1.はじめに
ロシアによるウクライナ侵攻を受け、2022年3月7日現在、米国、EU27カ国、英国、日本、豪州、ニュージーランド、韓国、およびスイスなどを含む西側諸国が前例のない規模で対ロシア経済制裁を実施している。各国の制裁手段は多岐にわたっており、特定品目の輸出入の禁止やロシア産品に対する関税引上げなどを含む「貿易制裁」、ロシアの中央銀行や主要民間銀行との取引中止、海外送金のためのSWIFTシステムからのロシアの一部銀行の排除、ロシアの特定の個人・法人に対する資産凍結や資本取引の禁止、およびロシア国債の売買禁止などを含む「金融制裁」、発動国領空におけるロシア航空機の運行禁止、ロシア船舶の入港禁止、ならびにロシアの特定個人の入国制限などが含まれている。
現時点では、上記「制裁発動国」が歩調を合わせて全面的な対ロシア禁輸措置を発動するにはいたっていない。しかしながら、送金・決済ネットワークからの排除、ルーブルの暴落、物流網の混乱、そして渡航制限などの合わせ技により、少なくとも短期的には、ロシアとの正常な貿易関係を維持することは困難な状況となった。そこで以下では、国レベルと品目レベルの貿易データを用いて、経済制裁がロシアと制裁発動国との間の貿易に与えうる影響について予備的な考察を行う。ただし本稿は、経済制裁発動の是非そのもの、あるいは経済制裁がプーチン政権に与える政治的影響について検討を加えるものではない。
主な結論は以下の3点である。第一に、経済制裁は標的国ロシアのみならず発動国自身の経済にも悪影響を及ぼすものの、両者の間には依存関係の「非対称性」が存在することから、相対的なインパクトという意味ではロシア経済が被るダメージの方が圧倒的に大きいであろう。第二に、制裁が長期化した場合、「制裁やぶり」を目的とする迂回貿易、第三国への生産拠点の移管、あるいは密輸などが横行する可能性があることから、(仮に制裁の効果を維持する場合には)これらに対する対処方針について予め検討しておく必要がある。第三に、日本との関係では、ロシアとの貿易が縮小・停止した場合、とりわけエネルギー、卑金属・貴金属、水産物、および木材・木製品の分野を中心に、品不足と価格高騰というかたちで日本のバイヤーや消費者に影響が及ぶであろう。
2.制裁発動国とロシアの間の依存関係の非対称性
制裁発動国と標的国ロシアとの間の貿易が縮小または停止した場合、両陣営のどちらが相対的に大きなダメージを被るのであろうか。2020年のデータを確認すると、ロシアの貿易総額(輸出+輸入)の約半分(50.4%)は制裁発動国との貿易である(表1)。一方、制裁発動国側のロシアへの貿易依存率はわずか1.5%に過ぎない。無論、国別、品目別の「偏り」はあるものの、このことは両陣営の間に「依存に関する非対称性」が存在しており、貿易関係の停止の結果より大きな経済的な痛みや混乱に直面するのはロシア側である可能性が高いことを示唆している。仮に貿易が停止した場合、貿易総額のわずか1.5%の部分について代替的な調達先や市場を見つける際の調整コストと、貿易総額の半分の規模について同様のことを行う際のコストを比較すれば、後者の方が大きいと考えられるためである。
表1 ロシアと制裁発動国との間の非対称的な依存関係(2020年)
制裁発動国のなかでロシアが貿易面で最も依存しているのはEU(33.8%)、次いで英国(4.6%)、米国(4.2%)、韓国(3.5%)と続き、日本は5番目(2.9%)である。仮に経済制裁の効果がロシアが被る経済的ダメージの大きさに依存するのであれば、制裁の効果は今後のEUの動向に最も左右されると言えよう。なお、ロシアと主要各国との間の詳細な貿易データについては、付録を参照されたい。
3.ブラック・ナイトとしての中国
次に、ロシアの中国に対する貿易依存率を確認すると、2000年は4.5%であったのに対して2020年には18.4%まで上昇しており(表1)、中国は輸出入両面においてロシア最大の貿易パートナーとなった(別表1・2)。すでに中国はロシアから小麦の輸入を拡大させる意向を発表しているが、西側諸国がロシアへの制裁を発動している間、中国をはじめとする制裁不参加国が「ブラック・ナイト(Black Knight:黒騎士)」としてロシアを支援し、同国との貿易を拡大させる可能性は十分に考えられる。こうした状況になれば、ロシアの対中貿易依存率がさらに上昇するのみならず、西側諸国の経済制裁の効果は著しく減殺されることになろう。
無論、ロシアが西側諸国から購入している品目のなかには、高度に差別化されたもの、高度な技術が用いられているもの、生産にあたって多額の初期投資が必要なものなどが多く含まれている。また、ロシアが西側諸国に輸出していた品目のなかにも、たとえば日本向けの「紅鮭」や「ニシン・タラの卵」のように、特定国の消費者の好みに合わせて加工・輸出されているものは少なくない。したがって、少なくとも短期的には、制裁発動国とロシアとの間の貿易のすべてが中国によって代替される可能性は低い。一方、中・長期的には、今回の制裁を契機として貿易構造全体が中国との関係強化を前提したものへとシフトしていくと思われる。
また経済制裁が長期化した場合、中国や中央アジア諸国などを経由したロシア市場への迂回貿易、多国籍企業のロシア市場向け生産ラインの中国への移管、あるいは陸路または海上での密輸など、「制裁やぶり」のための多様な試みがなされると思われる。こうした課題をめぐっては、制裁発動国が協調しつつ、早期に対処方針を協議・決定する必要があろう。
4.経済制裁が日ロ貿易に与える影響:品目別分析
以下では経済制裁が日ロ間の貿易に与える影響について品目別に考察する。その前提として、両国の間で取引されていた品目の数(種類)を確認しておくと、日本がロシアから輸入している品目は586品目、ロシアが日本から輸入している品目は2,516品目であり、ロシアの方が広範囲にわたる品目を日本から輸入していたことがわかる(表2)。また相手国に対する品目別の輸入依存率(ある品目の輸入総額に占めるロシアまたは日本からの輸入額)が20%を超える品目の「数」に着目すると、日本側は37品目であるのに対して、ロシア側は118品目に及んでいる。すなわち、仮に両国間の貿易が縮小・停止した場合、直接的な影響が及ぶ品目の種類はロシアの方が相対的に多いといえよう。
表2 相手国から輸入される品目数の比較(日ロ間貿易、2020年、HS6桁)
次に、日本側の輸入データを確認すると、2020年のロシアからの輸入額は約141億ドル(約1.6兆円)であった(表3)。一方、その輸入の多くが鉱物性生産品(62.3%)、金属類(22%)、水産物(9%)、および木材など(4.1%)に集中しており、これらの合計で全体の97%強を占めている。とりわけ天然ガス(34億ドル、対ロ依存率8.7%)、原油(23億ドル、同3.7%)、石炭(歴青炭)(23億ドル、9.8%)の3品目は輸入規模が大きいことから、仮に貿易が停止した場合、資源価格のさらなる高騰を通じて日本の企業や消費者にコストが転嫁される可能性が高い。
表3 ロシアから日本に輸入される品目の内訳(2020年)
より詳細な貿易統計を確認すると、日本がロシアに輸入面で依存する品目は少なくない。表4は、日本の輸入総額に占めるロシアのシェアが20%以上の品目を、輸入額の大きい順にリスト化したものである。ロシアからの輸入が途絶した場合に大きな影響を受ける個別品目の多くも天然資源やその加工品であるが、第一に、パラジウム(対ロ依存率34.6%)、アルミニウム合金(23.3%)、フェロシリコン(32.4%)などの金属製品があげられる。第二に、ニシン・タラの卵(57.9%)、冷凍かに(53.3%)、冷凍の紅鮭(78.8%)、生鮮・冷蔵ウニ(77.3%)といった水産物も、ロシアへの依存率が50%を超えており、価格への影響が懸念される。第三に、松の木材(29.9%)や針葉樹の積層木材用単板(94.5%)といった木材・木製品もロシアに大きく依存していることがわかる。
表4 日本がロシアに依存する主な輸入品目(依存率20%以上のみ抜粋、2020年)
参考までに日本がウクライナに依存している主な輸入品目も確認しておくと、紙巻きタバコ(3.7億ドル、対ウクライナ依存率20.4%)、一部の鉄鉱石(2億ドル、10.1%)、ひまわり油及び紅花油(400万ドル、13.7%)などがあげられる(表5)。一方、ウクライナとの貿易の縮小・停止によって大きな影響を受ける輸入品目の数はロシアと比較してさらに少ない(表3)。なお、ウクライナは小麦の生産大国であることから世界的に小麦価格が高騰しているが、日本は同国から小麦を輸入していない。
表5 日本がウクライナに依存する主な輸入品目(依存率10%以上のみ抜粋、2020年)
最後に、ロシアが日本からの輸入に強く依存している品目を確認しておく(表6)。対日輸入依存率が高い品目の多くは工業製品であり、とりわけ乗用車とその部品、メカニカルショベル、ショベルローダーなどの特殊自動車、ブルドーザー、アングルドーザーなどの建設用機械、コンピューター断層撮影装置(CT)、プリンター・コピー機用の部品などがあげられる。このほか、表には掲載していないが、自動車エンジン(排気量1000cc以上)、医療用機器(検査機器含む)、自動車用サスペンション、乗用車用ゴム製タイヤ、生理用品・おむつ、照明船・消防船、船舶推進用エンジン(船外機)、油又はガスの掘削用ドリルパイプ(ステンレス製)なども日本からの輸入額が大きい。経済制裁の発動に伴い、ロシア側ではこれらの品目の調達が困難となる一方、日本側でも代替的な販売先の開拓を余儀なくされる可能性がある。
表6 ロシアが日本に依存する主な輸入品目(依存率20%以上のみ抜粋、2020年)
付録:ロシアの主要貿易パートナー
当付録では、EUを27の加盟国に分割したうえで、あらためてロシアと各国との間の貿易関係について概観する。本文で指摘したとおり、ロシアにとって最大の貿易パートナーは輸出入ともに中国である。EUの各加盟国に注目すると、最大の輸出国はドイツ(265億ドル)、次いでポーランド(82億ドル)、イタリア(81億ドル)、最大の輸入国は英国(245億ドル)、次いでオランダ(152億ドル)、ポーランド(114億ドル)である(別表1・2の左列)。
別表1 対ロシア輸出額および対ロシア輸出依存率ランキング(2020年)
別表2 対ロシア輸入額および対ロシア輸入依存率ランキング(2020年)
貿易面でロシアに強く依存している国を確認すると、輸出入ともにベラルーシ(輸出:45.1%、輸入:50.4%)が最も高く、その他キルギス、カザフスタン、アルメニアなど旧ソ連構成国が多く含まれている(別表1・2の右列)。フェロー諸島(デンマーク領)、リトアニア、ジョージア、ラトビア、モルドバを除くと、(無論、貿易上の関係性だけが理由ではないが)これらの国は2022年3月2日の国連総会で採択されたロシア非難決議において「反対」または「棄権票」を投じた国でもある。