新型コロナウイルスの影響
中国の「一帯一路」は、2020年からの新型コロナウイルスの世界的流行によって大きな影響を受けている。中国商務部の統計によると、2020年に対外労務協力として海外に派遣された労働者は30.1万人であり、前年から18.6万人、38.2%減少した[1]。中国人労働者の派遣が約4割も減少したことは、新型コロナウイルスの感染拡大によって世界的に国境を超える移動が制限されたことが背景にある。
「一帯一路」沿線国において中国人労働者が行ってきた鉄道、道路、空港、港湾、水道などの伝統的なインフラプロジェクトの建設は中断を余儀なくされた[2]。2020年1月下旬の春節期間中に中国に一時帰国した多くの労働者は、各国の入国制限措置によって現地の建設現場に戻ることができなくなった。また、各国は緊急財政出動を行って新型コロナ対策を優先させた結果、プロジェクト実施のための資金繰りが悪化した[3]。
中国が2020年に「一帯一路」沿線61カ国で新規に署名した対外工事請負プロジェクト契約は5611件、新規契約額は1414.6億ドルであった[4]。2019年は62カ国に対して6944件、1548.9億ドルであったため[5]、件数で19.2%、新規契約額では8.7%減少した。さらに、2020年の完成額は911.2億ドルであり[6]、2019年の979.8億ドルから7.0%減少した[7]。中国が「一帯一路」沿線国に関する統計を発表するようになった2015年以来、契約件数、契約額、完成額すべてが対前年比マイナスとなったのは2020年が初めてである。新型コロナウイルスの世界的流行の影響の大きさがよくわかる。
出所:中国商務部統計データより筆者作成
東南アジアの重要性
中国は新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けるなかでも引き続き東南アジア諸国を重視している。商務部は「一帯一路」沿線国のなかでの中国の主要な投資先を毎年発表しているが[8]、その大半は東南アジア諸国であり、この傾向は2020年も続いた。
2020年には先進国における対中イメージが概ね悪化した。米国のピュー・リサーチ・センターは主要国の対中認識の調査を毎年実施している。同社が2020年8月にオーストラリア、英国、スウェーデン、オランダ、ドイツ、米国、韓国、スペイン、フランス、カナダ、イタリア、日本、ベルギー、デンマークの14ヵ国で行った調査によれば、前年のデータがないベルギーとデンマークを除くすべての国で、中国を否定的に見る人の割合が2019年より増えた。また、その割合が過去20年ほどの間で最も高い国が大半であった[9]。
しかしながら、発展途上国のなかには対中イメージが向上した国もある。シンガポールにあるISEAS-Yusof Ishak InstituteのASEAN Studies Centreは、ASEAN10カ国の学界、ビジネス・金融、政府、市民社会・非政府・メディア、地域・国際機関の関係者を対象に毎年調査を実施している。2021年2月に発表された直近の調査結果によると[10]、中国の経済的影響力が拡大することについて、ASEAN全体では懸念視する回答が7割強を占めており、去年と大きな変化はない。しかし、ラオス、カンボジア、シンガポールの3カ国では、過去1年間で中国の経済的影響力拡大に対する見方が大きく変化した[11]。
もともと、マレーシア、ブルネイ、インドネシア、シンガポールは、ASEAN全体の平均よりも中国の経済的影響力の拡大を歓迎する人の割合が多い。上述のように、ブルネイ以外の3カ国は、2015年以来中国の「一帯一路」の主要投資先であり、特にシンガポールへの投資が多い。
他方で、ラオスとカンボジアにおいて、過去1年間で中国の経済的影響力が拡大することを歓迎する人の割合がそれぞれ18.1%、8.9%も増え、全体の51.4%、52.4%と半数以上を占めるようになった。2019年には中国の経済的影響力の拡大を歓迎する人の割合が最も高かったカンボジアでも43.5%と半数以下であり、ラオスでは33.3%にすぎなかった。
ラオスとカンボジアの対中認識が変化した背景には、両国が新型コロナウイルスの感染拡大に対処するにあたり、中国がいち早く医療隊の派遣や物資の寄贈を行ったことがある。中国は、ラオスに対して2020年3月にコロナウイルスのテストキットを2000個以上提供し、4月初旬には12人編成の医療隊を数チーム派遣した。また、ジャック・マー財団も防護服と検査キットを5000セットとマスク数十万枚を寄付した[12]。さらに、21年2月にはシノファームのワクチンを寄贈した[13]。
また、中国とカンボジアの関係はこの1年で大いに強まった。中国で新型コロナウイルスの感染が深刻だった2020年2月初旬、フンセン首相はあえて北京を訪問し、中国への指示を表明した。習近平国家主席は「困ったときの友人こそ真の友人だ。」と言ってフンセン首相をもてはやした。その後もカンボジアは2月末まで中国人観光客を受け入れ続けた。中国は、3月23日、東南アジア諸国の中ではカンボジアに一番先に医療援助を行った[14]。
さらに、7月には中国とカンボジアの自由貿易協定交渉(FTA)が妥結した。両国は2019年末に交渉を開始したが、わずか半年での決着となった。カンボジアは、2001年から武器以外の製品を無関税で輸出できる特恵制度である「EBA(Everything but Arms)協定」の恩恵を受け、EU諸国への輸出を約10倍に拡大してきた。しかし、カンボジアが野党指導者を国外追放し、野党を解党に追い込んだことを契機に、2020年2月の時点でEUは8月からEBA協定を一部停止して縫製品や旅行用品、砂糖などを制裁対象とすることを決定していた[15]。中国とのFTAは、EBA協定の代替であり、カンボジアが最初に締結する二国間でのFTAであるため、特別な意味がある[16]。
これまでのところ、ラオスとカンボジアは、新型コロナウイルスの感染拡大を初期に封じ込めた成功例である。21年3月20日時点で、ラオスでの新型コロナコロナウイルス者はわずか49人で死者はいない[17]。カンボジアでは感染者は1578人、死者は2人である[18]。中国が早い段階で新型コロナ対策のための支援を提供したことが、両国での対中イメージの向上に貢献したことは言うまでもない。
今後にむけて
中国は、新型コロナウイルスの感染拡大により先進国との関係を概ね悪化させている。他方で、「一帯一路」沿線国、なかでも中国の近隣であり、南シナ海の沿線にある東南アジアにおいては、ラオスやカンボジアのように親中度合いを大きく強めた国もある。新型コロナウコロナウイルス流行が長引くにつれ、世界経済の低迷も長期化すると、中国からの投資で恩恵を受けている国は、中国との良好な関係を維持することをいっそう重視するようになるだろう。ASEANの大国であるシンガポールやインドネシア、先進国入りを目指すマレーシアの動向は、今後の中国とASEANの関係や南シナ海情勢を大きく左右することになるだろう。「ポストコロナ」の時代を踏まえ、中国と東南アジア諸国との関係がどのように展開していくのか、引き続きフォローしていく必要がある。