公益財団法人日本国際フォーラム

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「『自由で開かれたインド太平洋』時代の チャイナ・リスクとチャイナ・オポチュニティ」研究会

当フォーラムの「『自由で開かれたインド太平洋』時代のチャイナ・リスクとチャイナ・オポチュニティ」研究会(主査:神谷万丈当フォーラム上席研究員・防衛大学校教授)の中国・インド太平洋諸国班は、さる10月8日、定例研究会合をオンライン開催した。佐竹知彦防衛研究所主任研究官より「新型コロナ後の豪中関係」、溜和敏中京大学准教授より「インドのインド太平洋政策」、飯田将史防衛研究所米欧ロシア研究室長より「インド太平洋をめぐる日本と中国」と題してそれぞれ報告を受けたところ、その概要は以下のとおりである。

  1. 日 時:令和2年10月8日(木)9:30より12:00まで
  2. 場 所:オンライン形式(Zoom)
  3. 出席者:
    [副査・中国班班長] 川島 真 JFIR上席研究員/東京大学教授
    [インド太平洋諸国班班長] 大庭 三枝 神奈川大学教授
    [中国班アドバイザー] 高原 明生 JFIR参与/東京大学教授
    [メンバー] 飯田 将史 防衛研究所地域研究部米欧ロシア研究室長
    伊藤 亜聖 東京大学准教授
    佐竹 知彦 防衛研究所主任研究官
    [JFIRライジングスター・
    プログラム・メンバー]
    相澤 伸広 九州大学准教授
    高木 佑輔 政策研究大学院大学准教授
    溜 和敏 中京大学准教授
    鶴園 裕基 早稲田大学客員次席研究員
    福田 円 法政大学教授 (五十音順)
    [JFIR] 武田悠基 研究員
    ジョージ・レミソフスキー 特任研究助手
    平井 拓磨 特任研究助手 など
  4. 報告概要

(1)佐竹知彦防衛研究所主任研究官の報告「新型コロナ後の豪中関係」の概要

(イ)豪中関係悪化の発端となった要素の一つは、4月19日に豪ペイン外相がテレビ番組で提唱し、豪モリソン首相も賛同した中国に対する「コロナ独立調査要求」であった。駐豪中国大使がこれに対して強く批判し経済制裁を示唆したことで、双方で非難の応酬となり、5月以降には中国商務部と中国文化観光省による事実上の対豪制裁措置がとられた。こうした中国側の動きに対して豪州は、モリソン首相がサイバー攻撃に関して中国名指しで非難、中国による内政干渉に対する調査の強化、香港情勢への懸念表明など、対抗措置をとった。また、7月28日にはコロナ禍にも関わらず対面での米豪外務・防衛閣僚会議(AUSMIN)に臨み、防衛協力の強化を確認した。

(ロ)前回研究会合(7月29日)時点では、「豪州はトランプ政権の対中強硬策とは一定の距離を置いており、今後何らかの形で対中関係の改善に向かう可能性もある」と分析したが、現状では豪中関係に改善の兆しが見られないばかりか、悪化の一途を辿っている。8月27日にはモリソン首相が、ヴィクトリア州が単独で2018年に中国と一帯一路に関する覚書を締結したことや、豪研究者の「千人計画」参加への懸念などを念頭に置いた「外国関係法」の議会提出を発表した。これは各州や自治体の権限が強い豪州では画期的なものである。また、10月6日には、在北京豪大使館の移転不認可という中国の脅しにも関わらず、豪は香港、ウイグルの人権状況を非難する国連の声明に参加している。

(ハ)豪中関係悪化の原因は、次の5点である。①米中新冷戦の影響によって、中国の対豪認識が「ビジネスパートナー」から「アメリカの手先」へと変化したこと。②コロナ禍以前から中国が行ってきた対豪内政干渉や一帯一路、海洋進出によって、豪州の対中警戒感が安保コミュニティレベルから市民レベルまで拡散したこと。③「ウルヴァリン」と呼ばれる豪州対中強硬超党派グループの存在と、彼らに近い政権内の対中強硬派―アンドリュー・シュウェラーやマイク・ペッツゥーロの影響。④豪州による対中「プッシュバック」の強化―ファイブ・アイズとの連携強化、経済分野での協力拡大、SCRI(日豪印のサプライチェーン再編枠組み)、日米豪印協力(いわゆる「クアッド」)への積極的関与等。

(ニ)今後の豪中関係を左右する要因は、次の5点である。①米次期大統領の対中政策が焦点となる米中関係の行方。②政治的に対立しているにも関わらず、深まる豪中経済関係の動向―鉄鉱石の輸入代替をめぐって、豪経済界からは対中政策の見直しを求める声も上がっている。③豪州のコロナ対応と渡航制限の緩和。④コロナ対応で持ち直したモリソン首相の人気の行方―野党労働党は対中関与の継続を求めている。⑤豪中間での妥協点の模索―豪中間の問題は複合的・多元的であり争点が多岐にわたるため、妥協点を見出すのは難しい。総評するに豪中関係の悪化は長期化が予想される。

(2)溜和敏中京大学准教授の報告「インドのインド太平洋政策」の概要

(イ)インドが初めて公の場で「インド太平洋」に言及したのは2014年11月の日印首脳会議においてであるが、急激に「インド太平洋」重視外交へとシフトしたのは、2018年のシャングリラ会合でのモディ首相の演説(「インド太平洋演説」)が契機であった。同演説において、日米が標榜する「自由(Free)」や「開かれた(Open)」に、「包括的(Inclusive)」を付け加えたことがインド独自の「インド太平洋」観と評価される。これは当時、中国へも門戸を開いていく姿勢であると分析されていた。先月出版された、ジャイシャンカル印外相の著書『The India Way』においても、インド太平洋演説は、「アジアの対立ではなく、協力を呼びかけるもの」であったとされている。

(ロ)インドのコロナ対応の初動は早く、3月には「世界最速・最大・最強のロックダウン」を実施したが、結局感染拡大は抑えられておらず失敗に帰している。これは、準備段階のない急激すぎるロックダウンによって、都市部の労働者が行き場を失ったことによるものである。6月以降、段階的ロックダウン解除を行ってはいるが、現状での社会・経済への打撃は世界最悪レベルである。

(ハ)5月に勃発したガルワン渓谷における印中衝突は未だに解決しておらず、8月末にもパンゴン湖附近で再び衝突が発生している。国防、外務大臣級での事態の鎮静化に向けた努力、コミュニケーションが図られたにも関わらず、現場レベルでは睨みあいが依然として続いている。インド側にとってこの衝突は想定外であり、米中対立が先鋭化するなかで印中関係を悪化させるような中国側の行動は、戦略的に非合理的で不可解なものと認識されている。インドでは、「中国軍現地部隊の暴走」や、「コロナで弱っているインドに対する攻勢」など様々な語られ方をされているが、中国の行動がインド国内の反中感情を爆発させていることだけは確かである。インド政府としては国内向けに対中強硬姿勢を見せつつも、印中経済関係を傷つけないように戦線拡大を回避する必要に迫られている。一方、衝突の原因をインド側に帰す見方も存在する。インド中央政府が、強い自治権を持っていたジャンムー・カシミール州を解体し、自治権を剝奪した上でジャンムー・カシミール、ラダックという2つの連邦直轄領に改編したことや、ラダック~インド中心部を結ぶ道路建設などの国境地帯におけるインフラ整備、BRIへの参画否定、中国からの直接投資の制限などが中国を刺激したのではないか、とされている。

(ニ)現在、インド政府は「権威主義体制」と評されるほどに強圧的な指導者を戴く体制となっている。2019年の総選挙では経済状況悪化による苦戦が予想されたが、パキスタンとの衝突によってナショナリズムが喚起されたことで乗り切った。前述のカシミール自治権剝奪は、選挙後展開された対パキスタン強硬路線強化の一環である。コロナ禍においても支持率は下がっておらず、当面の政権維持は安泰と言われているが、高齢のモディに次ぐ世代の政治家―モディよりも民族主義色の強いヨギ氏など―の台頭により、モディ自身の権力維持は今後不透明である。

(ホ)インド外務省は近年、ジャイシャンカル外相主導の下、全面的な機構再編を行い、インドのインド太平洋シフトが看取できるといえる。「インド太平洋課」や「大洋州課」の設置、アフリカ東海岸地域のインド洋局への所掌変更などが行われた。ジャイシャンカル外相は強気な外交姿勢を評価され、モディ外交の実質を担っているとされているが、セーシェルとの施設利用協定の破断など、実際の外交成果・手腕には疑問符もつく。

(ヘ))モディ外交への評価は大成功から大失敗まで大きく分かれているが、それは着目する分野によって成果が異なるからといえる。ただし、インド外交が明らかに「インド太平洋」にシフトしていることは確かであり、対豪姿勢などは明白に変化している。ガルワン危機によって対中関係は大幅に悪化したものの、決して警戒一辺倒ではなく、従来の対中関与政策の継続性も存在している。コロナ禍によって経済状況が急速に悪化する一方で、印中貿易制限の要請もあるという。インド外交は非常に難しい舵取りを求められていると評価できよう。

(3)飯田将史防衛研究所米欧ロシア研究室長の報告「インド太平洋をめぐる日本と中国」の概要

(イ)日本の「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)概念の原点は、「法の支配」に基づく海洋秩序の維持・強化にあるが、詳細な考え方は時代とともに変化してきた。出発点は、2007年8月に安倍総理がインド国会で行った演説において「インド洋と太平洋の二つの海の交わりという、拡大アジアが生まれつつある」という部分にある。この時点でのFOIPは、インドを「自由と繁栄の弧」の要として位置づけることで、日印関係を強化する狙いを持つものであった。また、日米豪印という現在の「クアッド」枠組みの原型と言えるものや、日印でのシーレーン確保などは、現在のFOIPに通じる点がみられる。その後、FOIPは2014年5月に安倍総理がシャングリラ・ダイアローグで行った「海における法の支配」演説で再登場する。同演説では、太平洋からインド洋をオープンで、自由で平和な場とすることが標榜され、海における法の支配が特に強調された。日本政府が公式にFOIP戦略を掲げたのは、2016年8月に第7回アフリカ開発会議(TICAD7)にて安倍総理が行った演説においてである。特筆すべきは、FOIPの射程がアフリカ大陸まで広がったということである。

(ロ)『外交青書2017』中のコラム「自由で開かれたインド太平洋戦略」では、特に海洋に焦点が当てられ、連結性向上による経済関係深化が強調されており、日本政府のFOIPの方向性が看取できる。また、中国の一帯一路構想に対抗するような記述も見られる。『外交青書2019』では、同コラムのタイトルから「戦略」の文字が消えている。政府のFOIPの位置づけが「戦略」から「ビジョン」へと変更されたことの反映である。また、「いずれの国にも分け隔てなく」という新しい言葉遣いが用いられている。最新のFOIP構想は、外務省のウェブページ「自由で開かれたインド太平洋へ向けた日本の取組」から読み取れる。ここにおいても「いかなる国も排除せず」などの文言が盛り込まれている一方、FOIP下での日米協力の進展も強調されている。

(ハ)FOIP概念の変化の背景には、日中関係の改善がある。特に、2017年6月に安倍総理が一帯一路への協力姿勢を示したことから関係改善に向かい、2018年10月の安倍総理訪中では「日中関係は正常な軌道へ戻った」と謳われた。こうした流れに沿って、FOIPは「戦略」から「ビジョン」へと色合いが変わっていったといえる。

(ニ)他方、オバマ政権後期以降、中国との対立姿勢を強める米国でもFOIPは用いられているが、日本とは意味合いがやや異なる。2017年の「国家安全保障戦略」では、米国の公式文書に初めてFOIPが登場し、米国もFOIP政策を展開し始めたことが窺える。米国版FOIPは、かなり対中戦略的競争における戦略として位置づけられていると評価でき、同盟国・パートナー国との安全保障協力の強化が特に重視されている。

(ホ)中国の対外戦略は、世界の国際政治経済秩序、そして地域の安全保障秩序を変えていく方向へと大きく変わってきており、その範囲はFOIPよりもさらに広い。その発端が2013年9月に提唱された「一帯一路」構想であろう。2014年11月には「新型国際関係」と「人類運命共同体」を目指す「中国の特色ある大国外交」が標榜された。また、2015年10月には、西側先進諸国の影響力低下・中国を筆頭とする発展途上国の影響力低下という国際的なパワーバランスの革命的変化という認識の下、「グローバルガバナンス体系の変革」が提唱された。

(ヘ)防衛省におけるFOIPの方向性は、①シーレーン確保、②信頼醸成による衝突回避、③関係各国との協力し、地域に平和と安定に貢献すること、に基づいて取り組まれている。そして働きかける相手国は、①米豪印をはじめとするFOIP協働国(英仏加NZ等)、②東南アジア、南アジア、太平洋島嶼諸国、ジブチなど、FOIPの実現に向けて協力を強化する国々、③中露という信頼醸成・相互理解を進める国、の3つにカテゴライズされている。具体的には、多国間訓練や能力構築支援、防衛装備協力が行われている。

(ト)総評するに、日本版FOIPは海洋秩序の維持強化を原点としつつ、経済的な連結性向上を目指し、アフリカ、欧州までを射程に収めるものといえる。他方、米国版は対中正面である東南アジア、オセアニア、東南アジア地域のみを射程とし、中国との大国間競争戦略のツールと位置付けている。これらに対し、中国の一帯一路は対象地域をグローバルに拡大し、中国を中心とする経済の連結性強化を用いた、発展途上国への影響力強化戦略と整理でき、日本版FOIPは米中双方の戦略と共通する部分を持つ、と評価できよう。コロナ禍以降、対立の激化する米中の狭間で、日本は如何なる方向性を目指していくべきなのか問われている。

以上、文責在事務局