公益財団法人日本国際フォーラム

「米中覇権競争とインド太平洋地経学」研究会

当フォーラムの実施する「米中覇権競争とインド太平洋地経学」研究会の第5回定例研究会合が、 下記 1.~3.の日時、場所、出席者にて開催されたところ、その議論概要は下記 4.のとおり。

  1. 日 時:2021年9月30日(金)17:00-19:00
  2. 場所:オンライン
  3. 出席者:
    [報告者]
    [主 査] 寺田  貴 JFIR上席研究員/同志社大学教授
    [顧 問] 河合 正弘 JFIR上席研究員/東京大学名誉教授
    [メンバー] 伊藤さゆり ニッセイ基礎研究所研究理事
    益尾知佐子 九州大学准教授
    久野  新 亜細亜大学教授
    櫻川 昌哉 慶應義塾大学教授
    (五十音順)
    [JFIR] 伊藤和歌子 研究主幹
    大﨑 祐馬 特任研究助手
    [外務省オブザーバー] 14 名
  4. 議論概要

マイカ・オカノ=ハイマンスClingendael(オランダ国際関係研究所)上席研究員による報告:
「EUの地経学及びインド太平洋地域への示唆」

本報告では、第一に、米中の貿易・技術・データ領域における競争関係及びこれまでのEU・欧州域内諸国と中国との関係について、第二に、EU・域内諸国の新たな対中政策について、第三に、新たな地経学環境へのEUの対応について概観する。

まず、2019年以降、EU諸国はようやく地経学領域における自らの立ち位置や役割について認識を改め始めたと言えるだろう。よく風刺されるように、EUはデータを巡る規制(GDPR)の制定など、米中両大国が争う中で、あたかも「レフェリー(審判)」のように立ち振ってきた面があるが、現在のインダストリー4.0の文脈ではむしろ「主体的なプレイヤー」として様々な行動を起こしていく必要があるとされる。実際、欧州市場では未だ、欧米系企業が支配的であるが、近年、中国の企業も一層進出してきており、2019年12月にボレル欧州外交安全保障政策上級代表(HR/VP)が指摘しているように、域内各国政府はこれまでのように各企業がビジネス上の競争を行う「フィールド」であり続けることは出来ないとされる。特に、チェスゲームの比喩がよく使われるが、欧州がこれまで戦い慣れていた主戦場に中国がやってきたものの、彼らは全く異なるルールで勝負に臨んでいるため、欧州各国は今一度、認識を改めなければならないと域内の研究者たちとよく議論している。それでは、このような新たな政治経済環境の中で、EU及び欧州諸国は今後、異なるアプローチをとる米国とどのように協調できるか、また、アジア諸国も同じように直面している問題であるが、米中二択の状況に陥らないためには何ができるだろうか。
従来の欧州と中国の関係は、地理的な距離もあり、日本の対中関係とはかなり異なっている。実際、経済関係が始まったのは1980年代からであり、改革開放路線に伴い、欧州企業が中国市場に進出。欧州資本によるメイドインチャイナの時代で、中国へ投資した欧州企業が中国で生産した商品を欧州市場へ逆輸出する構図が続いた。2000年代には、中国の「走出去(Go Global)」政策で中国の海外投資が積極化し、2010年代には「一帯一路」構想を通じて、欧州が中国企業にとっての主要な市場となった。中国系銀行の融資するローンとともに中国企業が進出してきた後、中国資本の投資が欧州に入るようになり、この辺りから中国からの対欧投資が一段と拡大。他方で、当時は中国企業を対象とした規制も特になかったため、中国系企業による買収も一定程度行われており、欧州市場は「誰にでも開かれたスーパーマーケット」と称されることもあった。このように2010年代半ばまで、欧州は比較的開かれた市場であったが、特に欧州の政策担当者間の対中認識は目下、大きく変化している。一方で、こうした経緯は、欧州の中では企業と政府の間の対中観における認識の差にもつながっている。

2000年以降の中国の対外投資推移を見ると、中国の対欧投資は2000年に1億ユーロ程度だったが、2016年には442億ユーロまで達し、ここでピークとなって以降は下降傾向にある。実は、中国の欧州市場への投資が注目される話題になったのは、下降局面に入った2017年以降のことである。次に、各国別の中国からの累計投資データによると、よく指摘されるように、ギリシャが債務危機への対応から中国マネーを頼り、同国のピレウス港が中国へ長期借用となった事例が有名だが、実際の累計値ではドイツが一番で、フランスが二番となっている(ただし、英国を除く)。他方で、潜在的な影響力という観点では経済規模における中国の投資比率から、やはりギリシャは脆弱とも言え、相対的な尺度から中国の影響力の大きさを見ることもできる。つまり、欧州の小国ほど、その影響を受けやすい。
この意味で、中東欧地域(西バルカン)における中国の投資の影響も話題になっている。この地域へはEUが貿易の73%を、投資の72.5%をそれぞれ占めるなど、これまで多大な影響を及ぼしてきたが、その要求基準が厳しく、逆に、欧州に対するレバレッジを効かせる意味で中国の影響力を利用する誘惑があり、西バルカン諸国への中国企業の投資が大きな問題となっていた。しかし、当初、中国マネーの受け入れに積極的だった国でも、近年、対応が変化していることは注目に値する。例えば、この地域で象徴的な合意となったブタペスト・ベオグラード間鉄道近代化案件のハンガリー、セルビア両国は、これまで様々な中国投資の恩恵にあやかってきたが、中国資本は中国人労働者を引き連れてくるのみで、地元の雇用に貢献しないことが問題視され始めている。中国主導の「16+1(編集注:本年5月にリトアニアが脱退)」の枠組みでも、11のEU域内諸国と5つの域外諸国が参加しており、EUとしての結束がある程度期待されていたが、この枠組みを一枚岩と見なしてはいけない。西バルカン諸国がEU外の枠組みで中国と関わるようになった背景には、中国との貿易関係や地理的関係、ロシアの影響、EUの圧力にバランスできるよう対中接近を図ることでブラッセルの関心をひく等の理由が挙げられるが、結局、中東欧諸国による中国の活用は失望という結果に終わった。異なる資本主義体制の経済大国との関係の中では、域内諸国ごとに事情があり、EU全体としての「結束感」や外交・安全保障政策の「単一の声」(single voice)という考え方は見直す必要が生じてきている。

その点、2019年3月にEUが公表した新たな対中国戦略文書「EU・中国戦略外観」は、一つのゲームチェンジャーであった。これは、EUにとって、中国は政策領域次第で緊密に連携してきた「協力パートナー」である一方、EUが利益のバランスを見出す必要のある「交渉上のパートナー」でもあり、あるいは技術的なリーダーシップを追求する「経済的な競争相手」でもあり、異なるガバナンス・モデルを推進する「体制上のライバル」(systemic rival)であると、EUにとっての中国の多面的なイメージを描き出した。最後の、「体制上のライバル」と規定するのは、必ずしも賢いやり方とは言えないかもしれないが、これまでのEUの対中国政策文書では「中国は〜すべき」という要求項目が多かったのに対し、今回はそれが2箇所しか書かれておらず、むしろEU側の行動について列挙した点が注目に値する。この政策文書の公表の2ヶ月後には、オランダも中国政策の戦略文書を公表。従来、貿易パートナーと見ていた中国との関係を見直す局面に来ている。

さらに、COVID-19の感染拡大への中国の対応も、欧州の対中観を変化させた。政府がどのように情報をシェアするか、また失敗をどのように学ぶかということに関する消極性など、様々な疑問を呈するようになり、欧州各国は自らを守らなければならないと考えるようになった。これは、サプライチェーンの再編成というテーマでも同様である。おそらく日本の観点からは遅いと映るかもしれないが、欧州でも接続性(connectivity)に関して、中国のパンデミックへの対応から、認識を改めることになった。それまで欧州ではグローバリゼーションの理念に基づき、持続可能で包括的かつ国際的なルールに基づくアジアとの接続性というEUの接続性戦略を提示してきたが、地経学的な環境の変化から、今ではこれを多様化しない限り、中国との関係強化が深まるにつれて脆弱性が生まれるとの認識に改まった。

特に、日本のようなLike-mindedな国々との関係強化が重要で、2019年9月には第1回欧州接続性フォーラムに安倍首相を招待し、「持続可能な連結性及び質の高いインフラに関する日EUパートナーシップ」を締結した。背景には、EUの接続性戦略における価値観や持続可能性が日本の打ち出した「質の高いパートナーシップ」と通底する部分があり、EUにとっては日本が最初の締結相手である。その後、何が出てきたかということについては具体性がなく議論の余地もあろうが、なぜこれが重要かというとEUの政策文書の中に初めて「インド太平洋」に関する言及が入ってきた事例だからである。EUにとって重要な西バルカンや東欧等、5地域の中にインド太平洋が明確に並列され、開放性・透明性・包摂性・対等な競争条件等の規範や質の高いインフラ推進のための幅広い協力が確認された。2020年5月には、接続性パートナーシップを2カ国目であるインドと締結した。米国との間でも、本年6月に立ち上げられた米欧貿易技術理事会(TTC)が今週開催されている。さらに、直近の9月16日に公表されたEUのインド太平洋戦略は、中国との関係について、課題ごとに多面的な関わり方をとるとし、人権のように根本的な相違のある問題では毅然とした態度をとっていくとした。これは、EU全体の戦略になっているが、中国などの軍事力増強を契機としたインド太平洋地域における緊張の高まりを受けて、2018年頃からEU域内諸国でもそれぞれのインド太平洋戦略を策定するに至っている。例えばフランスが2018年にインド太平洋地域における安全保障戦略文書を公表、ドイツは2020年9月に、オランダも2020年11月にそれぞれインド太平洋戦略を推進している。

中国の台頭は、欧州に何をもたらしたか?また、各国の連携にどのような示唆があると言えるか?先日公表した調査からは、必ずしも当初からLike-mindedであったわけではないが、地経学環境の変化に伴い、徐々に各国の対中観が収束していることが窺える。ハイテク問題に関して、(インド太平洋戦略を個別に公表している)独・仏・蘭と日・米・豪・印のQuad諸国における中国の対応への評価が2017−2020年の間にどのように表現されているかという変遷をプロットした。縦軸に、開かれた状態から競争関係までの関与状況を、横軸にはPeaceful > Friendly > Accommodating > Assertive > Aggressive > Predatoryと各国の対中評価を並べた場合、初めは極めて異なる分布にあったが、近年、それぞれの対中観が収斂しつつあるのがわかる。他方、欧州と日本の米国とのそれぞれの距離感を考えると、日本はより米国と緊密に協調している一方で、欧州は中国が大きなチャレンジャーであることでは認識を一致させるも、全ての側面で必ずしも米国と平仄を揃えているわけではない。

こうした中、現在、EUは産業界の復興と自律性強化を目指す新たな産業政策2.0を打ち出している。当初は、戦略的自律性(strategic autonomy)が議論されていたが、今では開かれた戦略的自律性(open strategic autonomy)を掲げ、特にサプライチェーン上の経済性や安定性に関して、バリューチェーンの再編成の中で輸入先の多様化を目指し、特定産業における脆弱な依存性についても対応していくとしている。例えば、コロナ禍でマスクの大半を中国に依存していたことが判明したように、戦略上重要な分野となる半導体もEU加盟国や官民のパートナーと対応策の策定に向けた協議を続ける。また、大規模な国際事業を発展させるためにはEUレベルでのアライアンスは必要不可欠だとして、特定産業への支援の継続や「欧州の共通利益に適合する重要プロジェクト(IPCEI)」の積極的な適用も打ち出している。これには当然、オランダの半導体製造装置メーカーであるASMLも含まれる。なお、これら一連の産業戦略は、EU域内諸国のためだけではなく、域外諸国のための戦略でもあり、開かれた戦略的自律性の体現であると指摘できる。

最後に、競争的な地経学環境におけるグリーンとデジタルについて、EUは国際的な公共財の維持に尽力しているが、中国企業がデジタルシルクロード戦略に則って海外進出に攻勢をかけており、欧州企業はアフリカや東南アジアなどの地域でより多くの中国企業と対峙するようになった。これらは畢竟、規制ゲームであり、欧州の安全保障上の関心とも関係してくる。以上のようなことから、欧州はようやく地経学領域における自らの立ち位置や役割について認識を改め始めたと言え、これらのアジェンダに関しての理解を深めている。また、インド太平洋上の米中競合に直面するにつれ、EU諸国は今後、「間接的対中政策」とも言えるような、様々な対応が求められるようになるだろう。先日公表された米英豪の協力枠組みであるAUKUSと原潜の件でも、対中安全保障の文脈からフランスが契約破棄される結果となり、欧州諸国がどのように対応するのかという決断が求められている。

(以上、文責在事務局)