はじめに
アフガニスタンに約20年間駐留してきた米軍の撤退が進むと、イスラム武装組織タリバンの勢力が拡大し、8月15日には首都カブールがタリバンの手に落ちた。そして、米軍が30日に撤退を完了させ、タリバンの圧政や地域の混乱などへの懸念が世界で広がっている。
「帝国の墓場」と呼ばれるアフガニスタンは歴史的に地政学的に極めて重要な地であり、多くの外国勢力がアフガニスタンに侵攻してきたが、大国、すなわち、大英帝国、ソ連、米国がその侵攻・支配にことごとく失敗してきた。特に米国の駐留は20年と最長であったが、それは間違いなく失敗であったと言えるだろう。米国が支援してきたカルザイ政権、ガニ政権は腐敗し、人々の心を掴めなかったし、誤射などで多くのアフガン人も殺害してきた米兵はひどく恐れられた [1]。
アフガニスタンのナショナリズムを無視し、米国が押し付けた欧米型の民主主義はアフガニスタンで受け入れられなかったのである。最初から馴染まないものだったとも言えるかもしれない。たとえば、旧ソ連には、民主政権より、「安定」を保証してくれる権威主義体制を好む国民が多い国も少なくない [2]。また、近年ではEU加盟国であるハンガリーやポーランドですら、欧米型の民主主義からの逆行が目立つ。今回の出来事は、欧米型民主主義の限界を改めて見せつけたとも言えるだろう。
そして、米国は20年間で多くの人的、金銭的コストを注ぎ込んだ見返りもなく、同盟国からの信頼をかなり喪失することにもなり、多くの犠牲を被ることになった。
本稿では、アフガニスタンの激変をめぐる周辺国、具体的には中露、中央アジア、コーカサスの地域情勢における動き、および見通しを論じ、日本への政策提言を行う。
周辺国の地域情勢の動き
今回の米国の撤退を受け、米国と対抗関係にある中露は、これを米国の「敵失」とし、対米批判を展開している。特に、ロシアは今回のアフガニスタンの展開を受け、親米のウクライナや他の「近い外国(旧ソ連諸国)」に対し、アフガニスタンと同じ末路を歩むことになるので、アフガニスタンからの教訓を活かせと警告するなど、自国の影響圏維持にまでも利用しようとしている [3]。
そして、中露はともに、タリバンと関係を構築してきたため、カブールで大使館業務も通常通り継続できている。
だが、中露ともに、タリバン政府の承認には慎重である。たとえば、ロシアは2003年にテロ組織認定し、それを取り下げていないが、タリバンの政権掌握後、国営放送などがタリバンの肩書きをテロリストから過激派という呼称に変えるなど、明らか変化が見られるものの、タリバンを信用するには至っていないのが現実である。
特に中露が恐れているのが、アフガニスタンからのテロの拡散と難民の流出である。中国は、アフガニスタンに国境を接する新疆ウイグル自治区の独立派組織、東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)の動きに特に神経を尖らせている。新疆ウイグル自治区における中国の弾圧を逃れるためにアフガニスタンにわたったETIMメンバーが中国に戻ってテロを行うことやアフガニスタンのテロ集団との協力などに警戒を強めている。また、ロシアはアフガニスタンと国境を接していないものの、テロの影響を極めて懸念している。ロシアが影響圏と考えている中央アジアのウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタンはアフガニスタンと国境を接しており、またウズベキスタンイスラム運動(IMU)などの中央アジアのテロ組織はアフガニスタンのタリバン、アルカイダ、イスラム国ホラサン州(IS-KP)と関係を構築しており、さらに、ロシアの北コーカサスのテロリストがアフガニスタンに向かう可能性もあり、地域がテロの温床になりかねないからである。また、アフガニスタンがタリバンの圧政やテロの拡大などで不安定化すれば、難民流出が激しくなる可能性が高い。そうなれば、不安定化が地域全体に拡散しうる。
そのため、米軍撤収前も後も、ロシアは中国やロシアが主導する軍事同盟・集団安全保障機構(CSTO:現加盟国はロシア、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、タジキスタン)は軍事演習を繰り返し、テロ対策を強化している。中国が特に注視しているのが前述の通りETIMであり、ロシアやCSTOは8月26日にアフガニスタンの首都・カブールの国際空港周辺で自爆テロを起こしたIS-KPを特に警戒している。また、パンジシール渓谷を拠点とし、旧タリバン政権に対抗して米国同時テロ直前に暗殺され英雄視されてきた故マスード司令官の息子のアフマド・マスードが率いる反タリバン勢力「民族抵抗戦線」(9月6日にタリバンが制圧したと宣言するも、「民族抵抗戦線」サイドはそれを否定)がタジク系であるため、タジク系が住むタジキスタンはじめとした近隣諸国への影響を恐れる声もある。今後は、中露がCSTOや上海協力機構などとも緊密な協力をしながら、統治の安定を模索してゆくと考えられる [4]。
なお、バルト三国を例外として、旧ソ連諸国の中にNATO加盟国は存在しないが、国際治安支援部隊(ISAF)にアルメニア、アゼルバイジャン、ウクライナ、ジョージアが参加していた。ここではコーカサス三国の状況について簡単にまとめる。アゼルバイジャン、ジョージアは、アフガニスタンへのコミットメントが特に大きく、平和維持のための派兵はISAFの任務が2014年に終了した後も続いた。
アゼルバイジャンは、トルコと共に共同でアフガニスタンの平和維持に従事してきたが、カブール陥落後も、トルコと共にカブール国際空港の保護の任務を担ってきた。アゼルバイジャンの民間人が8月17日以前に退避を終えた後も、同国の外交団と軍隊はアフガニスタンに残って活動を継続したが、8月末以降の活動については明らかになっていない。とはいえ、アゼルバイジャンは今後の外交プレゼンスにも関心を持っており、特に、トルコとの協力によってそれを進めることを想定している。近年、トルコ、パキスタン、アゼルバイジャンの3カ国協力が緊密になっており、そのスキームがアフガニスタンにも適用される可能性もある。
他方、ジョージアはNATO加盟への足掛かりであり、米国との関係を強化する良いツールだとして、米軍に協力する形でアフガニスタンの平和維持活動を行なってきた。人口あたりの派兵数は非NATO国で最多で、ピーク時は1500人の派兵を行ない、合計2万人のジョージア兵がアフガニスタンで従事してきた。そして、退役後に、アフガニスタンで民間警備やボディガードの職に就くなどし、アフガニスタンに残った者も少なくなかったという。だが、今回の混乱で、ジョージア軍の全てが撤退した後に、このような形でアフガニスタンに残っていたジョージア人の存在が浮き彫りになった。このようなジョージア人の待避に米国が協力せず、結局、トルコなどのサポートで帰還ができたことは、米国への懐疑心を高めたと言われている。
最後に、昨年、アゼルバイジャンとの第二次ナゴルノ・カラバフ紛争で敗戦を喫したアルメニアは、今回のアフガニスタンからの教訓を今後の自国の軍事・安全保障に活かすべく検討を進めているという。第二次ナゴルノ・カラバフ紛争では、アゼルバイジャンが山岳地帯で戦う上で、アフガニスタンにおける米軍、NATO軍の作戦を分析して活用したとしていることも、アルメニアの意識に働いているように思われる。
日本への政策提言
筆者は、米国の20年の駐留は失敗だったと言わざるを得ないと考える一方、日本政府、日本のNGOやボランティアの団体・個人などがアフガニスタンに対して行ってきたことは、どれもとても重要であり、アフガニスタン人も極めて親日的であったと聞いている。政府レベルの政治プロセス・ガバナンスの向上、治安改善、武装解除、開発・復興支援、人道支援、そしてNGOやボランティアなどの医療支援、教育支援、女性の権利向上のための支援、水道事業などはどれもアフガニスタンにとって肝要なものであり、今後も必要とされているものである。
筆者は、人々の生活の安定なくして、民主化と安定は望めないと考える。アフガニスタンでは旱魃が厳しく、農業が行えない。そのため、人々は食べるために兵士になったり、少ない水で栽培可能な大麻栽培を行なったりするしか無くなってしまう。そして、それが自動的に過激派を増やし、同国を「世界の麻薬工場」にするという悪循環を生んできた。
この悪循環を断ち切るために当地にまず必要なのは、水、教育、職、衣食住の充足である。これらがなければ、悪循環が消えないばかりか、例えば外国政府のサポートで留学できた優秀な人材も、アフガニスタンに戻らず、欧米での生活を選んでしまうため、国づくりをできる人材が根付かず、結局、民主化や安定が望めなくなるのである。民主化はもちろん重要だ。しかし、民主化の前に必要な最低限の条件を整えなければ、外国からの資金も汚職で末端には行き届かず、結局、安定的民主化は達成できない。そして、アフガニスタンは多民族国家であり、宗教的にもイスラーム教のスンニ派が多数派であるとはいえ、シーア派もおり、国土の4分の3が山岳地帯で、そもそも統治が極めて難しい素地がある。
そのため、日本はまず、このような最低限の条件を整えるための支援を行いつつ、欧米型の民主主義を押し付けるのではなく、アフガニスタンの人々が納得できる民主化を進められるよう、アフガニスタン人によるアフガニスタン人に望まれるような国家建設をサポートしてゆくべきだろう。