公益財団法人日本国際フォーラム

はじめに

新型コロナを巡ってはWHO(世界保健機関)を舞台として米中の対立が激化してきた。アメリカのトランプ大統領は4月、WHOが「基本的な義務を果たさなかった」、「中国寄りである」として拠出を停止すると発表、5月末にはトランプ政権が要求した改革が実行されていないとして「WHOとの関係を終わらせる」と宣言、7月初旬、正式に脱退を通告した。対する中国は5月の世界保健総会で新型コロナ対応のために20億ドルを拠出すると表明した。国際協調を重視するバイデン政権が誕生した後も、保健協力をめぐる米中対立は解消される気配を見せない。2021年1月末から始まるWHO調査団による中国での発生源調査を巡っても米中の応酬が継続しているからだ。他方、歴史を振り返って見ると、感染症の管理は国際協調に起源をもち、協調と深い関わりにあることがわかる。本稿では新型コロナをめぐる国際社会の対応を概観し、今後、流行の収束に向けてどのような対応が求められるのか、論じていきたい。

1.新型コロナを巡ってはなぜ対立が顕在化しているのか?

人類社会はペストやコレラといった感染症の流行を度々経験してきたが、その経験を通して、国境を超えた枠組みが登場してきた。保健分野、中でも感染症への対応に関しては、協力した方が互いに利益を得やすい。だからこそ、政治的対立が起きている最中でも協力が進展してきたという経緯がある。他方、こうした前例とは対照的に、新型コロナを巡っては、協力よりも対立が顕在化してきた。その背景としては第一に、米中対立、米国のリーダーシップの欠如と言った国際政治要因、第二にWHOの弱い権限や、米国への過度な依存体制など、グローバル保健ガバナンスの構造的問題点、第三に世界保健機関(WHO)のパフォーマンスの問題という、大きく3つの要因が複合的に関係している。

(1)  グローバル化時代の感染症

そもそも、感染症への対応という公衆衛生上の課題がなぜ、国際政治の動向と関わり合うのかを考えてみたい。その背景として、グローバル化時代の感染症の特徴を理解する必要があるだろう。冷戦終結後の感染症は単なる公衆衛生上の危機ではなく、経済や防衛など他分野に影響を及ぼしうるグローバルな危機へと性格を変化させてきた。大量の航空機が世界を飛び回る時代においては、瞬く間に世界に感染が広がりうるし、たとえ感染を免れたとしても経済や日常生活等において様々な支障を余儀なくされる。このような状況の中で感染症は、公衆衛生という閉じられた領域の一課題から、安全保障をも含む広義の文脈の中で位置づけ直されてきたのである。

この現象は、具体的には以下二つの要因によって促されてきた。第一は「人間の安全保障」概念の登場である。冷戦後、他国の侵略から国家主権、領土、国民を守るという狭義の安全保障概念にとどまらず、国家を構成する一人ひとりの人間を様々な恐怖や欠乏から守ろうというアイデアが登場した。これが「人間の安全保障」である。その後、このアイデアを具体化する様々な外交政策や国際目標が設定されてきた。2000年に設定されたミレニアム開発目標(Millennium Development Goals: MDGs)には、その目標の一つに「HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延の防止」が含められた。ミレニアム開発目標を引き継ぐ形で2015年に設定された持続可能な開発目標(SDGs)でも保健関連の目標が組み込まれ、エイズや非感染症疾患、顧みられない熱帯病、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジの達成等に関する具体的な到達目標が設定された。

第二の要因はエイズの流行である。1981年に初めての症例が報告されて以降、すでに7700万人以上がHIVに感染してきた。毎年新たにウイルスに感染する人の数は、1996年にピークを迎えた後、減少傾向にあるが、2017年時点で3600万人以上がHIVに感染している。若者を中心に各地で感染が拡大することは国家の安全保障機能のみならず、国連平和維持活動(PKO)など国際平和の維持においても打撃を与えうる事態となってきた。2000年1月の国連安保理では、議長を務めたアメリカのアル・ゴア副大統領がエイズの流行を「国際平和と安全にとって脅威」であると述べ、蔓延を放置すれば国際社会の平和と安全の脅威になると謳った国連安保理決議が採択された。WHOのほか国連合同エイズ計画や世界銀行など多様な枠組みが連携、感染者数を確実に抑えてきた。

その後も感染症の世界的なインパクトゆえに、その対応は国際的連帯を呼びかける、あるいは結束を促すための政治的働きかけにしばしば支えられてきた。例えば2000年の先進国首脳会議(サミット)沖縄サミットには初めてWHOが参加、首脳らと共にエイズ、マラリア、結核に関する特別基金の設立に合意した。2006年のサンクトペテルブルク・サミットでは初のG8保健相会合が開催され、2008年の洞爺湖サミットでは、途上国における保健システムの強化に合意がなされた。2014年の西アフリカでのエボラ出血熱の流行に際してはWHOの対応は遅れたが、当時のオバマ米大統領のイニシアティブのもと、国連でサミットが開催され、世界規模の危機に対応するための話し合いが行われた。その後、国連エボラ緊急対応ミッションが設立され、リベリアで展開されていた国連平和維持活動と協力しながら対応にあたった。未曾有の危機といわれ、多くの人命が失われ、経済的損失を伴った危機であったが、アメリカのリーダーシップ、WHOと国連、国連平和維持活動、世界銀行など多様なアクターの連携が終息に大きく貢献した。総じて、グローバル化時代の感染症への対処は、極めて政治的なものと性格づけることができる。

(2) 新型コロナと国際政治

以上の前例とは対照的に、新型コロナを巡ってはアメリカのリーダーシップはおろか、米中の対立が対応をめぐる協力そのものを困難にしている現状である。トランプ米大統領は、WHOが「あまりにも政治的で、中国寄りである」と批判、7月初旬には国連に対し、WHO脱退を正式に通告した。対する中国の王毅外相は「コロナを懸命な努力により制御した」、「コロナ問題を政治化し、WHOを中傷するものがいる」と暗にアメリカを指しつつ反論、グローバルな連帯強化とは、まったく逆の方向へと事態は推移している。グローバルな脅威にはエイズやエボラのように国連安保理決議を通して連帯の基盤を形成することが望ましいが、その安保理も現在では米中、米露の対立により、機能不全に陥っている。

国際協調が欠如した現状は、ワクチンをめぐる対応を見ても明らかである。現在、先進各国でワクチンの接種が進められているが、先進国と途上国ではアクセスに大きな格差が存在する。2021年1月に開催されたWHO執行理事会では、テドロス事務局長がこれまでに少なくとも49の高所得国で計3900万回分以上のワクチンが投与された一方、アフリカのギニアを想定して「最低所得国での投与はたったの25回だ」とも指摘した。ワクチンをめぐる南北格差や競争は、国際社会の適切な対応がなければ、激化の一途を辿ると予測される。

(3) グローバル保健ガバナンスの構造的問題点

新型コロナを巡って対立を顕在化させた第二の要因は、新型コロナ前から存在した、保健ガバナンスの構造的問題点である。その主たるものは国際保健規則に関するものである。国際保健規則は1903年に成立した国際衛生協定に起源を持ち、領域内のサーベイランスや水際対策、WHOへの一定時間内の報告義務など、感染症対応のための各種義務が定められている。この条約は国際環境の変動に応じて、数々の改定を経てきた。最近2005年の改定では、対象が特定の感染症から自国領域内における「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」へと拡大された。この改定は9.11同時多発テロを受け、炭素菌ウイルスなどを用いたテロの危険性が高まったことを反映したものであり、これらの事象が発生した場合、加盟国は評価後24時間以内にWHOへ通達することが義務付けられた。このほか、WHOは国家以外の様々な主体やネットワークから得られた情報に関して、当該国に照会し、検証を求められるようになった。これはインターネットの普及により、多様な主体から迅速に正確な情報を得られるようになった現状を反映したものである。2005年の改定ではさらに、感染拡大防止のための対策は社会・経済に与える影響を最小限に止めるよう配慮すべきことも加えられた。SARSの時、WHOがカナダや中国の一部地域への渡航禁止勧告を出し、それが大きな経済的損失をもたらしたことへの反省であった。以降、WHOは今回の新型コロナも含め、渡航禁止勧告を出していない。

以上のような改定にもかかわらず、規則で定められた義務や権能をWHO並びに加盟国が適切に果たしていない現状が今回、明らかとなった。とりわけ中国の初動対応の遅れは明らかであり、後3週間中国の対応が早ければ、世界的な感染者の数を95%削減できていただろうという報告も出ている。規則に定められたWHO並びに各国の対応能力の向上という大きな課題が立ちはだかるのである。

また、WHOの機能に強制力がないことも問題点として浮上した一つであろう。今回、WHOは中国の対応を称賛し、国際社会から非難をあびたが、そのことはWHOが強制力を持たず、加盟国の自発的な協力に依拠しているという限界が招いた一つの帰結でもあった。2003年SARSの時、WHOは中国の対応を批判、結果的に対応に苦労した。その経験から、今回は称賛することでコミュニケーションをより円滑に図ろうとした。強制力がないが故に、発生国との円滑なコミュニケーションが鍵になるという部分が強く意識された結果でもあった。

また、資金面でも課題が残る。WHOはその資金の多くをアメリカやゲイツ財団といった少数のアクターに大きく依存している。以下の図が示すように2020-21年度においてアメリカへの依存度は約12%である。特定のドナーへの依存度が高いと、今回のように関係が悪くなった時に、首が回らなくなるという大きな問題をはらむ。政治的変化に耐えうる安定的な資金メカニズムの構築も課題であろう。

このほか、より大きな視野での課題を挙げるとすれば、グローバルな脅威としてのパンデミックに対応するための包括的な枠組みがまだ十分に整っていないことである。上述の通り、グローバル化時代の感染症は単なる公衆衛生上の危機ではなく、経済にも社会にも大きな打撃を与えるグローバルな危機である。PKOや世界銀行、NGOらがそれぞれの長所を生かして、有機的に連携できるシステムが国連システムの内部で今一度、見直される必要もあるだろう。

(4) WHOのパフォーマンスの問題

対立を顕在化させた第三の要因は、国際機関がしかるべき対応をできなかったことである。感染症危機に際しては、WHOが状況を判断し、適切な勧告を出し、多様なアクターの行動を協調させる役割を担っている。しかし今回の危機に際しては、初動対応が遅れ、また中国の対応を称賛したことで、WHOへの信頼が低下、それがその後のWHOのパフォーマンスの悪さにつながった。この点は、すでに述べた構造的な欠陥と連動している部分もあるが、国際機関の側が襟を正し、信頼を回復し、透明性を向上させていくという作業も合わせて必要となってくるだろう。またそのような国際機関側の努力が、制度の変革を促すことにもつながると言える。

2. 国際保健協力の行方

国際政治上の問題、制度上の問題、組織のパフォーマンスの問題、この3つの問題点は相互に関係しあっている。WHO加盟国の積極的な関与と連帯がなければ、保健ガバナンスの制度上の問題は改善されようもないし、国際機関の側も変化に向けた努力を見せなければ、加盟国からの支援が得られるはずもない。米中が対立する中でも辛うじて、他の先進国の連帯により、様々な進展が見られてきた。G7は2020年4月以降、WHO改革に向けた話合いを行い、昨年秋のWHO総会にはドイツとフランスが主導したWHO改革案が提案された。ワクチンの公平アクセスに向けた国際協同枠組みCOVAXファシリティも米露が未加盟の中でも、かなりの資金を集めてきた。昨年11月初旬に開催されたパリ平和フォーラムでは、ゲイツ財団やフランスらがCOVAXの途上国向け枠組みCOVAX AMCに対し、総額3.6億ドルの拠出を約束、現状でCOVAX AMCに約20億ドルを越える資金が約束されたことになり、途上国向け約10億回分のワクチンを確保できる見込みとなった。こうしたいわゆるミドルパワー主導の動きに、アメリカのバイデン政権は合流することが見込まれる。バイデン政権はCOVAXファシリティに参加を表明し、WHO改革案についても独仏らと意見に相違ない。

今後の大きな難関は、こうした流れの中で、米中がいかに折り合いを付けられるかであろう。米中の間には、大まかに3つの争点が横たわる。第一は、WHO改革を巡るものである。独仏が用意した改革案には、今回の新型コロナ対応初動の反省を踏まえ、パンデミックの初動において、WHOにより強い権限を持たせるという提案がなされている。この点については、今年5月の世界保健総会で議論が行われる見込みであるが、中露らが反対することが予測され、また中露からワクチンの供給を受けている発展途上国も中露と連動する動きを見せることも予測される。

第二の難関はWHOによる新型コロナウイルス発生源調査を巡るものだ。本調査は昨年5月の世界保健総会での決定に基づくものだが、中国寄りだという厳しい批判にさらされたWHOがその批判をかわす目的もあり、調査チームにはアメリカ人も含まれている。しかし、本調査は中国側が調査内容や調査場所を厳しくコントロールされたものとなり、調査をへても多くが明らかになることはなかった。一方、アメリカは「真実を求める」との立場であり、今後も発生源をめぐって米中の応酬が繰り広げられることも想像に難くない。

第三の難関は、ワクチンの公平アクセスをめぐる問題である。2021年3月時点で、世界的なワクチン争奪戦が激しさを増している。上述の通り、この問題に関しては、COVAXファシリティという国際協働枠組みが構築されているが、うまく機能するか、不透明な部分も依然多い。そのため、欧米産の高価なワクチンが入手できない途上国は、より安価な中国産、ロシア産ワクチンに依存している。中国やロシアが自国産ワクチンの提供により、途上国から外交的見返りを求めるワクチン外交を継続する限り、米中の協力は容易ではないだろう。

こうした米中の保健協力をめぐる対立はいかに解消していくべきだろうか。解消は難しいにせよ、米中対立のインパクトを和らげる努力は、欧州や日本といったミドルパワーによって行われるべきであろう。途上国が中国産ロシア産ワクチンに依存しなくても良いように、COVAXファシリティを機能させるべく、日本やヨーロッパの国々が尽力することも一つの方策であろうし、そのような地ならしが、WHO改革を実現させる上でもプラスに働くと予想される。また、現状では安全性や有効性がデータを伴って確認されていない中露産ワクチンに関して、国際的な承認メカニズムを確立することで、活用の道を探ることが、米中の対立を和らげることにつながるかもしれない。保健協力は日本が新型コロナ前から力を入れてきた分野である。今後の日本の積極的な役割に期待したい。