫人オレナが目の不自由な子供たちのためのプロジェクトに参加、日本の昔話をウクライナ語でオーディオブックにしたエピソードを披露した。さらに、「日本の文化はウクライナ人にとって興味深い。(両国間には)距離(日―ウクライナ間8193㌔、航空機で15時間)があろうとも価値観がとても共通している。心は同じように温かい」と日本国民に呼びかけた。

演説では、日本の<パワー>の源泉が非軍事的分野(経済、文化、国民性、価値観)にあり、戦後をも見据えて、中長期的な視点での支援に対する強い期待感が示された。具体的には、「プーチンの戦争」には勝利するという強固な信念と意思を基に、新たな国づくりに向けて日本のパワー、特に―ウクライナ・オリガルヒや地域的ボスの存在が同国経済の停滞をもたらしてきたとの指摘もあるだけに―生産・金融の構造的パワーを通じて絶大なる支援を引き出したいという願いが垣間見えた。

元駐ウクライナ大使・黒川祐次によると、ウクライナ・日本両国の共通点は、❶古い歴史と文化を持ち、それを大切に守ってきた、❷コサックと侍は勇気、名誉などの共通の価値観を持ち、それが現代にも受け継がれている、❸石油・天然ガス資源に恵まれていないが、教育には熱心で教育水準が高い、❹核の悲劇(広島・長崎原爆投下/チョルノービリ原発事故)を体験した―点(『物語ウクライナの歴史~ヨーロッパ最後の大国』)などにある。米欧カナダ各国やイスラエル議会、NATO(北大西洋条約機構)首脳会議、G7首脳会議、国連安全保障理事会公開会合などの演説で、各国の事情に応じて謝意や軍事的・経済的な支援を要請しているが、時にストレートな批判を交えて相手にプレッシャーを与えるゼレンスキー演説を聞いていると、日本は国際政治や外交の分野において独自の<ソフトパワー>を磨き上げ、強かに活用する道を考えておく必要がある。

5.結び~日本「ハイブリッド・パワー」の可能性

日本では、ナイが概念化した「ハードパワー」の対になる「ソフトパワー」論が、好意的に受け止められ、「クール・ジャパン」に象徴される文化論やビジネスに絡めて盛んに論じられるが、その際、本来「ソフトパワー」に一体化して含まれる〝悪魔的な要素〟が軽視される傾向がある。

ナイによれば、「ソフトパワー」は本質的に良いパワーというわけではなく、かえって逆効果をもたらす場合がある(ジョセフ・ナイ「スマート・パワー」Feburary 2009 Diamond Harvard Business Review)。本来、「邪悪」であるにもかかわらず、他人を惹きつける魅力を有する政治的カリスマがこの世には存在するためだ。例えば、アドルフ・ヒトラー、ヨシフ・スターリンなどは、「ソフトパワー」を見事に使いこなしたリーダーで、そのカリスマ性そのものも「ソフトパワー」を体現したものだと言える。

ウクライナの大統領ゼレンスキーは、第一次世界大戦の悲惨な教訓を経て構築された国際的な規範を木っ端微塵に打ち砕いた「プーチンの戦争」という蛮行に抗して、正義のカリスマと化したが、今年2月24日にウクライナ侵略を開始したロシア大統領ウラジーミル・プーチンは、ヒトラー、スターリンら悪の隊列に加えられよう。

マッチョなパフォーマンスで強いリーダーを自己演出し、ロシアとウクライナの歴史/文化の一体性を語ってきたプーチンは、2014年のクリミア併合に勢いを得てウクライナ侵略を断行した。そんなプーチンを、アンゲラ・メルケル(前ドイツ首相)は「いまだに別世界に住んでいる人」と言い放ったことがある。「別世界」とは、文化的にも政治的にも地理的にも、ヨーロッパとは違う独自の時空間「ルースキー・ミール(ロシア世界)」(ロシアの中核を構成する文化で、伝統・歴史、ロシア語を通じて相互連動している社会の総体)で、プーチンの思考的枠組みを形成する世界である。

即ち、国際政治における<パワー>とは、国家目的を達成するためのツールに過ぎず、良き目的のために使われなければ邪悪な行為になり得る。従ってソフトパワーは、そもそもアンビバレントな要素を含んでおり、本質的に善悪の結果をもたらす要素が同居するパワーなのである。ナイは、状況を的確に読み取り、ハード/ソフトのパワーをいかに適切に組み合わせるかが「スマート・パワー」の神髄で、その体現者がセオドア・ルーズベルト(第26代米大統領)であると結論づけた。

では、以上の点を踏まえて、日本は日本的な<パワー>を、国際政治においてどのように位置づけ、パブリック・ディプロマシーなど日本外交の武器として使っていけばいいのだろうか。日本の場合、米国のような<スーパー・パワー>と違って、軍事的なパワーには、法的、財政的、政治的にも制約がある。従って、数値化しにくい<ソフトパワー>については、本質的に絶対的善として、過剰な期待を掛けてしまう傾向がある点は先に指摘した。しかし、ソフトパワーには邪悪な要素が同居し、経済面での相互依存が深くなっている現代では、構造的パワーの視点をも併せて考慮に入れないと国際政治の実態を捉えられない。このため、軍事力とも区別したハードパワーの経済力をさらに生産力、金融力に区分けし、文化ばかりでなく、世論、ルール形成に関わる構想力と調整力、さらに規範の構築力、情報の収集・保有・貯蔵・伝達(対外発信)に至るまでの「知識」の構造的パワーを強化しなければならない。

現実を直視すれば、日本の安全保障は、ハードパワーの軍事的側面における防衛力の強靭化に向けて、アメリカとの同盟力を軸にした「核の傘」「拡大抑止」に依拠せざるを得ない。その一方で、ハードパワーの経済・金融の側面と、文化・価値観・国民性を源泉とした「ソフトパワー」を構造的パワーとして捉え直し、状況に応じてハード/ソフトをバランスよく組み合わせ、時空間一体化のパワーとして発揮できるよう、中長期的な視点で巧みに使い分けていくことが重要である。