公益財団法人日本国際フォーラム

201912月、中国の武漢市に始まる新型コロナウィルス感染症の感染拡大は、中国国内は言うまでもなく、瞬く間に世界的なパンデミックに至り、人々の生活世界は、その根底から大きく変貌を迫られた。これに対する各国政府の対応は、各政府の政策的な重点の違いにより、さまざまな政策が選択されたが、中国政府は、党・国家主導による感染拡大の徹底的な封じ込めを図るゼロ・コロナ政策を実施し、多くの関心が向けられたとともに、検証されるべき一つの事例を提供した。本稿では、基層社会における「網格化管理」の政策過程を概観し、新型コロナウィルス感染症のパンデミックを契機にして顕在化した中国の社会ガバナンスのイノベーションの動向を考察する[1]

党政府の政策決定と基層社会における「網格化管理」の展開

2020120日、習近平は、新型コロナウィルス感染症の蔓延に対策を講じるよう重要指示を提示した。これを受けて、同日には国務院新型コロナウィルス肺炎流行の予防と管理のための共同対策業務メカニズム(「国務院応対新型冠状病毒感染的肺炎疫情聯防聯控工作機制」)が設置され、23日の武漢封鎖、24日の中央軍委新型肺炎領導小組(「中央軍事委員会応対新型冠状病毒感染肺炎疫情工作領導小組」)の設置、25日の中央政治局常務委員会における中央新型肺炎領導小組の設置へと続き、党・政府の指導体制と政策的な対応のメカニズムが形成された[2]

都市・農村の基層社会において、党政府の政策対応で決定的な役割を果たしたのが、「社区」と「網格化管理」である。とくに同月24日、上述の国務院新型コロナウィルス肺炎流行の予防と管理のための共同対策業務メカニズムにより、「新型コロナウィルス感染による肺炎の流行の社区における予防と制御の強化に関する通知」が発出され、その全体要求として、「社区の動員能力を充分に発揮し、網格化、絨毯式管理を実施し、共同で防衛・管理し、着実な防衛・管理、総合的な管理措置を有効に実施し、『早期の発見、報告、隔離、診断、治療』を行い、ウィルスの侵入、蔓延、拡大を防ぎ、疫病の伝播をコントロールする」ことが指摘され、社区組織を動員しながら網格化、絨毯式管理を実施することが強調された[3]。また、同年23日、中央政治局常務委員会において、中国全土を碁盤として例えながら全体的に捉え、「各地区は地方党委員会と政府の責任を固め、社区の感染拡大を阻止する網格化管理を強化し、さらに周到で、効果のある措置をとり、新型コロナの蔓延を阻止する」ことが確認された[4]。さらに同月10日には、習近平自ら、北京市朝陽区安貞街道にある安華里社区を視察し、「社区は、共同防衛・管理の第一線であり、外部からの侵入と内部の拡散を防ぐ最も有効な防衛戦である」と指摘するに至った[5]

全国を碁盤として捉える際、その最も基本となる単位が「網格(grid)」であり、それに基づいて「網格化管理」が実施された。すなわち基層社会における基礎的な行政単位である社区をある一定の戸数で複数の網格に区分けし、そこで活動する網格員が各地域内の人、土地、物事、組織などの情報を収集して「網格系統(grid system)」にとりこみ、その情報を共有して基層社会を管理する。とくに新型コロナウィルス感染症の蔓延防止に際して、社区で活動する網格員は、管轄する網格の状況や住民の行動の記録作成、消毒、感染防止の宣伝、マスクや消毒液の配布、隔離の監視、移動できない住民への生活用品の配布、WeChatといったアプリを使った情報共有などを通して、蔓延防止の対策が講じられた。さらに党政府機関、街道弁事処、社区居民委員会、網格などの組織が連携して対応する「超級網格」を整備することにより、その効果を高めることが図られた[6]

「網格化管理」は、人々が日常生活を送る末端基層社会の社区のなかに設置され、制度的に発展した。とくにその起源として、2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)対策で注目された上海市における「両級政府、三級管理、四級網絡(市・区の政府、市・区・街道の管理、市・区・街道・居民委員会のネットワーク)」の都市管理体制、2004年に北京市東城区で始められた「万米単元網格城市管理新模式(1万メートルを単元として東城区全区を1,593の網格に分ける管理モデル)」があげられ、SARS危機で露呈した基層社会の脆弱性と向き合いながら制度建設が進められた[7]。また「北京市第135ヵ年計画期の社会ガバナンス計画(2016-2021)」にみられる「“網格化+”行動計画」では、「網格化管理」で得た情報を他分野の都市サービスや管理にも活用し、とくに都市管理網、社会サービス網、社会治安網の「三網」を一体化して運用することが進められ、都市建設、デジタル社会化と連動して、その役割を拡大させた[8]

社会ガバナンスのイノベーションと問題性

201311月、発足間もない習近平指導部は、党第18期三中全会において「国家ガバナンス体系とガバナンス能力の現代化」を提示し、社会ガバナンスの改善の一つとして「網格化管理の形成と社会化サービスの提供に向けて、基層の総合サービス管理のプラットフォーム」を構築することなどが掲げられた[9]。また、20176月、中共中央、国務院が公表した「都市・農村の社区ガバナンスを強化、整備することに関する意見」では、「網格化のサービス管理を切り拓き、都市、農村の社区の治安予防管理網の建設を強化する」[10]ことが指摘され、さらに、同年10月の党第19期全国代表大会において「共同建設・共同ガバナンス・共有を旨とする社会ガバナンスの枠組み(「共建共治共享的社会治理格局」)を創出し・・・社会ガバナンスの社会化、法治化、人工知能化(AI)、専門化の水準を高める」[11]ことが提示され、社会ガバナンスのイノベーションを推進した。新型コロナウィルス感染症の蔓延阻止において注目された「社区」や「網格化管理」への関心は、これらの中長期的に進められた社会ガバナンスの制度的イノベーションの過程で顕在化した。

他方、「網格化管理」は基層社会の行政化を推し進め、基層社会に本来備わる自治組織としての側面を弱体化させるリスクを高めた。「網格化管理」は、そもそも基層社会における民衆の日常生活における諸要求を党政府にフィードバックする社会的機能を有するが、新型コロナウィルス感染症の蔓延防止において、基層社会において党政府の政策を貫徹する有効な政治手段を提供した。これは、従来の一連の社区建設の過程で推進された社区工作ステーション(「社区工作站」)」などと同様に、住民自治組織としての社区の行政化をさらに推し進める役割を担ったことも示す。習近平指導部が推進する社会ガバナンスは、グローバル化に伴う社会的領域の活動の活発化を体制内に組み入れる新たな論理として機能したと捉えられる一方、基層社会における住民自治組織の行政化の流れは、党政府への集権化を補完するだけでなく、社会ガバナンスを必要とさせた中長期的な経済社会の構造変動の趨勢との間の矛盾を深める可能性も有する。