公益財団法人日本国際フォーラム

中国共産党中央は202111月、第19期中央委員会第6回全体会議(6中全会)で、「党の100年の奮闘による重大な成果と歴史的経験に関する決議」いわゆる「第3の歴史決議」を採択した[i]。本稿では、習近平共産党総書記(国家主席)の政権が、⑴文化大革命(196676年)や天安門事件(1989年)など負の歴史、⑵「権力集中」「個人崇拝」という政治スタイル、⑶領土主権を中心とした対外方針―について、歴代政権と比べてどう歴史認識を変容させたかを分析し、習近平の目指す方向性を探りたい。

毛沢東超える習近平言及

本稿が資料として扱うのは、胡錦濤前政権下で共産党結成90周年時の20117月に公表された「中国共産党歴史大事記」(以下「90年大事記」)[ii]と、習政権下で結党100周年の20216月に公表された「中国共産党一百年大事記」(同「100年大事記 )[iii]。「第3の歴史決議」は、当然のことながら後者と深く関わるが、筆者は、習近平が、共産党100年にわたる歴史解釈を通じ、自身が展開しようとする政策を正当化し、将来の方向づけを行っているとの仮説を立てた。

90年大事記」と「100年大事記」は共に、内外の重要事案を年代別に記録したもので前者は約79000字、後者は約97000字の分量。ちなみに「第3の歴史決議」は約36000字である。

90年大事記」と「100年大事記」では毛沢東はそれぞれ150回、138回言及され、鄧小平はそれぞれ83回、75回。両指導者とも10年間でさほど大きな変化はないが、「90年大事記」で60回言及された胡錦濤前総書記は、「100年大事記」では32回に約半減。習近平は「100年大事記」で毛沢東を超える184回も言及された。

一方、「第3の歴史決議」では、毛沢東の18回、鄧小平の6回と比べて習近平は22回言及された。権力を掌握してわずか9年間の習近平の功績が歴史的に強調されているのは、「100年大事記」と「第3の歴史決議」で共通である。

「文革」「天安門事件」評価の変化

中国共産党史において「負の遺産」としては、195758年の「反右派闘争」、「文化大革命」、「天安門事件」などが挙げられる。

知識人らを大量弾圧した反右派闘争に関して「90年大事記」は、「右派分子の攻撃に対して反撃を行うのは正しく必要であるが、反右派闘争は深刻に拡大され、一部の知識人や愛国人士、党内の幹部が右派分子と誤って見なされ、不幸な結果をもたらした」と否定評価も下された。しかし「100年大事記」では「一部の知識人…不幸な結果をもたらした」の否定部分が削除され、「第3の歴史決議」でも踏襲された。

文革について「90年大事記」の「“文化大革命”の10年を経験し、党、国家、人民は新中国成立以来最も深刻な挫折と損失に直面した」という文言は、「100年大事記」で削除された。四人組が逮捕されて文革が終結し、鄧小平の下で改革開放政策が軌道に乗り始めた19816月、共産党第11期中央委員会第6回全体会議(6中全会)で「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」(「第2の歴史決議」)が採択されたが、「90年大事記」は同決議に関する記述の中で、「“文化大革命”を徹底的に否定した」と明記した。しかし「100年大事記」ではこの部分も削除された。

一方、「第3の歴史決議」は文革についてこう評価した。

「林彪と江青という2つの反革命集団は毛沢東同志の誤りを利用し、国家と人民に災いをもたらす多くの罪悪な行為を働き、10年間の内乱を引き起こした。党と国家、人民に新中国成立以来の最も深刻な挫折と損失を与え、悲惨な教訓を残した」

さらに、同決議は、改革開放政策を決定した197812月の第113中全会で「党は“文化大革命”を徹底的に否定する重大な政策決定を行った」と明記した。

つまり文革に対する「第3の歴史決議」の評価は、「100年大事記」どころか「90年大事記」以上に否定的であることが分かる。

習近平は総書記就任直後の201315日、「改革開放以降の歴史をもって改革開放以前の歴史を否定してはいけない」と訴え[iv]、文革など毛沢東時代の負の歴史も含めて肯定的に捉えようとする歴史観を持っているとみられる。しかし、「第3の歴史決議」での文革評価は、現指導部内に文革の歴史を「淡化」(希薄化)させることに対する抵抗があることを示している可能性が高い。

人民解放軍が民主化運動を武力弾圧した天安門事件について、「90年大事記」「100年大事記」とも次のように同じ表現だった。

「春から夏への変わり目に北京やその他の都市で政治風波が発生し、党・政府は人民に依拠して旗幟鮮明に動乱に反対し、北京で発生した反革命暴乱を鎮圧し、社会主義国家政権を防衛し、人民の根本的な利益を守り抜き、改革開放と近代化建設を引き続き前進させることを保証した」

さらに「第3の歴史決議」は、「国際的な反共・反社会主義の敵対勢力の支援と扇動を受け、国際的な『大気候』と国内の『小気候』が、1989年の春から夏への変わり目に、我が国に深刻な政治風波をもたらした。党・政府は人民に依拠して旗幟鮮明に動乱に反対し、社会主義国家政権を防衛し、人民の根本的利益を守り抜いた」と表現がやや変わった。民主化運動の背景に「海外敵対勢力」の存在があることを強調する解釈になった。

その一方、習近平は、「第3の歴史決議」が採択された20211111日の6中全会第2回全体会議の演説で、天安門事件に言及し、「党と国家の生死の存亡をかけた闘争に打ち勝ち、西側国家のいわゆる“制裁”圧力に耐えた」と訴えた[v]。天安門事件を受けた西側諸国の対中制裁に触れたもので、「海外敵対勢力」の存在と同様、西側民主主義陣営を対立軸にした評価を打ち出している。

権力集中と個人崇拝の方向性

100年大事記」では鄧小平が1989616日に数人の中央指導者と談話した[vi]際の内容が新たに追加された。

「いかなる領導グループも一人の核心が必要である。核心がない領導は当てにならない」

習近平は2016102427日の共産党第18期中央委員会第6回全体会議(6中全会)で、党内で別格の地位である「核心」に位置づけられた。習近平に対する個人崇拝の動きが強まる中、「100年大事記」では、習近平が目指す政治体制に合致するよう修正されたとみられる。

一方、「90年大事記」によると、鄧小平は1980818日、中央政治局拡大会議で「党及び国家の指導制度改革」をテーマに、「現行制度に存在する官僚主義、権力への過度な集中、家長制、幹部領導職務の終身制など各種の弊害に改革を進めなければならない」と提示した。党主席、総理、中央軍事委員会主席を兼務して党・政府・軍を掌握するライバル華国鋒の権力を削ぐ狙いもあったとされるが、毛沢東時代の個人崇拝や権力集中を否定した。

100年大事記」では、「弊害」とされた「権力への過度な集中」や「終身制」という表現は削除され、代わりに党・国家及び領導制度の改革を進めるのは「党の領導を弱め、党の規律を緩ませるのではなく、党の領導と規律を堅持し強めるためだ」という文言に差し替えられた。

この「改変」は意図的なものとみられる。習近平は20183月の全国人民代表大会で、210年間までとした鄧小平時代の国家主席任期制限を撤廃し、3選を視野に入れている。そのため「権力集中」や「終身制」を否定的に解釈しないという共産党内のコンセンサスが存在する可能性が高い。

鄧小平時代の「第2の歴史決議」でも、「集団指導(体制)樹立」や「個人崇拝禁止」が明記され、文革で国内を大混乱させた毛沢東政治を変えるべきだと強調された。「第3の歴史決議」は、鄧時代の歴史決議について「なお通用する」として否定していないが、「集団指導(体制)樹立」や「個人崇拝禁止」という文言は消えた。

これは何を意味するのか。筆者は、権力集中や個人崇拝などの習近平が目指そうとしている政治スタイルについて、「歴史決議」だけでなく、「大事記」を見ても同じ潮流であり、鄧小平時代の歴史決議を上塗りすることで、その解釈を見直そうとしているのではないかと分析する。そうすることで習近平自身が現在進める方向性を正当化する手法が駆使されていると考える。

領土主権、国家安全への執着

90年大事記」も「100年大事記」も、アヘン戦争が起こった1840年以降、西洋列強の侵入で中国が半植民地化していくという「屈辱の歴史」から記述が始まるが、「100年大事記」は冒頭で「中華民族の偉大な復興実現は、全民族の偉大な夢となった」と追加し、習近平のスローガンが新たに歴史として書き加えられた。「90年大事記」で2回しか登場しなかった「中華民族偉大復興」というキーワードも、「100年大事記」では20回に増えた。

「第3の歴史決議」では実に「中華民族偉大復興」が28回も登場し、「中国共産党がなければ新中国もなく、中華民族の偉大な復興もなかった」と明記。習時代の共産党と「中華民族偉大復興」は一体化している。

一方、対外方針に関しては、鄧小平は天安門事件後の198994日、国際情勢の激変に対して自分の力を隠して蓄えるという「韜光養晦」を提起し、江沢民政権が実践した。「90年大事記」で明記された「韜光養晦」は「100年大事記」では削除された。

この「改変」に合わせるように、習近平体制になり、領土主権問題で譲れない原則を「核心的利益」と強く主張し、外国から批判されれば、声高に反発する「戦狼外交」を展開し、報復措置を行使する好戦的な対応が明確になった。

100年大事記」では、「90年大事記」で書かれなかった「核心的利益」に関する歴史が新たに加わった。例えば次のような事案だ。

197411920日「人民解放軍による南ベトナム軍への自衛攻撃作戦と西沙諸島領土の防衛」

1988314日「人民解放軍の南沙諸島での自衛反撃作戦」

1992225日 「全人代常務委員会で領海法(尖閣諸島を中国領と明記)可決」

19963825日「東シナ海、南シナ海に向けたミサイル発射訓練と台湾海峡での陸海空軍の合同演習」

さらに「第3の歴史決議」は、「外部からの過激な圧力や抑圧に抵抗・反撃し、香港・台湾・新疆・チベット・海洋に関する闘争を展開し、海洋強国の建設を加速させ、国家の安全を有効に維持した」と強調し、国家安全のためには譲歩せず、最後まで戦う方針を誇示した。

本稿では習近平政権の特徴として、過去の政権と異なる新政策を展開する際、歴史事実を解釈し直し、自身の方針を正当化した上、未来への方向付けを行うという仮説を立てた。「100年大事記」や「第3の歴史決議」を観察する限り、前政権との比較で習本人は長期政権をにらみ、権力集中や個人崇拝に固執し、領土主権に対する強い執着性を表しており、今後の方向性を暗示していると言える。