公益財団法人日本国際フォーラム

本稿の目的は、習近平指導部 [2]が施した新型コロナウイルス感染症対策を検証し、そこに中国政治の特質を見出すことにある [3]

本稿は、新型コロナ感染症対策の政策過程を段階的に捉えて、政策課題設定、政策形成、政策決定、政策実施、そして政策評価の五段階に区分する。そして、分析にあたって本稿は、この五つの段階を2つの過程に整理したい。その一つが、指導部が新型コロナ感染症対策を取り組むべき政策課題だと認識し、これを受けて政策実施組織である中央新型コロナウイルス感染肺炎疫病対策領導小組(中央新型肺炎領導小組)を設置するまでの一連の過程(以上①)、である。一般的に、ある問題が重要だという指導部の認識は、最高指導者が発出する指示によって確認できる。今回の新型コロナ感染症対策も、習近平総書記による「指示」の発出がいわば初動であり、本稿はまずそこから政策実施組織の設置決定までを分析の対象とする。いま一つは、感染拡大防止に重点を置いていた当初の政策から、それに加えて、感染症蔓延によって滞っていた経済活動を再開させるための対策を施すという新たな政策課題の設定に至る過程 [4](以上②)、である。

この2つの過程(①と②)のうち、前段①で扱うのは、政策課題設定から政策形成、政策決定、そして政策実施に至る過程である。②で検討されるのは、政策決定後の政策実施と政策評価、そしてそれらに基づいて行われた新しい政策課題設定に至る過程である。

政策課題設定と政策形成

政策課題設定の段階とは、指導部が、武漢市を中心に広範囲に新型コロナ感染症が蔓延しているとの情報に接し、この問題を最終的な政策決定者である習近平と指導部が取り組むべき政策課題と判断して「指示」を発するまでの段階である(2020年1月7日)。

指導部の目の前には、つねに様々な政策課題が積み上げられている。「指示」とは、最終的な政策決定者である習近平と指導部が、数ある政策課題群のなかから新型コロナ感染症への対処を最優先に取り組む課題として選択したことを指す。これが指導部の新型コロナ感染症対策の初動である。

この次が政策形成の段階である。指導部は、新型コロナ感染症対策を政策課題と確認した後(「指示」を発した後)、対策のための具体的取り組みを検討する。この検討を踏まえて、政策決定者が対策を決定する。これが政策決定である。ここで習近平は新型コロナ感染症対策を最優先に取り組むべき政策課題とする「重要指示」を発した(1月20日)。この「重要指示」の意味は、同日に国務院が下した新型コロナ感染症を伝染病予防治療法が定める法定伝染病と認定するという判断である。ここまでが政策決定である。

「重要指示」と法定伝染病認定:政策決定

1月20日に習近平が「重要指示」を発し、同日に李克強は閣議に相当する国務院常務会議を開催し、習近平の「重要指示」を受けて対策を講じるよう指示した [4]。そして会議は伝染病予防治療法の規定にもとづいて法定伝染病と位置付け、その予防と抑制のために必要な措置を講ずるよう国家衛生健康委員会に指示した。

また国務院新型コロナウイルス肺炎流行の予防と管理のための共同対策業務メカニズム(国務院應対新型冠状病毒感染的肺炎疫情聯防聯控工作機制)が立ちあがった。これが、習近平指導部の政策決定をふまえた政策実施のはじまりである。

こうして指導部が1月20日に政策決定した後、新型コロナ感染症対策の政策過程は、切れ目なく政策実施の段階にすすんだ。1月20日に共同対策業務メカニズムはテレビ会議を開催し、国務院副総理の孫春蘭が講話を行った [5]。また国家衛生健康委員会が国家衛生健康委員会新型コロナウイルス肺炎対処領導小組(新型冠状病毒感染症的肺炎應対処置工作領導小組)を組織し、地方政府の対処策の指導に着手した [6]。そして、武漢市に対して市場閉鎖や空港、駅、埠頭での防疫体制の強化等、厳格な防護措置を講じるよう指示した。

1月23日には武漢市新型コロナウイルス肺炎対処指揮部(武漢市新型冠状病毒感染症的肺炎疫情防控指揮部)が「封城」(都市封鎖)を決定した [7]。この後の1月25日に、共産党の最高意思決定機関である中央政治局常務委員会会議が開催され、中央新型肺炎領導小組の設置を決定した [8]

なお政策実施の段階では、軍の関与を確認することができる。1月24日、中央軍事委員会は、突発的に発生した公共衛生事件に対処する連携機構として中央軍委新型肺炎領導小組(中央軍事委員会應対新型冠状病毒感染肺炎疫情工作領導小組)を発足させた [9]。そして同日に、中央軍委の批准の後、上海、重慶、西安の三都市で動員がかかり、それぞれ150人、合計450人の医療部隊が武漢市に軍用飛行機で移動していた [10]。20日の習近平の「重要指示」の後、20日に国務院において、そして24日に人民解放軍において対処の実施体制が構築されたことになる。

この後の1月25日、中央政治局常務委員会員会は、全ての対応を統轄する臨時の党組織として中央新型肺炎領導小組を設置した。こうした経緯は、「党政軍民学、東西南北中、党が全てを領導する」や、「習近平総書記の党中央と全党の核心としての地位と、党中央の権威と集中統一領導の断固擁護」という言葉で説明される習近平指導部の命令指揮系統にしたがって、政策実施の体制づくりが明確に行われた結果にみえる。

なお、2003年春、やはり新たに出現した感染症であったSARS(重症性呼吸器症候群)が蔓延した際には、それへの対処のために政策実施組織として国務院防治非典指揮部が設置された。この時の党と政府と軍の関係は、今回とは異なっていた [11]

中央新型肺炎領導小組は、新型コロナ感染症対策に係わる共産党と政府の部門によって構成されている。同領導小組の組長は国務院総理である李克強が、副組長は筆頭の中央書記処書記である王滬寧が務めている [12]。そして以下、同小組の構成員は、中央書記処書記であり、また中央辦公庁主任でもある丁薛祥、医療衛生や教育、退役軍人に関する事項を担当している国務院副総理の孫春蘭、中央書記処書記で中央宣伝部長の黄坤明、北京市党委員会書記の蔡奇、国務委員兼外交部長の王毅、国務委員兼国務院秘書長の肖捷、そして国務委員兼公安部長の趙克志であった。医療衛生、宣伝、外交、公安と首都である北京を担当する党と政府の複数の部門が、政策の実施に関与する行為主体であることがわかる。

国務院副総理である孫春蘭は、中央新型肺炎領導小組の事務機構であり、湖北省武漢市に駐在して現地での政策実施役を担っている中央新型コロナウイルス感染肺炎疫病対策領導小組指導組(中央新型肺炎領導小組指導組)の組長である。新型コロナ感染症対策にあたって中心的な役割を担ってきた。中央新型肺炎領導小組の設置後、王毅外交部長、趙克志公安部長、黃坤明宣伝部長の活動が、それぞれ報じられている。こうした報道をつうじて、新型コロナ感染症の蔓延によって取り組まなければならないと指導部が考えている問題関心の具体的中身を把握することができる [13]

なぜ13日間を要したのか

公式報道は、1月7日に開催された中央政治局常務委員会会議で、習近平が新型コロナ感染症の感染拡大に対処するよう「指示」を出したことが、指導部の初動(「政策課題設定」)だとしている。

ただし、この「指示」の存在が公式報道されたのは、それから1ヶ月半も後のことである。当初、指導部の初動は、1月20日に習近平が新型コロナ感染症の蔓延への対処策についての「重要指示」を発した時点のように報じられていた。1月7日の中央政治局常務委員会会議の開催を報じた『人民日報』の記事には「指示」はなかったからである [14]

1月7日の「指示」の存在が明らかにされたのは、2月15日に刊行された『求是』誌に掲載された「中央政治局常務委において新型コロナ感染症対策を検討した際の講話」と題する習近平の重要講話においてであった [15]。この重要講話は2月3日の中央政治局常務委員会会議で行われたものだとされる。

では、事後に公開された情報が正しいとして、1月7日の「指示」から1月20日の「重要指示」までの13日間の時間をどの様に理解すればよいのだろうか。指導部は、政策課題を設定してから政策決定(習近平の「重要指示」)が下されるまで、比較的長い時間を要しているようにみえる。

仮説的に説明を試みれば、すでに武漢市をふくむ湖北省で新型コロナ感染症が蔓延しているとの情報に接していた指導部は、1月7日の中央政治局常務委員会会議において問題意識を共有し、習は同問題への対処を国務院総理である李克強に指示したのだろう。

この日の会議は、国務院をはじめとする各国家機関と中央書記処が総書記に対して一年間の活動報告をおこなう機会であった [16]。この会議で李克強は、国務院党組書記の名義で習近平総書記に活動報告をおこなっていた。ここで習近平は、新型コロナ感染症の蔓延に対応するよう李克強に「指示」したのだろう。

ただしこの時点では、それは指導部(習近平)にとって、いくつかある政策課題の1つにしか過ぎず、より重要だと考える関心事項が他にあったのではないかと思われる [17]。少なくとも、法定伝染病と認定するために必要な判断材料はなかったのだろう。この1月7日の後に指導部は様々な情報に接し、ようやく1月20日になって習近平は新型コロナ感染症を伝染病予防治療法の規定にもとづいて法定伝染病と位置付けて対処する必要性のある感染症と決断し、「重要指示」を発したのだろう。

この仮説は、その間の習の行動からも傍証を得られる。1月7日以降、習の活動は連日、公式メディアで報じられている。1月13日には第19期中央紀律検査委員会第4回全体会議で重要講話を行い、16日には中央政治局会議を主宰していた [18]

その後、17日から18日までミャンマーを訪問している。ミャンマー訪問は国交樹立70年を記念した活動であった [19]。当時はまだ実現可能性が論じられていた習近平国家主席の日本訪問の目的と同じように、中国は近隣諸国との安定した関係構築の一貫としてミャンマー訪問を位置付けていたと考えてよいだろう。

2018年9月、中国とミャンマーは「中国ミャンマー経済回廊連合委員会第1回会議」を開催したが、そのことに現れているように、両国は経済関係の強化に努めてきた [20]。その一方で両国の国境地域の政情は不安定であった [21]。ミャンマー訪問後の19日から21日まで、習近平は雲南省内を視察し、同地に駐屯する人民解放軍部隊を視察している [22]。中国とミャンマーとの関係において、軍は重要なアクターだからである。そうした複雑な両国関係の安定化に資する方策として、習近平のミャンマー訪問が位置付けられていたのだと思われる。

他方、これまでの指導部は、重要な国内問題が発生しているときは、首脳の外国訪問を延期することも辞さなかった。例えば、1998年9月上旬の予定であった江沢民国家主席の訪日を、国内での水害発生によって延期したことがある。1月7日までに指導部に新型コロナ感染症問題の情報が入力されてもなお、習近平のミャンマー訪問を実施した理由は何か。1月7日から20日までの間に、習近平が講話を発する機会は数多くあったが、公式報道によれば新型肺炎に言及した気配はない。こうした習近平の行動は、この時点の指導部が、感染症対処の重要度を決して高く位置付けておらず、情報収集にあたっていたことを示唆していよう。

「重要指示」が発せられた1月20日、『人民日報』の報道によれば、習近平は雲南にいた。北京を離れていた時期に「重要講話」を発表したことは、指導部がこの日になって、新型コロナ感染症の蔓延への対処を重要な政策課題と認識した結果だった可能性がある [23]

こうして習近平が「指示」を発してから、「重要指示」を発するまでに13日を要した。この時間が、長すぎたのか否かを評価することは現時点では困難である。この間の指導部は、新型コロナ感染症に関する情報の流れに対して、2つの姿勢を示していた。一つは、指導部は新型コロナ感染症に関する情報を収集し、いま一つは、指導部は新型コロナ感染症に関する情報の拡散を阻止しようとしていた。前者が、国家衛生健康委員会を中心とする情報収集である。2019年12月末以来、武漢市内の病院が提出した報告をうけて武漢市衛生健康委員会は原因不明の肺炎治療に関する緊急通知を発し、1月1日に国家衛生健康委員会が新型コロナ感染症対処領導小組を設置した。そして、1月20日夜に国家衛生健康委員会の高級専門家チームのトップを務める鐘南山氏が中国中央テレビのインタビューで「既に人から人への感染がはじまっている」と発言していた。「重要指示」の発出は、このあとである [24]。そして後者の代表的事例が、1月1日夜の武漢市公安局の行動である。この日、公安当局は、李文亮医師をはじめ8名が新型コロナ感染症のパンデミックの可能性をソーシャルメディアで発信したことを「根拠のない情報を流布させた」として訓戒処分をした。

情報の拡散を防ぐという情報管理は、解決するべき政策課題の設定を世論の影響を受けずに指導部が独占できるという効果がある。社会に存在する解決すべき望ましくない状態のなかから解決すべき望ましくない問題を「選抜」し、さらにその中から指導部に対して解決するべき政策課題として取り上げるよう社会(世論)促すことができる。1月1日の武漢市公安局による訓戒処分がおこなわれていなければ、新型コロナ感染症の感染拡大への対処を指導部が最優先に取り組む政策課題であると判断したのは、1月20日よりも早くなったかもしれない [25]

政策の重点の変化

次に、習近平指導部が、感染症の蔓延防止策とともに感染症の蔓延によって滞っていた生産活動の再開(「復工復産」)を重視するようになった過程を分析する。

新華社を中心とする公式報道を通じて、1月20日に習近平が「重要指示」を発した後、中央政治局常務委員会、中央新型肺炎領導小組会議、国務院常務会議における感染症の蔓延対策の大まかな論点の推移は、明らかにされている。

李克強が組長を務めている中央新型肺炎領導小組は、1月25日の中央政治局常務委員会で設置が決定された後、翌26日にその第1回会議を開催した。その後、29日、31日、2月2日、4日、6日、10日と頻繁に開催された。公式報道を見る限りにおいて、会議の論点の推移については、2月6日が1つの転換点であったように思える。2月6日の会議は、正常な生産活動を秩序立って回復させながら、感染症の蔓延への対策の取り組みを保障するとともに、同時に正常な社会秩序の維持を実現する必要性を初めて語った [26]。2月6日以前の同小組での議論は、感染症蔓延への対策に重点が置かれていた。生産活動の回復の必要性についても議論されていたが、その重点は蔓延対策に資する医療品生産施設の「復工復産」であった。

同じく李克強が主宰する国務院常務会議は、1月20日の習近平による「重要指示」が発せられてからは、2月5日と2月11日に開催されていた [27]。2月11日の同会議は、感染症の蔓延対策と同時に、はじめて秩序立った生産活動の再開(「復工復産」)の必要を提起していた。同会議は第一に取り組むべき課題として、感染症の蔓延対策と同時に都市の正常な活動に必要な企業の活動再開や必要な生活物資の供給、また感染の程度が比較的少ない都市における段階的な「復工復産」に着手する必要性を提起していた。また同会議は、就業(失業)問題への対処についても検討する必要性を提起していた [28]

その翌日の2月12日に開催された中央政治局常務委員会会議も、感染症蔓延への対策とともに「復工復産」をめぐる問題を検討していた [29]。そして2月23日には、中央政治局常務委員会の構成員が全員出席して「新型コロナ感染症対策と経済社会発展に統一的に取り組むための会議」が開催された [30]

2月12日の前の2月3日にも中央政治局常務委員会会議会議が開催されていた。この日の会議では、今年の経済社会発展目標の実現に努めること、そして入念な感染症の蔓延対策に取り組む前提での生産活動の再開(「復工復産」)の必要性を検討していた。ただし「復工復産」は会議の重点ではなかった。会議直後に『人民日報』紙が2日連続して掲載された評論員の署名入り記事は「復工復産」に言及していない [31]。また2月5日には中央全面国家法治委員会第3回会議が開催され、習近平はその場で重要講話をおこなっていた [32]。その重要講話の重点も感染症の蔓延防止にあった。しかし、2月10日に北京市を視察した習近平は、経済活動に与えた影響への懸念と経済活動の再開、とくに就業問題の解決の必要性に言及していた [33]。そして13日の『人民日報』紙に掲載された「感染症の蔓延防止と経済社会発展の目標という2つの勝利を目指して奮闘しよう」と題する評論員の署名入り記事は、10日の習近平の北京市視察に言及しながら、今年の経済社会発展目標の実現に努めるために経済活動の再開の必要性を主張するものであった [34]

こうした経緯を踏まえると、2月10日前後から、指導部の視界のなかに、「復工復産」の必要性が見えはじめたのではないかと考えられる。李克強が主宰する中央新型肺炎領導小組の会議(2月6日)にはじまり、習近平の視察(2月10日)、国務院常務会議を経て(2月11日)、そして2月12日の中央政治局常務委員会会議という流れで、経済活動の再開(「復工復産」)が重要な政策課題として設定されていった経緯をたどることができる。

もし、こうした政策転換が生じていたのだとすれば、この次に検討するべきことは、この新しい政策課題(アイディア)を、何時、誰が、何処で提起したのか、そして、そうしたアイディアから政策は、どのように変化していったのかという経路である。この政策転換については、仮説的な説明が可能である。

いくつかある重要な転換点の一つは、2月4日に劉鶴副総理が出席して開催された「新型コロナ感染症対策物資と春節旅客の時差輸送の保証に関するテレビ会議」ではないだろうか [35]。この会議は、習近平の「重要指示」や中央政治局常務委員会会議の決定を踏まえて感染症蔓延対策の徹底した実施の必要性を確認しているが、同時に生活物資の保障に全力で取り組み、人々の通常の生活の保障、そして重点企業の秩序立った業務再開の必要性を議論していた。

この会議の議論についての詳細な内容は明らかではないが、各省、自治区、直轄市および計画単列市をはじめ、工業情報化部や国家発展改革委員会、交通運輸部の責任者が出席していたことは興味深い。感染症蔓延対策の実施過程で、政策評価として「復工復産」の必要性が提起されていたのだとすれば、劉鶴が出席したこの会議は、そうした政策評価の声を集約する機会となったのかもしれない。段階的に、また感染情況の違いに応じて、地域別の生産活動の再開の必要性を主張する声がこの会議を通じて国務院の各部門に浸透し、李克強が主宰している2月6日の中央新型肺炎領導小組会議や2月11日の国務院常務会議で検討されたという仮説も成り立つだろう。そして同時に、遅くとも10日までには習近平の耳に入っていったのである。こうした経緯で指導部は、新しい政策課題として「復工復産」を認識するようになっていった可能性がある。

2月12日の中央政治局常務委員会会議は中央新型肺炎領導小組の活動報告を聴取している。この機会に、中央政治局常務委員会は「復工復産」を新しい政策課題として決定したのである。2月23日の、中央政治局常務委員会の構成員が全員出席した「新型コロナ感染症対策と経済社会発展に統一的に取り組むための会議」は、そうした政策の重点の変化を広く周知するための会議であった。会議には、中央政治局常務委員だけでなく、中央政治局委員、中央書記処書記、国務委員が出席したほか、各省区市県、共産党中央と国家各機関、各人民団体、軍、武装警察の代表が、テレビ会議によって参加していたと報じられている。ほぼ全国的規模の会議だった。

こうして、感染症蔓延への対策とともに感染症の蔓延によって滞っていた生産活動の再開(「復工復産」)も重視するようになったという政策転換の経緯は理解できた。しかし、この転換が、「感染症対策における統一的領導の強化」が行われた結果か否かは、まだ十分に検討する余地を残していよう。

今後の課題

本稿は、習近平指導部が施した新型コロナ感染症対策の政策過程を検証し、そこに中国政治の特質を見出すことを試みた。限られた公式資料をつうじて、詳細に政策過程を論じることができた。しかし、いずれも仮説的な説明にとどまっている。地方と中央の問題関心の違い、あるいは共産党と国務院の問題関心の違い、指導部に問題意識が入力してゆく過程、その集約の過程、認識が政策化する過程を説明できる資料を入手できれば、中国の政策決定過程に関する立体的な理解が深まるであろう。

習近平指導部が、繰り返し喧伝する「感染症対策における統一的領導の強化」の実際の姿を評価するためには、一層の分析作業が求められる。今後の課題としたい。