公益財団法人日本国際フォーラム

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日米班 第5回定例研究会合メモ

当フォーラムの実施する「『自由で開かれたインド太平洋』時代のチャイナ・リスクとチャイナ・オポチュニティ」の第5回定例研究会合が、下記1.~3.の日時、場所、出席者にて開催されたところ、その議論概要は下記4.のとおり。

  1. 日 時:2022年3月11日() 14:30-16:30
  2. 場 所:オンライン形式 (ZOOM)
  3. 出席者:
[報  告  者] 中西  寛 京都大学教授
[司     会] 神谷 万丈 JFIR副理事長/防衛大学教授(主査/日米班班長)
[日米班メンバー] 兼原 信克 JFIR上席研究員/前内閣官房副長官補兼国家安全保障局次長(顧問/日米班アドバイザー)
小谷 哲男 明海大学教授
佐橋  亮 東京大学准教授
森   聡 法政大学教授
石田 智範 防衛研究所主任研究官(JRSPメンバー)
中村 長史 東京大学特任助教(JRSPメンバー)
村野  将 ハドソン研究所研究員(JRSPメンバー)
[他班オブザーバー] 福田  円 法政大学教授(中国班メンバー)
相澤 伸広 九州大学准教授(インド太平洋諸国班JRSPメンバー)
合六  強 二松学舎大学専任講師(欧州班JRSPメンバー)
高木 佑輔 政策研究大学院大学准教授(インド太平洋諸国班JRSPメンバー)
[JFIR] 伊藤和歌子 研究主幹
佐藤  光 特別研究員
[外務省オブザーバー] 17名
  1. 議論概要:

中西メンバーによる報告「米中二極構造と日米韓台安保複合体の可能性」

(1) 明治初期以来、朝鮮半島および台湾情勢は、国際秩序の変化に伴い日本の安全保障体制と連動するものであった。明治元年に日本で新政府が樹立され、清との関係を調整する際に問題となったのが朝鮮半島および台湾であった。加えて地政学的観点からも、朝鮮半島と台湾は、中国中心の東アジアの伝統的国際秩序観と、日本が持ち込んだ近代西洋的な国際秩序観が衝突する際に、争点の中心となる場であった。また、朝鮮半島および台湾は、日清・日露戦争期を通じて争点となったことに加え、植民地帝国としての日本を形成する上で欠かせないものであった。

(2) 日清戦争以降、20世紀を通じて、日本の安全保障に関する優先度は、台湾よりも朝鮮半島の方が高かった。しかし21世紀にはこれが逆転し、現在では台湾の優先度が高まっている。

(イ)太平洋戦争で日本が敗北すると、朝鮮半島および台湾は日本から切り離されるが、これは東アジア冷戦の起源と密接に関係することとなった。トルーマン政権は太平洋の島嶼防衛ラインとして日本-沖縄-フィリピンを結んだ線をアチソン演説において発表したが、台湾と朝鮮半島はラインの外に置かれた。これが1つのシグナルとなり、半年後には朝鮮戦争を端緒として東アジアの軍事的な冷戦が始まる。この流れを受け、翌1951年には日米安全保障条約が結ばれ、極東条項が織り込まれることなる。また、朝鮮戦争停戦後には米韓相互防衛条約(1953年)、翌年に発生した第一次台湾海峡危機後には米華相互防衛条約(1954-79年)がそれぞれ結ばれる。この3つが、西北太平洋の米国をハブとした安全保障のネットワークとなる。ただし、38度線が休戦ラインとして東西ドイツと同様にある種の境界線として固定化したのに対し、台湾海峡に関しては、「一つの中国」路線に見られるように境界線としては固定化しなかったことを指摘しなければならない。

(ロ)今日に至る東アジアの地政学的な安全保障体制の基礎になるのは、60年代末から70年代にかけての変化である。佐藤・ニクソン共同声明において、日米間で韓国条項・台湾条項が合意されたが、ここにおいて「韓国の安全は日本自身の安全にとつて緊要(中略)台湾地域における平和と安全の維持も日本の安全にとって重要」と、差をつけて言及がされた。さらに同時期に進行した米中・日中の和解・協力体制も、安全保障体制の基礎に加わることとなった。その後、在韓米軍撤退論争(1977-78)、米中国交樹立(1979)もなされたが、米国は朝鮮半島および台湾の安全保障に関与し続けることとなった。

(ハ)90年代から2000年代にかけては、朝鮮半島・中国-台湾問題が流動化していく時期である。冷戦終結直後の北朝鮮による核危機は、朝鮮半島情勢と日本の安全保障の結びつきを想起させる契機となった。加えて、同時期に台湾海峡危機も起こり、この頃から次第に台湾海峡の安全保障も日本にとっての問題として重視されるようになっていく。1997年の第二次ガイドライン(日米防衛協力のための指針、97「指針」)には、「日本と平和と安全に重要な影響を与える事態」と、地理的ではなく事態の性質に着目したものとして、「周辺事態」という文言が入ることとなる。背景として朝鮮半島有事が念頭にあることは基本的なコンセンサスであるものの、こうした表現になった理由は、同事態に台湾が含まれるのか明言を避ける意図があったためである。

(ニ)2000年代に入ると、日本の安全保障に関する議論の中心が朝鮮半島・台湾情勢から米中関係に置き換わっていく。これは朝鮮半島問題における中国の存在感が増したことに起因しており、同時に韓国政治も米中関係を意識したものに変化していく。廬武鉉政権は対日歴史修正主義を掲げていたが、同時に日米中露の間で韓国はバランサーとしての役割を持つという「バランサー論」を打ち出していた。この方針は、現在までに韓国あるいは朝鮮半島に定着してきている。進歩派が修正主義の文脈で突拍子もない路線を打ち出してきたのではなく、むしろ朝鮮半島および北東アジアを巡るパワー・バランスの変化が朝鮮半島の政治情勢・安全保障環境の変化を受けての方針転換であった。

(ホ)2010年代には、尖閣諸島を巡る問題が象徴するように、日中対立では歴史問題よりも領土問題が中心となり、日本の防衛・安保政策は対中シフトが鮮明になる。こうした問題が、特に地政学的な観点から捉え直され、第二次安倍政権下においては「安全保障ダイヤモンド」論が登場し、海洋安全保障が重視されるようになった。他方で、北朝鮮では金正恩の下で並進路線が始まり、本来であれば北朝鮮に安全保障の関心が集中しても不思議ではなかったが、米国自身がオバマ政権下で戦略的忍耐路線を採用し、日本もまた対話のチャンネルを失っており、北朝鮮問題は放置された。

(ヘ)安倍政権のもとでは、第三次ガイドライン(日米防衛協力のための指針、新「指針」)において「インド太平洋」の枠組みで安全保障体制が見直され、それまで最優先であった朝鮮半島有事よりも南西方面問題の優先度が高まった。

(ト)米中関係の対立色が鮮明となったのはトランプ政権下においてであるが、東アジアでは蔡英文政権誕生(2016年)、文在寅政権誕生(2017年)に見られるように、米台・米韓関係もそれぞれ変化した。蔡英文政権に関しては、当初から米国が従来よりも踏み込んだ関係構築に動き出し、一方の文在寅政権は、対朝政策に米国を引き込んでいく。また、米国は日本製の概念である「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)構想を採用し、その枠組から対中政策形成を行う動きも見られた。こうした中で、北朝鮮の脅威は増しているにも関わらず、河野大臣によるイージス・アショアの配備中止が表明されたように、日米は北朝鮮の軍事的脅威に対して軍事的手段で対抗する方向から後退した。他方で中国に関しては、香港での国家安全維持法導入の影響が台湾政治にも波及するのを懸念し、米国が台湾の防衛政策にそれまで以上に積極的に関与するようになった。現在のウクライナ危機を見ても、NATO(北大西洋条約機構)の枠外ではあるものの、軍事アドバイスや武器援助といった米国の非公式の関与が有事の際に効果を発揮する可能性が指摘できる。

(チ)文在寅政権は、廬武鉉政権時の方針を受け継ぐ形で「自主国防」を打ち出し、徴兵問題と少子化問題に対応した人員削減をはじめ、北の核・ミサイルに対する三軸体系などが示された。2022年5月に発足する新政権の政策に対する見通しは不透明であるものの、国防力増強については基本的な方針は変化しないだろう。戦時作戦統制権(OPCON)の韓国への返還問題は先延ばしになってきたが、こちらは新政権では維持されるだろう。しかし米韓同盟では北朝鮮問題よりも、米国が中国との交戦状態に入った際に、米韓同盟の中で海軍力・空軍力を強化している韓国がいかに関与するのかが課題になりうる。

(リ)このように台湾情勢、朝鮮半島情勢は変化しているが、日米韓台の連動性を意識すべきである。もちろん日米韓台の関係性をNATOのような集団防衛体制の枠組みとして捉えることは当然できないものの、変則的な形であったとしても、日米韓台を1つのまとまりとした安全保障複合体の構築が望ましく、少なくとも認識・思考枠組みとすべきである。

(ヌ)国際秩序は大規模な変動期に入っている。しかし、現状の東アジアを特に軍事的な側面で捉えた場合、冷戦的な発想がベースであり、いかに中国・ロシアを抑止することが中心的な議論となっている。現状維持的な抑止一辺倒の思考では不十分であり、現状を変更しないことが果たして望ましいのか、あるいは政治目標として実現可能なのかを議論する必要があるのではないか。

(ル)朝鮮半島における安全保障の性質は、過去30年の間に大きく変化した。北朝鮮が大きな軍事的脅威になったにも関わらず、朝鮮半島の安全保障に対する日米の関与や関心の度合いは低くなってきた。基本的に、北朝鮮の核・ミサイル開発は体制保全のためであり、攻撃目的に使用される可能性は低いとみなされているためである。もちろん、北朝鮮が暴発する可能性も指摘でき、その際には敵地攻撃力がなければ対応できないのも確かである。ただし、実際に日本が北朝鮮に対する反撃力・攻撃力を用いる際には、米韓同盟との調整が必要となり、これがどういう形で行われるのか議論されなければならない。加えて、台湾海峡有事の際に朝鮮半島情勢がいかに連動するのか複数のシナリオを考えておく必要がある。さらに長期的観点からは、北朝鮮の体制変化に際し、韓国主導の統一が実現するのかが焦点となるとともに、核管理・復興支援も重要な論点となる。しかしながら総合的には、日本の安全保障上における朝鮮半島の位置づけは限定的になってきている。

(ヲ)戦術核の選択の問題にも触れておきたい。北朝鮮の核に対抗するため、核共有を含めたより強固な「核の傘」あるいは日本独自の核を持つことには、北朝鮮が体制の危機以外に核使用を行う可能性が低いことを考慮すると、それほどの必要性はない。他方、現状として東アジア地域では、中国が通常兵力において優越している。こうした前提の中で、「核の傘」は必要であるものの、対抗措置として戦術核を艦艇・航空機に配備することは地域にとって安心材料になっても、基本的には「核の傘」との違いはない。加えて、NATO北大西洋条約機構が核共有を行ってきた背景には、ソ連・ロシアとエスカレーションコントロールをする目的がある。東アジア地域では、核共有を新たに始めることで得られる追加的利益と、現実の核使用に至るリスクを較量すれば、ヨーロッパ型の核共有を行うことにはマイナスが大きい。冷戦期には核使用の敷居は高く、またヨーロッパにおいては勢力圏の境界線が明瞭であった。しかし、現在では勢力圏の境界が曖昧になっているため交戦が行われる可能性が高く、かつ戦術核の能力が向上しており、使用さる可能性も高まっている。こうした状況下において、通常兵力で劣位であるからといって安易に戦術核に頼れば、危機におけるエスカレーションの可能性を高めてしまう。

(ワ)現状、米韓台に比して、日本の防衛戦略は総花的で、自衛隊にとって過剰負担である。見直しを行う際には台湾・韓国の状況を参照し、自衛隊の役割を限定し、より洗練されたものにすべきだ。さらには、台湾・東シナ海有事シナリオを主軸とした資源配分とし、抑止・対処能力を中心に検討する必要がある。この際には、通常兵力の強化・強靱化を中軸とし、核抑止への依存は限定的に扱うのが好ましい。また、北朝鮮有事、対ロシア牽制については米韓と安全保障・外交双方の面で調整を行い、戦略認識や具体的な戦術・情報の共有を、より強化する必要がある。日韓・日台の対話は、基本的には米国を挟んでのものになるが、日韓に関しては歴史的・政治的な障壁が存在し、他方、日台に関しては「一つの中国」原則のもとでの対中配慮があり、これらをいかに克服していくかが日本の課題である。

(以上、文責在事務局)