公益財団法人日本国際フォーラム

はじめに

2010年以降、国際社会において太平洋島嶼諸国を巡る政治動向がとりわけ注目を集めるようになった。その理由の第一は、気候変動による環境変化に最も影響を受けやすい脆弱地域であること。いわば、地球温暖化の被害を真っ先に受ける象徴的な国々であるからだ。第二は、中国の影響力が顕著に強まっている地域であること。よって島嶼諸国は、この中国パワーに飲み込まれる危険性が高くなっている。

日本はもちろん、世界のマスメディアは以上の二つの観点、すなわち地球温暖化と中国の太平洋進出の問題に絡めて、島嶼地域の政治動向を紹介することが多くなっている。またこの類いの言説は、地域通といわれる人たちの文章にもしばしは登場する。しかし、果たしてそうなのか? 約半世紀にわたり、この地域の動向を見続けてきた私の目には、すべての問題を地球温暖化と中国の太平洋進出に結びつける島嶼国理解は、何とも的外れに映る。そればかりか、はなから島嶼人の主体性に目を向けないのは、植民地時代の島嶼地域観ではないのか。

では、島嶼国人の側に立って見れば、太平洋はどのように映るのか。近年新聞にも大きく取り上げられた島嶼地域での出来事から、そのあたりを考察してみたい。

気候変動と中国は新たな政治的争点

 人知れず存在する南太平洋の極小環礁国家ツバルが、突如世界に知れ渡ったのは2008年頃だった。2月の大潮の時、地下から吹き出る海水で首都フナフティが水浸しになった映像が、世界中のニュースで流れたからだ。それ以来、ツバルは温暖化による海面上昇で「沈みゆく国」として有名になった。(しかし、実はこの浸水は、海面上昇とは全く無縁の現象だった。この件については、本論のテーマからは外れるので、これだけに止めておくが、この現象についての詳細は、別の論文や調査報告書を参照されたし。)(1)

しかしその後、温暖化の影響で国土消滅の危機に瀕する象徴的な存在として、世界的に名を馳せたのは、ツバルよりもむしろ、その隣国の環礁国家キリバス共和国だったのである。この国のアノテ・トン大統領が卓越した外交手腕で国家の窮状をアピールし、国際的な環境問題会議では、欧州諸国が島嶼諸国の発言を最も重視するほどにまでなった。トン大統領は自国だけではなく、太平洋島嶼地域全体を世界に知らしめ、地球温暖化問題の重要性を広めた人物として、ノーベル平和賞の候補にも挙がった。

ところが2016年に政権交代で登場したマーマウ新大統領は、「前政権が喧伝したような海面上昇を起因として消滅した国土は1平方メートルもない」とトン前大統領を批判したのである。さらに、「沈む国キリバス」をテーマに滞在していたドイツ人映像ジャーナリストを「キリバスに関する根も葉もない誤情報を世界に垂れ流す危険人物」として国外追放した(2)。確かに、国の名前は世界に広まったが、好奇の目が集まっただけで、国民の暮らしは良くならなかった。だから、「自分の名声ではなく、国民中心の政治活動に専念すべきだ」と考える民の声が、新大統領を支えたのである。そして2019年、新政権は、台湾と断交して中国と外交関係を樹立した。すると案の定、「キリバスも中国の援助攻勢の前に陥落した」といった類いの解説記事が世界のマスメディアを駆け巡ったのである。しかし、そもそもキリバスは独立直後から中国と外交関係を結んでいて、それを台湾に乗り換えたのは、2004年に登場した前政権のトン大統領だったのだ。

以上のエピソードから、島の政治家たちにとって「海面上昇問題」と「中国・台湾問題」が、大きな政治的争点になっているのが分かる。もともと島嶼諸国には、イデオロギーに基づく国家路線の違いといった政治性はなく、出身部族、都市住民と伝統社会に属する住民の利害、政治家の個人的人気度などが政治的争点だった。そこに、外から新しい海面上昇と中国の進出問題が加わったのである。ただしこれは、「島々に降りかかる火の粉」への対応ではなく、「政治的にいかに利用できるか」を巡る争点だった。「海面上昇」は、島々を国際社会にアピールする唯一最大の材料であるし、中国は、既存の援助大国との関係に縛られずに援助を貰う選択肢を広げられる存在だからである。このような視点に立って太平洋を見渡せば、全く違う景色が見えてくるのではないか。

島嶼国が抱える本当の危機

2021年秋のCOP26では、ツバルの外務大臣がスーツ姿で腰まで海に浸かり、CO2削減を訴える演説をした。このビデオ映像が流れると会場にどよめきが起こり、衝撃的画像はたちまち世界中に拡散された(3)。確かに、水没を連想させるパフォーマンスとして、ツバルに注目を集めさせる手段として効果的だったかもしれない。しかし、冷静に考えれば、この映像は誤解を作り出すだけで、何らの事実も伝えていない。ただ、目の前にいつもあるラグーンの浅瀬に、服を着たまま入っただけのこと。たとえ海面上昇があるとしても、それは年や何十年の間にミリやセンチの単位で海面が上昇するという話である。実際には、ひたひたと忍び寄る海面上昇への不安を、日々感じながら暮らしているツバル人などはいないのだ。

とはいえ、島嶼国の政治家たちが「海面上昇」問題を武器に、島々への国際的関心を高めることに成功した点は評価して良いだろう。今や太平洋は地球上の忘れ去られた地域ではなく、しっかりと政治的アクターとして認識されるようになり、人の往来も援助額も大幅に伸びたからだ。しかし、先進諸国による水没危険国家という関心が、極小島嶼国に新たな人災をもたらしている現実も見落とせない。必要のない援助物資やプロジェクトが小さな島々に流入し、環境を悪化させたり社会を混乱させたりの事例が出現する一方で、島嶼国が抱える本当の危機的問題が見過ごされているからである。

マーマウ大統領が「海面上昇に起因する国土水没の事例はない」と言ったように、極小島嶼国が現在直面している問題は海面上昇ではなく、あふれるゴミ、生活排水による海洋汚染、インフラ開発の結果で起こる国土(島)の浸食、これにより生じる飲料水不足等々である。これらは、近代国家の形成を進める過程で起っている人口集中や産業開発の試みによって生じている人為的現象に他ならない。それなのに国際世論の目が、気候変動・海面上昇の問題にばかり向かうのは、すでにこれらが環境問題ではなく政治問題化しているからだ。それゆえに、島々の政治家はもちろん援助国や国際援助機関は、政治的観点に惑わされずに、島々にある現実の危機に向き合わなければならないのである。

ソロモンの暴動事件は中台問題ではない

2021年11月、ソロモン諸島の首都ホニアラで抗議デモがあった。目的は、2019年9月に国交関係を台湾から中国に乗り換えたソガバレ首相の退陣要求だった。これが暴動にまで発展したが、ソロモン政府から支援要請を受けた豪州軍・警察が出動して、騒動は3日で鎮静化した。

この事件は日本の新聞も大きく取り上げ、台湾支持派住民と中国支持政府との確執が原因だと報じた。確かに、デモ行動の直接的動機は中台の国交問題にあったようだが、この事件の根底には多島国家ソロモンが抱える民族問題が潜んでいる。つまり、独立以来続いている民族間の確執が、中台の支持問題に絡んで事件化したと見るのが正しいだろう。

1978年の独立後、民族間の問題が深刻な形で表面化したのが1998年。首都が置かれるガダルカナル島に住むマライタ人らが、武装したガダルカナル人に襲われた。この事件は、瞬く間に島内各地に広まったが、これを知ったマライタ島の有志らが武装集団を立ち上げて対抗したため、事態はガダルカナル州とマライタ州の紛争にまで発展、これがソロモンの民族紛争(ethinic tension)である(4)。紛争勃発後、幾度となく和平協定が結ばれたが、いずれも機能せずに紛争が続き、豪・NZの仲介でようやく事態を終結させたのが2年後の2000年だった。

そもそもこの国には独立以前に国家統一の歴史がなく、各島の人々は独自の文化と秩序の中で暮らしてきた。だが、独立国の首都をガダルカナル島に置くと、政府機能が集中するこの島に、各島人が居住するようになった。その中でもマライタ人は、域内で最も精力的で勤勉、かつ優秀だとの評判が高く、よって行政府内でも中央経済界でも彼らが占める割合が圧倒していた。この実情に恐怖を感じたのが、ガダルカナル人だ。「このままでは我々の島が乗っ取られる。奴らを排斥しなければ危険だ」、これがマライタ人襲撃事件の発端だった。

ガダルカナル島の対面という好位置にあり、人々も積極的で勤勉とされるマライタ島には、これまでも海外からの援助プロジェクトや投資案件が集中する傾向があった。マライタ人の多くが台湾支持者なのは、彼らが台湾の恩恵を直接的に感じていたからだろう。そしてガダルカナル人には、それが気に入らなかったのである。

この民族紛争の原因は、一体化する必然性のない島々が植民地の枠組みで独立させられたという国家形成上の矛盾にある。2000年以降、目立った暴動事件こそ起っていなかったが、あの事件以来マライタ州の分離独立議論は止むことがない。パプアニューギニアで起っているブーゲンビル島の独立運動も(5)、これと同じ文脈で語られるだろう。

これら島嶼諸国が抱える独立時からの構造矛盾が問題化しないように努めるのが、旧宗主国である豪・NZが負うべき責任であり、域内先進国としての役割でもある。島嶼地域にひとたび暴動が起れば、治安維持に豪州軍が駆けつけるのはそのためだ。しかし近年、彼らが地域の安定や発展に十分貢献しているかと言えば、それはあまりにも心許ない。確かに、豪・NZの援助総額や人的交流の多さは、他に群を抜いている。ところが、こんな旧宗主国を、地域を束ねる信頼できるリーダーとして認知している島嶼国は少ないのだ。こうした信頼感欠如の隙間に、中国が入り込む余地があるのではないか。

島嶼国の信頼を失う豪・NZ

2021年2月、太平洋諸島フォーラム(PIF)は事務局長を選出したが、その結果に不満を示したミクロネシア5ヵ国が、PIF離脱を宣言した(6)。この出来事の顛末を知ると、島嶼諸国がなぜ豪・NZを地域リーダーとして認めないかがよく分かる.

PIF(前進はSPF)が設立されて50年、その間に投票で事務局長が選出されたのは1度だけ。全員一致が太平洋の伝統だから投票には馴染まず、よって次の局長はミクロネシア出身候補が紳士協定による輪番制で決まるはずだった。ところが、2020年8月の年次総会がコロナウィルスの影響で開催中止になり、局長選出も先延ばしになった。するとその間に、ポリネシアからもメラネシアからも複数の有力者が局長に立候補し、調整が難航してしまった。「紳士協定が守られないのなら、PIFに止まる意味がない」と主張するミクロネシア諸国に対し、「地域の分裂はなんとしても避けたい」と、自国候補を取り下げる国もあれば、「出て行きたいのなら、どうぞ」と突き放す国もあった。だがその間の豪・NZは、積極的に事態収拾に動く気配はなく、むしろ自国の主張を推し進めた。その結果、2月のリモート会議で9対8、棄権1の投票でクック諸島のプナ前首相が選ばれたのである。ポリネシア候補が獲得した9票の内の2票は、豪・NZ票だった。そのNZのアーダーン首相はミクロネシア諸国のPIF離脱宣言を知って、「そこまで深刻に考えていたとは、知らなかった」と発言し、島嶼諸国首脳らをあきれさせた。彼女の発言から透けて見えるのは、意外にも豪・NZが島嶼諸国の心情や政治姿勢を理解していなかったという事実である。

8月には、PIF発足50周年という記念すべき年次総会がリモートで開催されたが、この会議中に豪モリソン首相は、「飲み食いしながら、会議に参加するのはやめてください」と議長に注意された。この出来事について、「島嶼国首脳を馬鹿にした態度。仮にEUや米国が相手の会議であれば、飲食する非礼などありえないだろう。」と豪内部からも批判が殺到したのである(7)。

さらに11月初旬にも、モリソン首相はミクロネシア首脳らを憤慨させた。先のCOP26会場で、パラオのウィップス大統領に出会った同首相が挨拶を交わした際に、「PIFのメンバーとしてsuspended 状態にあるミクロネシア諸国の問題を、早急に解決しなければいけませんね」と言ったそうだ。PIFは、脱退届の正式受理日を1年後とし、その間にミクロネシア諸国の脱退翻意を促す諸策を講じたいと考えていた。それに対しウィップス大統領は、「2月に提出した脱退届を正式に受理していないのは、PIFの都合ではないか。それを”suspended”とは何事だ。」と怒ったのである。パラオ大統領の反応に焦ったモリソン首相は後日、豪の真意を伝えたいと外務大臣をパラオに派遣した。

PIFの分裂を最も真剣に考えていたのは、パプアニューギニアとフィジーで、幾つかミクロネシア翻意のための諸策が提案されたが、結局どの案も地域内で纏まっていない。この問題は、2022年の2月中に最終決着を付けることになっていたが、ミクロネシア諸国側は、この6月までPIF側の決定を待つことにしたため、最終離脱の決定はとりあえず先延ばしになった。

島嶼諸国の主体性

以上の出来事からも、豪・NZはもはや、地域リーダーとなるべく島嶼諸国の信頼を得ていない実情が見えてくる。既述のように、歴史的関係から人的交流が頻繁で、両国が拠出する経済支援額も多いのだが、とりわけ豪州を好ましく思わない島嶼諸国が少なくないのは、彼らから常に高圧的な主張や態度の押しつけを感じるからだと言う。

私は先に、そんな旧宗主国嫌悪の隙間に中国が入り込む余地があったと記述したが、その中国とて島嶼地域での評判がことさら良いわけではない。近年あちこちの島で、政府庁舎や議事堂、スポーツ施設など中国供与の箱物が目立つが、いずれも質的評価は低く、往来する中国政府高官の態度も島嶼国人には嫌われている。それでも島嶼諸国が中国との関係面を広げているのは、援助受領の選択肢を広げることで被援助量の総額を増やし、同時に、援助拠出国を分散し競合させることで、一つの援助国による支配意識を排除しようとの明確な意思が働いているからだ。

島嶼諸国は外から見ると、小さくてひ弱で危なっかしく見えるかもしれない。しかし、けっこう強かで、大国の思いのままに漂っている国々では決してない。例えば、中国からの多額援助受領を懸念する私に、ある島嶼国高官は「心配には及びません。長い間、日本からも多額の援助をいただいてきましたが、日本の言いなりになったことも一度としてありません」と言ってのけたのである。それゆえ中国とて、「多額の援助、支援をしているのに、なぜ思い通りにならないのか」と対応の難しさを感じているかもしれない。

島嶼国を侮ることなかれ、ここに彼らの主体性がある。この点を見ずに、地球温暖化や中国の島嶼地域進出にばかりに目を向けていると、島嶼地域が抱えている本質的な課題や島嶼国理解には、いつまでもたどり着けなくなるのではないか。