公益財団法人日本国際フォーラム

台湾海峡においては、中国の台湾侵攻の可能性を論じ、軍事的に備えることも重要である。同時に、漸進的かつ分かりにくいかたちで中台間の政治的あるいは経済的関係を変化させようとする影響力工作に、いかに対応するのかという発想もまた重要である。ウクライナ危機が中国の対台湾軍事作戦の可能性にいかなる影響を与えるのかは、この危機の帰趨を見てみなければならない。しかし、軍事作戦に至るまでに、台湾との政治的、経済的な「融合」を少しでも前に進め、多様な手段によって台湾社会に影響を与えられる状況を作る必要性を中国指導部が再確認することは間違いないだろう。習近平政権は、現在どのような方針で台湾との「融合」を進めようとしているのか。日本や米国はこれに対していかなる対応を検討すべきだろうか。 

習近平政権の対台湾工作方針の背景には、胡錦濤政権期の対台湾工作に対する否定的な評価があると推測できる。胡錦濤政権の対台湾工作の主軸は、中台間の経済交流の相手を代理人として、台湾の選挙政治へ影響力を及ぼすことで、台湾を中国との「統一」の方向へ動かそうとするものであったが、その意図に反して、人々の「台湾人意識」はますます高まった[1]。また、多様な代理人を通して台湾社会への利益供与をおこなう過程で、代理人の行動を充分に監視できず、利益誘導の効果が引き下げられたり、偏ったりするなどの問題も見られた[2]。そして、2014年に台湾では「ひまわり学生運動」が起き、2016年の総統・立法委員ダブル選挙では、蔡英文・民進党政権が圧勝した。こうした経緯を経て、習近平は「台湾当局」や広範な市民をターゲットとしてきた従来の対台湾政策を放棄せざるを得なくなった[3] 

習近平政権は特に2016年以降、台湾海峡周辺における軍事活動、国際社会における「一つの中国」原則の主張などを強化した。これらに加えて、習近平政権は台湾に対する政治的、経済的な影響力工作も諦めたわけではない。これらもまた、軍事力の行使や外交上の攻勢と同様に、台湾の民意や選挙政治に影響されることなく、既成事実としての統合を進めていくための手段に進化しつつある。 

習近平の台湾に対する影響力工作の特徴として、まず注目すべきは対象の変化である。習近平は対台湾工作の主要な対象を、従来の「三中(中小企業、中低階層、中南部)」から「一代一線(青年一代、基層一線)」へと改めた。従来の「三中」が民進党支持層であったのに対し、「一代一線」はより広範な若年層や基層社会の取り込みを意味している。台湾の青年層に対して、習近平政権は中国大陸で起業やキャリア・アップの機会を掴むよう呼びかけ、そのための受け皿を整えた。基層社会に対して、習近平政権は従来の代理人問題を回避すべく、基層組織の民意代表に対する直積的な働きかけを強めた。例えば、201811月の台湾統一地方選挙では、従来の代理人の中でも中国共産党が監視しやすい中国大陸に進出する台湾企業(台商)が、民意代表への政治献金や選挙区への大型投資を行なったことが話題となった[4] 

習近平政権のもう一つの特徴は、現在でも中国にチャンスを求める台湾企業や人々を、政治的により深く取り込もうとしていることである。2016年に蔡英文政権が発足した後、習近平政権は農作物の買付など従来の対台湾優遇策を停止した。しかし他方で、20182月に31項目、201911月に26項目の優遇策を発表し、中国に進出する台湾企業や個人に中国本土と同等の待遇を与えた。また、20203月にも11項目の優遇策を発表し、コロナ禍で打撃を受けた台湾企業の生産回復や増資を支援するとした。さらに、20213月には農林業に対する22項目の優遇策を打ち出し、農林業者への中国進出を促した。これらの措置を受ければ、中国本土の企業や個人と同等の待遇を得られるが、それは同時に中国の法的枠組みにより強く拘束されることも意味する。

そして、習近平政権が近年力を入れるのは、台湾との「融合発展」である。福建省にその「模範区」を設立し、台湾海峡両岸の「共同市場」を形成することは、中国の第14期五カ年計画にも組み込まれた。また、これらの地域の間では「基本的な公共サービスを均等化、特恵化、効率化する」など、社会同士のより深い統合を想定する[5]202112月、福建省は廈門市がこの「模範区」となり、対岸に位置する金門島への橋の建設、電気供給、金融協力など各種の「融合」を進めることを公表した[6]。想定されている「融合」の内容から、共産党はこの地域にも、珠江デルタと香港・澳門を統合する「大湾区(Greater Bay Area)」のようなものを形成しようとしているのではないかと推測できる。 

こうした習近平政権の影響力工作は基本的には中国国内で展開されており、平時においてはその影響力が見えにくく、台湾や諸外国の政府が関与することも難しい。しかし、考えるべきは、台湾内部における政治的な対立や危機、台湾海峡における軍事的危機の端緒などにおいて、こうした工作をうける地域、企業、個人が中国共産党との関係にいかに拘束され、中国からの情報工作とも相俟って、台湾の民主政治にいかなる影響を及ぼし得るのかという問題である。 

2020年初のコロナ危機、2021年初夏のワクチン危機、2021年末の立法委員罷免や住民投票など、台湾では対中政策や対外政策に関わる論点について、政治的な対立が高まる場面が近年でも見られる。特に、ワクチン危機においては、日本および米国からのワクチン供与が発表されるまでの間、台湾社会は中国政府からの攻勢に揺さぶられた。感染流行時にワクチンを十分に確保できていなかった政権に対する批判に重ねるように、偽情報も含む多くの情報が錯綜し、中国政府は上海復星医薬社が中華圏での独占販売権をもつ独ビオノテック社のワクチンを台湾へ提供すると、蔡英文政権に揺さぶりをかけた。このビオノテック社のワクチンの入手は、ワクチンをめぐる論争の中でも、人々の政治的立場の違いを反映する一大争点となった。日米が台湾へのワクチン供与を提供した後にも、アストラゼネカ社のワクチンの安全性を疑問視する偽情報が市民を混乱させた。 

台湾の揺らぎやすい世論や民主政治、その脆い部分を利用しようとする中国の影響力工作に日米がどのように関わり、支えていくのかという問題は、軍事的危機のシナリオやそれらへの対応を検討する際にも重要な論点である。ワクチン危機への対応は結果として上手くいった事例となったが、日米両国と台湾の関係の問題点は、関係が非公式なものであり、法的裏付けも弱いため、支援を受けられることへの信頼性が同盟関係にある国家間などよりも低い点にある。中国政府を刺激する可能性が高いため、支援に関する詳細な情報を公表しづらいことも、協力関係の実態が広範な世論に認知されない一因となっている。 

信頼性の問題以外には、中国からの影響力工作の重点や方法を理解した上で、それに代わる選択肢を提供できるような協力関係を台湾と築いていくことが望ましい。例えば、経済面では、台湾がCPTPPなど地域の多国間経済枠組みから孤立しないよう支援し、そのうえで台湾との産業連携をさらに推進することが考えられる。また、台湾の若者を対象として、より長期的かつ専門的な交流や日本語話者であることを前提としない交流を推進することも可能であろう。そして、偽情報などへの対応については、台湾では近年ファクト・チェックなどの仕組みが急速に整ってきている。こうした組織とのノウハウや問題点の共有に加え、政治状況が変化した場合に、適切なタイミングで、適切な情報を発信できる方法を日本や米国の駐台湾代表機関が普段から確立しておくことも重要であろう。 

台湾では今年11月に統一地方選挙が行われ、その後は2024年初の総統・立法委員のダブル選挙へと向けて、政治の季節が続く。台湾の民主政治の起伏の激しさ、中国との関係の複雑さを踏まえた上で、平時において台湾といかなる協力関係を築き、台湾支援のメッセージをいつ、どのように台湾社会へ届けるのかという点に関しても、日本と米国はしっかりと協議と協力を行う必要があるだろう。