公益財団法人日本国際フォーラム

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本報告では、二極対立構造とそれ以外の国際構造との狭間、あるいは両者がオーバーラップする環境における「ヒトの移動」分野の国際協力の形をいかに把握できるか、また、その特性や理解についての建設的な批判などの方向性を探る。具体的には、EUで展開されている国家間協力の評価を通じてアジアや日本への示唆を提示する。今回は2015年にピークとなった欧州難民危機についての考察を紹介するが、欧州に特殊なケースとして取り上げるのではなく、地域限定的なイシューとなりがちなヒトの移動の問題を安全保障問題として考察することで、時空間を問わずに生じうる問題として提示することを目的とし、地経学研究の中に位置付ける。

このケースの汎用性を考える際に有用となる思考上の枠組みとして、安全保障問題としてのヒトの移動の問題を考える際、まず越境移動者の属性に関するものがある。具体的には、テロリストやテロリズムにつながる犯罪者の移動、もしくは、国家機密の漏洩に関わる人物(産業スパイなど)の移動などである。本報告では、国家間対立の誘因となる様なヒトの移動について考えたい。つまり、移動する主体の属性はあまり関係がなく、その移動を操作しようとする主体が別に存在する場合や、移動する人々がコマとして使われる事例が対象となる。

この観点には、4つの側面がある。第一に、政治亡命者の出身国を非難するもの。例は一つのみだが、冷戦期米国の難民庇護政策、つまりソ連や共産圏からの移動者に限定してこれを難民として受け入れることで共産圏を非難する国際的な環境、もしくはシステムを作り出すという外交政策がある。二極構造が明らかになろうとする時期に並行して展開された外交プロセスとして捉えると、米中覇権競争が次第に明らかになっていく中で、参照することもできるだろう。第二に、集合行為もしくは国際協力上の問題として、欧州難民危機のEU政府への影響、具体的にはシェンゲンを契機として生まれたダブリン体制を巡る課題(ダブリン条約に締約している国に責任転嫁をするシステムがいかに維持されたか、それを改善しようとする動きがなぜ障害となっているか)、EUと域外国との関係(トルコとの交渉において有利な立場を取ることが困難になっているのはなぜか)がある。第三に、受け入れ国からの経済支援などの譲歩や支援の獲得を目的とする政治利用が挙げられる。2016年にKelly Greenhillが著書“Weapons of Mass Migration”で提示した“Coercive engineered migration (CEM)”と称される考え方だが、例としては、アジア系移民追放(ウガンダ→イギリス)やマリエル・ボート危機(キューバ→米国)、国際NGOが北朝鮮に対して難民問題を提起して国際的な関心を動員した事例などがある。第四が、対立構造の顕在化の事例で、トランプ前政権下での中国人留学生向け米国ビザ発給停止や、豪州への中国人旅行の禁止、ハイブリッド戦争との関連として「リサ事件」(ロシア→ドイツ)等がある。第三の事例との相違として、これらは相手国の国力自体を削ぐのが目的となっており、国家主体が主な対象となる。

まず、「難民(réfugiée)」の起源として、元々はユグノー戦争に端を発する、戦争や明確な迫害に対する人道救済プロジェクトだったが、第二次大戦後、受け入れ国にとっては平時の外交政策手段に変わっていった。特に、出身国の非難という文脈では、米国による対ソ難民政策の確立が、UNRRA→IRO→UNHCRの発展プロセスと並行しており、この点から冷戦構図の追認と見ることもできる。その他、難民を受け入れないケースとして、1980年代後半に西ドイツは、東ドイツ国境を経由するタミル人やパレスチナ等の難民申請を東ドイツの国家承認忌避から受け付けないということもあった。

次に、集合行為もしくは国際協力上の問題に関して、欧州で展開されるシェンゲン/ダブリン体制がある。シェンゲン協定がヒトやモノの自由移動を促進するのに対し、ダブリン体制は難民申請の審査責任国をEUの権限において定めるものであった。しかし、本来の目的を果たせているのか、域外国に責任転嫁することは正当性の観点から適当なのかという点が当初から問題視されていた。その後、一連の制度改革を通じて、少なくともEUはヒトの移動分野において規制の緩和には成功したが、加盟国の主権を越える形でのルール形成は困難であり、共通の難民政策を作るという規制の創出には失敗した。ここで重要なのは、こうした欧州加盟国内の政治混乱を狙っている政治主体があるとすれば、願ってもない状況だということである。

受け入れ国の政治体制の動揺を目的とするヒトの移動の政治利用に関して、1972年にウガンダでアジア系住民の追放がなされた事例があるが、これは裕福になったアジア系住民の財産差し押さえが目的と言われる一方で、英国からの軍事支援の継続を要請するためIdi Aminが脅しとして、英国パスポートを保持したアジア系住民を英国へ難民申請させたとの説明もなされている。また、1980年キューバのマリエル・ボート危機に関しても、カストロ政権の対米援助交渉の一面があった。CEMの特徴として、明示的な場合と明示的でない場合が併存し、後者は伝統的な対外交渉や摩擦の形態に紛れて展開されるため、識別が困難である。また、アクターの多様性という点でも、主に独裁政権による直接関与や、国際NGO、メディア、法律家等の間接関与、機会主義者の役割など様々ある。特に、力の弱い当事者が、アクターの間接関与を通じて力の強いアクターへ影響力を拡大させるというパターンがあり、これは成功すれば、受入国と有利な交渉が可能になるが、その延長線上には受け入れ国の政治体制の動揺という副作用が発生する問題もはらむという性質がある。

最後に、対立構造の顕在化という側面に関して、既にある対立構造の再確認という文脈から、アクターが大国である場合には非伝統的な手段として使われることが多くなってきている。これには、経済安全保障上の対立を背景とした、トランプ前政権下の中国人留学生向け米国ビザ発給停止やCOVID-19の起源調査を巡る外交摩擦で豪州への中国人旅行の禁止といった事例が該当する。ハイブリッド戦争との関連では、ロシアがドイツへのデマゴーグ効果を狙った自作自演の「リサ事件」も画策された。総じて、ヒトの移動は近年、より意図的・恣意的に、他国への非伝統的な攻撃手段として使われる頻度が高くなってきていることが伺える。

では、そもそも、ヒトの移動の何が脅威なのか?一つは、大量の突発的な外国人の流入があれば、どの様な国であれ大変な事態となり、それが潜在的な敵であれば脅威度はなお高まる。Greenhillの指摘によれば、国内紛争への発展(テロ、軍事衝突、ディアスポラ政治)や、リベラル民主主義国への脅威(国内世論の二分化、政権支持基盤の溶解、財政支出等に起因する国力の低下)といった側面のほか、マテリアルパワーでの報復が困難である米国への外交戦略として、国家首脳間のやり取りの中で引き合いに出されたという逸話もある。また、シリア難民危機の効果としては、必ずしも流入してきた移民の絶対数が重要というわけではなく、むしろ反移民・親移民というスタンスやその程度の方が、インパクトを決定づける要素とされる。要するに、「難民」の政治利用とは、外国人排斥派、外国人擁護派が共に行っていることであり、リベラル派のパワーの源泉に関しても再検討が必要と言えるだろう。

ここまで欧州のケースを中心に紹介したが、アジアでも北朝鮮難民問題という注目に値するケースがある。2000年代初頭に国際NGOが米国や国連の賛同を受けて行った北朝鮮に難民を発生させるプロジェクトでは、中国・韓国への難民を発生させ、「人道的悲劇」を国際的に報道するという圧力を通じて北朝鮮政権を崩壊させる企図があった。結果的には失敗に終わったが、一つの原因は既に一定数の受け入れを行なっていた中国の非協力があり、国連やUNHCRの限界が露呈した。また、非軍事的手段により北朝鮮を崩壊させることへの懸念もあり韓国の曖昧な外交姿勢も失敗の一因とされる。さらに、CEMの観点から、後に、金政権が中国からの経済支援を目的として難民を利用した脅しがなされたという機会主義者に有利な展開となる影響もあった。

以上を概観した上で、今後の展望と日本への示唆を考えたい。まず、難民/移民問題は、偏に人道上の問題や人間の安全保障上の課題というだけではなく、国家において安全保障問題として再定義されることが重要となる。特に、安全保障上の影響を分析し利用する難民戦略家が今後、顕現してくることが懸念される。しばしば指摘される点として、アジアと欧州の両地域での国家間の政治経済規模の違いがあるが、効果に差異はあれども、難民戦略の実施には影響しないと言えるだろう。(規範的/政治的な)リベラル・パワーの検討という点では、メディアと国際NGO、法律家や活動家の関与の仕方への評価に加え、財界の関与への評価も必要ではないか。これは、一般的に労働者の権利よりも利益集団の利益が政治に反映されやすい(オルソンの集合行為)ため、人道的な問題として理解するよりもパワーの競合問題として捉える視点が重要となろう。日本への示唆として、そもそも国内世論が二分化する前の段階として日本では「非政治化」がベストな戦略と思われる。他方で、米国、欧州、西側諸国との国際連携の動向によっては「政治化」に巻き込まれる可能性もある。また、先般の難民収容施設でのスリランカ人女性の死亡事件と難民法改正案が何故か関連づけられて語られ報じられる中で、一部の野党において政治的なイデオロギーと難民問題という人道的課題をリンクさせて自らの政治的利益を実現しようとする試みが展開されるという事態に対しては、リベラル・パワーというものを検討する必要があるだろう。最後に、日本の国連(グローバル・ガバナンス)主導という点では、難民を「受け入れない」中でも、効果的な国際支援の形を示せれば、CEMのインセンティブやモチベーションを挫くという、ある種のモデル提示の可能性を秘めている。

(「米中覇権競争とインド太平洋地経学」研究会第2回定例研究会合での報告、文責在事務局)