当フォーラムの実施する「『自由で開かれたインド太平洋』時代のチャイナ・リスクとチャイナ・オポチュニティ」研究会内、中国・インド太平洋諸国班の第6回定例研究会合が、下記1.~3.の日時、場所、出席者にて開催されたところ、その報告概要は下記4.のとおり。
記
- 日時:2021年12月29日(水)午後1時より午後2時半まで
- 場所:オンライン形式(ZOOM)
- 出席者:
- 内藤寛子メンバーによる報告
[報告者] | 内藤 寛子 | 日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員 |
[司会] | 川島 真 | JFIR上席研究員/東京大学教授(副査/中国班班長) |
[メンバー] | 大庭 三枝 | 神奈川大学教授(インド太平洋諸国班班長) |
高原 明生 | JFIR上席研究員/東京大学教授(中国班アドバイザー) | |
飯田 将史 | 防衛研究所地域研究部米欧ロシア研究室長 | |
佐竹 知彦 | 防衛研究所主任研究官 | |
[JRSP] | 熊倉 潤 | 法政大学准教授 |
高木 祐輔 | 政策研究大学院大学准教授 | |
溜 和敏 | 中央大学准教授 | |
[JFIR] | 伊藤和歌子 | 研究主幹 |
[外務省オブザーバー] | 8名 |
「習近平政権下の『法治』と法の域外適用」
①法律は基本的に属地主義であるが、犯罪行為が国境を越え、被害が国を超えて波及する場合、根拠法は単一ではない。複数の国の法が法的根拠となる場合、競合の調整が問題となる。国際社会での共通認識が得られている場合、保護主義、普遍主義といった法の域外適用が可能となる。保護主義は、国益が侵害されれば実行者の国籍、実効地を問わず法の被侵害国の法を適用するという考え方であり、後述の香港国家安全維持法に示された域外適用も保護主義にあたると考えられている。普遍主義は、国際社会の法益が侵害された場合、犯罪の場所、容疑者、被害者の国籍に関わらず如何なる国もこれを処罰する権限を持つという考え方で、テロや海賊等に用いられる域外適用の根拠となる。よって管轄権の問題はあまりなく法律上明文化もされてこなかった。しかし、刑事罰を制定する国家の出現や経済のグローバル化により、一国の範囲に収まらない事件が増加し、特に独占禁止法において域外適用に関する考え方が進展している。
②私法(民法)の域外適用はどのように行われているのか。外国における行為が自国の領域内に影響を与え、行為者がそれを予見することが出来る場合に、外国における行為に対して自国の管轄権を行使できるという、効果理論が域外適用に用いられる。効果理論は米国など有力国が判例法で確立させたもので、その経済力から他国が追認せざるを得ない状況になっている。中国も2008年に競争法を制定した際には効果理論に基づく域外適用を明文化した。判例法や競争法の中で域外適用を明文化する行為は一国主義を横行させ、外国の主権を侵害するという批判もある。
③法律学において法の域外適用を論じる際、公法と私法が分けて論じられるが、どちらにも共通する課題がある。公法においては保護主義や普遍主義が適用される事例が限定されている。私法においては判例法のように一定程度国際社会が承認する法の一般原則が存在する。法の一般原則をどう定義するか課題となる。法の一般原則とは、各国の法に明文化され、各国で共通に採用されたものと認められる原則である。法の一般原則は国際政治経済のパワーバランスの流動性に伴って変化する。昨今中国の台頭に伴い、公法私法両領域において中国法の域外適用が現実的な問題になっている。
④中国における法の域外適用の事例として米中対立と香港国家安全維持法が挙げられる。米国が法の域外適用による対中制裁を実施すると、これに対し中国は法の制定で米国を牽制した。まず2021年1月中国商務部が「外国法律・措置の不当な域外適用阻止に関する弁法」という行政規則を制定した。これにより中国企業が、外国の法律や措置により第三国・地域の企業との貿易を禁止、制限された場合、中国当局が不当な域外適用だと確認すれば、その法律の適用を認めないとする禁止令を出すことが可能となった。2021年6月には「反外国制裁法」が制定され、法的根拠として、中国が外国から不当な制裁や内政干渉を受けた際、中国は報復措置を取る事が出来るようになった。2017年頃から加熱した香港での民主化運動を抑制するために中国共産党は2020年6月に香港国家安全維持法を制定した。この第38条が保護主義に基づく法の域外適用ではないかと考えられている。これまでコモンローの国家として香港と提携していたイギリス等多くの国々が犯罪人引渡協定を停止した。朱牧民(サミュエル・チュー)、羅冠聰(ネイサン・ロー)、鄭文傑(サイモン・チェン)らが同法違反で指名手配された。サミュエル・チューは雨傘運動発起人の息子で、アメリカで香港人権民主主義法を制定する為のロビー活動を積極的に行っていた。三名の指名手配活動は全て国外で行われており、国外での活動について香港国家安全維持法違反として指名手配されている。
⑤中国における法の域外適用の事例として、米中対立と対香港政策の強化というものがあるが、そもそも何故中国共産党は法に基づいて対外戦略を推し進めているのか。これが本日の報告の問いである。問いに対し、暫定的仮説として、欧米を中心に理論的に積み上げられてきた「法の一般原則」に対抗し、中国が主張する価値や利益に対する国際社会からの理解を獲得するための行動であると考える。
⑥暫定的仮説を念頭に置き、中国がどのように法に基づく対外戦略を推し進めてきたのかという点について見てゆく。習近平政権は法治の推進を重要な政策課題として位置付けるが、それを推進する党内組織は政権発足以降変遷している。2013年10月第18期3中全会で成立した中共中央全面深化改革領導小組が当初法治推進の組織であった。この領導小組は6つの下部組織を設けており、各々が持ち回りで会議を開催している。その一つが中央司法体制改革領導小組である。中共中央全面深化改革領導小組における法治関連の議論は非常に限定的で司法体制改革を中心とした内政に関する議論が主である。2016年5月に開催された中央全面深化改革領導小組第24回会議では経済政策の一環として対外関連の法整備が議論された。2014年11月国家安全委員会が成立し、国家安全の法治に関する事はこの国家安全委員会内で議論されるようになった。2017年10月第19回党大会で中央全面依法治国領導小組が成立し、中共中央全面深化改革領導小組での法治に関する政策は中央全面依法治国領導小組内で議論されるようになった。2018年3月の「党と国家の機構改革の深化に関する中共中央の決定」に基づき、中共中央全面深化改革領導小組と中央全面依法治国領導小組は委員会へと改組された。中央全面深化改革委員会と中央全面依法治国委員会は組織の特徴が異なる。中央全面深化改革委員会は領導小組の時から1から2か月に一度会議が開催され、会議の内容は極めて実務的である。一方中央全面依法治国委員会は1年に1度の会議で他の活動報告や政策目標の決定をし、議題範囲が広く組織の重要性は高い。中共中央全面深化改革領導小組の下部組織が中心となって法治の議論をしてきたが、国家安全に関わる法整備に関しては国家安全委員会が、それ以外の国内国外に関わる法治政策に関しては中央全面依法治国領導小組及び委員会が基本的に行う。法治に特化した専門組織を設けるとともにその党内位置づけが上がってきているということが分かる。
⑦習近平政権下で具体的にどのような法治が推進されてきたか。第18回4中全会で「法治を全面的に推し進めることに関する若干の重大な問題の決定」が採択され、習近平政権の法治への重視がより鮮明になった。この決定には、国際的な法律問題における中国の発言力と影響力を強化し、中国の主権、安全、発展の利益を守る為に法的手段を活用する、とある。政権発足当初から、国際社会における中国のプレゼンスを向上させるためには法治が必要だと主張していたことが分かる。第18期5中全会で採択された、「国民経済と社会の発展に関する第13期5か年計画」には、「対外開放新体制を形成し、法治化、国際化、円滑化した企業環境を完備する」とあり、対外法律業務の強化が推進されていることが分かる。その後の中央全面深化改革領導小組第24回及び第36回会議でも同様の点が強調されていて、法治に関する対外政策として主に私法領域での法整備が徐々に進められていることが分かる。
⑧米中対立の先鋭化や香港、新疆ウイグル自治区といった人権、内政干渉の問題の過熱に従い、対外法律業務の強化として単に私法領域の法整備を進めるのみならず法の域外適用に関する議論も頻繁になされるようになった。中央全面依法治国委員会第2、第3回会議では「我が国の法律を域外適用するための法体系の構築」を加速する必要性が言及されている。2020年11月に開催された中央全面依法治国工作会議では、習近平が、「国内と対外関係において、法の支配の統合的な推進を堅持する必要性」を強調した。加えて対外関連の法治作業の戦略的配置を加速すること、国内と国外のガバナンスを調整すること、国家主権、安全、発展の利益をよりよく保護する必要があることを述べる。国家安全を組み込んだ対外法律業務の強化に言及している事が分かる。
⑨国家安全を中心とした法治はどのように進められているのか。2014年4月国家安全委員会第1回会議が開催され、経済・文化・社会等各分野に及ぶ安全の総体を中国共産党の命令的指導の下で保全しようという総合国家安全観が提起された。2015年7月には国家安全に関わる基本法として「国家安全法」が採択・施行され、国家安全に関する刑法領域における法整備が積極的に推進された。2014年の平和五原則発表60周年記念大会が行われた際に習近平は「国際関係における法の支配を促進する為に協力する必要がある」、「法の支配を利用し他国の正当な権利と利益を侵害し平和と安全を損なうことに反対する」と述べた。中国は国家安全に関わる法整備を推進し、国際法及び普遍的に認められた国際関係の基本原則を順守する国家として国際社会における中国のプレゼンスを高める狙いがある。その後「スパイ法」、「反テロリズム法」、「インターネット安全法」など刑法領域における法整備が積極的に進められている。
⑩国家安全の根本である政治安全を守るために最も重要な対象の一つが香港である。2014年以降の雨傘運動や過激化する香港の民主化運動を受け、中国共産党は第19期4中全会において、指導部が憲法と基本法に厳格に従い、香港・マカオに関する管理と統治を行い長期的安定と繁栄を維持する為に国家安全の維持に必要な立法と法執行メカニズムを整える必要性があると指摘した。香港版国家安全法の制定を中国大陸が進めることにした、ということが分かる。2020年5月に開催された13期全国人民代表大会第3回会議ではその立法説明が行われた。そこでは、中国に反対し、香港を攪乱しようとする勢力が国家分裂を進めていること、海外勢力が中国に反対し香港政治に干渉し始めていることが指摘された。そのような中香港国家安全維持法が制定され、第38条には域外適用規定も含まれた。しかし、香港の民主化運動は国家統一の破壊、国家分裂の活動であるのかという法の一般原則、国際社会の理解との対立が生じている。また保護主義に基づく法の域外適用は香港に対してもなしうるのか、という問題もある。
⑪米国による法の域外適用に基づく対中制裁に中国が対抗している、というのが米中対立の図式である。サイバー空間およびハイテク技術における米国からの対中制裁として、輸出規制などが挙げられる。人権問題への制裁として、新疆ウイグル自治区の政府高官、人権侵害関連企業への制裁、「香港自治法」制定などが挙げられる。
⑫これらに対して中国は次のように法を制定して対抗措置をとっている。2021年に中国商務部は「外国法律・措置の不当な域外適用阻止に関する弁法」を制定し、また同年「法治中国建設計画2020-2025」を発表した。同計画では法に基づいた主権・安全・発展を守るという項目が立てられ、その中で法に従って一国二制度の実践を守ること、国際政治経済、社会問題の処理に法治思想と法の支配を適用する、という内容が示された。国家の安全と対外法律業務の強化が両輪で論じられるようになっていることが分かる。同年6月には「反外国制裁法」を制定し、米国の対中制裁が国際法および国際関係の基本準則に甚だしく違反していると批判した。同法では、①内政に干渉する外国国家、差別的規制措置➁独立を鼓舞・扇動・経済支援し、主権、安全、発展を侵害する行為の報復状況を明確化している。米国の対中制裁に対抗する立法および法治計画の確定の際中国は米国の対中制裁が国際法違反であると批判するとともに、中国が重視する価値・権利・利益に基づく「法の一般原則」の必要性を強調した。今後はこのような考えに基づき中国の域外適用の整備が進むと考えられる。
⑬結論として、中国共産党はどのように法に基づく対外戦略を推進したといえるか。習近平政権は発足直後から私法領域における法整備を推進し、その後国家安全委員会の成立に伴い、公法領域において国際社会との協力を目指して法整備を行った。私法領域に対する米国の対中制裁や香港・ウイグルを巡る人権問題に関する国際社会の価値の対立が生じた結果、国家安全に関わる法整備と対外法律業務の強化が両輪で論じられるようになった。米国の対中制裁に対しては「反外国制裁法」が制定で対抗し、中国法の域外適用の整備も進められている。なぜ中国共産党は法に基づく対外戦略を推進しているのか。それは欧米を中心に理論的に積み上げられてきた「法の一般原則」に対抗し、中国が主張する価値や権利、利益に対する国際社会からの理解を獲得する為である。
(以上、文責在事務局)