公益財団法人日本国際フォーラム

「ようやく世界が、中国問題をわが事として捉えてくれた」。現在の国際情勢を前にして日本の観察者の多くが共有するのは、こうした感慨だろう。ここ数年、とりわけこの一年ほどの間に、世界の各国が相次いでインド太平洋地域への戦略的な関心を公言するようになった。そうしたモメンタムが勢いを得る上で、コロナ禍が重要な契機となったことは疑いない。中国の外交官は、ウイルスの起源の解明という科学の要請に応えて説明責任を果たすことよりも、むしろパンデミックに対する責任追及の声をかき消すことに懸命であった。国際協調の必要が叫ばれつつも各国政府が国内問題への対処に忙殺されるなかでの香港情勢や南シナ海情勢の展開は、国際社会との関わりよりも自らの主張の貫徹を優先する習近平指導部の独善性を露わにした。コロナ禍にあって世界は、中国の異質性とそのことが孕むリスクについて認識の共有を迫られたのである。

とはいえ、そうした中国の姿は、日本にとって取り立てて新しいものではない。むしろ、およそ冷戦の終焉以来、異質なままに存在感を高める中国への対処のあり方は、日本外交にとっての中心的なテーマであった。今日、コロナ禍の下で国際的な孤立を深めた中国を含め、多くの国々が日本との協力の可能性に期待を高めるなかで、日本外交はかつてない機会を手にしている。自らが依って立つリベラルな国際秩序を支えるためにその機会をどう活かすか、日本外交の真価が問われる局面でもあるだろう。

冷戦終焉後の日本外交――対中アプローチの三本柱

日本の対中アプローチは、日米同盟を外交・安全保障政策の基軸としてその強化に努めつつ、日中関係の安定と、リベラルな国際主義に根差した多国間協力の推進の両者を追求するものである、と要約できる。そうしたアプローチは、安全保障政策をめぐる強い国内制約と日米同盟を基本的な与件とし、多国間協力を通じて望ましい国際秩序の実現を図ることに主たる資源を注いできた戦後日本外交の伝統の延長に位置するものである[1]。そのアプローチが決定的な変化を迫られるとすれば、対中政策において日本が主体性を発揮することが許されないほどに米中関係が悪化するか、あるいは上述した日本外交の与件に根本的な変化が生じた場合であろう[2]

冷戦期において、日本の対中政策上の中心的な課題は、いかにして日米関係と日中関係との折り合いを図るかにあった。米中の和解を受けてその両立が可能となった後、日中関係は充実の時代を謳歌した。日中国交正常化を経て中国が現代化路線へと舵を切ると、日本は惜しみない経済支援によって中国の改革開放政策を後押しした。天安門事件を受けて欧米諸国が足並みを揃えて対中経済制裁の発動に踏み切るなかでも、日本は中国を孤立させるべきではないとの論陣を張り、自国の経済支援の再開を急いだ。民主主義や人権といった価値の問題を前面に押し立てず、経済開発を主眼とした地域諸国の国造りを支援することによって地域全体の安定化に寄与しようとするアプローチは、今日に至る戦後日本のアジア外交に通底するものである。

とはいえ、冷戦の終焉に伴いアジアにおいても多くの国が民主化を果たすなかで、それとは異なる道を中国が選び、かつ日増しに存在感を高めたことは、日本外交に課題を投げかけるものではあった。1997年に始動したASEAN+3(日中韓)が開かれた地域協力の枠組みとなるように率先して働きかけを行い[3]、オーストラリア、ニュージーランド、インドを呼び込んで2005年には東アジア首脳会議(EAS)の実現に漕ぎ着けた日本の取り組みは、そうした課題に対する一つの回答であった。すなわち、中国が順応すべき国際環境の造成に向けて、リベラルな国際主義に根差した多国間協力の枠組みを積み上げるとのアプローチである[4]。それは日中関係の安定という政策目標と矛盾するものではなく、事実、1992年の天皇訪中、1998年の江沢民国家主席の国賓訪日、2008年の胡錦濤国家主席の国賓訪日と、歴史認識問題が浮上して両国関係が困難ななかにあっても日中はハイレベル交流の機会を維持して関係の安定化に努めたのだった[5]。この間、日米同盟は冷戦の終焉という国際環境の激変に耐えて両国間でその意義が再確認され、日本側においては有事における米国との同盟協力の展開に備えた法整備が進められた。

こうして日米同盟の堅持、日中関係の安定、多国間協力の推進の三つを柱とするに至った日本の対中アプローチは、政治主導による価値観外交を積極的に展開した安倍晋三政権についても当てはまる。確かに、インドやオーストラリアとの安全保障協力に早くから関心を寄せ[6]、「自由と繁栄の弧」や「民主主義の安全保障ダイヤモンド」といったレトリックを駆使して自らの構想を語った安倍首相の外交イニシアティブは、中国への対抗意識が色濃く滲む点で際立つものがあった。しかし、第一次政権期には政権発足直後の首相の電撃訪中を通じて日中の「戦略的互恵関係」を打ち出し、第二次政権期には習近平国家主席の国賓訪日計画を実現の目前まで推し進めたように、安倍政権が日中関係の打開にイニシアティブを発揮したことも事実である。この点、安倍政権が提唱し、いまや日本外交の基本的な指針として定着した「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想が、少なくとも日本政府によるプレゼンテーションにおいては、中国をも包摂しうるリベラルな国際秩序の構想として提示されていることは重要である[7]。言い換えれば、日中関係の安定を図りつつ、リベラルな国際主義に根差した多国間協力を推進してそれに中国が順応することを促すという対中アプローチの基本形は、安倍政権においても踏襲されていたのであった。同政権の下で日米同盟の強化が意欲的に追求されたことは、ここで再論する必要はないだろう。

コロナ禍を受けて習近平の国賓訪日の実現が当面困難となり、アメリカの大統領選挙も絡んで米中対立が急激に先鋭化した展開は、尖閣諸島周辺で一方的な現状変更の試みを継続する中国の姿勢とも相まって、日本の対中アプローチに軸足の移動を迫るものではあった。しかし、コロナ禍が収束に向かうとなれば、日本の対中政策は改めて一定の調整局面を迎えることが予想される。そこにおいて焦点となるのは、習近平の国賓訪日問題である。

日中関係「改善」のモメンタム―
―FOIPと一帯一路の「共生」?

習近平の国賓訪日が計画されるに至った日中関係の展開は、2017年に遡る。同年5月、安倍首相は訪中する自民党の二階俊博幹事長に託した習近平宛の親書において、一帯一路に関する協力関係の構築と、首脳間の相互訪問の実現を呼びかけたとされる。日本がこのタイミングで日中関係の打開に動いた背景には、日中の経済的な相互依存関係を踏まえた国内政治の力学もさることながら、トランプ政権の発足に伴う不確実性の増大という国際環境の変化も作用していただろう。以後、2020年4月の実現を予定した習近平の国賓訪日計画がコロナ禍を受けて見直しを余儀なくされるに至るまで、日本の対中政策は政治主導で打ち出された日中関係「改善」のモメンタムを前提として展開されることとなった。

それまで一帯一路にはむしろ警戒的であった安倍政権があえて姿勢を転じた背景には、一帯一路への関与を通じてそれを望ましいものへと方向付けようとする思惑があったようである。2017年6月、国際会議で演説した安倍首相は、一帯一路を「洋の東西、そしてその間にある多様な地域を結びつけるポテンシャルをもった構想」と持ち上げつつも、次のように語ってそれが「国際社会の共通の考え方を十分に取り入れる」ことに期待を表明した[8]

インフラについては、国際社会で広く共有されている考え方があります。まず、万人が利用できるよう開かれており、透明で公正な調達によって整備されることが重要です。さらに、プロジェクトに経済性があり、そして、借入れをして整備する国にとって債務が返済可能で、財政の健全性が損なわれないことが不可欠であると私は考えます。

日本が議長国を務めた2019年6月のG20において、中国を含めた参加国が「質の高いインフラ投資原則」に合意したことは[9]、こうしたことの延長にある。それは、多国間協力を通じて中国をリベラルな国際秩序の枠内に引き入れようとする日本外交の、面目躍如たる成果であった。なおこの間、2018年10月の安倍首相の訪中を通じて、日中両国が第三国におけるインフラ整備で協力することが合意されるとともに、習近平の国賓訪日の実現を目指すことが既定路線となった。日本がFOIPの位置づけを「戦略」から「構想」へと改めたのは、この時期である[10]

先述の通り、日中関係「改善」のモメンタムを象徴するはずのイベントであった習近平の国賓訪日計画は、コロナ禍を受けて2020年3月に無期延期が決定された。かねて、尖閣諸島問題をめぐって中国の姿勢に前向きな変化が見られないなかでの習近平国賓訪日の実現には各方面から懸念も示されていたところ、その後の香港情勢の展開もあり、自民党内では計画の「中止」を求める動きが顕在化するとともに、中国の人権問題に焦点を当てた超党派の議員連盟も立ち上げられた。しかし、そうした国内の動きが日本政府の対中政策に及ぼす影響は、これまでのところ限定的なようである。「安倍外交の継承」を掲げて2020年9月に新政権を発足させた菅義偉首相は、ベトナムとインドネシアを初の外遊先に選んでFOIPへのコミットメントを示した上で、直後の所信表明演説において対中政策の基本方針を次のように表明している[11]

中国との安定した関係は、両国のみならず、地域及び国際社会のために極めて重要です。ハイレベルの機会を活用し、主張すべき点はしっかり主張しながら、共通の諸課題について連携してまいります。

展望

諸条件の変化を受けて、習近平の国賓訪日は幻に終わるのかもしれない。しかし、日中の二国間関係の文脈に限って言えば、コロナ禍を理由に延期された両国間の一大イベントをその収束後もたな晒しにするのは、いかにもぎこちないことも確かである。とりわけ中国のような国との関係においてハイレベルの交流が持つ意義は小さくなく、中国に自制を促す機会とすることで、それに日中の二国間関係にとどまらない意義を付与することも可能なはずである[12]。もちろん、そうした取り組みと並行して、隙のない防衛体制の構築やサプライチェーンの見直しなど、日本として備えるべきは十分に備えることが不可欠であるのは言うまでもない。

中国がもたらすリスクに正面から対峙し、同盟国との関係に重きを置いて国際協調を図るバイデン政権の登場は、以上に述べたアプローチをとる日本の対中政策にとって基本的には順風である。リベラルな国際秩序の維持という課題を対中関係の運営よりも常に上位に置くという基本的な前提を共有してさえいれば、対中政策をめぐって日米関係が軋むことは少ないものと思われる。懸念材料を探すとすれば、政治体制や人権といった価値の問題をめぐって、日米の対中姿勢に温度差が生じる可能性はあるだろう。しかし、最近もミャンマー情勢への対応を通じて改めて確認されたように、そうした対外政策における価値の問題への日米の踏み込み方の違いは、むしろインド太平洋地域の安定に向けた両国の役割分担の可能性を示唆するものである。

今後、中国問題をめぐって日本外交が試練に晒されるとすれば、対中政策において日本が主体性を発揮することが許されないほどに米中関係が悪化するシナリオにおいてであろう。米中の二択を迫られるとすれば日本に選択の余地はなく、その状況にあって日中関係を安定的に管理するために日本が発揮しうる力は限られたものとならざるをえない。万が一にも日中間で不測の事態が生じれば、それはたちまちにして米中間の問題へと転化し、米中が大国としての威信をかけて睨みあう構図の下、日米同盟の信頼性がいよいよ実地において試されることとなる。そして、そうした展開が日米同盟の持続力に対して長期的にいかなる含意を持つのかは容易に測りえない。この一事をもってしても、決定的な米中対立の回避は日本にとっての基本的な国益であり、そのためにも中国から自制を引き出すための多層的な取り組みが日本には求められる。

台湾問題への日本の関わり方は、こうした全体的な見取り図のなかで論じられなくてはならない。中国が武力による統一を合理的な選択肢と捉えることのないよう、地域全体で米軍を支えて抑止力を維持し、多国間協力の推進を通じて国際社会の目を中国に意識させ、また日中間の直接的なパイプを通じて中国に自制を働きかける。そうした慎重な取り組みを通じて台湾海峡の平和と安定に貢献していくことが、日本が果たすべき第一義的な役割であろう。

*本稿の内容は執筆者個人の見解であり、防衛省、防衛研究所を代表するものではない。