公益財団法人日本国際フォーラム

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「『自由で開かれたインド太平洋』時代のチャイナ・リスクとチャイナ・オポチュニティ」研究会

当フォーラムの「『自由で開かれたインド太平洋』時代のチャイナ・リスクとチャイナ・オポチュニティ」研究会(主査:神谷万丈フォーラム上席研究員・防衛大学校教授)の欧州班は、さる12月11日、定例研究会合をオンライン開催した。田中亮祐防衛研究所研究員より「英国のインド太平洋関与と対中関係:概念の模索と政党要因」と題して報告を受けたところ、その概要は以下のとおりである。

  1. 日 時:2020年12月11日(金)10:00より13:00まで
  2. 場 所:オンライン形式(Zoom)
  3. 出席者:
    [副査・欧州班班長] 細谷 雄一 慶應義塾大学教授
    [欧州班アドバイザー] 岩間 陽子 政策研究大学院大学教授
    [メンバー] 鶴岡 路人 慶應義塾大学准教授
    [JFIRライジングスター・
    プログラム・メンバー]
    合六 強 二松学舎大学専任講師員
    田中 亮佑 防衛研究所研究員
    [JFIR] 菊池 誉名 主任研究員
    武田 悠基 研究員
    岩間 慶乃亮 特任研究助手
    田辺 アリンソヴグラン 特任研究助手
    中村 優介 特任研究助手 など
  4. 報告概要

(1) 田中亮佑防衛研究所研究員による報告

(イ)英国とインド太平洋

スエズ危機以降の1950~60年代は、今日「インド太平洋」と呼ばれる地域から英国が駐留軍、領土等から撤退していった時代であった。1957年には、英国領マラヤが独立し、イラクから撤退し、1960年代に英国経済が悪化し、1968年にはウィルソン労働党政権がスエズ以東からのほぼ完全な撤退を決定した。ただし、実際の撤退が完了するのは1970年代後半と10年間のギャップが存在する。

1980年代にはイラン・イラク戦争時にサッチャー政権による「アルミラ哨戒」が行われたことから、冷戦下において「インド太平洋」への関与が少ないながらも継続されていたと指摘できる。しかし、「英国の影響力はインド太平洋からはなくなった」というのが一般的な認識である。冷戦が終結し、欧州正面での危機が減少すると、英国の「スエズ以東へ回帰」が言説的にも政策的にも現れ始める。1991年の湾岸戦争時にメイジャー保守党政権が英国軍を派遣して以来、保守党はアラブ首長国連邦を中心として、湾岸諸国との防衛に関する合意を作ろうとした。他方、実際の英国の中東回帰は、「計画して回帰した」というよりは、ブレア労働党政権時のアフガニスタン戦争やイラク戦争の際、即ち同地域での戦争の必要性に基づいて実現した。一般的に「スエズ以東への回帰」という表現が定着したのは、2010年代のキャメロン保守党政権下であろう。2012年以降は、ヘイグ外相の下で「湾岸イニシアティブ」が設立されるなど、湾岸地域との関係の強化のみならず、防衛面・安全保障面でも関係の深化がみられた。キャメロン政権時代は、中東を基幹的地域として「インド太平洋」地域への回帰が始まった時代と位置づけられよう。

東南アジアでは、冷戦期の1971年にマレーシアとシンガポールとの防衛協議取極を中心として五カ国防衛取決(five power defense arrangements:FPDA)が英(ヒース保守党政権下)・豪・ニュージーランド・マレーシア・シンガポール間で合意されたが、実質的に形骸化し、英国は同地域から撤退したという評価ができよう。東南アジアと英国の関係が再起したのは、キャメロン政権のもとでの経済・開発面の強化においてであった。安全保障分野では、2016年頃からFPDAを通じた演習の活発化が進み、2021年から英空母が展開することが話題となっている。今後、英国がどのように、どの国(候補は日本、シンガポール、もしくはベトナム、フィリピン)と協定を結ぶのかということが注目される。

日本との関係においては、イラク戦争時の自衛隊派遣が日英安全保障協力の起点としてよく言及される。2010年代には、キャメロン首相が日英首脳会談に際し「(日英は)アジアと欧州それぞれにおいて、相手国の最も重要なパートナー」と発言した。爾来、「2+2」、ミーティアなどの空対空ミサイルの装備技術協力の開発、物品役務相互提供協定(ACSA)、日英共同訓練、米国を含めた海洋安全保障協力など、関係は強化されるようになった。英国にとって経済的観点からは日本より中国の方が重要ではあるものの、英中間では価値を共有しておらず、協力関係を発展させるには限界が存在した。

(ロ)英中関係

1984年のサッチャー政権時にもっぱら英中関係で問題であったのは、香港の返還についてであった。その後、天安門事件が起きると、返還までに仕組みとして、香港に民主制をある程度定着させようという努力が垣間見られた。最終的に、英国が譲歩し主権が平和的に中国に委譲されたものの、当時の保守党には「アジア太平洋」地域に関与し続ける意思があったことを、ポーティロ国防相の演説から読み取れる。香港が返還されたのは、ブレア労働党政権が成立してからであった。また当時は、政権交代したことにより、イメージとしても新たな英中関係が謳われた。

2003年頃から人権問題が深刻化する。クック外相のもとで「倫理的外交」が叫ばれていたが、ブレア政権はプラグマティックにビジネス関係を進めていく姿勢を見せた。ただ、ブレア政権時は、英政府が率先して中国との関係を築くというよりは、EUを通じた経済関係の強化や、NGOを通じた経済的関与を進めることとなった。経済関係が発展していくにつれ、英中関係は「英国が中国に配慮する」という構図が出てきた。そうした中、ブレア政権は中国に金融危機や経済不安を解決する「グローバル・パートナー」になることや、人権・法の支配を尊重すること、気候変動に対応すること等を期待したが、その後、中国はそうしたことを考慮せず行動していった。その一つの転機として注目されるのは、2009年に開催された気候変動枠組条約第15回締約国会議(COP15)である。

2010年に保守党政権になると、前労働党政権以上に対中関係を強化していくこととなった。英国が中国との関係を拡大しなければならなかった最大の理由は、緊縮財政を敷いていたため、海外からの直接投資に期待していたためであった。他方、キャメロン政権は社会的な基盤やコミュニティーや人権を重視する、いわゆるリベラル保守政権であったため、「中国との関係を深めつつ、リベラルな概念を推し進めていく」という、一見相反する行動をとっていた。2012年のキャメロン首相とダライ・ラマの会談以降、英中関係は天安門事件以来とも一部では指摘されるほど悪化した。これを契機に、キャメロン政権は人権問題と経済問題を明確に区別して対中政策をとった。2013~14年頃は、閣内において親中派と対中慎重派に対立があったものの、2015年のアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加に代表されるように、結局は「英中黄金時代」が築かれることとなった。また、オバマ・キャメロン政権期には英米関係が特別な関係として協調されることは少なく、英国が米国から一定の距離をとっていたことも、中国に接近する要因の一つであった。

2016年に国民投票の結果、英国のEU離脱が決まり、キャメロン政権からメイ政権に引き継がれた。不安定な英国内政治状況に加えて、米トランプ政権の誕生も重なり、英米関係の不透明性が高まった。そうした中、2018年頃から英中は経済関係強化を目指し、一時期は英中FTAが模索された。当時、メイ政権も英中黄金政権というレトリックに回帰している。しかしながら、メイ首相は退任直前に、中国の香港情勢への対応を非難したことで、両国関係の緊張が高まった。

2020年には、まず1月に英国が国内でのファーウェイ製品使用を限定的に容認したことで、英米、米欧関係が緊張した。2月には、新型コロナウイルスの世界的なパンデミックに合わせて中国外交が強硬化し、英中、欧中関係の悪化が始まった。4月には保守党を中心とした超党派グループ「中国研究グループ」(CRG)が発足し、さらに関係悪化した。6月には、中国で国家安全維持法が成立し、対立が決定的となった。

2021年には、英国は「アジア太平洋」地域に空母を派遣予定であり、対中国を念頭に日米と連携を強化している。また、ブレグジットの移行期間も終了するため、この脱EUディールの如何によって英米、英中関係への影響が変わってくるだろう。

(ハ)ブレグジットと対中関係

2000年~2019年の間に、中国の対英投資は500億ユーロに達し、英中関係上、経済が切っても切り離せない要因であるのは明白である。英国は、国内企業や技術を含めた買収案件の審査に、政府が対中国を念頭に介入することを可能にする一方で、EUから離脱した後も魅力的な投資先であることをアピールするため、国際貿易省内に対内投資促進担当部署が設置される予定である。いずれにしても、EU離脱後の英国が中国の投資先として依然魅力的なのかどうかは、今後の脱EUディールの内容如何によると考えられる。

外交・安全保障面に関しては、メイ首相の演説で提唱された「グローバル・ブリテン」が、その定義や見解を含めて議論の中心になるだろう。「グローバル・ブリテン」を議論する際によく指摘されるのは、いわゆる「チャーチルの3つの輪」である。最近、EU離脱後の代替となる輪として、ジョーンズ第一海軍卿(2017年)は、①二国間をもとにした欧州との関係性、②米国を中心としたNATO、③湾岸・アジア太平洋(インド太平洋)との安全保障を、「海洋安全保障の3つの輪」として挙げた(ただし、これを言った当時は、湾岸・アジア太平洋に関し、輪としては1つだが、地域としては分けていた)。

他方、2016年頃からロシア海軍がバルト海と北海で活動を活発化させており、英国が対ロ関与をしながら中国を念頭とした「アジア太平洋」への展開のキャパシティを維持できるかどうかは疑問視せざるをえない。

(ニ)英国内政治とインド太平洋

90年代、メイジャー保守党政権下で冷戦が終結し、欧州正面での脅威が消え去った際に、欧州域外への関与を拡大しようという動きになった。他方で、対EU姿勢で党の凝集性低下が起こった。2010年代、保守党が与党に復帰した際にも同様の流れが見られた。「湾岸イニシアティブ」や「インド太平洋」への関与は、本来90年代にメイジャー保守党において推進しようとしていた潮流が、約10年の野党時代を経て顕在化したものであったとも捉えられるだろう。ただ、保守党が中道に寄っていくと、EU政策で党内分裂するという流れも同様に起こり、2016年は実際にEU離脱に繋がってしまった。

90年代と今日で異なるのは、インフラ投資や緊縮財政を行ったことで、英中関係を強化する経済的要因が強くなった点である。勢力が強まったEU懐疑派の中には、EU以外との関係を強化しようという動機から、経済的親中派が多く存在していたように思われる。しかし、2020年になると、EU懐疑派・反中である人が増加してきている。

他方で労働党の場合、冷戦後のアジア・中東関与は、保守党と比べ縮小したと指摘できるかもしれない。だがそれは、労働党としての特殊性というよりは、時代としての特殊性であろう。また、対中関係に関しては、保守党が2010年代に関係を強化したが、人権問題と切り離しながらEUを通じてビジネス関係を深める土台を築いたのは、労働党であったと言えるかもしれない。2010年代に野党になった労働党は、エド・ミリバンド党首時代、緊縮財政に反対し、海外からの投資に頼るのではなく、国内で経済を立て直すべきとの立場をとった。しかし、政府の対中関係自体への批判はあまりなされなかった。ジェレミー・コービンが党首になると、対中警戒感を強め、反中レトリックが明確になった。しかし、中国からの投資が労働を生んだという側面があり、労組からは不満が漏れていた。その後、キア・スターマー党首下では、現代型の労働党に戻りつつあると思われるものの、彼が人権派弁護士であったこともあり、リベラル性はあまり変化していないように窺える。加えて、コービン党首時に閣僚であったリサ・ナンディを「影の外相」に据えるなど、路線踏襲が確認できる。今後、与党に対する批判勢力としては、とりわけ対中政策をめぐり、労働党がどのような姿勢を取っていくのかが論点になるだろう。また、保守党の支持率が低下する中、「インド太平洋」への展開に対する労働党の意識は、保守党の政権運営にも依るであろう。

(ホ)「インド太平洋」概念の模索

「インド太平洋」概念化の試みとして、保守系シンンクタンクから多くのレポートが出されてはいる。しかしながら、こうした意見は保守党政権に近い意見であり、国民全体の声を反映しているのか、疑問視せざるを得ない。さはさりながら、既出の論調を基に広がっていく可能性もあり、議論の余地はある。

2020年11月下旬時点において、保守党と労働党は支持率で逆転しており、野党労働党の方が支持率が高いのみならず、ジョンソン首相の支持率は低下している。労働党への支持が高まっていることは、相対的に保守党が推し進めるグローバル・ブリテンの模索と並行して推進する「インド太平洋」政策に、何かしらの形で影響を与える可能性も否定できない。基本的に、保守党政権が安定する限りは「対中関係は厳しくしつつ、経済を回す」政策方針になると思われるが、結局はブレグジットをはじめとする今後の英国政治情勢に左右されるであろう。

(2) 質疑応答・意見交換

参加者:保守党、労働党それぞれに政党・方針として特色があるということは、確かにその通りであるが、はたしてこれが英国の「インド太平洋」への関与を分析する際に、中心的な分類・分析枠組みになるだろうか。そもそも両党ともに、党内にブレグジットに関して様々な立場があるのと同様、中国に対しても様々な立場を有しているはずであり、どこまで政党要因に説明能力があるだろうか。政党要因の着想の背景と、分析された感覚を伺いたい。特に防衛予算等、軍事分野に関しては保守党の方が積極的だということは、結果としてはわかる。しかしながら、先月、ジョンソン政権が相当な国防予算の増額をした際に、保守党内部でも反対・抵抗があったことからも分かるように、保守党だから軍事分野に積極的とは言い切れないのではないか。また、ブレグジット・ショックとコロナ・ショックが続いた際に、財政的な理由から「アジア太平洋」への空母派遣への批判は、国内に確実にある。国内的に空母派遣を一旦決めはしたものの、「グローバル・ブリテン」が定まったとは言えず、方針として不安定である。保守党政権であっても今後どのようになっていくかは不透明であり、労働党政権になればさらに不透明であろう。

田中メンバー:経済関係に関して、中国の資金に頼る部分の増減に関する議論は、外交政策というよりは国内経済政策になるため、ここに保守党と労働党の違いがあると思われる。軍事面に関しては、2010年以降に労働党は政権を担っていないために直接的な事例や発言がなく、要因としての政党の違いの判断が難しいが、労働党の変容ということで一定の推測は出来るかもしれない。しかし、労働党はスターマー党首になってまだ日が浅く、今後、政党ごとの対EUディールに対する姿勢と、対中経済については注視していく必要がある。他方、保守党の特徴としては、経済的には中国にコミットしつつ、中国が引き起こしている国際秩序に対する問題に関しては、軍事的に関与して牽制を見せるということが言える。経済が悪化した際に、保守党が「インド太平洋」を含めた論理で軍事費を増額していくのに対して、労働党は軍事費を削るべきという考えが多い、と言えるのではないか。(付記:スターマー党首は、政府の防衛予算増額に対しては賛同するが、戦略が必要と発言。軍事費増額に反対するオールド・レイバー、その他旧ブレア・ブラウン路線や現在のスターマー路線の混在など、保守党同様労働党にも迷走が見られる)

参加者:政党ごとに分けて説明することは、ある意味ではオリジナリティとして付加価値が付くような部分があり、発展させると面白いと思い聞いていた。欧州政策に関しても、親欧州派と欧州懐疑派(反欧州派)が存在しており、「政党ごとの違い」と「外交路線の違い」とが一致する部分と、一致しない部分が当然あると思われる。したがって、①保守党/労働党がそれぞれどのように政策を決めているのか、②各政党内部で誰が決めているのか、③保守党/労働党それぞれの支持層・支持基盤がどういうところなのか、について深く掘り下げることが出来れば、より付加価値のある分析になるだろう。しかしながら、「対中政策に関する列国議会連盟(IPAC)」のように、超党派的な対中政策アプローチも存在しており、政党要因だけでは説明できない部分が出てくるという難点もある。

参加者:英国の関与として、中東、インド洋、東アジアはそれぞれ意思決定要因として連動するのか、しないのか、について非常に関心がある。歴史を長く俯瞰するなかで、これらの地域は、どれほど別個のものとして認識されてきたのか、あるいは逆にかなり密接であったのか、伺いたい。

参加者:英国の関与として、中東、インド洋、東アジアはそれぞれ意思決定要因として連動するのか、しないのか、について非常に関心がある。歴史を長く俯瞰するなかで、これらの地域は、どれほど別個のものとして認識されてきたのか、あるいは逆にかなり密接であったのか、伺いたい。

参加者:そもそも、なぜ英国はスエズ以東の「インド太平洋」に関与しようとしているのか、その大きな目標は何か。とりわけ、保守党が「グローバル・ブリテン」を掲げる理由・背景、関与の動機について伺いたい。また、「インド太平洋戦略」あるいは「インド太平洋指針」を出している国がある中で、英国は出していない。「インド太平洋」という概念自体は、政治家の演説や政策文書の中で頻出する概念になっているのか。

田中メンバー:ジョーンズ第一海軍卿の発言にあったように、「湾岸」と「太平洋」は異なる地域として明確に区別されている。したがって、今後「グローバル・ブリテン」を推進していく中でも、湾岸・中東(もしくはインドを含む)地域と、チャンギー等を中心としたシンガポール・東南アジア・東アジアの地域は、マラッカ海峡周辺を境として、英国の中でも違うものとして認識されているのではないか。インド太平洋への関与動機は個人的にも疑問だが、英国はEUから離脱し、今後グローバル展開を志向する中で、現状打破を狙う中国に対して意志を示すことが、自由民主主義国としての、またP5の一員としての役割であると考えているのではないか。

「インド太平洋」なのか「アジア太平洋」なのかという話に関しては、英国においては2017年頃までは「アジア太平洋」という言い方が主流であったように思われる。また、その後に関しても、フランスのように、完全に「インド太平洋」という言い方に変わったわけではないと思われる。今後、欧州の潮流に合わせるのであれば「インド太平洋」に定まるかもしれないが、湾岸地域を特殊扱いする英国の体勢が続くと、「アジア太平洋」という言葉を併用する可能性もあるのではないか。

参加者:英国がフランスやドイツ、オランダと違うこと、また明らかに独自性を持てる点として、海外基地の存在が挙げられる。したがって、英国が「インド太平洋」という言葉を使って政策説明をする際、それは単なる外交政策にとどまらず、海外軍事基地のオペレーショナルな範囲の明確化に関連付けると、英国は安易に地域名称を変えるわけにはなかなかいかないのではないか。(細谷班長)

参加者:シンガポールも単なる補給基地(デポ)であり、ディエゴガルシアは米国に完全に貸してしまっているような状況であるように、どこかを拠点にオペレーションをする際の概念が確立しており、これが言葉を変えることの障害になっているという印象はあまりない。加えて、米国も太平洋軍からインド太平洋軍に変更したように、上が決めればそこは付いてくる部分であろう。英国が「インド太平洋」という言葉を避けているわけではないと思われる。

参加者:アレッシオ・パタラーノ(Alessio Patalano)は、英国国防政策に関して「far east」という呼称をやめるよう議論した[Alessio Patalano, “UK Defence from the ‘Far East’ to the ‘Indo-Pacific’,” (Policy Exchange, July 24, 2019), 〈https://policyexchange.org.uk/publication/uk-defence-from-the-far-east-to-the-indo-pacific/〉. ]。しかしながら、ここはまだ根が深い部分である。一定以上の世代では、「アジア」よりも「far east」の方が、より帝国のノスタルジーに合致しているため、「インド太平洋」は更に敷居が高いのではないかと思われる。(鶴岡メンバー)

田中メンバー:英国のメンタリティとして、「帝国航路」(エンパイア・ルート)などの意識が強く残っているが、保守党内であっても「インド太平洋」や「極東」へ出ていく必要性が共有されているのか、疑問視せざるを得ない。英国の歴史に対する認識と、保守党/労働党内部でどの程度「インド太平洋」や対中政策が決定されているのかを今後見ていく必要がある。

参加者:英国が「インド太平洋」を用いない理由は、世代的要因や、「帝国航路」に対するメンタリティも関連しているであろう。「far east」あっての「middle east」であるため、「極東」がなければ「中東」もない、ということになる。英米の比較で考えると、英国の帝国航路が本国発で香港に向かっていくルートであるのに対し、米国が太平洋に海軍を展開する際の航路はサンディエゴから出発し、ハワイから各地へ枝分かれしていくルートであり、帝国航路が米国にはかなりの部分共有されていない。さらに、米国は「far east」という言葉の代わりに「pacific」という言葉を用いるようになったが、英国はなぜか今まで「far east」という言葉が残っている。この齟齬がなぜ生じたのか英国の「インド太平洋」概念を考える際のひとつのポイントであろう。こうした点を踏まえ、英国の「インド太平洋」地域への関与を考えると、帝国航路を通じて英国からどれだけ遠いかという地理的距離が、心理的な距離と関連しているのではないか。英国からすれば、「インド太平洋」というものが帝国航路とかなり重なっており、新しい言葉を使わずして従来の当該地域を説明できてしまう。したがって、英国が「どれくらい帝国航路で東側まで行けるのか」というのがポイントとなってくるだろう。

参加者:帝国航路に加え、シンガポール陥落がもたらしたマインド・セットもあると考えている。軍事史家のマイケル・ハワードは、1940年代の英国のアジアにおける力の源泉は、英国のカリスマにかかっていたが、シンガポールの陥落により、そのカリスマ性は永遠に失われてしまったとしている。アジアにおける英国の力が失われ、また太平洋でも、米国がいなければ英国一国だけでは何もできないという状態が、「インド太平洋」戦略の欠如に繋がっているのではないか。

参加者:コモンウェルスに関し、この10年ほど、国際政治上の影響力はあまりないと見ていた。しかし、英国がEUを離脱し、ある意味「友達がいなくなり、世界に漕ぎ出していく」状況において、「心温まる居場所」としてのコモンウェルスの重要性は、経済、外交、安全保障的に上昇してきたと思われる。例えば、英国のCPTPP加盟に向けた思惑には、現加盟11カ国のうち6カ国がコモンウェルスで、友好的に接したいという面もあるわけであり、加えて、豪州、ニュージーランド、カナダとのFTAもうまくいくかもしれない。このように、コモンウェルスの主要国をかき集めて英国は「グローバル・ブリテン」を演出する、ということを行っていくだろう。そこに、日英関係がどこまでコモンウェルス的な発想と結びつくのか、結びつかないのか――私見では全然結びつかないと思う――という点は、現実の政治・外交でも重要性が増している論点であろう。

参加者:英国がとりわけ「インド太平洋」地域に関与する時に、ある種軸としているようなパートナー諸国はどこなのか。

参加者:海外のパートナーに関して、英国がインドをどう位置付けているのか、お伺いしたい。

田中メンバー:グローバルなパートナーとしては米国が軸であろう。地域のパートナー国としての豪州に関しては、英豪防衛安全保障協力条約もあり、英豪関係に関するレポート等も豪州側研究機関からも出ている。しかし、特に軍事展開の文脈においては、そうしたバイの関係でというよりは、クアッドやFPDAなどのマルチの文脈が多いだろう。近年の豪州の印象としてはフランスとの話題も目立ち、豪仏海洋安全保障協力に関する本も出版されている。他方で、香田洋二・元海上自衛隊自衛艦隊司令官のインタビューでは、英国がアジアに関与する際の基軸として、横須賀と佐世保もあげられていた。やはり、空母打撃部隊の艦艇(6隻~8隻)を一度に収容できるドッグがある港は限られているためであろう。

「インド太平洋」の話をしているのに、インドからの視点に関する話に触れられないことが、様々なシンポジウムで見られる印象がある。英印が経済、安全保障関係を強化していく中において、インドが「インド太平洋」をどう見ているかということは重要な観点となってくる。

参加者:経済的には中国といくらでも協力できる部分があるかもしれないが、軍港に英空母が寄港するとなると、軍事的な意図・行動が読めてしまうために、信頼関係からして軍事的な協力ということになると、なかなか難しい。逆に、日英関係が「2+2」をはじめとする様々な面で信頼関係が醸成されてくると、日本の寄港への敷居は下がるだろう。

また、少なくとも安保法制以降、日本はロジスティクスの面でも米軍以外との協力の幅が広がってきている。英海軍が日本へ寄港した際には、水や石油など様々な物資の補給を求めることになるだろう。換言すれば、「なぜお金がないのに日本に来るのか」というのはむしろ逆で、「お金がないから日本に来る」というわけである。

英国の海外関与を考える際に、海に関与するのと、陸に関与するのとでは、全く様相が異なるため、英国の海洋国家としての性質に着目する必要もあるだろう。海に関与するものに関しては、インフラとして港や基地を使ったり、あるいは友好関係があったり、空母を使ったり、というように世界中に展開できる。しかし、それと内政・内陸の問題(例えば、新疆ウイグルの問題など)となると、海洋帝国としての英国の対外行動とは異なる論理やリソースが必要になってくる。英国の対中政策と、対「インド太平洋」政策は、海を見るのか、内政・内陸へのコミットまで含むのかによって、相当程度英国の位置づけも変わってくるだろう。

参加者:英国が「インド太平洋」地域に関与する際に注目すべきは、米国と平仄を合わせる・波長をそろえようという努力、換言すればある意味、強迫観念に近いようなプレッシャーがあるということである。日本の場所としての利便性という点はもちろん重要であるが、それ以上に、オペレーショナルに米国と連携しないとならないと同時に、同等の装備を持っている国は米国ぐらいしかいないということが重要である。そうすると、英国がアジアに関与する際の行き先は、日本近海以外はないということが指摘できよう。

参加者:「バイデン政権下では米国のインド太平洋への関与が縮小するかもしれない」という指摘がある中で、「インド太平洋」政策あるいは「グローバル・ブリテン」を進めていく際に、英国は米国をどう位置付けているのか。(岩間特任研究助手)

田中メンバー:確かに、英国にとっての日本は補給基地や中継地点という意味合いが強くなってくると思われる。しかしながら、日米英が実際に一緒に運用できる場面というのは限られるのではないかと考えている。有事の場合、日米の協力は明らかに東シナ海などを意識しており、一方で米英の協力では南シナ海が想定されているように思う。その場合、英国が東シナ海の事態に軍事的に関与することは考え難く、反対に日本が南シナ海の有事に入っていける余地は非常に限定されているからである。日英の相互運用性(inter-operability)はどこまで高まるかまだわからないものの、日本の役割はロジスティクスに限られるのではないだろうか。

バイデン政権のインド太平洋への姿勢は、やっと欧州がインド太平洋に積極的関与を見せ始めた2010年代後半の動向を揺さぶる可能性がある。今後注目すべき課題だと考えている。

以上、文責在事務局