公益財団法人日本国際フォーラム

国際秩序戦の文脈

現在、自由主義国際秩序をめぐって現状維持陣営(西側)と現状打破陣営(中露が中心)との間において高度な政治闘争が展開されている。その戦いでは軍事や政治外交、さらには経済や文化・情報いった様々な手段が常時使われている。筆者はこれを国際秩序戦と呼ぶ。日本を含む西側は守備側(体制擁護側)に立ち、中露を「迎え撃つ」という構図がそこでは成り立っている。[1]

こういった状況のもと、中露側が西側に正面から挑戦すれば――つまり全面戦争を開始すれば――ほぼ勝ち目がない。したがって、西側が軍事力動員に踏み切る前の段階――グレーゾーンの段階――に集中し、瀬戸際作戦、サラミ作戦、シャープ・パワー作戦、エコノミック・ステートクラフト、さらにはハイブリッド戦(中国風にいえば超限戦)等を駆使して中露側は攻勢をかけてきた。そういった形で、現存する領土分配(勢力圏を含む)、正統的イデオロギー(自由民主主義)や国際的権威、そして国際諸制度を徐々に塗り替えようとしてきている。ロシアによるウクライナ侵攻、そして中国による軍事基地構築(南シナ海)や「一帯一路」もこの一環にすぎない。

加えて、中露の作戦は西側諸国内部をもそのターゲットにしている。サイバー攻撃や浸透工作、世論操作活動等がそれにあたる。ターゲット国内部からの弱体化・無力化・対抗意思の低下を様々な手段で中露両政府は追求してきたのである。ここでは西側は劣勢にある。西側の「自由で開かれた社会」は外部からの浸透工作や世論操作に脆弱である一方、中露における「不自由で閉じられた社会」では政権が強権でもって外部からの工作・情報を遮断しているからに他ならない。

こういった性格をもつ国際秩序戦において、日本のソフトパワーをどう評価すればよいのか。これから日本が採用すべき政策や課題はなにか。

国際秩序戦におけるソフトパワー

まず、ソフトパワーを次のように定義しよう。「政治的正統性に直接的・間接的にかかわる理念・イメージを発信・操作することによって、対抗陣営の掲げる正義を弱め自陣営の掲げる正義を強化する能力。」こういった意味でのソフトパワーを行使する手法としては新理念の創出、そして情報戦、心理戦、法律戦――これら三つは中国がいうところの三戦――等が挙げられる。

注意を促したいのは、アニメやゲーム、日本食、観光、スポーツといったようなクール・ジャパン論で取り上げられるようなもの――いうなれば親日派を育てるようなもの――はこの定義には含まれていないことである。なるほど民主主義国家相手なら親日的民衆を長期的に育てていくことの政治的効果は期待できるかもしれない。しかし、「不自由で閉じられた社会」(そこでは政権は民意を反映しない)相手にはそういった政治的効果は期待できない。したがって国際秩序戦の文脈では、上のようなより限定的なソフトパワー概念を使用することが肝要であろう。

日本のソフトパワー戦略には大まかにいって二つの目的がある。西側陣営の結束を図ることが一つ。もう一つは中露陣営に攻勢をかけることである。

日本のソフトパワー戦略:評価と方向

西側陣営結束のためのソフトパワー行使はおおむね成功している。なかでも日本が提唱してきた「自由で開かれたインド太平洋」概念は特筆に値しよう。この概念はいまや西側陣営全体に行きわたり、正統的な地位を確立したといえる。これを礎にしつつ、西側陣営内で連帯感を醸成していく諸活動(合同軍事演習のような政府間イベント、民間レベルでの人的交流等)を引き続き行うべきである。

他方、中露両国に向けたソフトパワーの行使については課題が多い。ここが知恵の絞りどころといえよう。

【ロシア】北方領土問題・平和条約交渉に関して、ロシア側が前提とする諸事項を切り崩していくという地道な作業が求められる。これは法律戦の一つに他ならない。最近、ロシアによる北方領土の実効支配について岸田文雄首相が「法的根拠がなく不法占拠である」というように言及したのは好スタートである。法律戦においてロシア側に負けず対抗していく作戦が望ましい。

【中国】日本独自の人権概念を打ち立て喧伝していく必要がある。これは、「自由で開かれたインド太平洋」のような理念創出作戦といえる。ややもすれば日本の人権外交はおよび腰と言われてきたが、改善する必要がある――日本独自の概念を打ち出す形で。

西洋文明には無いアジア独自の視点や経験に基づき、アジア人の心に響く、そして日本が達成し中国がいまだに達成していないような普遍的人権概念――ただし、これまでの基本的人権をないがしろにするものでは全くないもの――を創出することに知恵を絞るべきと思われる。とりわけ、長寿・健康・環境といったような「安心と生活」を含む(しかし、これらに限定されない)概念が良い。中国以外にもアジア人の感性を打ち、共感や羨望を呼び、長期的に感化作用を期待できるような「今の日本だからこそ先駆者として論じることができる理想像」を漢字で表し、喧伝すべきである――例えば「四つの苦――恐・病・貧・痴(無知)――からの解放」といった具合に。(「恐(怖)からの解放」は圧政と暴力にさらされない状況つまり従来の意味での基本的人権が満たされている状況を指す。)当然、それは日本人自身が理解・共感し、静かに誇れるようなものでなければならない。

同時に、日本国内において市民(外国籍の人々を含む)の人権侵害が起こらないように常に注意することが必要である。国内事情と対外宣伝活動が相互に矛盾していては、偽善のレッテルを張られかねない。

激動する国際秩序戦のなか、日本はそのソフトパワーをしたたかに行使していくことが望まれる。