はじめに:香港の人権状況の現状
2020年の香港国家安全維持法(国安法)施行後、香港の人権状況は急激に悪化している。特に2021年に入ってからは、民主派の議員・候補者の一斉逮捕(1月)、選挙制度の大幅な改悪(5月)、反政府的な新聞『蘋果日報(Apple Daily)』関係者の大量逮捕と同紙の廃刊(6月)、毎年7月1日に大規模デモを実施してきた「民間人権陣線(Civil Human Rights Front)」の解散(8月)、天安門事件追悼活動をしてきた「支連会(Hong Kong Alliance in Support of Patriotic Democratic Movements of China)」の解散(9月)など、従来平和かつ合法に活動してきた民主派のあらゆる組織を壊滅させるような弾圧を、当局は加えている。
欧米諸国は、本来「一国二制度」を50年間不変で維持することを約束してきた中国が、返還24年目に香港の現状を一方的に変更したことを、香港の人々に対する中国政府の裏切りであると同時に、中英共同声明で行った世界に対する約束の破棄であるとして、強く反発している。
1.制裁
しかし、それへの対応として欧米諸国が発動した中国に対する制裁は、人権状況改善に十分な効果を発揮していない。まず、米国による制裁は、一方では弱すぎる。ここまでに行われた制裁は、中国政府・香港政府の幹部の個人資産を標的にしたものや、香港から米国向けの輸出品に「Made in China」と書くことを義務づけるものなど、中国政府にとって大きな打撃になる内容ではない。このため、弾圧を止めることができていない。
他方、他の制裁手段は強すぎて使えない。中国は香港に外貨の調達を依存しており、金融制裁を行えば中国経済に大きな打撃を与えるとみられる。しかし、金融制裁は核兵器級の選択肢(nuclear option)とも称され、実行すれば世界経済に深刻な影響をもたらし、日本や米国の経済も大いに損ねられる可能性がある。
日本に至っては、香港をめぐっては口頭の抗議を行ったにとどまり、制裁の手段も整えていない。国安法の制定を受けて、日本でも日本版マグニツキ法の制定を目指す議員連盟が誕生した。岸田首相はその議員連盟に参加してきた中谷元衆院議員を、国際的な人権問題を担当する首相補佐官に任命した。しかし、法制定が進むかどうかは楽観できない。香港問題に関して、中国に対し厳しい姿勢を取っているのは主に野党であり、日本共産党が最も中国に批判的である。他方、与党の公明党は日中友好主義路線をとる。
しかし、制裁は完全に無効とは言い切れない。中国政府は「反外国制裁法」を制定し、これを香港にも適用する手続きを進めていたが、2021年8月の全人代常務委員会で最終決定は見送られた。香港の金融界から中国政府指導部に対し、「反外国制裁法」が香港の金融界に与えるデメリットを強く訴え、政府の方針を転換させたためである。つまり、香港の経済界は米国の制裁を恐れている。
2.支援
もっとも、習近平体制が存続する限り、香港の人権状況が近いうちに劇的に改善することは期待できない。香港の人権状況の改善のために、国際社会は中長期的に考え、香港の民主化を推進する様々な力を支援する必要がある。
現在多数の政治的逃亡者や移民が香港から脱出しているが、そうした人々の受け入れに、日米両国は英国やカナダと比べて消極的である。しかし、語学力や様々な専門知識を備え、一定の経済力も持つ香港からの移民の受け入れは、経済的にも受入国のメリットが大きい。また、香港移民は犯罪やテロなどの治安上の脅威は小さいし、彼らが新たな移民として海外に定住することで、定住先の華人コミュニティの価値観をよりリベラルにすることができる。これによって、近年豪州などを悩ませている、大陸出身中国人の大学等での政治的活動による「シャープ・パワー」型の浸透に対抗することができる。香港移民はこのような政治的・安全保障的なメリットも受入国にもたらすと認識するべきである。
現在の香港政府は中国政府の傀儡であり、香港の独特の文化や価値観を保護する活動を支援することはない。その空白を埋めるため、日米などは民間団体が主導する形で、自国内の香港コミュニティを支え、香港の民主化を求める声が絶えないようにすべきである。
3.宣伝
香港では情報統制が急速に進んでいるが、国際感覚を備える香港人は容易に政府のプロパガンダを信じることはない。香港市民は今後も、海外からの、検閲を経ていない香港についての情報を求め続けるであろう。国際社会は、香港からの研究者やジャーナリストを迎えるなどして自国における香港についての研究や報道を強化し、ネットなどを利用してその知見を香港に向けて発信し続けるべきであろう。
香港の状況は、中国が香港で力による現状変更を断行する意志を体現している。これが他人事ではないことを、国際社会は広く認識すべきである。