公益財団法人日本国際フォーラム

過去10年にわたり、実力を増す中国の軍事力、政治的影響力、さらに多用されるエコノミック・ステイトクラフト行為が日本における安全保障リスク認識を激変させたことは言うまでもない。力の均衡が東アジアだけでなく、グローバルな次元でもすっかり変わり始めており、いかに問題を抱えた存在であることを自ら墓穴を掘るように示しても、中国が軽視されず、むしろそれになびく国が増えているという事態はこれまでになかったものだ。主権領域の保持、国民の生命財産の保持、さらにそれを解決するために不可欠と一貫して考えられてきた自由主義的な国際秩序のすべてにとって、中国が深刻な挑戦を与えていると考える日本の政策決定者が多数派だ。

くわえて、アメリカのディビッドソン・米インド太平洋司令(当時)の発言も重要な刺激となったが、過去数年において台湾海峡における軍事活動がきわめて活発化していることは、日本にとって具体的な有事の可能性を気づかせ、安全保障の基本的な政策をレビューさせるきっかけを作り出しつつある。2021年4月や22年1月の日米首脳会談に象徴されるように、日本は台湾海峡の平和が重要というメッセージをだすことにも一切の躊躇を示していない。日米の外交・防衛当局は、台湾を念頭に置いた防衛協力を推進していく動きをみせているが、有事が発生した場合に日本の領域も戦域に含まれる可能性が高いこと、また日本の軍事アセットが抑止や対処に重要な役割を果たすと米側が考えていることから、それも自然な動きだろう。

それでは、日本はアメリカと台湾政策の今後の方向性について一致点に達しているのだろうか。日本の市民がその親台感情を強めていることは事実であるものの、軍事的な行為の一切にそもそも慎重であることは、ここであえて指摘するほどのことでもない。だが、日本政界や政府とアクターを限定して考えてみても、実のところ、台湾という課題に対するアプローチにおいて、日米はそこまで収斂しているわけではない。

それは、アメリカの台湾との関係強化や、両岸問題に関する発言ラインの変化が急速であり、また大きなことによる。ここではバイデン大統領による「失言」を念頭に置いているわけではない。2021年12月に上院で証言したラトナー国防次官補の発言は、台湾を「第一列島線の死活的な結節点(node)」、またアメリカの同盟ネットワークの「アンカー(anchor)」として、台湾が死活的(critical)に重要な意味合いをもっていると強調するものだった。台湾のもつ地政学的な重要性は、もとより日本でも理解されており、それに異を唱えるものではない。しかし、世界中に報道されることが前提のこの発言は果たして何を目標になされたものであったのだろうか。トランプ政権が政権末期に機密解除したインド太平洋戦略フレームワークも同様だが、国防総省からの発言とは言え、(ラトナーが変更する必要を否定した)戦略的曖昧性をむしろ実質的に放棄するような言い方をすることによって、いかなる目標を達成しようとしているのだろうか。実のところ、それは同盟国の目から見てもよく分からない。そして、このような宣言政策の変更がどれほど続くのか、見通すこともできない。

もちろん、中国やアメリカの日本研究者は、それでは2021年の防衛白書に見られる「台湾をめぐる情勢の安定はわが国の安全保障にとってはもとより、国際社会の安定にとって重要」という表現や、当時の副総理・財務大臣や、防衛副大臣の発言は何だったのかと問うだろう。さらに安倍晋三・前首相は台湾有事を日本有事と話したのである。しかし、政治家たちは政治的意図から親台的立場を表明しており、また今後の台湾に関するアプローチがどれほど世論に受け入れられるのかを図る意図もあっただろう。防衛白書の記述も日本が特定の行動を取ることを示すものではなく、日米の共同声明では台湾海峡という表現が踏襲されている。日本が有事発生の際に何をすることになるのか、という思考実験が始まっていることは事実だが、それは台湾海峡を取り巻く状況に対応したものだ。バイデン政権の動きは従来方針を変更しかねないものであり、性格が異なる。

誤解すべきではないのは、アメリカが台湾を、民主化を成功させ定着させた民主主義のモデルとして認め、半導体受託製造に代表されるように先端技術を抱えた経済として成長した事実を正面から受け止め、また国際秩序に存在する価値観に整合した存在と考えるようになったことに符合するように、実は日本でも同様に、台湾の国際政治・経済における重要性はこれまでにないほど高いものとみなされるようになった。既に触れたように、日本の市民、政界において台湾への親愛感は強く、台湾を複雑な中台問題と切り離し一個の親密な存在として認識するようになっている。それに加えて、台湾の戦略的な価値も、地政学的価値は言うに及ばず、さらに広く理解されている。

それでも、日本にとって台湾海峡の平和と安定は自らの生存を左右するもっとも死活的な問題であり、慎重に慎重を重ねた取り組みが外交においても、軍事政策においても取られるべきものだ。日本は米中対立がアメリカにとって最も重要な戦略課題となるなかで、少なくともインド太平洋において最も欠かすこともできないパートナーだろう。果たして、台湾問題が日本に持つ機微さを、ワシントンの政策エリートは十分に理解しているのだろうか。また、日本の政界における複雑な文脈は理解されているのだろうか。

そのうえで、台湾有事を念頭に日本、および日米同盟が念頭に置いて準備を進めるべき課題が多いことにも触れておきたい。最大の問題は、日本側の事態認定の複雑さによる。危機と呼び得る状況において、日本の現行法制に則り、重要影響事態、存立危機事態、さらに武力攻撃事態(および武力攻撃予測事態)を段階的に適用する以上、そのスムーズさが重要になるが、戦後一貫して有事に直面したことのない日本の国内政治状況を考えればそう簡単なことではない。また日本国内の意志に影響を与えると思われるのは、他のアメリカの同盟国による国際的な連帯の存在だろう。とくに、存立危機事態の認定の政治的ハードルは、信じられているよりも高いのではないか。なお、日米の共同計画は、かりにそれに向けた議論が存在しているにせよ、公にされていないため、ここでは議論しない。

日本側の能力面における課題が多いことも事実だ。この点については、すでに多く実査されている官民のシミュレーションを参考に、日本側の能力が整備されるべきだ。また日本は、非戦闘員退避(NEO)において、日本人だけでなく、80万人とも言われる外国人の移動も念頭に置くべきとの指摘もあり、アフガニスタン退避の教訓を踏まえた議論がさらに進むべきだ。有事において、台湾には政府を転覆させかねないほどの政治・心理作戦が大規模に展開されるとみられるが、日本社会の分断を図り、また事態認定に影響を及ぼすような世論作りを念頭に置いた工作もされるだろう。これらに対処する能力は日本に大きく欠けている。

また台湾との関係強化も重要な論点となってくる。従来、台湾との関係強化に日本政府は積極的とは言えなかった。日台漁業取り決めは一つの転換点を作り、日本も政治交流だけでなく、台湾の国際空間を広げるための協力をしてきた。それでも、2者間で安全保障を念頭にした本格的な交流を始めることは現時点で難しいだろう。他方で、米軍主導の多国間演習やプログラム、または非伝統的安全保障分野を念頭に置いたプログラムなどを通じて、日本と台湾の関係者がより頻繁に交流することは十分に可能であり、また実質的な意味が大きい。偽情報や影響力工作などは日本が今後対応を求められる分野であり、また軍事的性格も弱いため、協力の推進にハードルは比較的に低い。東日本大震災で被災した地域からの食品輸入問題を乗り越えれば、経済的なパートナーシップも進展の可能性がある。

そのうえで、再度強調しておきたいのは、日米の意識を整えていくことの大切さである。その必要は22年1月の日米首脳会談を経ても変わらず、日米協力を進めるための信頼の土台となる。日本が台湾、中国にとっているアプローチは、単純な理解を諫める、複雑な論理である。もちろん、アメリカ側にも従来は、きわめて精細に作られた政策姿勢が存在していた。抑止のための軍事的な行動と宣言政策はどちらも、それぞれ綿密な計算と同盟国との調整を必要とするものだ。また、状況が緊迫していくなかで、相手に、自らがどのように動いても状況が悪化していくだけという考えが植え付けられれば、それは事態のさらなる悪化を招く。必要な行動と不要な行動を見極めることに、これまで以上の慎重さが求められている。