公益財団法人日本国際フォーラム

はじめに―トランプ外交が突きつけた課題

バイデン政権の成立により、「米国ファースト」を掲げたトランプ外交は4年で幕を閉じることになった。トランプ政権は、中国やロシアを修正主義国家と位置づけ、両国との大国間競争の時代が復活したとの認識を示す一方、それにともに備えるはずだった同盟国との関係を軽んじた。なかでも大きく動揺したのが、NATO(北大西洋条約機構)である[1]

トランプはNATOの価値を理解せず、大統領選挙中から一貫して負担分担をめぐる問題で欧州諸国に圧力をかけ、同盟の根幹である集団防衛についても曖昧な姿勢を取り続けた。また気候変動、イラン核合意、そして通商問題などをめぐっても米欧の立場の相違が明らかとなり、ときに激しい対立も見られた。中ロ両国が既存の「ルールに基づく国際秩序」に挑戦するなか、トランプの言動は、長年この秩序を支えてきた米国が自らその役割を放棄しつつあるのではないかという不安を引き起こした。

欧州の同盟国はこの4年を通じて、トランプの米国といかにつき合うのかという短期的な課題に加え、長期的な観点からトランプ外交は米外交の構造的変容を示しているのか、そして今後も米国は信頼できる同盟国であり続けるかという論点をめぐり苦悩を深めた。こうしたなか欧州で展開されているのが、「戦略的自律(strategic autonomy)」をめぐる議論である。

戦略的自律という概念は必ずしも新しいものではないが、近年では、2016年6月にEU(欧州連合)が発表した『EUグローバル戦略』において繰り返し言及されたことで注目を集めた[2]。奇しくもその直前にEUの防衛・安全保障協力に長年懐疑的だった英国のEU離脱方針(Brexit)が国民投票で決まり、また同年11月にはトランプが大統領に選出されたことで、戦略的自律をめぐる議論は盛り上がりをみせることになった。

しかし、戦略的自律が何を意味するか、どこからの自律か、そしてどこまでの自律を模索するのかをめぐっては、論者のなかで必ずしも一致しているわけではなく、曖昧なまま議論が進んでいるというのが実態である。そのなかにあって、「欧州の戦略的自律」(あるいはそれと同義の「欧州の主権(European Sovereignty)」)という言葉を演説やインタビューで繰り返し用いてその必要性を訴えているのが、フランスのマクロン大統領である。以下では、マクロンが唱える欧州の戦略的自律について、具体的な構想とそれを追求する背景を整理し[3]、他の欧州諸国の反応を見たうえで、バイデン政権下のNATOとフランスによる戦略的自律をめぐる議論の行方について検討していきたい。

マクロン大統領による「戦略的自律」の追求

2017年5月に大統領に就任したマクロンは、同年9月にソルボンヌ大学で行った「ヨーロッパのためのイニシアティブ」と題する演説を皮切りに、欧州の戦略的自律を掲げて以下の具体的な構想を進めてきた[4]

まず、Brexitやトランプ政権の成立を受けて、フランスがドイツと手を携えて一気に推し進めたのが、リスボン条約にすでに盛り込まれながら休眠状態にあった「常設軍事協力枠組み(PESCO)」である[5]。これは、主にEU諸国の能力構築を目的としており、2017年12月に始動した。現在、演習・訓練、また陸・海・空に加えて、宇宙・サイバーといった分野などで46の事業が展開されており、マルタとデンマークを除くEU25カ国がそれぞれ希望する事業に参加している。

またフランス主導のもと18年6月に始動したのが、「欧州介入イニシアティブ(E2I)」である[6]。これは上記のソルボンヌ演説のなかで提案されたもので、欧州の安全保障に影響を与える危機に対して欧州諸国が柔軟かつ迅速に対応できるよう、その能力を強化することを目的としている。最大の特徴は、EU・NATOの外に位置づけられている点で、軍事的任務を遂行する政治的な意思と軍事的な能力がある欧州諸国であれば参加できる。その狙いは、危機時の対応プロセスに時間がかかるEUを回避すること、また英国などEUの枠外にいる欧州諸国を巻き込むことにあったと指摘されている[7]

さらに、まだ具体的な進展はみられないものの、マクロンは戦略的自律を一層進めるため、2018年11月には「ロシアや中国、そして米国から欧州を守るため」ための「真の欧州軍」創設を呼びかけた[8]。また2020年2月の核戦略に関する演説では、欧州の集団安全保障におけるフランスの核抑止力の役割について他の欧州諸国と戦略対話を行ったり、核演習に欧州諸国を関与させる用意があることを明らかにした[9]

フランスは、いずれの構想においても欧州共通の戦略文化を醸成し、必要なときに欧州として共に行動を取れるような能力を構築する必要性を強調している。

他方、マクロンが、外交面で戦略的自律のために布石をうっているのが対ロ関係である。米欧とロシアの関係は、2014年に起こったウクライナ危機を契機に悪化の一途をたどり、近年では人権問題などをめぐって対立を深めている。マクロンは、欧州にとってロシアが不安定要因であり、必要な限り対ロ制裁を維持する方針を確認しているが、同時に「ロシアを欧州から遠ざけることは戦略的に大きな過ちである」と指摘している[10]。そしてその安全保障環境を改善するにはロシアとの戦略対話の再開が必須であると他の欧州諸国に呼びかけるとともに、プーチン政権に接近して現在の停滞状況を打開しようと試みている。

なぜ「戦略的自律」なのか?

マクロンが戦略的自律を積極的に追求するのは、「欧州が現状を自覚せず、目を覚まさないまま何も行動を起こさなければ、長期的には我々は地政学的に消えてしまうか、少なくとも運命を自らコントロールできなくなる危険性がある」という危機感をもっているからである[11]。そこには、フランス、そして欧州を取り巻く国際情勢に対するマクロンの認識が大きく反映されている。

まずは、中国の台頭により力の移行が進み、同時に米中対立が激化するなかで欧州が置き去りになっていること、そしてロシアやトルコのような権威主義的な国家が欧州とその周辺地域の不安定化を招いていることへの懸念がある。またなによりも、米国が欧州や中東から徐々に後退し、インド太平洋地域により多くの政治・軍事的資源を割くとともに、欧州にこれまで以上の防衛負担を求めている現実を受け入れなければならないという認識がある[12]

ここで興味深いのは、こうした米国の変化はオバマ政権以来の傾向であるとマクロンが繰り返し指摘している点である。そして米外交が構造的に変容するなか、基本的には対米関係を維持しつつも、米国と立場を異にした際には欧州が独自に動けるようになるため、防衛・安全保障面での自律が必要だと彼は考えている[13]

ではフランスが進める戦略的自律のなかでNATOはどのように位置づけられているのか。よく知られているように、マクロンは2019年11月のエコノミスト誌とのインタビューで、NATOを「脳死状態にある」と診断し、同盟内に波紋を広げた[14]。この発言の背景には、NATO内の協議が軽視され、他の同盟国の安全保障に悪影響を与える決定が一部の国によって一方的に下されている現状への強い不満があった。また、現在のNATOは、加盟国間の脅威認識のズレや同盟国間の政治的対立、そして協議の欠如など政治的に多くの問題を抱えており、マクロンとしてはその政治面での改革が急務であることを強く訴えるべく、あえて論争的な言葉を用いた[15]

マクロンはNATOの重要性を繰り返し指摘しており、欧州の戦略的自律とNATOは完全に両立すると強調する。そして米欧の負担分担の観点からも自律は必要だと正当化している[16]。ただし同時にこれは長期的な視点から、米国が欧州への関与を後退させ、究極的にはNATOが機能不全を起こした時に備えて、いかに米国抜きで欧州が「自らの運命をコントロールするか」という発想からも進められている点に留意すべきであろう。

欧州諸国の反応

こうした動きに対して他の欧州諸国はいかなる反応を示しているのだろうか。フランスが戦略的自律を推進するうえで最も期待する国はドイツである。メルケル首相もトランプの言動を受け、「他者に完全に依存できた時代は終わりを迎えつつ」あるなか、「欧州人は運命を自らの手中に戻す必要がある」と述べており、マクロンの問題意識を基本的に共有している[17]。しかし、マクロンの「脳死」発言にはメルケルも反発し、「現在欧州は単独で自衛することができない。欧州はNATOに依存している。だからこそ欧州はNATOのために動き、より大きな責任を担うことが正しいやり方だ」と述べている[18]

またクランプ=カレンバウアー独国防相は、欧州の防衛協力強化の必要性を訴える一方、米国の役割を欧州が取って代わることはできないとの認識から、欧州の戦略的自律という「幻想を抱くのをやめるべきだ」と主張している。そしてこれにはマクロンが真っ向から反論し、両者の間では論争が生じた[19]。欧州が独自の防衛能力を構築するには仏独の協力が必須であるが、NATOが持つ重みは独仏では異なり、それゆえ米国からの自律をどこまで模索するかをめぐっても両国には温度差がある。

またウクライナ危機を契機に対ロ脅威認識を強めるポーランドやバルト三国といった国にとっては、NATO・米国が自国の安全保障政策の要であり、それゆえこうした国々は特にトランプの不確実性に懸念を抱いてきた。ポーランドやバルト三国からすれば、いかに米国の軍事コミットメントを確保するかが死活的に重要であり、欧州の防衛協力の強化には決して否定的ではないものの、米国の撤退を促すような自律は受け入れられない。またマクロンがNATOを揶揄したり、対ロ関係の「リセット」の必要性を一方的に説いていることも、これらの国の警戒感を強めることに繋がっている[20]

このように欧州を取り巻く国際環境が変容し、米国の戦略的重心がインド太平洋地域に移りつつあるなか、欧州諸国ではより一層の防衛努力を行い、自らの安全保障に対してこれまで以上の責任を担うことには共通理解があるといえる。また欧州の安全保障の根幹であるNATOの価値やその改革の必要性についても一致している。しかし、マクロンの「意図」としては、欧州の戦略的自律がNATOとの両立を前提にするものであったとしても、「結果」としてそれが米欧や欧州諸国の分裂を促し、究極的にはNATOの弱体化や欧州からの米国の撤退を引き起こす可能性がある限り、多くの欧州諸国はフランス主導の構想にはついていけないのである。

バイデン政権下のNATOと「戦略的自律」をめぐる議論の行方

2021年1月、国際協調と多国間主義への回帰を掲げるバイデン政権が成立した。バイデンは大統領就任直後からパリ協定への復帰を決定するなどトランプとの違いを行動で示し、「米国は戻ってきた」ことを国際社会に印象づけている。

また新政権のもとで重視されているのが同盟関係である。なかでもトランプの言動により大きく傷ついたNATOにおける米国の指導力や信頼を回復することは喫緊の課題となっている。バイデン大統領をはじめ政府高官からはすでに、集団防衛へのコミットメントやNATO諸国との協議を重視していく方針が繰り返し確認されており[21]、欧州でも新政権への期待が高まるなか、米欧を取り巻く政治的な雰囲気は着実に改善している。

しかし、トランプが去ってもNATOに残る構造的な問題が山積していることも事実である。NATOを取り巻く戦略環境を見渡せば、同盟として取り組むべき課題は過去10年の間に急増した。中東・アフリカといった「南からの脅威」に加え、ウクライナ危機以降は、軍事的脅威としてのロシア(「東からの脅威」)への対応に迫られている。また中国の台頭がNATOにもたらす挑戦を真剣に考える機運が高まっている。

また同盟内に目を転じれば、脅威認識やNATOへの期待にズレが見られ、トランプが問題視し続けた米欧間の負担分担をめぐる問題も完全には解消していない。そして米国の関心がインド太平洋地域に移るなか、米国が欧州への関与を後退させていくのではないかという懸念もまだ払拭されていない。これらはいずれもトランプ政権以前から存在していた問題であり、以上のような構造的問題とトランプ政権によって引き起こされた問題を峻別して米欧間に横たわる課題を理解する必要があるだろう。

こうしたなか、上記で述べたように米外交の変化を長期的な潮流のなかに位置づけるマクロン大統領は、バイデン政権成立後も欧州の戦略的自律を引き続き求めていく姿勢を崩していない。ただし現在、米欧関係の修復が進められるなか、マクロンは、それが米国の負担軽減やNATOのさらなる強化に繋がる点をことさら強調しており、自らの構想に対する他の欧州諸国の不安や不信を払拭しようとしているように見える[22]。他方、バイデン政権下で米国の信頼が回復し、NATOが正常化すれば、他の欧州諸国は自国の防衛努力を行っても、米国からの自律までは模索する必要はないとの考えを一層強めるかもしれない。今後マクロンが自らの構想に他の欧州諸国を巻き込むため、いかなる議論を展開していくのか、またそれに他国がどう反応するかは引き続き注視していく必要があるだろう。

またこの点を考えるうえで重要なのは、バイデン政権の動きである。バイデンは同盟国との連携を重視する姿勢を強く打ち出している。そのなかでトランプとは異なり、より洗練されたかたちでより大きな負担と責任を欧州同盟国に求める可能性が高い。その際にバイデン政権が欧州の戦略的自律の動きをどのように受け止め、いかに反応するかは重要な意味を持つ。バイデン政権の出方次第で、米国に安全保障面で大きく依存する国の行動もかわりえるからである。

戦後の米欧関係史を振り返れば、米国はこれまでも欧州により多くの防衛負担を求めながらも、欧州がその利益に反するかたちで自律することには反発してきた。またそれがNATOとの重複に繋がる可能性にも警戒感を示してきた。一方の欧州諸国は、より一層の防衛負担を受け入れる必要性を理解しながらも、それが米国の撤退を招くことに懸念を抱いてきた。その結果、多くの欧州諸国が安全保障面で米国に依存し続けることになった。

しかし、過去と大きく異なるのは米国の力が圧倒的でなくなり、中国の台頭を受けてその戦略的焦点が欧州からシフトしつつあるという点である。こうしたなか米欧の結びつきを確認しながら、米国がどの程度、欧州の戦略的自律を許容し、欧州がどこまでの自律を覚悟できるのか。この問題は、米欧間のみならず欧州内にも分裂を生むリスクがあるだけに、いかにその均衡点を上手く見出すかが今後の米欧双方にとっての課題となるだろう。

(2021年3月5日脱稿)