公益財団法人日本国際フォーラム

アフガニスタン情勢を巡って、ユーラシアの国際関係が揺れ動いている。とりわけ、米軍のアフガニスタンからの撤退に伴って、タリバンが権力を掌握する一方で、イスラム国ホラサン州が自爆テロを起こすなど、今後の情勢は予断を許さない。米軍撤退後に、誰が秩序の空白を埋めるのか。米国やヨーロッパ諸国か、それとも中国やロシアか。この問題は、日本の対ユーラシア外交のあり方を考える上で、重要であろう。

このようななかで、米国とロシア、中国といった大国間の協力によって、アフガニスタンの紛争が管理されるだろうという見方が一部で示されている。しかし、それは可能なのだろうか。ここでは、ロシアや中国以外のユーラシア諸国であるウクライナの視点から、アフガニスタン情勢の見通しを示したい。

1. アフガニスタン情勢とウクライナ

本文の執筆時点で、アフガニスタン情勢は毎日移り変わっているため、正確な数は不明であるものの、同国にはウクライナ人が一定数おり、8月31日時点で、200名程度のウクライナ人が国外退去を求めているとも言われている [1]。国防省は、ウクライナ空軍の軍用輸送機をアフガニスタンに派遣し、米国からの救出作戦の支援要請にも応じながら、ウクライナ人だけではなく、外国人ジャーナリストなどを含む600名程度の人々を既に国外に退避させた [2]。さらに、カブールの自爆テロにおいては、ゼレンシキー大統領はツイッター上で、米国とアフガニスタンの人々に哀悼の意を表明した。

このように、ウクライナ政府はアフガニスタン情勢に一定の関心を示している。とはいえ、ウクライナには、対アフガン政策と呼べるような具体的なビジョンがあるわけではなく、同国のアフガニスタンへの関与は、欧米諸国との関係強化の延長線である。その背景には、2014年からウクライナで続いている紛争が大きく関わっており、ウクライナはアフガニスタン情勢を通して、欧米諸国との関係を強化させようとしている。

2. ウクライナにおけるロシアの影響圏からの脱却と欧州統合 [3]

ウクライナでは、2014年以降、ロシアの影響圏からの脱却と欧州統合が進められている。ウクライナの紛争は「忘れられた紛争」とも言われるため、まずは紛争を概観した上で、その後の外交・安全保障政策を示すことで、ユーラシアにおけるウクライナの立ち位置を明確にしたい。

2013年にヤヌコヴィチ大統領がEUとの連合協定署名の締結を撤回すると、首都のキエフでは抗議活動が始まった。当初は平和的なデモだったが、政府が内務省の機動隊を投入すると、デモは過激化した。とりわけ、極右政党の「自由」や「右派セクター」の部隊は、暴力的な傾向を強め、首都の中心部を占領するなど、情勢は緊迫した。ヤヌコヴィチ大統領は「デモ規制法」を施行し、事態を収束させようとするものの、それは逆にデモ隊の過激化を促し、彼らは大統領の辞任を要求した。政府と野党は、大統領選挙の実施や憲法改正、恩赦法などの危機解決のための案に合意するものの、極右勢力はこの合意を受け入れず、武装闘争を再開し、政府の重要施設を占拠した。その結果として、ヤヌコヴィチはロシアに逃亡し、体制は崩壊した。

この首都の政変を引き金として、クリミアではウクライナからロシアへの帰属変更を求める運動が拡大した。3月にはロシアへの編入を求める住民投票が行われて、賛成派が大勝し、クリミア共和国となったのち、ロシアはその編入を決定した。さらに東部のドンバスでは、ウクライナからの独立を主張する現地住民の運動が拡がり、そこにロシアから流入した民兵が戦闘に介入し、行政機関や空港などを占拠するなど、武装勢力とウクライナ政府の戦闘が激化していった。一部の地域を除いて、ドネツィク州とルハンシク州の主要部分を支配した武装勢力は、それぞれの占領地を「ドネツク人民共和国」と「ルハンスク人民共和国」と命名した。

このようななかで、ウクライナの外交・安全保障上の最優先課題は、クリミアと東部の諸問題を解決させ、主権と領土の一体性を回復させることだった。当時のポロシェンコ大統領は、「改革の戦略―2020」と呼ばれる政策を掲げ、ウクライナの発展の方向と優先事項を定めた。これは、様々な制度改革を通して、市民の生活を欧州レヴェルの水準にまで引き上げ、分離独立問題を解決させ、最終的にはEUとNATOに加盟するというものだった。さらに、軍事ドクトリンや国家安全保障戦略を発表し、ロシアはウクライナの脅威であると明記されるとともに、防衛力を高め、東部の紛争の激化を抑制させることが目指された。

しかし、ロシアとウクライナの間には圧倒的な軍事力の差があり、ウクライナだけでこの目的は達成出来ない。そこで、軍事ドクトリンでは、NATOをウクライナの特別なパートナーに位置付け、国軍とNATO軍の相互運用性を高めることで、国軍をNATO軍の基準に近づけることが目指された。そのために、NATO諸国と協働して軍改革を実施すると明記された。軍改革はウクライナとNATOの会談を通して実現される。NATOはウクライナに加盟希望国の地位を付与し、支援の確立を目的とした「ウクライナのための包括的支援のパッケージ」を策定した。包括的支援ではNATOがウクライナに対し、安全保障部門の助言を実施し、軍教育や輸送システムの改善などの支援が定められた。そのためにトラスト基金が設置され、同盟国の間で費用が分担されている。さらに、2019年にはウクライナの欧州統合が不可逆であり、EUとNATO加盟を申請する旨が憲法に明記され、大統領はEUとNATO加盟を実現する保証者として規定された。

こうして、ロシアの影響圏からの脱却と欧州統合という外交・安全保障政策の方針は、ウクライナの憲法に明記されるほど、制度化されていった。

3. ウクライナから見た今後のアフガン情勢の見通しと日本外交への示唆

ウクライナにおけるロシアの影響圏からの脱却と欧州統合の方向性は、こんにちまで続いており、ウクライナの対アフガン政策はその延長線である。ウクライナ政府にとって、米国がアフガニスタン撤退とともに、ウクライナからも撤退するということは、避けたい問題である。訪米はアフガニスタンの政変前から決まっていたが、ゼレンシキー大統領は、9月に入って訪米し、バイデン大統領と会談した。その会談後では、ウクライナ側の懸念を払拭するかのように、「ウクライナと米国の戦略的パートナーシップ」が結ばれ、そこではロシアへの対抗や対ウクライナ支援が明記された [4]。このパートナーシップは、基本的にこれまでの方針とほぼ同じであり、米国の支援を得ながら、領土の一体性を回復させるという従来の立場を踏襲したものである。

以上から、今後のアフガニスタン情勢を巡っても、ウクライナは米国やヨーロッパ諸国の協力者となり続ける見込みが高い。ウクライナ紛争を巡って、米国とウクライナはロシアへの対抗意識を示している上に、米露関係にも様々な懸念材料があることを踏まえると、アフガニスタンの紛争管理を巡って、米国とロシアが安定的に協力関係を構築出来るとは考えにくい。むしろ「誰が秩序の空白を埋めるのか」については、大国間の競合関係が顕在化する可能性もある。

では、ウクライナの事例は、日本外交にどのような示唆があるのだろうか。まず、アフガニスタン情勢を受けて、テロリズムや紛争の観点からも、日本はユーラシア地域にも目を配る必要があろう。ただし、その際には、日本はユーラシアにおける大国間競争に巻き込まれることを防ぐことも不可欠であろう。日本とウクライナでは、異なる点が多く、単純な比較は控えるべきではあるが、ウクライナは、絶えず、ヨーロッパとロシアの狭間で揺れ動き、いまや国家は分裂し、紛争も継続している。そこには、ロシアと欧米諸国の介入がもたらした帰結という側面も否めない。ウクライナの事例は、日本に対して、ユーラシアの地域大国以外の不安も払拭させながら、地域に関与するように示唆している。