当フォーラムの「『自由で開かれたインド太平洋』時代のチャイナ・リスクとチャイナ・オポチュニティ」研究会(主査:神谷万丈当フォーラム上席研究員・防衛大学校教授)の日米班は、さる10月29日、定例研究会合をオンライン開催した。中村長史東京大学特任助教より「新型コロナウィルス・パンデミックの下での日本の対中認識・姿勢―経済・技術安全保障を中心に―」と題して報告を受けたところ、その概要は以下のとおりである。
- 日 時:令和2年10月29日(木)17:00より19:00まで
- 場 所:オンライン形式(Zoom)
- 出席者:
[主査・日米班班長] 神谷 万丈 JFIR上席研究員/防衛大学校教授 [研究顧問・日米班アドバイザー] 兼原 信克 JFIR上席研究員/同志社大学特任客員教授 [メンバー] 中西 寛 京都大学教授 森 聡 法政大学教授 [JFIRライジングスター・
プログラム・メンバー]石田 智範 防衛研究所研究員 越野 結花 国際戦略研究所(IISS)研究員 中村 長史 東京大学特任助教 村野 将 ハドソン研究所研究員 [JFIR] 菊池 誉名 主任研究員 武田 悠基 研究員 - 報告概要
(1)中村長史東京大学特任助教による報告
(イ)まず、基本的な構図として、日本は中国の隣国であり、米国の同盟国である。そのため、日本は「チャイナ・リスク」と「チャイナ・オポチュニティ」の双方に配慮する必要がある。他方で、パンデミック発生後の回復速度において米中の明暗が分かれているが、だからといって日本が米国を見捨てるという議論にはならない。また、中国の「医療外交」に対する反発が先進国で強まっている。このような対中反発はパンデミック発生後に突然出てきたわけではなく、元からあった傾向を強めただけとも言える。そのため、こうした基本的な構図に大きな変化はないと考えている。従って、パンデミックの前・後という時間的枠組みではなく、例えばここ5年間といった大きな枠組みでの、日本の対中認識・姿勢を議論する。
また、「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)についても、東南アジアなどのように、米国と中国のどちらかを選択することを迫られたくないという国々もある。こういった国々からも支持を得るためには、「メンバーの包摂度」と「イシューの包括度」において多様な解釈があった方がよい。具体的に言えば、「メンバーの包摂度」は「中国を含むか、含まないか」ということであり、「イシューの包括度」は、「経済に特化するのか、あるいは安全保障に特化するのか、それとも双方を含む包括的な話なのか」ということである。どちらの観点についても、国々や人々によって考え方が異なる。これらが曖昧であるため、色々な人々が色々な解釈をすることができる。そのため、国内でも国家間においても、FOIPに対する多数の支持を得ることができるのではないかと考える。しかし一方で、FOIP構想がうまくいっているかという評価に関しても、立場によって異なってしまう。また、日本が何のためにFOIP構想を追求しようとしているかということに関しても、見解の相違があるのではないか。この点については後で詳細に言及する。
(ロ)経済・技術安全保障をめぐる動向に関しては、まず援助に関して言及すると、権威主義国に対する中国の援助が増えている。なぜこれが問題視されているかというと、これまで伝統的な援助供与国(OECD諸国)は、援助を梃子にして被援助国の政策変更を迫ってきたが、これを続けることが難しくなっている。援助を受ける国々からすれば、伝統的ドナー国に頼まなくても、中国から援助を受けることができるからだ。だからといって、伝統的ドナー国が援助をやめれば、被援助国はかえって対中依存を強めることになってしまう。実際に、カンボジアにおいては2010年まで日本が最大ドナー国であったが、現在では中国が日本の約3倍の援助をしている。また、スリランカにおいても、タミル人に対する「迫害」を欧米が問題視したことによって、その間隙を縫うように中国が援助を増している。
(ハ)援助の文脈において、中国は表立って「中国モデル」や「北京コンセンサス」といった言葉を用いていないが、実態としてその広がりが見えていることに対する懸念が日本で生じている。即ち、伝統的ドナー国がいくら「中国の援助は良くない」と言っても、受け取る側は「長持ちするが高い」インフラよりも、「壊れやすくても安い」インフラが良いと思うようになっている。また、伝統的ドナー国から「債務の罠」に関する批判を受け、中国は少なくとも2019年の遅い段階からは「質の高い一帯一路」という表現を多用するようになった。このように、中国は少なくとも表面上は配慮する姿勢を示している。
(ニ)援助の文脈において、中国は表立って「中国モデル」や「北京コンセンサス」といった言葉を用いていないが、実態としてその広がりが見えていることに対する懸念が日本で生じている。即ち、伝統的ドナー国がいくら「中国の援助は良くない」と言っても、受け取る側は「長持ちするが高い」インフラよりも、「壊れやすくても安い」インフラが良いと思うようになっている。また、伝統的ドナー国から「債務の罠」に関する批判を受け、中国は少なくとも2019年の遅い段階からは「質の高い一帯一路」という表現を多用するようになった。このように、中国は少なくとも表面上は配慮する姿勢を示している。
(ホ)それに対して日本では、2015年3月の『開発協力白書』において初めて「質の高い成長」というフレーズが打ち出されて以来、頻繁に用いられるようになった。同フレーズは中国を名指ししないまでも、「質の高くない」援助に対するアンチテーゼを示している。また、デジタル政策に関しては2018年の『通商白書』において、デジタルの問題と中国の問題をリンクさせた節が設けられ、2019年以降もこの内容が引き継がれている。実際の政策でもファーウェイ製品を政府調達から排除し、今年には日米デジタル貿易協定が発効された。また、日本政府は光ファイバー海底ケーブルの輸出支援を行い、4月には国家安全保障局内に経済班が発足した。
(ヘ)他方で、日中関係の改善の兆しも見られる。例えば、2018年の安倍総理大臣訪中は、7年ぶりの日本の総理の訪中であった。さらに、翌年、日中韓首脳会談のため安倍総理が再訪中した際に、一帯一路の枠組みの中で日中共同で第三国協力を実施することが合意された。パンデミックにより中止になったが、今春の習近平主席の国賓訪日計画もあった。習訪日に関しては賛否両論があったが、「中国政府の動向を見ていると、習主席は日本社会をあまり理解していないように思えるため、実際に日本に来てもらうことは良いことだ」と主張する専門家もいる。また、いわゆる「第5の政治文書」が出せたかもしれないという見解もある。以上のように、一般的に日中関係には改善の兆しが見られたと言える。加えて、日本の世論調査でも関係改善は高く評価されている。対中感情が良くなったわけではないが、これらの事実は、日本人は中国に対して警戒一辺倒ではなく、「中国がもたらすオポチュニティを生かした方がいい」と考えていると解釈することができるのではないか。また、言論NPOが行った、「中国と米国、どちらが重要か」という直截的な調査でも、50%近くの日本人がどちらも重要だと答えている。
(ト)しかし、こういった日本の中国に対する姿勢は、他国のそれと温度差がみられる。まず、米中対立が激化したため、日米間の対中認識の差異が指摘されている。また、いわゆる「ファイブ・アイズ」諸国との間でも、ファーウェイ製品への対応で温度差がみられる。かつては日本の方が中国に対して厳しい態度を示していたが、昨今ではこれらの国々の方が日本よりも厳しい対中姿勢を示している。この点に関するシンクタンクの評価は賛否両論ある。一方で、どのシンクタンクも中国の「リスク」と「オポチュニティ」の双方に配慮することが重要だという認識は共有しており、極端な良し悪しという議論ではなく、匙加減というレベルで評価が割れている。米国では、マイケル・オハンロンが日本の立場に理解を示している。
(チ)しかし、今の日本では、対中牽制と対中協調のバランスが取れているものの、これがどちらか一方に傾くことを懸念される。まず、牽制に傾いた場合、中国の非リベラル性を批判してきた日本は、自らその非リベラル性に加担してしまう可能性がある。冷戦期の対外援助のように、戦略的な援助をするインセンティブは高まるが、それが本来の目的と矛盾しないか、という問題が出てくる。デジタル政策に関しても、「シャープパワー」が自由民主主義諸国の開放性につけ込んでいるという議論があるが、それに対して門戸を閉ざしてよいのか、門戸を閉ざした状態でイノベーションを起こすことができるのか、という問題が出てくる。もし、技術分野の西洋の優位を支えてきたのが「開放的な社会」であったと仮定するなら、門戸を閉ざせば墓穴を掘ることになる。また、ファーウェイ制裁の妥当性に関しても、ファーウェイはある種の純粋な民間企業であり、売上の半分以上も海外であるにも関わらず、強い制裁を科されたことで、ファーウェイが米国側に適応する道を閉ざしてしまったのではないか、という見方もある。いずれにせよ、自らが非リベラル的政策を取ってしまうという問題が出てくる。他方で、対中協調に寄りすぎることで、中国の非リベラル的政策を看過するのも逆効果である。ここで重要なのは、我々にとって「譲れない線」を明示することだろう。その際には日本も他国も、国内の利害調整を丁寧に行う必要がある。
(リ)最後に、日本を含む自由民主主義諸国にとっての目的は「リベラルな国際秩序の維持」であり、目的と手段の関係を揺るがしてはいけない、と考えている。また、仮に中国を弱体化させることが目的だとしても、自らの政策の正当性を守るために「リベラルな国際秩序」という錦の御旗は必要になるだろう。他方で、「リベラルな国際秩序がそもそもあったのか」という議論や、「リベラルな国際秩序は特定の価値観に基づくものではなく、多元性を重視するものである」というグレアム・アリソンの議論もある。リベラルな国際秩序を大義名分と捉えるのであれば、こういった議論にも配慮していく必要があるだろう。
(2)森聡法政大学教授からのコメント
(イ)まず、日本の対中政策における匙加減について、もう少し踏み込んだ議論があってもよかったのではないか。「大国間競争」という言葉が出てきてから、技術も含めた経済的相互依存に対する見方が変わったと個人的には考えている。米中対立が起こる前は、経済的相互依存の恩恵が重視されてきたが、近年はそのリスクの方に重きが置かれている。その中で「経済安全保障」という概念が出てきた。「大国間競争」という言葉は米国の言葉だが、日本の対中評価は、どういう概念をもって中国を評価するのかによって決まってくると考えている。例えば、「リベラルな国際秩序」の推進という文脈で、中国がその秩序を毀損していると捉えるなら、中国との関係にはリスクがあると考えることができる。他方で、秩序を支えるような行動を中国が取るのなら、それはオポチュニティということになるのだと考えている。日本としては、中国のどのような行動が「リベラルな国際秩序」を毀損するものであるかを定義し、日本なりの中国に対する評価を出すことではじめて、経済や技術の安全保障を論じることができるのではないか。
(ロ)コメンタリー執筆の際は、日中関係の改善に関して、年表のように簡潔にまとめてもよいのではないか。そして各論は、①技術安全保障、②経済安全保障、③援助といった構成が考えられる。また、技術安全保障の節では、中国の産業戦略の何が問題なのかを明確にした方がよいだろう。例えば米国通商代表部は2018年3月に、「中国の産業戦略はIDAR(Introduce, Digest, Absorb, Renovate)アプローチを取っている」と報告している。これは要するに、外国製の技術を集め、それを分解し、その技術に産業補助金をつけ、再製品化してよその国に売っていくということである。これが軍民融合の方に流れていくと、軍事的なインプリケーションも生まれていく。他方で、産業分野では市場歪曲効果を持つ。これは米国政府がでっちあげた話ではなく、中国の中長期的な科学技術の国家開発戦略に書かれているアプローチをそのまま解釈したものである。
(ハ)日本としても、中国の産業戦略に対してどういった対応を取っていくのか、ということを議論しなければならない。そのためには、まず日本にどういった技術があるのかを政府が把握しなければならない。技術を「知る・守る・育てる・生かす」ということを日本は考える必要がある。「守る」ということに関しては、日中の民間企業同士の契約に対して、日本政府がどこまで法的根拠を持って介入していくことができるかという課題がある。法的根拠と安全保障のロジックの釣り合いを取らなければならないというのが、経済・技術安全保障上の課題の一つである。この点については、コメンタリーで是非論じて頂きたい。
(ニ)経済安全保障に関しては、中国はエコノミック・ステートクラフトを行っているが、これを「いつもどおり(business as usual)」で済ませていいのだろうか。少なくとも、対中依存によるリスクの高い分野と低い分野を分類して、もしリスクの高い分野があれば、日本はそれをヘッジしていく必要がある。リスクを感じている企業が第三国や日本に拠点を移そうとしている際には、政府はそれを支援していくことも検討すべきだという議論を行うべきである。
(ホ)援助に関しては今年の夏ごろから、一帯一路は腐敗と汚職、そして政治的影響力を拡大する手段として利用されているという議論が行われている。今夏の『フォーリン・アフェアーズ』誌にも「贈賄の兵器化」に関する論文が掲載されている。こういったことがあると、援助に関しても慎重に見なければならない。G20でも「質の高いインフラの原則」が打ち出されて、第6原則はインフラのガバナンスについて言及している。この原則は、「反腐敗的で、透明性や開放性の高い政府調達が必要だ」ということを述べている。援助の文脈でも、こうした原則を中国に求めていくことがイシューとして前面に出ていくのではないか。
(ヘ)また、報告では「中国が開放性につけ込むからといって、閉じすぎるのも良くない」といった議論があったが、簡単に閉じられる分野と、そうでない分野がある。報告でもあった、法的根拠に関する議論をより深めていくとよいのではないか。また、開放性が下がっていくことに関しては、中国が軍事的にアサーティブになっていく中では、ある程度不可避だと考えているが、かといって閉めすぎれば自分の首を絞めることにもなる。この点に関しては明確な線引きをすることは難しいが、例えば留学生に関して米国では、「留学生の研究が米国に与える利益と、その留学生が自国に研究の知識を持ち帰ることの不利益を天秤にかけて、利益の方が大きいのであれば受け入れるべきだ」という議論がある。しかし、実際に利益と不利益を天秤にかけられるのかという問題と、軍事的なインプリケーションを持つ機微な技術に関してはそうも言ってはいられないという問題もある。これら問題に関しても踏み込んだ議論をするとよいのではないか。
(ト)最後に、「リベラルな国際秩序」と対中政策との関連に関しては、この秩序を中国が毀損するのであれば中国を牽制するし、秩序に寄与するのであれば協力するという風に、これらは別個の問題ではなく表裏一体の問題として捉えるとよいのではないか。また、アリソンの議論に関してはポレミックなところがあるので、あまり深入りし過ぎない方がよいのではないか。
(3)兼原信克JFIR上席研究員/同志社大学特任客員教授からのコメント
(イ)今はどこの国にも対中大戦略はない。各国内のビジネス界や軍事界、国防省など色々な勢力が衝突しながら、各国の対中政策ができあがっている。ただ、どこの国でも対中政策は強硬化している。コメンタリーで対中政策の話をする際には、様々な論者の主張を客観的に並列に紹介するのか、それとも自分の主張の入った座標軸を以て紹介するか、どちらか立ち位置を決めて話した方が良いと思う。急速に変化する米国の政策に惑わされずに、日本は自身の立ち位置を決めなければならない。
(ロ)そもそも「経済安全保障」という議論は、日本とドイツにしかない。日本のように、科学技術・経済・安全保障の議論が完全に分断されているのは、敗戦国特有の現象である。他国では経済と安全保障は一体化しており、特に最先端の科学技術は完全に軍事と一体化していることは世界の常識である。従って、日本の感覚を前提にして議論をすると、議論の方向性を間違える恐れがある。
(ハ)「自由主義的国際秩序」という言葉を安倍政権の初期に売ろうとしたが、うまくいかなかった。最近ようやくこの言葉が普及し始めたが、これを普及している理由の一つは、中国は価値観に関する戦略的コミュニケーションがとても弱いからだ。そのため、「自由主義的国際秩序」は中国の価値観には絶対に負けない。米国にとって同盟の半分は財産であるが、もう半分の負担の方が大きくなれば、米国が同盟関係を切る可能性は常にある。イスラエルはアラブ諸国に囲まれているため、必死に米国にすがりつき、米国はもはやイスラエルを切れなくなった。日米同盟は敗戦国が米軍の駐留継続を依頼したというのが原初型であり、共通の敵と戦った「血の同盟」ではない。日本人は米国の庇護を当然視する傾向があるが、それは間違いである。米国のコミットメントを確保するには、米国人の心に響くこと、金や軍事の話だけでなく、価値観の話もすることが米国を引き込むために重要だ。
(ニ)報告中、ファーウェイが米国にすりよるかもしれない、という議論があったが、そういったことが起こることはまずないため、気を付けた方がよい。中国では、共産党が民も官も人事を含めて支配しているのだから、中国に官と民の区別はない。従って、ファーウェイが中国から離れることはない。日本とは真逆で、中国は民間から入ってくる技術を全て軍に送り、民と軍が完全に一体化している。日本に例えれば、電子産業のソニーと防衛産業の川崎重工の合併のようなことを中国は平気でする。そのため、中国において民間企業という言葉は意味を成さないことに留意する必要がある。
(ホ)米国はこれまで、圧倒的な予算を用いて技術分野で他国を突き放してきたが、近年GAFAの資金が数兆円単位になり、ペンタゴンは初めて危機感を抱くようになった。民間の技術が国防省の技術水準を抜き、それが中国に抜き取られるかもしれないからである。また、中国の軍事技術関係予算がどれだけあるかも不明なため、近頃米国政府は危機感を募らせている。ソフトウェアの世界では、GAFAとBATは完全にデカップルしている。今、日本にとって何が怖いかというと、5Gに見られるように、ハードウェアが全てソフトウェアに置き換えられようとしていることだ。これまでハードウェアで処理していたデータが、これからはサイバー空間で全てを処理するようになる。そうすると、GAFAのようなクラウド会社に全てのデータを取られてしまう。それが中国のプラットフォームであれば、すべてのデータが党や軍に行ってしまう。プライバシーを尊重する必要がなく、全ての個人情報を国家が吸い上げることのできる中国がデータ処理で発展することになり、本当に米国が勝てるのか、という疑問さえが出てくる。軍の世界では米国が勝つと考えられるが、民間の世界では、情報を国家が管理できる中国のアルゴリズムの発展の早さに勝てるのだろうかとの危惧が聞かれる。
(4)中村特任助教から、両コメントへの返答
(イ)今回の報告では、様々な論者の議論を紹介していくという方法を取った。ファーウェイの話題に関し、全く知識がないわけではない人物でも「ファーウェイとの協力が可能だ」といったようなことを主張しているという例をあえて挙げた。最新の『外交』誌でも、「あまりファーウェイを追い込みすぎるべきではない」と主張している論文もある。これは、専門家の観点からすれば誤った主張かもしれないが、そういった主張があるという事実自体が重要である、という問題意識を提示する意図があった。
(ロ)日本の立ち位置について、かつて日中間では「政経分離」―たとえ政治では揉めていても経済では協力―があったわけだが、それが逆に政治的な対立を助長するのではないか、という論文を以前執筆した。しかし、2010年代になってからは、政治と経済のネガティブな連携、つまりエコノミック・ステートクラフトが起きていると考えている。また、理論研究の面から言っても、経済的相互依存に期待する、国際政治学におけるリベラリズムがある一方で、商業的平和論に対する強い批判も行われてきた。特に、エコノミック・ステートクラフトという文脈でその批判がなされてきたと考えている。この点に関して、もう少し今回の報告で言及すべきだったと思う。自国の産業の脆弱性について知るべきだ、というご指摘に関しては、これから是非理解を深めたく、技術を「知る・守る・育てる・生かすという」という観点について、そもそもどういった技術が日本にあるかということを知る手立てがないため、ご教示願いたい。他方で、日本や他の自由民主主義国がエコノミック・ステートクラフトを仕掛けていくのかという点に関しても、我々が掲げている自由貿易の規範との整合性という問題が出てこよう。
(ハ)援助に関しては、「非リベラルな政策が取られているのを看過すべきではない」という点を強調していきたい。「質の高いBRI」といったことが最近言われているが、本当に質が高いのかということを問うていく必要があると考えている。また、今回の報告では「課題と対策」のセクションにおける「目的と手段の再確認」という項を強調したが、森メンバーと兼原アドバイザーのコメントを聞き、コメンタリーを執筆する際には「非リベラルな政策を自らがとる恐れ」と「非リベラルな政策がとられるのを看過する恐れ」のバランスを取る記述を増やしたい。
(ニ)最後に、開放性の問題に関しては、まだ答えが見えていない部分もある。例えば大学における留学生というのは、理系分野では非常に難しい問題である。例えば私の勤務する大学の理系教員は、「博士課程の院生が足りない」とずっと言い続けている。現在は博士課程の4割ほどが留学生だが、留学生なしに日本の大学の研究が成り立つのかいう問題がある。それでも、リスクが高い分野は留学生受け入れの門戸を閉じていく必要があるのなら、現場が疲弊しないように支援を行っていく必要があろう。この点に関しては、教育政策という大きな課題とも関連させる必要があると考えている。
以上、文責在事務局