公益財団法人日本国際フォーラム

はじめに

英空母クイーン・エリザベスを中心とした英米合同の空母打撃群の日本来航にも表れているように、近年、英国のインド太平洋への関与が注目されている。地理的に遠く離れた英国が、インド太平洋においてそのプレゼンスを向上させている背景については、これまでも考察が重ねられてきた。それらは、簡潔に言えば次のようにまとめられる。

第一に欧州連合(EU)から離脱した英国が、国際的な影響力を維持するためのグローバル・ブリテン構想を実現するための一環であるという見方である。もっとも、後述するように英国のインド太平洋への「傾斜(tilt)」とも描写される動きは、EU離脱以前からも確認できる。しかし、EU離脱によりその潮流が色濃くなったことは否定し得ない。第二に、米中関係の緊張とそこにおける欧州の立ち位置の変化が英国の方針にも影響したという見方である。以前の欧州諸国は中国と良好な経済関係を維持していた。しかし、自己主張を強める中国を前にして、欧州諸国は対中関係の見直しを始めた。さらに、バイデン政権が対中強硬路線を維持し、トランプ政権下で悪化した米欧関係の修復したことで、英国を含む欧州諸国もインド太平洋政策を構築しやすい環境が整いつつある。

他方で、現在「インド太平洋」と呼称される地域は、冷戦中に英国自らが実質的に撤退した「スエズ以東」とほぼ重なる。そのため、英国のインド太平洋関与はフランスのように当該地域における比較的大規模な人口、領土、排他的経済水域(EEZ)に担保されているわけではない。さらに、英国は仏独蘭・EUのようにインド太平洋に特化した戦略・政策文書を策定しているわけでもない。また、恒常的な展開を実施するためのアセットの不足も懸念されている。結果として、英国のインド太平洋への関与は歓迎されているものの、その安定性については依然として評価が分かれている。

これまで、そのような評価は艦艇の派遣や対中牽制など、主に戦略的な観点に基づいたものが多数を占めてきた。他方で、その安定性を図る術は戦略的な観点のみならず、国内政治の観点から対外政策への影響を見出すことも出来よう。そこで、本稿では英国のインド太平洋政策の安定性を、英国のコンセンサス政治(後述)の観点から検討する。そのため、本稿は次のような構成とする。第一に、英国政治におけるコンセンサス政治とその対外政策への適用という論点について説明する。第二に、2010年代においてEU離脱と対中政策という争点をめぐり、国内のコンセンサスが崩壊したことを論じる。第三に、現在の保守党と労働党の主張に基づき、少なくとも両党の指導部レベルではインド太平洋への姿勢にコンセンサスが形成されつつある可能性を指摘する。第四に、仏・独・EUのインド太平洋政策についても簡潔に概観し、その安定性と英国の政策との関連性について検討する。そして第五に、今後の展望への含意を得ることとする。

英国と「スエズ以東」:コンセンサス政治の観点から

一般的に、英国におけるコンセンサス政治とは、保守党と労働党という二大政党間の政権交代にも関わらず、歴代の政権が実行した政策の中でも共通性と連続性が見られることを指す。第二次大戦後の英国においては、コンセンサス政治は2つの局面に分けられる。第一は、「戦後コンセンサス」である。これは、第二次大戦時に保守・労働を含む戦時内閣が組まれたことに端を発し、戦後しばらくの間、特に経済と福祉の分野で、両党の政策に共通性と相互理解が見られた状況を指す。しかし、1970年代~80年代以降、英国経済の停滞に両党が有効に対応できず、保守党右派と労働党左派の台頭をそれぞれ招いた結果、戦後コンセンサスは崩壊した[1]。第二は、「ネオリベラル・コンセンサス」である。1979年に首相となったサッチャーは、新自由主義に基づく強い国家を目指したが、1997年に成立したブレア労働党政権が「第三の道」を行くニュー・レイバーとして政策に新自由主義的要素を含んだ結果、サッチャー以降の「ネオリベラル・コンセンサス」が形成された[2]

この、コンセンサス政治の枠組みは、対外政策にも適用し得るという見方もあり、「スエズ以東」からの撤退に関しても、保守党の一部からは抵抗する動きが見られたが、結局は両党の「戦後コンセンサス」のもとで、1968年以降撤退が進められたとされている[3]。それでは、その後の「ネオリベラル・コンセンサス」期において、「スエズ以東」に対する英国の動きにコンセンサスは見いだせるだろうか。まず、サッチャー政権は、NATO域外においても、広範な領域における英国の利益を保護する必要性を説いていた。そして実際に、イラン・イラク戦争の勃発に際して、小規模だが継続的なアルミラパトロールという艦隊を湾岸諸国に展開した。また、フォークランド紛争の影響もあり、サッチャー政権は欧州域外への英軍の展開能力の削減を撤回するように努めた[4]。さらに、冷戦後には湾岸戦争へ参戦し、その後はさらなる湾岸地域へのプレゼンスと、香港返還後のアジア太平洋におけるプレゼンスの可能性を画策していたことが、政策や言説から読み取れる[5]

その後のブレア労働党政権でも、特に冷戦が終結したことも大きいが、『戦略防衛見直し』では、英軍の遠方展開能力を高める方針がとられ、湾岸地域の重要性に繰り返し言及すると共に、五カ国防衛取り決め(FPDA)を通じた東南アジアとの協力にも言及していた[6]。さらに、2003年のイラク戦争は、結果から言えばサッチャーが果たせなかったフセイン体制の打倒をブレアが実行したと言うことも出来る。その後、ブラウン労働党政権もその末期にかけて、アフガニスタンへの兵站のためにも、湾岸地域への展開を模索し始めた。もっとも、ブレア政権期には、中東問題に忙殺されアジア太平洋への展開は叶わなかったが、サッチャー政権からの流れを組む欧州域外への展開といった方針に関しては、「ネオリベラル・コンセンサス」期の連続性があったと言えるのかもしれない。

EU離脱と英中関係:コンセンサスの崩壊

2005年に保守党の党首となったキャメロンは、ブレア政権下で政策基調が変化した結果、右傾化したままの保守党を中道へ戻さない限り政権奪還は困難だと考え、「リベラル保守」として政府支出の維持などを公約として据えた。しかし、2010年に政権を奪還したキャメロン政権は、2008年以降の経済危機への対処のため、実際には徹底的な緊縮財政を敷いた[7]。他方、総選挙で敗北した労働党では労働組合からの強い支持のもと、ミリバンドが党首に選出され、平等主義的政策を訴えつつ緊縮財政に反対したが、議員と党員からの支持が脆弱であり、2015年総選挙でも敗北した。ミリバンドの後を継いだコービンは、党首選のプロセス変更により生まれた党首とも評されたが、ミリバンドにも増して反緊縮や社会福祉の充実を訴え、保守党との対決姿勢を明確にした。

このコンセンサスの崩壊に拍車をかけたのが、欧州統合問題であった。2008年以降の経済危機へのEUの対応に関して、その非効率性と非民主性に対する批判が英国の欧州懐疑派の中で増大した[8]。ゆえに、キャメロンは、次第に保守党内と支持層の中で増大する欧州懐疑派を前にして、2015年総選挙勝利の暁には、EU離脱/残留をめぐる国民投票を実施するとしたのである。また、2014年には大幅な内閣改造が実行され「リベラル保守」を先導した外相ヘイグが内閣を去り、ハモンドら欧州懐疑派が外相につくなど、政権の欧州懐疑色が濃くなった。そして、2015年の総選挙では保守党が過半数を獲得し、2016年の国民投票に繋がるのである。

欧州統合問題に関しては、ミリバンドとコービンを支持するブルー・レイバー層の中には、ポピュリスト的な欧州懐疑派も少なくなく、労働党はEUとの関係強化を強調出来ずにいた[9]。国民投票前にコービンは建前上EU残留を主張したが、本心としてはEU離脱派で、国民投票で労働党支持者に対しEU残留の必要を十分に説かなかったという指摘も多い。こうして、保守・労働間の経済政策とEUへの姿勢は両党に様々な主張が見られることになり、コンセンサスは崩壊したと指摘されている[10]

また、コンセンサスの崩壊は、インド太平洋関与を考える上で欠かせない英中関係にも反映された。キャメロン政権の緊縮財政は海外直接投資(FDI)の受け入れ拡大と表裏一体であり、中国から多額のFDIを受け入れた。その際、「リベラル保守」政権としては中国の人権問題が閣内でも争点になったが、2014年の内閣改造と15年の総選挙で「リベラル保守」色が事実上消滅すると、英中関係の「黄金時代」が演出された。反対に、労働党にはミリバンド体制から既に対中警戒の声があり、2015年のコービン体制に変化してからは党首と影の内閣による、中国のFDIや事業の受け入れを強く批判する姿勢が見られていた[11]。FDI依存を嫌い、財政出動に重きを置く労働党の伝統からすれば、保守党の中国依存の方針を受け入れがたいことは想像に難くない。こうして2016年前後には、EU離脱問題と英中関係を中心に、ネオリベラル・コンセンサスはその終焉を見たと言えよう。

「スエズ以東」・「アジア太平洋」から「インド太平洋」へ:コンセンサスの再形成?

キャメロン政権は「帝国時代の絆」を意識し、英国が役割を果たす潜在的可能性がある地域に注目し、湾岸諸国や東南アジアとの関係構築を2010年から始めた[12]。まず、湾岸諸国とは政治経済において関係の拡大を始めた他、バイの防衛協力協定を次々と締結し、主に空海軍の展開を拡大してきた[13]。他方、これまで関係が希薄化していた東南アジアにおいては、まずは外交関係の構築から始まったため、軍事的展開はしばらくの間限定的であったが、2018年頃から英国は同地域への恒常的プレゼンスの向上を宣言し、湾岸地域における英軍の展開がモデルとなる可能性も指摘されている[14]。この潮流には、2010年の『戦略防衛安全保障見直し』で明示された大規模な国防費とアセットの削減が、2015年の『国家安全保障戦略・戦略安全保障防衛見直し』で見直されたことも関係しているとみられ、実際に後者では「アジア太平洋」に対する言及も増加している[15]

以上のように、2016年の国民投票でEU離脱の方針が決まる以前から、既にスエズ以東への回帰の議論は活発に交わされていた。その一方で、やはり国民投票の結果を受けて、その潮流が高まったことも確かである[16]。例えば、2016年に外相であったジョンソンは、1968年のスエズ以東撤退決定は「間違い」であったとして湾岸への関与を拡大する方針を示した[17]。また、2017年にはジョーンズ第一海軍卿が、チャーチルの3つの輪になぞらえて、欧州(二国間)、米国(NATO)、湾岸/アジア太平洋という3つの輪の中で、英国が海洋安全保障において役割を果たすべきだとした[18]。このことから、英国内でアジア太平洋の重要性が湾岸と同程度にまで上がりつつあるとも読み取れ、政府に近いシンクタンクの政策提言でもアジア太平洋ないしインド太平洋政策の形成を謳うものが散見される[19]

また、英国は2021年3月に、包括的な安全保障政策の見直しである『統合レビュー』を発表した[20]。従来の英国政府は、アジア方面に言及する際に「アジア太平洋」というワードを使用していたが、『統合レビュー』では明確に「インド太平洋」を意識して使っていると見られている[21]。この『統合レビュー』の発表と、当該文書中に記されている「インド太平洋への傾斜(The Indo-Pacific Tilt)」をもって、英国の当該地域への関与方針がひとまず打ち出されたと考えられる一方で、独仏蘭・EUのように当該地域に特化した政策文書ではないことから、英国もそのような文書を発表する必要があるとの指摘もある[22]。いずれにせよ、英国もインド太平洋地域への関与方針を打ち出し、今後はそれをどのように可視化し実行するかという段階に既に入ったことは確実である。

このような「スエズ以東」・「アジア太平洋」から「インド太平洋」へという概念・言説の変容には、英中関係の変化も影響しているだろう。国民投票が実施された2016年は、南シナ海問題における中国の強硬的な外交姿勢がより明確になった年でもあった。そして、2017年頃から閣僚の間で相次いで、南シナ海への艦艇および将来的な空母派遣についての言及が見られた。しかし、依然として経済上の対中関係の観点から艦艇派遣に懸念を示すハモンド財相らの勢力も健在であった。また、ファロン国防相のように以前は経済関係を優先していたが、後に艦艇派遣へと傾いた閣僚もいれば、肝心のメイ首相は艦艇派遣に言及しつつも、後に対中関係に配慮してその議論から距離をとる時期もあり、英中関係について政権に迷いがみられた[23]。しかし、2019年にはハモンドが保守党を離脱し、2020年には香港問題やコロナ禍の中国の姿勢を前にして、英中関係が悪化の一途を辿ったことは言うまでもない。

かかる対中警戒姿勢は、かねてから労働党が主張していたものでもある。現在、スターマー党首のもとで、中道へと政策方針を戻しつつ、コービン路線の対中警戒姿勢は維持している。その主張は、対内FDI規制やサプライチェーンの見直しという国内政策から、対中を意識したインド太平洋地域諸国との関係構築という外交政策まで、現在保守党政権が進めている政策とほぼ一致している[24]。さらに、経済政策ではブレグジットとコロナ禍への対応も相まって、保守党も緊縮財政から舵を切ったとみられる。つまり、現在の英国は、EU離脱後の混乱と対外政策の方針が安定しない状況にはあるが、戦後コンセンサス、ネオリベラル・コンセンサスに次ぐ、第三のコンセンサスの黎明期に差し掛かっている可能性を見いだせる。それは、両党の指導部レベルに留まるものである可能性に留意が必要だが、インド太平洋関与に一定の安定性を与えるものになるのかもしれない。

しかし、ロシアの脅威も依然ある中で、インド太平洋への英軍の展開に関してまでは国内政治や世論が賛同しているとは言い難く、英国政府はその必要性に関する、より明確で詳細な説明を求められるだろう[25]。英国にとりインド太平洋が重要であり、そこへ向けた政策を推進する必要があるという総論的なコンセンサスがあるとしても、安全保障、特に軍事的側面に関して各論のコンセンサスがあるとまでは言えない。むしろ、保守党と労働党の間で明確なコンセンサスがあるのは、NATOを通じた欧州安全保障への貢献が英国の一義的な任務だということであり、インド太平洋への軍事的関与の方針については、その是非や程度に関して政府・政党・世論・研究機関のどれをとっても定まっていないように見受けられる。そのような段階であるからこそ、ジョンソン政権のイニシアティブで軍事的な展開が試みられているというのが、現状なのであろう。

欧州のインド太平洋政策:英国との関係

これまで英国の国内政治の観点からインド太平洋関与について論じてきたが、ここでは欧州諸国およびEUのインド太平洋政策と英国の関係について検討する。欧州で最初に当該地域に対する方針を明確化した国家はフランスであることは自明である。フランスは、当該地域において欧州国家としては突出した規模の領土、EEZ、人口、兵力を持つ。さらに、欧州では初のアジア太平洋に関する文書である『フランスとアジア太平洋の安全保障』を2014年、16年、18年(インド・太平洋へ呼称変更)にそれぞれ発表し、19年には『インド太平洋国防戦略』と名付けた軍事省主体の戦略文書まで策定し、独自の航行の自由作戦や、日米豪との合同演習なども実施するまでになった[26]。そして2021年には、これまでの戦略を改訂する形で、外務省が策定した『フランスのインド太平洋戦略』が発表された[27]。これらのことからも、欧州諸国の中でフランスが突出してインド太平洋に関する政策文書を数多く策定し、そして実態的な戦略の推進に動いていることは明確である。

かかるフランスのインド太平洋政策の拡大も、中国要因が大きい。フランスは2008年の国防白書にみられるように、当初は「不安定の弧」としてのインド洋の西方に重点を置いていた感があった。しかし、同時に2025年までの中国とインドの台頭が国際的な戦略環境を変化させるとして、アジア関与の強化の必要性も見据えていた[28]。つまり、インド洋地域と太平洋地域を結び付ける発想が、既にこの頃から見られていたのである[29]。その後、南シナ海のみならず太平洋島嶼部まで及びつつある中国の影響力も考慮して、インド太平洋政策を形成し、インド太平洋パワーとして自認する現在に至った[30]

その他の欧州諸国では、2020年9月にドイツ、11月にオランダがそれぞれインド太平洋に関する文書を策定した。オランダは外務省策定のものであって、軍事的な動きについて未知数な点があったが、英米合同の空母打撃群や日英米欄の共同訓練に艦艇を派遣するなどの動きを見せている。ドイツの『インド太平洋ガイドライン』は閣議決定を経たものであり、多国間主義に基づいた安全保障の強化、貿易の促進、人権問題への対処と法の支配の促進など、多岐に渡る項目についての方針を示している[31]。もっとも、ドイツの方針はあくまで外交関係の多角化であり、中国との経済関係に配慮する動きもみられた。それでも、当該地域への海軍艦艇を派遣するなど安全保障にも積極性を見せている。

こうして、英仏独という欧州の三大国とオランダがインド太平洋へ出そろった。現在は各国が独自に政策を進めている段階にあるが、今後はさらにEUとしての関与の方針が注目される。2021年4月にEU理事会は『インド太平洋における協力のためのEU戦略』に関する総括を採択し、9月には欧州委員会と欧州対外行動庁が『インド太平洋戦略に関する共同コミュニケーション』を発表した[32]。これらに基づき、今後EUとしてのインド太平洋戦略が発表・推進されていくと見込まれるが、その際にもやはり独仏の協調を望む声は強く、公にも両国に歩調を合わせる言説がみられる[33]。しかし、フランスは独自にクアッドなどとの柔軟な協力を望む傾向がある一方、ドイツはEUレベルでの包括的戦略とASEANといった地域機構レベルでの協力を望む傾向がある。その他にも、軍事力の運用に柔軟なフランスと、国内制約が強いドイツとの相違など、伝統的な欧州安全保障の問題としての仏独の相違は、インド太平洋においても課題となろう[34]

こうした欧州諸国とEUのインド太平洋戦略に対して、英国はどのように関係していくのだろうか。英国と仏独、そしてEUは基本的価値を共有しており、そのため規範的な観点やグローバルな課題に立ち向かう上での協力は容易に想像できよう。実際に、上記のEUの文書でもインド太平洋におけるパートナー関係を構築し得る相手に英国も含まれている。他方、安全保障面において可視的な協力が潜在的に可能な相手は、インド太平洋においてアセットを展開するフランスが考えられてきた。2010年以降、英仏は欧州周辺での活動を想定してはいるものの合同統合遠征部隊を創設し訓練を繰り返し実施するなど関係を深めており、その他の安全保障分野でも協力が議論されてきたことや、英仏ともに個別にはクアッドやインド太平洋諸国との関係を構築してきたことが、その可能性の背景にあった。

しかし、2021年9月の米英豪による新たな安全保障協力枠組みAUKUSが発表されると、米英豪と欧州諸国との間に亀裂が生じた。AUKUSは、サプライチェーンなどの経済安全保障、サイバーセキュリティや人工知能などの技術分野を含む、インド太平洋における安全保障協力を促進する枠組みとみられ、その一環として原子力潜水艦に関する技術提供・協力も含まれる見込みである。それに関連して豪州政府がフランス企業と契約した潜水艦建造計画を破棄したことや、そもそもとしてAUKUSの計画がNATOの同盟国である欧州諸国にも秘密とされていたことで、米英豪と仏EUの関係に軋轢が生じた。同9月中に関係修復の兆しが見えつつあるが、米英(そして豪)と欧州という伝統的な協調と対立の構図に新たな一頁が加えられたことは確かであろう。それは、英国のインド太平洋関与において、英仏協力や英EU協力の阻害要因の一つとなることは否定し得ない。

しかし、英仏は共に米豪を含むクアッド構成国との連携に注力してきた。AUKUSが進展すれば、英国は米豪との協力を更に進展させることになる一方で、フランスないしEUがインド太平洋地域において活動する際に、AUKUSを理由として米英豪との足並みを揃えないということは非合理的であろう。AUKUSとEUおよびその加盟国の関係改善の一環としても、英仏関係の改善と更なる深化が期待される。

おわりに:関与の安定化へ

本稿では、英国のインド太平洋へ関与する姿勢を、国内のコンセンサス政治と対外政策の関連、そして欧州諸国との関係という観点から論じた。簡潔に言えば、英国はEU離脱と英中関係の悪化、緊縮財政の終わりに伴う第三のコンセンサス政治の萌芽を見ている可能性を指摘できる。それは、現状では少なくとも保守党・労働党の内閣・影の内閣レベルのものに過ぎないが、以前のコンセンサスが対外政策にも一定の収斂効果を持っているのだとすれば、第三のコンセンサス政治がインド太平洋関与に対して安定性をもたらすものと類推することもできる。それでも、安全保障分野に関しては未だ不確定な側面が多く、政府のイニシアティブによる軍事的な展開が進められている段階と言える。

対外政策の観点から言えば、断定するには時期尚早であるが、AUKUSが今後発展するとすれば、それは英国のインド太平洋関与を確固たるものとするための国外要因のひとつとなる可能性が高い。これまでは、帝国時代の遺産とも言える中東・湾岸との関係や冷戦の遺産とも言える旧来のFPDAなどをインド太平洋関与の橋頭保としてきたが、英国としては新たな橋頭保を確保したということであろう。他方で、歩調を合わせられる可能性のあった欧州諸国との関係は一時的に悪化した。軍事的観点のみならず、インド太平洋におけるサプライチェーンの強靭化や規範の形成など幅広い政策を推進していく上で、米欧間の協調は不可欠であることは自明である。EUを離脱した英国は、これまで自認していたような米欧の架け橋という役割を担うことは難しくなったかもしれないが、それでも米英豪とEUがインド太平洋において協力していくには、英国とフランス・EUとの関係の改善が期待される。

いずれにせよ、英国を含む欧州諸国のインド太平洋への安全保障上の関与は始まったばかりであり、必ずしも安定したものとは言い難い。英国政治に関して言えば、コンセンサスの萌芽の可能性を指摘したものの、依然として不安定な状況が続いている。ブレグジット後の政情不安やコロナ禍による経済不安などが影響した2021年の補欠選挙では、労働党の牙城で保守党が勝利する一方で、保守党の牙城で自由民主党が勝利するなど、混乱が続いている。さらに、同年のスコットランド議会選挙では独立派のスコットランド国民党率いる勢力が過半数を占めた。当面は、英国政府がスコットランド独立投票の実施を容認することはないと考えられるが、長期的に見れば不安定要因の一つであることは間違いない。

英国の国内政治の不安定な状況は今後も続くと考えられるが、英国の政権には国内の最低限のコンセンサスを維持し、その不安定性を対外政策・インド太平洋政策にまで及ぼさないための力量が求められる。加えて、国外要因の観点で言えば、インド太平洋諸国との二国間関係の強化、およびクアッドやAUKUSなどの当該地域に関連する枠組みとの連携を強化することで、関与の構造を確立してくことになるだろう。これは英国のみならず、欧州全般に言えることである。同時に、インド太平洋諸国側からも、欧州諸国の関与の必要性を発信し、欧州・インド太平洋諸国双方で協力の必要性に関する理解を、世論を含め醸成し、地域の枠組みに欧州諸国を堅固に組み込む努力が求められる。

(2021年9月24日脱稿)

※本稿の内容は執筆者個人の見解であり、防衛省、防衛研究所を代表するものではない。