当フォーラムの「海洋世論の創出」研究会(主査:伊藤剛当フォーラム上席研究員・明治大学教授)は、さる8月7日、定例研究会合をオンライン開催した。顧問の坂元茂樹同志社大学教授より、「『生きている条約(living treaty)』としての国連海洋法条約」と題して報告を受けたところ、その概要は以下のとおりである。
- 日 時:2020年8月7日(火)18:00-20:00
- 場 所:Zoomによるオンライン
- 出席者:
[主 査] 伊藤 剛 JFIR上席研究員/明治大学教授 [顧 問] 坂元 茂樹 同志社大学教授 [メンバー] 石川 智士 東海大学教授 鎌江 一平 明治大学国際関係研究所研究員 小森 雄太 笹川平和財団海洋政策研究所研究員 西谷 真規子 神戸大学教授 山田 吉彦 東海大学教授 渡辺 紫乃 上智大学教授 (五十音順) [JFIR] 渡辺 まゆ 理事長 ほか - 協議概要
(1)坂元茂樹顧問による報告概要
国際法の現状をみると、条約による国際法の形成は依然として活発であり、規範の洪水とも呼べる現象が生じている。この結果として、国際法の断片化の恐れが指摘されている。近年では、海洋法に基づく法執行にあたり人権法の観点から課題がある。また、不法移民や難民への対処において、保護義務の空間的限定(領海を含む領域)を行う国家と人権保護の拡大の実現との間で緊張関係が生じている。こうしたことから、海洋法に基づく対応は、人権法上の要請に適合することも求められている。
近年、条約の成長や「生きている条約」論に関する議論が拡大している。UNCLOSにおいても、実施協定の締結を通じて現代的な課題へ対応する(成長する)ようになっている。また、UNCLOS自体を改正せず、条約外における国際海事機関(IMO)の規則・基準の発展を取り込める構造にもなっており、「生きている」条約なのである。
しかし、起草時に想定していなかったMGRの開発問題等に関して、各国の利害関係が複雑化したことで、これまでと異なる問題も生じている。また、条約交渉において、各国の担当者の専門分野が異なることで共通言語を見いだせない状況になっている。
複数の条約が同一事項について競合して規律し、かつ、条約ごとに異なる紛争解決機関を指定することにより、複数の紛争解決機関が法の解釈適用について異なる判断を出す可能性がある。また、CBDとUNCLOSが並存する状況では、どちらの価値を優先すべきかの問題も生じるため、今後対応が求められる。
中国の海洋進出に関して考える場合、国際法を無視すべきだとは中国自身も考えているわけではない。今後議論すべき点として、海洋プラスチックごみへの対応(マルチの問題)と尖閣諸島のような領域紛争への対応(バイの問題)への世論形成は同じ次元で語れるか考える必要がある。また、領有権の争いのようなバイの問題について、日本は従来の対処の仕方でよいのか考える必要がある。
(2)自由討議
坂元顧問の報告を受け、参加者との間で、以下のような協議が行われた。
参加者:生きている条約という考え方は、グローバルな問題に対処する国際社会の道標になる。一方で、台頭する中国から見た場合、従来型のルールで積み重ねてきたものが自国に好ましいものではないこともあり、南シナ海のような多国間の問題も二国間問題として考えることがある。中国はマルチの場とバイの場とを使い分けているが、では多国間条約と同様に、二国間の条約も生きている条約として成長していけるのか。また、生きている条約として成長する多国間条約において、条約や規範を順守する姿勢はどのように生成されるのか。
坂元顧問:バイの場合、生きている条約として機能しない。二国間条約の場合、時代に適合しなくなれば条約そのものを改正することで対処する。中国は法治主義というものの、自らは法の支配を受け入れず、対象を縛るものとして法を利用する。多国間条約の順守に関して言えば、拘束力のある条約として合意したものであるがゆえに順守している(合意主義)という考え方がある。一方で、合意主義概念に基づく条約枠組みを疑う議論も近年出てきている。
参加者:中国はバイの場だけでなくマルチの場でも影響力を有しているが、マルチの場における中国の影響力の源泉はどこからくるのか。海外で学んだ研究者に関して、中国国内で発言する内容は中国の国益を拡大するための論理なのか。
坂元顧問:一般化した議論よりも分野別にみる必要がある。中国の国際法における影響力は今後増していく。海洋法分野の若手研究者の層を比較した場合、現在は日本よりも中国の方が厚い。一方で、欧米で国際法を学ぶ中国人研究者の場合、海外で学んだことと中国国内で振る舞わなければならない立場とのギャップが大きい。また、中国政府が研究者の論文を検閲し、勝手に内容を変更することもある。
参加者:合意主義概念を疑う議論に関して、フォーマルな条約が同意原則を貫けないため、インフォーマルに合意をして条約を動かしているように考えられる。その原動力は、官僚間の実施ネットワークであると考えられる。条約交渉において各国の担当者の専門が異なることで生じる問題に関して、両者は対立関係にあるのか、あるいは異分野間の信頼構築や熟議が進んでいるのか。また、担当者の分野ごとにネットワークが構築され、異なる分野ネットワーク間で対立や融合が生じているのか。
坂元顧問:担当者の専門が異なったとしても、条約解釈の手法などについては共通の土台があり、完全に対立している訳ではない。しかし、人為的に引いた海域区分で考える海洋法の発想と生物多様性保全の発想とでは衝突する部分もある。時に、内容に対する深い理解が及んでいない場合でも、自分たちに利益となると考えたならば賛成して条約ができることもある。環境保護や人権のようなグローバル公共財に関しては、非合意的法形成がなされる場合が多い。したがって、それらに関して従来の合意主義概念で説明することは困難である。法的拘束力のある規範的な条約の形成が困難な場合、非拘束的な条約の成長を目指すこともあり、新たな立法技術や解釈技術が生まれている(例:COP16)。ネットワークに関して言えば、担当者(特にCBD)間のネットワークはある。海洋法(国益重視)と環境法の性格の違いも関係していると考えられる。
参加者:尖閣諸島問題に関して、中国は禁漁指示を出すなど一種の海洋保護区(MPA)を設定し、安全保障と絡めている。省庁間の考え方が異なるなかで、日本国内において国際的なスタンダードと一致させるためにどのように整理すべきか。
坂元顧問:日本が主導できる部分が何であるのかを国際社会に認知させることが必要である。しかし、例えば科学的議論を政策決定者が理解できないなどの問題もある。したがって、政策のニーズの所在について科学者に理解してもらう一方、研究が政策にどう生かせるのかを政策決定者に理解しもらうことが必要である。もう少し民間の場で発信力のある議論を行う必要もある。
参加者:水産資源に関して言えば、CBD以外にGATTやCITESの議論など様々な条約が抵触しだしている。もともと存在する考え方をどのように調整するかについて、国際法のなかなどで議論するスキームはあるのか。プラゴミに関して、ゴミを出す側だけでなく、製品を作った生産者側の責任について国際的な議論はされているのか。
坂元顧問:CITESの考え方は保護に傾いているため、持続的利用の考え方がどこまで受け入れられるかは未知数である。水産資源に関して言えば、資源量を正確に測ることなど困難もあるが、科学的エビデンスに基づいた法的議論や政策決定が定着する必要がある。プラゴミに関して、生産者責任まで議論できるかは難しい。プラゴミを輸出してはならないなどの条約による規制でまずは対応することになる。プラスチック自体は有用なものであるため、その製造を禁止することは難しい。
参加者:中国の法に対する姿勢の背景として、意図的なものなのか、あるいは文化的な背景によるものなのか。
坂元顧問:政治体制に大きな原因があると考えられる。党の下に政府があり、政府の下に司法があるような国家において、法の支配のような考え方は定着しない。中国の憲法には、条約の地位についての規定がなく、ケースバイケースによる対応になっている。
以上、文責在事務局