公益財団法人日本国際フォーラム

1. 20世紀のグレートゲーム

20世紀初頭、中央アジアを巡って帝政ロシアと大英帝国の間で争われたインテリジェンス合戦を「グレートゲーム(great game)」と呼ぶことがある。それを人々に印象づけたのがラドヤード・キプリング(Rudyard Kipling)の小説『少年キム』である。英国軍人の血を引く孤児のキムは、インドで育ち、やがて仏僧と旅をしながら、グレートゲームに巻き込まれていく。

この小説を読んだひとりが、大英帝国のインド植民地の行政官だったジョン・フィルビー(John Philby)である。変わり者で知られたジョン・フィルビーは、息子のハロルド・フィルビー(Harold Philby)に「キム」とあだ名を付けた。それが後にソ連のスパイ・グループ「ケンブリッジ・ファイブ」の一人として知られるキム・フィルビーである。キム・フィルビーは英国政府のインテリジェンス機関で働き、米国の中央情報局(CIA)と密接に働きながら、実はソ連のスパイであり、露見する直前にソ連に亡命した。

20世紀初頭のロシアと大英帝国のインテリジェンス戦争は、キム・フィルビーが活躍する20世紀後半になるとソ連と米国のグレートゲームに置き換わっていた。1978年、ソ連はアフガニスタンに侵攻し、冷戦の終わりが見え始めた1989年まで居座った。

ハルフォード・マッキンダー(Halford Mackinder)らの地政学では、ユーラシア大陸の中央部が「ハートランド」と呼ばれ、ハートランドを制する者が世界島(ユーラシア大陸とアフリカ大陸)を支配し、世界島を支配する者が世界を支配すると考えられた。ニコラス・スパイクマン(Nicholas Spykman)はこれを一歩進め、ユーラシアの大陸国家とユーラシアを取り囲む海洋国家の争いはユーラシアの辺縁である「リムランド」で起きるとした。

実際、アフガニスタンだけでなく、東西ドイツ、中東、インドとパキスタン、ベトナム、中国と台湾、そして朝鮮半島で冷戦は深刻な状態に陥り、リムランドは大陸国家としてのソ連と海洋国家としての米国が争う場となった。

2. サイバーグレートゲーム

21世紀のグレートゲームはどのようになるのだろうか。現代の安全保障で問題となるのがサイバー攻撃である。サイバー攻撃の発信源として近年名指しされることが多いのが、中国、ロシア、北朝鮮、イランである。いずれもユーラシアの中心部ないしリムランドに位置する。

中国は、米国のドラルド・トランプ(Donald Trump)政権との間で、貿易摩擦・技術摩擦を激化させた。やり玉に挙げられたファーウェイは、米国市場から排除されただけでなく、米国や同盟国・友好国の企業との取引も実質的に禁止された。2018年12月にはイランに対する制裁違反でファーウェイ創業者・任正非の娘で、ファーウェイ最高財務責任者(CFO)の孟晩舟がカナダで逮捕された。世界の情報技術(IT)市場において中国製品・サービスが普及する一方で、中国がスパイ行為を行っているのではないかという懸念が高まり、サプライチェーン・リスクと呼ばれるようになっている。

ロシアはどうだろうか。2016年の米国大統領選挙にロシアはあからさまな介入を行い、トランプの当選に一役買ったと考えられている。ロシアが行った情報の暴露や偽ニュースの流布がどれだけ米国の有権者を動かしたのかは証明できない。しかし、トランプを当選させることが目的ではなく、米国が至高の価値を置く民主主義と選挙に疑義を抱かせるだけでロシアの目的は達成されたと見るべきだろう。

2020年の米国大統領選挙では、ロシアよりもイランの選挙介入が目立った。高齢のジョー・バイデン(Joe Biden)民主党候補を揶揄するような情報が流されたり、ツイッターの偽アカウントから政治的なメッセージが流されたりした。しかし、事前に察知したサイバー軍は「前方防衛(defend forward)」戦略によって介入が大きな効果を生み出すことを防ぐことができた。

しかし、トランプ大統領は、敗北という選挙結果に不満を表明し、詐欺が行われたと主張したが、最終的にはバイデン候補の勝利が認定された。ところが、2021年1月6日にトランプ大統領の支持者たちが議会に乱入し、5名の死者が出てしまった。選挙そのものは防衛できたものの、民主主義を防衛できたかどうかには疑問の残る結果となった。

3. サイバーグレートゲームのハートランド

インターネットは時に雲(クラウド)に例えられることがあるが、その実態は、情報通信機器、情報通信チャンネル(有線ケーブルや無線通信)、そして記憶装置(サーバーやデータセンター)がつながった物理的な存在である。物理的な存在であるがゆえに、サイバースペースは、いわゆるハッキングや不正侵入、ソフトウェア的なシステム破壊だけでなく、ハードウェアの破壊によっても損害を被る脆弱なものである。

そうした情報通信手段を通じて行われるサイバーグレートゲームにおいてハートランドなっているのは、第一には、デジタル化されたデータであろう。その中でも特にデジタル化された金融資産が重要である。現代の金融資産はもはや紙幣や硬貨によって保存されていない。それはデジタル化ビット信号としてコンピュータの中に記憶されている。そうしたデジタル・マネーが盗まれたり、失われたりする可能性に備えなくてはならない。機微な個人情報の収集と保存もまた重要になっている。そうすると、データセンターを物理的にどこに置くかが、重要な政策的選択となる。各国がデータローカリゼーションを進めているのもそのためだ。

そして、第二のハートランドは、我々が情報を認識、解釈し、そして発信する際の認知スペースである。選挙介入はその最たる例であり、選挙に介入しようとする勢力は、何が事実であり、何が正しいのか、人々の認識を混乱させ、正常な判断力を失わせる。いわば外国勢力が人々の頭の中をかき回すことができるようになっている。

サイバースペースは物理的な存在でありながら、それによって操作され得るのは我々の富であり、思考である。ここが20世紀のグレートゲームと21世紀のグレートゲームの大きな違いである。

4. 新しいサイバーアライアンス

21世紀のサイバーグレートゲームの時代に何ができるだろうか。サイバー攻撃の発信源がユーラシアに位置する国々であり、サイバースペースが物理的な機器・設備によって構成されているとするなら、もう一度ユーラシアを封じ込める戦略があり得るかもしれない。

第二次世界大戦末期から冷戦期に行われた大英帝国系の国々の連携は、「ファイブ・アイズ」と呼ばれる。米国、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの5カ国が参加した。しかし、21世紀のサイバーグレートゲームの時代においては、いわゆる「クアッド」と呼ばれる日米豪印の4カ国の連携に英国を加え、JAIBU(Japan-Australia-India-Britain-US)とも呼べるような新しいサイバーアライアンスを形成し、ユーラシアの国々と対抗することを考えることはできないだろうか。

無論、サイバーセキュリティの冷戦が熱戦に転化しないため、軍事と外交と経済を連携させながら、国際平和を目指すことが最上である。しかし、お題目を唱えているだけで平和を達成することはできない。日本は自らのサイバー能力を高めるとともに、国際的連携に積極的に加わることで、サイバースペース、そして国際社会の安定に寄与すべきである。

(2021年9月5日脱稿)