公益財団法人日本国際フォーラム

1.はじめに

1958年に開催された第1回国連海洋法会議から約35年を経て発効した国連海洋法条約(UNCLOS)を我が国が1996年に批准してから、四半世紀が経過した。その間、我が国においては海洋の総合的管理の推進を目指し、2007年には海洋基本法が制定され、2008年には海洋基本計画が閣議決定された。その後、海洋基本計画は2013年に策定された第2期海洋基本計画を経て、現在は第3期海洋基本計画が実施されている。現行の海洋基本計画である第3期海洋基本計画は、これまでの海洋基本計画とは異なり、「総合的な海洋の安全保障」を海洋に関する施策についての基本的な方針としていることが大きな特徴である [1]。そのため、海洋安全保障は現在、我が国の海洋政策における重要な政策課題と見做すことができる。

さて、海洋の総合的管理とは、換言すると海洋ガバナンスの構築であり、具体的には「開発」―「環境」―「平和」のグローバルなトリレンマを克服することである[2]。また、グローバル経済を支える物流の大動脈である海上交通路(SLOCs)の重要性はグローバル化の進行により増大化する一方であるが、沿岸各国による資源開発や環境保護を名目とした権益保護が発生するなどの動きも生じており [3]、単なる経済活動や環境保護活動に止まらないトリレンマ問題がまさに現実のものとなっている。

本稿はこのような海洋安全保障をめぐるトリレンマ問題を踏まえ、今後の課題解決に資するさまざまな視点の可能性を検討する。

2.海洋政策の前提となる国際関係論

2-1.リアリズムから見た海洋

政治学あるいは国際関係論におけるリアリズムは、一般的に「ホッブズに由来する大きな権力による安全保障を志向し、国際政治を権力闘争と捉える理論」と解される[4]。このリアリズムの代表的な論者であるモーゲンソーは、各国の権力闘争の均衡を志向する勢力均衡が国際秩序を維持する最も有効な手段であると論じている[5]。リアリズムに依拠すると考えられる海洋安全保障に関する取り組みとしては、例えば、東南アジア諸国における海洋安全保障に関する能力構築が挙げられる [6]。現在行われている取り組みは海賊対策などの法執行能力の向上に重点が置かれたものであるが[7]、言うまでもなく法執行能力の向上は安定的な海洋秩序を構築・発展に求められる具体的な取り組みである。一方で、アジア海賊対策地域協力協定(ReCAAP)に代表される法執行能力に関する取り組みが直接的な利害関係を有する関係国によって実施されていることを踏まえると [8]、リアリズムの観点から海洋を捉えると、あくまでも各国における権益確保のアリーナと看做さざるを得ず、グローバルコモンズに程遠いと言わざるを得ない。

2-2.リベラリズムから見た海洋

一方、リベラリズムは、「ロックやカントの影響を受けて、国際社会にも共通の利益や規範が存在し、対立や紛争は常態化しないとする理論」であると一般的に解される[9]

このリベラリズムおよびそれを基礎として発展した国際レジーム論やグローバルガバナンスに基づき[10]、海洋の分野で取り組まれているものとしては、UNCLOSや1993年に発効した生物多様性条約(CBD)、1994年に発効した気候変動枠組条約(UNFCCC)をはじめとする国際約束が挙げられ[11]、特にUNCLOSは「海の憲法」と称され、現代の海洋秩序の基盤とされている。しかし、昨今問題となっている幾つかの国家による過度の海洋進出は [12]、航行の自由作戦(FONOP)をはじめとした実効的な取り組みを惹起しているが[13]、これはリベラリズムに基づく取り組みのある種の限界ではないかと懸念される。

2-3.海洋をどのように見るか

以上の考察を踏まえると、海洋の分野におけるさまざまな取り組みはリアリズムのみならず、リベラリズムに依拠する取り組みが多く存在している。また、先述のように国際社会はアナーキーであると看做されているが、海洋も自由とされてきたことも欠くべからざる視点である。そのため、国際社会論のようなそれぞれの視点に目を配った考察が必須となる。

国際社会論はブルをはじめとする英国学派が体系的に論じているが、国家を主要なアクターとするアナーキーな社会としての国際関係においても、国際法や道義的規則、慣習もしくは確立した慣行の地位、正式合意もなくあるいは口頭による通告さえなしに生み出されたたんなる行動原則やゲームの規則をも含む規則と勢力均衡や国際法、外交のしくみ、大国による管理システム、戦争すらも含む制度を通じた相互作用によって秩序は形成されると主張している[14]。国際社会論が完璧な分析視角であるとは言い切れないが、UNCLOSの前文において「海洋の諸問題が相互に密接な関連を有し及び全体として検討される必要があることを認識し」なければならないとされる海洋の諸課題を考察する上である程度有益な視角ではないかと思料される。

3.海洋安全保障において求められる視座

海洋における国際的な取り組みは、2国間の漁業協定をはじめとする少数の国家間による取り組み(=二国間主義)やUNCLOSに代表される世界規模で行われる取り組み(=多国間主義)に大別される。これらの取り組みに対して、東アジア海域環境管理パートナーシップ(PEMSEA)に代表される地域海における沿岸各国による取り組みも存在している。加えて、北極評議会(AC)のように、主たる加盟国は北極圏の各国(カナダ、デンマーク(グリーンランド、フェロー諸島を含む)、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、ロシア、スウェーデンおよびアメリカ合衆国)のみであるものの、オブザーバーとして北極圏外の各国(フランス、ドイツ、ポーランド、スペイン、オランダ、英国、日本、中華人民共和国、インド、イタリア、大韓民国、シンガポール)が加盟するといったグローバルかつローカルな取り組みも存在している。

海洋安全保障に関する国際的な取り組みは、関係国の利害に直結することが多く、また、北大西洋条約機構(NATO)やワルシャワ条約機構(Warsaw Pact)などの軍事同盟へと発展させることは至難の業である。また、そもそも多国間主義の課題を指摘する意見も存在する[15]。そのため、海洋の総合的管理およびその一端を構成する海洋安全保障に関する効果的な取り組みの確立においては、ある程度の範囲を絞った国際的な取り組み、言わばメゾレベルとも言うべき関係性に基づく取り組みに注目することが有益であると考えられる。

上述のような取り組みに対する注目を高める必要性を指摘する一方で、気候変動に伴う北極海航路の開発により、インド太平洋、特に東アジア海域においては、これまでの南シナ海やマラッカ海峡、インド洋を通るSLOCsとは異なる、ユーラシア大陸およびアメリカ大陸の北方を通る新たなSLOCsが形成されつつあることにも留意する必要がある[16]。この結果、これまでは南洋における問題とされてきたIUU漁業などの問題もグローバルな規模で行われる可能性が増大している [17]。そのため、メゾレベルの取り組みに注目しつつも、新たに形成されつつあるSLOCsにも注目することが海洋安全保障において求められる取り組みを考察する際に重要な視座の前提となり得ると結論付けられる。

4.おわりに

本稿は海洋安全保障をめぐるトリレンマ問題を踏まえ、今後の課題解決に資するさまざまな視点の可能性を検討することを目指して検討を進めてきた。その結果、国際関係論の変化や気候変動に伴う新たなSLOCsの形成を踏まえたメゾレベルの取り組みに注目することが海洋安全保障を検討する際に重要であるという知見を得た。この知見を踏まえ、今後求められる取り組みについて、若干の私見を述べたい。

気候変動による新たなSLOCsの形成は、海洋の総合的管理のあらゆる領域に影響を与えるものである。そのため、本稿冒頭で指摘したトリレンマ問題を構成する経済活動や環境保護と海洋安全保障は個別に検討するべきではなく、包括的かつ学際的に検討することが重要である。また、本稿においては、安全保障論からの検討を敢えて行ってこなかったが、トリレンマ問題を解決するためには、伝統的安全保障や非伝統的安全保障のいずれの要素を帯びていることを無視することはできない。そのため、安全保障論の視点から海洋安全保障を捉え直すことも必須である。そして、特に大国は内政の延長線上で外交を行う傾向があるため [18]、公共政策の1つとしての海洋安全保障に注目する際には、当事国の内政にも注目する必要がある[19]

これらの取り組みはいずれも一朝一夕には達成できるものではないが、海洋安全保障を正確に理解し、実効性のある方策を提示するためには不可欠なものである。そのため、蝸牛の歩みになろうとも、調査研究を精力的に推進することを目指したい。