公益財団法人日本国際フォーラム

英独仏の対応の齟齬

第一に、アフガンから自国民・関係者の退避作戦をめぐって欧州各国間では齟齬が見られた。その原因は米国の撤退とタリバンの攻勢に対する見通しの違いであった。主要国政府の対応をめぐって混乱がみられた。

結果的には米国の8月末撤退に合わせて各国は退避作戦を終了せざるを得なかった。その中で最も迅速に対応したのは、フランスだった。フランスは4月にバイデン米大統領の「9月米軍撤収」の発言を受けて、翌月5月から現地関係者の退避を開始し、7月にはフランス人だけが現地に残留する作戦を立てていた。ただ、その時点ではそうした動きはタリバンの勝利を確実視する見方と解釈される可能性があるとしてフランスの判断は時期尚早だという意見もあった。結果的にはフランスの判断は正しかったことになるが、27日にまでに約3000人(内2600人はアフガン人)をフランスに空輸することに成功した。

これに対して英国とドイツは対応が遅れた。英国は最終的には8月中旬から二週間で1万5000人の退避を実施したが(アフガン人など現地関係者とその家族8000人含む)、アフガン人800-1100人、英国人100人-150人を置き去りにすることになった。米国との連帯関係を重く見て、独自の決定ができないまま、判断が遅れた。英仏間の違いが出た。そうした政府の判断に対する批判は強く、9月中旬の内閣改造ではラーブ外相は副首相兼司法相に横滑り、事実上の降格人事となった。タリバンがカブールに迫った8月、ラーブ外相は海外でバカンスをとっており、緊急対応の遅れにつながった。

他方で、ドイツは、カブール政府が9月末まではもちこたえると予測し、8月中旬になって退避活動を開始した。初動の遅延は野党の首相・外相・国防相の辞任要求にまで発展した。2001年から国連治安支援部隊(USAF)に述べ15万人を派兵したドイツだが、公式の退避完了までの約二週間で5347人のアフガン人と国籍を問わない民間人の退避を実施した。約1万人のアフガン人協力者に対するピザ発給など退避措置が遅れ、ドイツに出国できた人数は約2000人だけだった。今後は経済援助の停止を盾にタリバン政府と交渉し、民間機での救出に尽力すると政府は力説するが、その成果は未知数だ。

オランダでも政府の対応の遅れと現地でアフガン人協力者の退避が不十分であったことからカーフ外相の問責決議が議会で可決され、辞任に追い込まれた。

難民発生と人権・女性の権利平等

第二に欧州諸国にとって大きな懸念はアフガン撤収以後の難民の流入だ。基本的に各国はアフガン人協力者を含めて完全撤収を望む一方で、その今後の処遇は楽観視できないとみている。2015年の「悪夢」を繰り返さないためだ。シリア内戦の紛糾で大量の難民が発生、シリア難民を含むエリトリア・リビアなどから100万人もの難民がヨーロッパに押し寄せ、治安の悪化につながり、各国で事態が紛糾した。

少なくとも50万人がアフガニスタンを離れると予測されている。今回のタリバン政権誕生以前にアフガニスタンからパキスタンとイランにのがれた人の数は500万人に達している。英国はいち早く2万人の受け入れと住居・教育などを含む支援を明らかにしたが、依然として欧州はこれら近隣諸国と協力しなければならない。

2015年難民危機に際してEUはトルコに対してシリア難民を受け入れるための支援を行なった。EU加盟を悲願とするトルコはこの要請を受け入れたが、その後事態は改善せず、長引いたままだ。トルコもEUに対して支援額の増額を要求したりしているのが現実だ。こうした中で8月末EUは内相会議を行い、難民の処遇について議論したが、EU域内への受け入れについては全体的に慎重である。結局近隣諸国と国際機関での難民保護のための支援を決定したが、その額については決められなかった。カブール陥落翌日にマクロン仏大統領は、テレビ番組で「欧州だけでなく、国際社会全体の協力」を呼びかけると同時に、「アフガンから大量の移民が押し寄せる危機がある」「アフガンにはテログループがいる」と警告、先走りすぎた発言はアフガニスタンのカオスを見ている国民の批判を浴びた。フランス国民の70%以上はアフガン難民受け入れに肯定的だ。2018年以来一万人の難民申請を受け入れ、その内80%以上に滞在許可を与えている。メルケル独首相もアフガン近隣諸国の協力を求めたにとどまった。

第三に、EU各国はタリバン政権を承認するとも、しないとも明言してはいない。様子見であるが、基本的にはタリバンの統治が民主主義と人権を尊重するか否かが鍵となる。早くから女性の権利平等や少女の人権保護を中心課題として強調している。EUはこれらの点で楽観視しているわけではない。

8月17日にEU外相緊急会議が開催され、ボレル外交安全保障上級代表(外相)は、「戦争に勝ったタリバン政府と交渉することになるが、タリバン政府を承認するとは言えない。女性の権利などをめぐってあらゆる協議が必要である」と述べた。緊急の現地からの同国人と関係者の退避、そしてタリバン新政権とは条件付きの協議による政権承認の交渉姿勢だ。現段階でのEUと欧州主要国の態度だ。

しかしEUの側で決定的な方法があるわけではない。政権との交渉では国連・国際社会と協力して、すでに窮地に陥っているといわれる国内経済への支援と引き換えに圧力をかけることぐらいしか当面の手立ては期待できない。『ルモンド』紙で(9月8日)で歴史家のガブリエル・マルチネ=グロスが述べているように、「アフガニスタンでは、できることをするが、おそらくほんの少し、たぶん全くなにもできないだろう」と悲観的な意見を述べた。アフガン問題では結局欧州は何もできないという実感が欧州の指導者の本音だ。

米欧間の齟齬

第四に、6月にバイデン大統領が訪欧してトランプ大統領時代に失われた欧州からの米国に対する信頼感の回復の試みは、ここでまた後退しつつあると取られている。

もともと大量難民がヨーロッパに押し寄せた原因は中東地域での不安定化が原因だ。米国の中途半端な姿勢がシリア内乱を悪化させ、大量の難民を招いたし、リビア紛争の結果としての難民も欧州が抱え込むことになった。ここでは述べる余裕はないが、かつて2014年春「レットライン(シリア政府が生物化学兵器を使用)」を越えたとオバマ大統領が提唱し、シリア空爆の可能性が高まった時、オランド仏大統領は米軍との協力の準備を整えていたが、最終的にオバマ政府はロシアの要請を入れて空爆作戦を放棄した。フランスは梯子を外された形となり、その後シリア内戦はエスカレートした。

またアフガン撤収の混乱状況が激しさを増す8月末英独仏は、何度も米国の撤収完了予定日の延期を欧州は要求したが、バイデン政権は断固として受け入れなかった。欧州諸国はバイデン政府の決定の性急さを批判したが、欧州への相談のないままの一方的な撤収に対する不満だった。折角、六月にバイデンがNATO首脳会議出席をはじめとして欧州歴訪で米欧関係の改善に尽力したが、欧州諸国の対米警戒感と信頼の回復に水を差すことになった。そしてこの9月にはフランスの対豪潜水艦輸出計画を反故にした米国の原子力潜水艦のオーストラリア供与契約は両国関係の亀裂を深めるものだった。

いずれも米欧間の意見調整ができていない中での出来事だったが、欧州から見ると米国に振り回されているようにも見えるのである。他方で米国にすれば欧州の動きは遅い。また米国が軍事的・物理的に迅速に協力できるだけの頼りになる能力を欧州が持っているわけではない。米国の欧州に対する信頼感は強くない。

繰り返す欧州緊急展開部隊の模索

第五に、こうした米欧関係が動揺する中で、EUの自立防衛問題が再度浮上する。突き詰めて言えば自力外交できながいもどかしさである。その背景にあるのが紛争への対応できる防衛能力の欠如がある。こうした中でEUでは欧州統合軍の創設が再び盛り上がっている。ボレロEU外相はイタリアのメディアのインタヴューで、「EUは米国がかかわる意思のない時に、自らの利益を守るために介入する能力がなければならない」と発言し、統合軍設立への強い意志を表明した。

9月上旬にはEU防衛閣僚会議がスロヴェニアで開催された。EUでは防衛上の危機的状況が起こるたびにこの種の議論が繰り返される。1998年英仏首脳会議が欧州共通防衛政策で合意した翌年、EUは欧州共通防衛政策を採択し、2003年までに5万人の緊急展開部隊を設立することを決定した。イラク戦争の渦中で2003年には「欧州戦闘グループ」の設立も決定した。しかし前者は依然として実現していない。後者も1500人規模の部隊の展開はいまだ実現していない。2017年にはPESCO(常設協力枠組み(EU常設軍))の設立が決定し、 46の研究開発プロジェクトが発足しているが、2021-26年のEU中期予算で合同研究発展計画には80億ユーロが計上されている。しかしこの計画が資金面と各国の協力の面でうまくいくかどうか疑問視する声もある。

欧州軍と言っても、基本的には危機管理部隊と言った方が適切なのだが、いま議論となっているのは5000人規模の緊急介入部隊の創設だ。今年の初めには独仏を含む14か国が5000人の合同旅団の結成を提唱していたことを受けてのことでふる。歴史的に欧州の自立した軍隊については賛否両論がある。いわゆるNATO派と西欧派の対立である。後者は独仏が中心だが、今回はオランダやイタリアも積極的だ。これに対してNATOとの協力で十分だとするのが、バルト・東欧諸国である。この閣僚会議でもチェコ防衛副大臣は「アフガン後にこの議論するのはタイミングではない」と否定的な発言を行った。11月までにEUは戦略レポートをまとめるのでその頃が新たな模索の出発となる可能性はある。

アフガン危機を契機とするEUの防衛政策の発展はどこまで進むであろうか。当面の関心はこの点に集中しているが、それはEUの「戦略的自立」概念と結びつく。それはまたEUの「ユーラシア・コネクティヴィティ」と「インド太平洋戦略」として安全保障・経済的なEUの地球規模の影響力の拡大を目的とする「総合戦略」でもある。そうした中で中国をめぐるアジア太平洋における綱引きが、フランスとの契約を断ち切って提携された米国原子力潜水艦の豪州への供給であり、AUKUS (豪英米同盟)の意味である。これについては改めて論じたい。